完結まで5話【女神回収プログラム ～三回転生したその先に～】姫の側近の剣士の、決して口外できない秘密は

遠き日々

【２７】償い（２）

『そっか』と照れたように颯唏サツキは笑い、『またね』と手を振り大臣に背を向ける。
　先日、颯唏サツキは琉倚ルイと正式に婚約を公表した。何かに追い詰められていたような感覚が颯唏サツキから抜け、精神的に安定した気がする。琉倚ルイも、颯唏サツキと初対面のときと比べ想像できなかったほど幸せに笑うようになった。
　琉倚ルイの幸せを阻んでいたのは己だったのかもしれないと、感傷に浸りながら大臣は自室へと向かう。

　颯唏サツキが琉倚ルイを変えてくれた。今になって思えば、感謝しかない。

　大臣が颯唏サツキを見てきて、十五年。
　外見こそ父の強い面影があるものの、その姿はずっと沙稀イサキとは似つかないものだと思っていた。

　しかし、この数年はどうだっただろう。

　時折、沙稀イサキかのようなそぶりを颯唏サツキは見せていた。大臣は己が抱える罪の意識がそう見せるのかと思っていたほどだ。
　いや、知る由もないことまで、なぜか颯唏サツキは知っていた。──まるで、沙稀イサキ本人かのように。

　ふと感じた、懐かしい気配。

　大臣は来た道を振り返る。

　颯唏サツキの後ろ姿は遠く、わずかに見える程度になっていた。
　腰まで伸びた、長いクロッカスの髪がゆっくりと揺れている。

　ユラリユラリと揺れる色彩と体格に、安堵する。
　颯唏サツキの背は、沙稀イサキのそれとはまったく重ならない。颯唏サツキは髪の毛をキッチリと束ね、且つ、ちいさめの髪留めを使用する。そして何より、歩き方がまったく違う。

　颯唏サツキは、颯唏サツキだ。
　当たり前のことを大臣は改めて実感し、自嘲する。



　いつぶりかというくらいゆっくりと歩き、やっと自室に戻った大臣は驚いた。
　日が傾きかけた室内に、いつからいたのか瑠既リュウキの姿がある。書類に視線を落とし、格闘している様子。
　本人は気づいていないだろう。眉間にはしわが寄っている。
　瑠既リュウキも五十をとうに越えた。長女の黎レイが産まれ、名づけを注意したのが懐かしい。その長女も、もう嫁いだ。
　黎レイが産まれる前に、産まれていた息子の留リュウは庾月ユツキの夫で、娘が三人いる。
　そう思い返してみても、瑠既リュウキがこうしていてくれることが、とてつもなくうれしい。

　胸がいっぱいになった大臣は、静かに扉を閉める。
　スッと背筋を伸ばし、『大臣』へと戻る。

「そんなに根詰めると、お体によくありませんよ」
　大臣の言葉に、瑠既リュウキはパッと万年筆を手離した。
「あれ……もう、大臣が仕事を終わらすような時間？」
　眉間のしわは瞬時に消え、苦笑いを浮かべる。
　成長し男性の顔立ちになっていても、大臣には紗如サユキの面影が強く重なる。
「そうですね。『そんな時間』です」
　大臣と瑠既リュウキの後ろ髪の長さは然程変わらない。差は結んでいるか、いないか。もっとも、瑠既リュウキは一部の長い毛の束を手前に垂らしていなければ、短髪に見える異例の髪型だが。
　座る瑠既リュウキの横をフラフラと歩き、ソファーの背もたれに手を置いて立ち止まる。
「すみません、横になってもよろしいでしょうか」
「ああ、うん」
　瑠既リュウキの返事は生返事だ。『確認してほしいところが』と言葉は続いたが、大臣と視線が合うなり瑠既リュウキは言葉を止めた。
「どうしましたか？」
　素っ気ない大臣の声に、瑠既リュウキは机に向き直す。
「いや、いい。明日にでも確認してくれれば、それで」
「そうですか」
　遠慮せずに大臣はベッドへと行き、横になる。
　あえて背を向けた。紗如サユキと錯覚し、冷たい対応を取らないで済むように。
　すると、すぐに瑠既リュウキの声がする。
「甘えなのはわかってるけど……」
　消えていく声に、大臣は聞き耳を立てる。
　けれど、続かない。紗如サユキではあり得ないことだ。
　大臣は仕方なく上半身を起こす。
「言いたいことがあるなら、ハッキリと言いなさい。なんです」
　颯唏サツキに無理をして付き合った。疲労が大臣を襲ってくる。そのせいで、瑠既リュウキに子どものころのように接してしまった。
　大臣は内心反省しつつも、態度には出さないよう努める。
　具合の悪さが気分の悪さと瑠既リュウキには見えたのか。ポソリポソリと話す。
「大臣にいなくなられたら……困るんだからな、俺」
　想定外の言葉に大臣が驚いていると、瑠既リュウキはそれきり黙々と書類を捲っていく。
　集中しているよう振舞う背を見ているうちに、大臣は笑いがこみ上げてきた。我慢できず声を殺して笑うが、笑い声がもれたのだろう。
　瑠既リュウキに聞こえたようで、瑠既リュウキは一瞬だけ大臣を見、ばつが悪そうにまた書類へ向き合った。
　そのそぶりが更に大臣を笑わせる。もう、我慢はできない。
「瑠リュウ……瑠既リュウキ様が……」
「なんだよ」
「いえ……な、なんでも、ない……です」
　不機嫌な声に、大臣は必死に笑いを堪える。

　素直になれないのに寂しがり屋な部分が紗如サユキにそっくりで、けれど、双子の沙稀イサキとは正反対で。
　それが妙におかしかったのだ。

　口元を布団で抑え、笑いをどうにか止め、
「少し、眠らせていただきます」
　大臣は再びベッドに身を任せる。
「うん」
　素直な遅い返事が、大臣の耳にはきちんと届いていた。



「稀霤キリュウ……私ね、『いい母親』でいたいのよ」
　双子を産み、しばらくしてからのことだ。紅茶を嗜みながら紗如サユキは言った。
　薄い桃色のカーテンがフワリと風に舞っている。
「子どもには『いい母』でありたいのですか」
「あら、いけない？」
　あっけらかんと紗如サユキは言う。
「いいんじゃないですか」
　半ば呆れたように大臣は返答する。
「沙稀イサキって……似ているでしょう？」
『誰に』と言いそうになったが、大臣は口を噤んだ。
「そうですね。……私も、そう思うことがあります」
　大臣の暗い言葉とは裏腹に、紗如サユキの顔はパァッと明るくなった。
「そうでしょ！」
『やっぱり』とでも言いたげな様子に、大臣は静かにうなずく。
　何が言いたいのだろう。怪訝な気持ちを抑え、大臣は紅茶に手を伸ばす。
　チラリと紗如サユキに視線を向けると、彼女はおだやかに笑った。
「だからね、私……子離れをきちんとできるようにしておかないと、と思って」
　大臣がカップをソーサーに戻すころ、紗如サユキが言葉を続ける。
「自分が決めた相手と結婚するなら……仕方ないって諦められるでしょ」
　紗如サユキは揺れるカーテンが遠くにあるように見つめた。

　思えばこのころ、紗如サユキはまだ自身が病魔に侵されていることを知らなかったのかもしれない。

　美しい光に消えていきそうな紗如サユキの笑顔を、大臣は夢の中で懐かしく眺めた。