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愛する者たち
【30】居場所(2)
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「凰玖が自分の道を切り開き、私の分まで切り開いてくれることを……瑠既様は許して下さいました」
「それは……」
「私よりも、ずっと……瑠既様の方が、我慢していらしたのに……」
誄は宮城研究施設を建て、携わるようになってから研究に惹かれていった。それは、子どもたちが成長し、手が離れてからは加速した。
凰玖は子どもながらに母の思いに気づいたのか、ともに研究にのめり込むようになっていった。
そして、年末になる前に──研究者の憧れの地、克主研究所へ行きたいと告げてきたのだ。
凰玖は自らが研究者として所属したいと申し出たわけではない。母、誄の思いも叶えたいと立ち上がっていた。
克主研究所は移住が原則。
凰玖は誄に誓った。『一緒に研究者の道を極めよう』と、強く手を握った。
誄が困惑し、返答できずにいると、今度は瑠既に凰玖は顔を向けて──瑠既は承諾したのだ。
瑠既は、誄と忒畝の関係を忘れたわけではない。ただ、消せない想いを理解できるだけだ。
瑠既は、生家に居座る気で鴻嫗城に戻って来たわけでもない。
けれど、何年も帰れないと悩み、苦しみ、戻って来た深い想いも、忘れてはいない。
「私たちは、たとえどんなに離れていても『家族』です。そして、『夫婦』であることも……変わらないではないですか」
鴻嫗城での失った時間。
恥を後悔で隠して、埋めて来た『家族』の時間。
取り戻そうともがいた貴族の自覚。
あたたかい家族を築きながらも、どうしても埋められなかったもの。
気づけば瑠既の頬には涙が伝っていた。
「轢の……考えそうなことだ」
瑠既は顔を片手で覆う。
「そうですね。でも、いいと思います。それで、瑠既様も、庾月様も……幸せになれるのですから」
誄は微笑みながら瑠既に寄り添う。
そっと瑠既のもう片方の手に、包むように手を重ねる。
瑠既は天を仰ぐように、グッと顔を上げる。
見上げるのは高く柔らかいクリーム色の天井で、昔に見上げた青空は、そこにはなくて。
鴻嫗城よりは低い天井で。
でも、一般的な家よりは、はるかに高い天井で。
「離れてても家族、夫婦……か。そうだな。そばにいることが必要なとき、また一緒にいれればいい」
いくつも、いくつも涙がこぼれていく。
「楓珠大陸には、一緒に行こう。それに、会いたいときには、いつでも会える」
「はい」
今度は瑠既がそっと誄の体を包み込み、ふたりはこれからも『夫婦』であり、『家族』であることを誓う。
翌日。
颯唏と羅凍が乗り継いだ船は、梓維大陸の羅暁城、城下町に着いていた。
羅凍は二の足を踏んだが、颯唏は断固として引かない。結果、羅凍は重い足を動かし、船を降りるしかなかった。
船を降りればすぐ、羅暁城が見える。颯唏が、城が見えるまま進んでいくから、羅凍は心を無にするように進む。
到底、混んだ道を避けようとも思えず、軽快な足取りの颯唏の足を止めて裏道を案内する気にもなれない。
結果、正門が見えてきた。
羅凍は裏口からの出入りが多かったため、正門は慣れていない。それも手伝い、羅凍の足は余計に進まなくなった。
颯唏がため息を吐く。
その様子にいい加減、颯唏は諦めたかと羅凍は思ったが、そうではなかった。
颯唏は羅凍を置いて、ひとり正門を進んで行く。
──あれ?
