上 下
310 / 378
遠き日々

【26】重なる罪(3)

しおりを挟む
「人聞きが悪いわね、誰がいつ『妊娠してない』なんて言ったのよ」
 ふんっと紗如サユキはそっぽを向く。
 紗如サユキと言った。聞けば、四ヶ月だと、うれしそうに。
「もっとはやくに知っていたでしょうに……」
「聞かれなかったからよ。でも、そろそろわかるかな~と思って」
 むくれる紗如サユキに、大臣のため息は止まらない。一刻もはやく紗如サユキを結婚させなければ一大事だ。
「そういえば……ついこの間気づいてしまったのですが……出生届。私の名が書かれていましたね」
「嫌だったかしら?」
 相変わらず紗如サユキはさらりと言って退ける。
「それとも、迷惑だった?」
「そういうことを言っているわけでは……」
 双子は、『稀霤キリュウ』の存在を知らない。万一、戸籍を見たとしても同じ音。それに、『稀霤キリュウ』も
「負けますよ、貴女には」
 大臣は力なく笑うしかできなかった。



 いや、沙稀イサキ自身が本名を知るときが来たら、気づかれたかもしれなかった。

 だが、その日は来なかった。



沙稀イサキ』の戸籍上での名は、『留唏リュウキ』。
 本人に告げられなかったのは、紗如サユキが婚約者として手筈の整えた琉倚ルイの話もしないまま、この世を去ってしまったせいだ。
 後継者の話も、紗如サユキは明確にしないまま眠りについてしまった。だから、大臣は『紗如サユキが生前決めた後継者』と『沙稀イサキ』に言い続けた。

 琉倚ルイに話が伝わっている以上、大臣は『沙稀イサキ』に婚約者の話をしようと思っていた。涼舞リャクブ城の仕来りを話し、本名はそのときに伝えようと思っていた。

 双子が母を亡くした深い悲しみから立ち直ってから──そう機会を伺っていたのに、瑠既リュウキの失踪に、『沙稀イサキ』の意識喪失。
 大臣はこれまでの行いのせいだと己を責め続けた。

 取り返しがつかなくなったと気づいたのは、『沙稀イサキ』の意識が戻ったあとだ。
 七歳で眠ってしまった間に、『留唏リュウキ』には死亡届が出されていた。

 偽りの王の仕業だ。
 時間が経ち過ぎていた。手違いだったと取り下げが利かない。

 大臣は焦った。
 生死が不明とはいえ、瑠既リュウキの戸籍を奪うわけにもいかない。

 大臣は最善を尽くすにはどうしたらいいかと、頭を抱える。そうして、新たな人生を送るなら違う名で生きさせようという発想に辿り着く。

沙稀イサキ』は傭兵として籍を置き、王と謁見する。名を変えるなら、ちょうどいい。

 違う名を名乗るようにと『沙稀イサキ』に言ったが、王の前で彼は『沙稀イサキ』と名乗った。

沙稀イサキ』と名乗る彼を見て、大臣は一切彼には話せないと判断し、本名を隠し通すと決意する。

 戦災孤児の登録をし、『沙稀イサキ』の名で戸籍を取得した。
 誕生日は五月十三日、年齢は九歳。
 大臣が、『沙稀イサキ』を生かすために選んだ手段だ。



 颯唏サツキは何かで勘づき、瑠既リュウキの戸籍を見たのだろう。瑠既リュウキ恭良ユキヅキをあくまでも『弟の嫁』としか扱っていなかった節がある。
 そして、瑠既リュウキの双子の弟の存在を知った。
 颯唏サツキの勘の鋭さは、誰に似たのか。