拍子抜けだ。
颯唏がひとりで行っても用が足りるのかと、羅凍は呆気に取られる。
だが、そうであれば、それに越したことはないと考えを改める。
緊張が抜けていき、裏道を案内しなくてよかったと心底思う。裏道を案内してしまっていたら、羅暁城が生家だと自白したようなもの。
無駄な心配だったかと笑みがこぼれた。
そのとき、想像もしていなかった言葉に、羅凍の心臓は止まりかける。
「父上!」
目を見開き、顔を上げる。
視線の先には、漆黒の髪を持つ青年がいた。──ずい分と成長した姿だが、蓮羅だ。
蓮羅は一本に束ねた髪を大いにゆらし、羅凍へ一直線に走って来る。
現状が呑み込めない。蓮羅は、羅凍を『父』とは知らないはず。
なぜ、どうして、そう自問自答しても、混乱が収まらない。
「蓮羅……」
思わず呼ぶ。呼んだことのない、息子の名を。
ふと、羅凍に何かがぶつかった。
衝撃があった胸元を見れば、蓮羅が抱きついている。抱き締められた力は強い。『会いたかった』とも、『離したくない』とも、声にならない思いが押し寄せるように伝わってくる。
「規則違反なのは、知っている。だけど……聞いたんだ。捷羅も凪裟も、教えてくれたんだよ……」
蓮羅の言葉に、羅凍は混乱する頭を整理しようと努める。今、ここで認めるわけにはいかないと。
「俺は……」
「俺はっ!」
羅凍の発言を、蓮羅は強く遮った。
蓮羅は羅凍を見上げ、言葉を続ける。
「俺は、羅暁城の王位を放棄する。……捷羅と凪裟には言ってあります。妹の麗が王位を継ぎます。麗は、誕生日と同時に結婚が決まりました。子が生まれたら……皆で、羅暁城の跡取りとして育てようと……決めたんです」
玄の願いが、麗という名になったのを羅凍は初めて知った。羅凍が羅暁城を去ってから、玄が産んだ子の名だろう。
娘だったことに関しても同じだ。
羅凍が羅暁城を出る際、玄が出した条件が、育てられる我が子だった。
「再生しましょう。だから、いつでも構いません。ご帰城を……お願いします」
蓮羅の発した言葉は、捷羅の願いのようにも感じられた。捷羅は、羅凍を羅暁城に戻したいと願い、蓮羅に話したのかもしれない。
「作っていきたいんだ。……思い出を。ゆっくりでいい。崩れかけてるものを繋いでいきたいんだ。それには、それには父上が必要なんだ!」
「残りなよ」
涙声になるほど必死な蓮羅を援護するように、颯唏が強く言った。
羅凍が呆然と見ると、颯唏は寂しそうに微笑んだ。
「これは、俺の最後の『お願い』だ」
「颯唏様」
生きている父が目の前にいる蓮羅を、颯唏は羨ましく思っているのだろう。
生きている息子と対面しようとしない羅凍に、叱咤したかったのだろう。
「父上が生きていたら……きっと、そう言うと思うから」
もどかしくて言えない気持ちを、颯唏はそうまとめた。
「じゃあね。……ありがとう、羅凍」
スッと羅凍とすれ違い、颯唏は振り返ることなく来た道を戻って行った。
「それは……」
「私よりも、ずっと……瑠既様の方が、我慢していらしたのに……」
誄は宮城研究施設を建て、携わるようになってから研究に惹かれていった。それは、子どもたちが成長し、手が離れてからは加速した。
凰玖は子どもながらに母の思いに気づいたのか、ともに研究にのめり込むようになっていった。
そして、年末になる前に──研究者の憧れの地、克主研究所へ行きたいと告げてきたのだ。
凰玖は自らが研究者として所属したいと申し出たわけではない。母、誄の思いも叶えたいと立ち上がっていた。
克主研究所は移住が原則。
凰玖は誄に誓った。『一緒に研究者の道を極めよう』と、強く手を握った。
誄が困惑し、返答できずにいると、今度は瑠既に凰玖は顔を向けて──瑠既は承諾したのだ。
瑠既は、誄と忒畝の関係を忘れたわけではない。ただ、消せない想いを理解できるだけだ。
瑠既は、生家に居座る気で鴻嫗城に戻って来たわけでもない。
けれど、何年も帰れないと悩み、苦しみ、戻って来た深い想いも、忘れてはいない。
「私たちは、たとえどんなに離れていても『家族』です。そして、『夫婦』であることも……変わらないではないですか」
鴻嫗城での失った時間。
恥を後悔で隠して、埋めて来た『家族』の時間。
取り戻そうともがいた貴族の自覚。
あたたかい家族を築きながらも、どうしても埋められなかったもの。
気づけば瑠既の頬には涙が伝っていた。
「轢の……考えそうなことだ」
瑠既は顔を片手で覆う。
「そうですね。でも、いいと思います。それで、瑠既様も、庾月様も……幸せになれるのですから」
誄は微笑みながら瑠既に寄り添う。
そっと瑠既のもう片方の手に、包むように手を重ねる。
瑠既は天を仰ぐように、グッと顔を上げる。
見上げるのは高く柔らかいクリーム色の天井で、昔に見上げた青空は、そこにはなくて。
鴻嫗城よりは低い天井で。
でも、一般的な家よりは、はるかに高い天井で。
「離れてても家族、夫婦……か。そうだな。そばにいることが必要なとき、また一緒にいれればいい」
いくつも、いくつも涙がこぼれていく。
「楓珠大陸には、一緒に行こう。それに、会いたいときには、いつでも会える」
「はい」
今度は瑠既がそっと誄の体を包み込み、ふたりはこれからも『夫婦』であり、『家族』であることを誓う。
翌日。
颯唏と羅凍が乗り継いだ船は、梓維大陸の羅暁城、城下町に着いていた。
羅凍は二の足を踏んだが、颯唏は断固として引かない。結果、羅凍は重い足を動かし、船を降りるしかなかった。
船を降りればすぐ、羅暁城が見える。颯唏が、城が見えるまま進んでいくから、羅凍は心を無にするように進む。
到底、混んだ道を避けようとも思えず、軽快な足取りの颯唏の足を止めて裏道を案内する気にもなれない。
結果、正門が見えてきた。
羅凍は裏口からの出入りが多かったため、正門は慣れていない。それも手伝い、羅凍の足は余計に進まなくなった。
颯唏がため息を吐く。
その様子にいい加減、颯唏は諦めたかと羅凍は思ったが、そうではなかった。
颯唏は羅凍を置いて、ひとり正門を進んで行く。
──あれ?
拍子抜けだ。
颯唏がひとりで行っても用が足りるのかと、羅凍は呆気に取られる。
だが、そうであれば、それに越したことはないと考えを改める。
緊張が抜けていき、裏道を案内しなくてよかったと心底思う。裏道を案内してしまっていたら、羅暁城が生家だと自白したようなもの。
無駄な心配だったかと笑みがこぼれた。
そのとき、想像もしていなかった言葉に、羅凍の心臓は止まりかける。
「父上!」
目を見開き、顔を上げる。
視線の先には、漆黒の髪を持つ青年がいた。──ずい分と成長した姿だが、蓮羅だ。
蓮羅は一本に束ねた髪を大いにゆらし、羅凍へ一直線に走って来る。
現状が呑み込めない。蓮羅は、羅凍を『父』とは知らないはず。
なぜ、どうして、そう自問自答しても、混乱が収まらない。
「蓮羅……」
思わず呼ぶ。呼んだことのない、息子の名を。
ふと、羅凍に何かがぶつかった。
衝撃があった胸元を見れば、蓮羅が抱きついている。抱き締められた力は強い。『会いたかった』とも、『離したくない』とも、声にならない思いが押し寄せるように伝わってくる。
「規則違反なのは、知っている。だけど……聞いたんだ。捷羅も凪裟も、教えてくれたんだよ……」
蓮羅の言葉に、羅凍は混乱する頭を整理しようと努める。今、ここで認めるわけにはいかないと。
「俺は……」
「俺はっ!」
羅凍の発言を、蓮羅は強く遮った。
蓮羅は羅凍を見上げ、言葉を続ける。
「俺は、羅暁城の王位を放棄する。……捷羅と凪裟には言ってあります。妹の麗が王位を継ぎます。麗は、誕生日と同時に結婚が決まりました。子が生まれたら……皆で、羅暁城の跡取りとして育てようと……決めたんです」
玄の願いが、麗という名になったのを羅凍は初めて知った。羅凍が羅暁城を去ってから、玄が産んだ子の名だろう。
娘だったことに関しても同じだ。
羅凍が羅暁城を出る際、玄が出した条件が、育てられる我が子だった。
「再生しましょう。だから、いつでも構いません。ご帰城を……お願いします」
蓮羅の発した言葉は、捷羅の願いのようにも感じられた。捷羅は、羅凍を羅暁城に戻したいと願い、蓮羅に話したのかもしれない。
「作っていきたいんだ。……思い出を。ゆっくりでいい。崩れかけてるものを繋いでいきたいんだ。それには、それには父上が必要なんだ!」
「残りなよ」
涙声になるほど必死な蓮羅を援護するように、颯唏が強く言った。
羅凍が呆然と見ると、颯唏は寂しそうに微笑んだ。
「これは、俺の最後の『お願い』だ」
「颯唏様」
生きている父が目の前にいる蓮羅を、颯唏は羨ましく思っているのだろう。
生きている息子と対面しようとしない羅凍に、叱咤したかったのだろう。
「父上が生きていたら……きっと、そう言うと思うから」
もどかしくて言えない気持ちを、颯唏はそうまとめた。
「じゃあね。……ありがとう、羅凍」
スッと羅凍とすれ違い、颯唏は振り返ることなく来た道を戻って行った。
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