 偽りの王を結婚相手に指名したのは、紗如サユキだった。
「何と、言いました?」
 大臣が聞き返さずにはいれなくなることを、突然、紗如サユキは言った。

 大臣には晴天の霹靂だったのに、紗如サユキはムスッとしながら言う。
「だから、私の結婚相手。『世良イヅキ』という人にして」
 言いたくないような様子は何なのかと、大臣は言いたくなる。
 紗如サユキはあれからも『そういうとき』以外、大臣を『唏劉キリュウ』と呼ぶのだ。
 大臣がため息を長く吐くと、
「だって、その人の子となるんでしょう? 確かに私は了承をしたけど、結婚相手を勝手に選んでいいとは言ってないわ。私にも、選ぶ権利があるでしょう?」
 と、紗如サユキは怒ったように言った。


 だが、紗如サユキは結局結婚しなかった。
 偽りの王と結婚した素振りを大臣に見せていただけで、ずっと大臣を騙したのである。



 恭良ユキヅキを産んだときの紗如サユキは、涙を落としていた。そして大臣に、
「ほら。願いは叶うのよ」
 と、涙で表情を崩しながら幸せそうに笑った。

 それだけ喜んだ娘の父を、紗如サユキは約束通り、『世良イヅキ』とした。──結婚する気は、あったのかもしれない。



 紗如サユキが旅立った日のことを、大臣は忘れられない。

『子どもたちをお願いね』と言ったあと、静かに眠っていきそうな中、紗如サユキはちいさな声で言った。
「お願いがあるの」
 もう、声を出すのがやっとだったのかもしれない。
 真夜中だった。
 娘の寝顔を愛おしそうに見、紗如サユキは心から幸せそうだった。
恭良ユキヅキには、想っている人と一緒にさせてあげて」
 紗如サユキの願いは、留妃リュウキと同じだった。
 自由気ままに振る舞って来た素振りをしていたが、留妃リュウキの想いはしっかりと継いでいたのだ。
鴻嫗トキウ城の姫』と自らを言いながら、伝統を母同様に変えようとしていた。
「わかりました」
「絶対よ!」
 大臣のやさしい声に、紗如サユキは弱々しいながらも力強く言った気がした。大臣が紗如サユキの右手を両手で包むと、
「ありがとう。私、幸せだったわ。世良イヅキ
 と、にっこりと笑った。
 肌を合わせているとき以外に、初めて紗如サユキに『世良イヅキ』と呼ばれ、大臣は驚く。
紗如サユキ……」
 大臣の戸惑いを感じたのか、紗如サユキはぎゅっと手を握った。
「やだ。……私はずっと、貴男を呼んでいたのに。信じてくれていなかったのね」
 紗如サユキの言葉で、大臣は思い込みだったのかも知れないと初めて自身を疑う。
 紗如サユキは『唏劉キリュウ』と兄を呼んでいたのではなく、『稀霤キリュウ』とずっと呼んでいたのかも知れないと。
「もう……嫌いよ」
 悪戯に笑う紗如サユキの声が、妙に愛しい。
「私も、貴女が嫌いです。大嫌いです」
 大臣の声に、くすくすと笑いながら紗如サユキの力は抜けていった。そして、
「う……そ。私は、貴男が……」
 最後の声は、聞こえなかったが、大臣にはしっかりと届いていた。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

偉物騎士様の裏の顔~告白を断ったらムカつく程に執着されたので、徹底的に拒絶した結果~

甘寧
恋愛
「結婚を前提にお付き合いを─」 「全力でお断りします」 主人公であるティナは、園遊会と言う公の場で色気と魅了が服を着ていると言われるユリウスに告白される。 だが、それは罰ゲームで言わされていると言うことを知っているティナは即答で断りを入れた。 …それがよくなかった。プライドを傷けられたユリウスはティナに執着するようになる。そうティナは解釈していたが、ユリウスの本心は違う様で… 一方、ユリウスに関心を持たれたティナの事を面白くないと思う令嬢がいるのも必然。 令嬢達からの嫌がらせと、ユリウスの病的までの執着から逃げる日々だったが……

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

処理中です...