上 下
309 / 374
遠き日々

【26】重なる罪(2)

しおりを挟む
「女心がわからない人ね」
 いつになく紗如サユキは冷たい声で笑う。そうして、観念したかのように呟く。
「諦めるためよ。思い出が……ほしかったの」
 思い出──それは、愛した人との甘い記憶がほしかったのだろうか。
 紗如サユキは後悔しているようだった。兄の命を奪ってしまう結果になってしまったことを。そんなつもりは、毛頭なかったと言いたげだった。
「私は『鴻嫗トキウ城の姫』よ。その自覚が、私には元々あった。お母様にはなかった。……それだけのこと」
『だから留妃リュウキには理解できなかった』と、亡くなった相手に言えないと痛感して嘆いているのか。

 紗如サユキは兄に駄々をこねたあと、兄の結婚を見送り、自らも結婚するつもりだったのだろう。それなのに、想定外なことが続いた。
 たった一度で、子を成せるとも思っていなかった──大臣は感傷的に紗如サユキの独白を聞いていたが、次の紗如サユキの言葉で一種の同情は飛んでいく。
唏劉キリュウ、私ね……どうしても女の子が産みたいの」
 大臣は息が止まる。
 なんと残酷なものの言い方をするのかと。
唏劉キリュウ?」
 何年経っても、紗如サユキが大臣を『世良イヅキ』と呼んだことはない。他人の前では、『大臣』とも言わず、それとなく『ねぇ』などと呼ぶのだ。
 まるで、大臣を『唏劉キリュウ』と呼んでいると悟られたくないかのように。

「それなら、誰かとご結婚なさればいいじゃないですか」

 大臣の怪訝な態度に、紗如サユキは眉を下げて笑い出す。
「行いが悪かったのね。もう、私にその時間はないのよ」
 自嘲し、紗如サユキは母と同じ病で余命宣告を受けたと続けた。手の施しようがなく、薬物の投与もできない状態だと。
「もって、あと二年ですって」
 はっきりとした口調に大臣は長く息を吐く。

 またかと、高い天井を見上げる。

 いかにも紗如サユキらしい、薄い桃色と白で整えられた部屋。そういえば、紗如サユキが療養していたときも、部屋の色彩は変わらなかった。

「姫が産まれるとは限りませんよ」
「可能性はゼロじゃないわ」
 呆れたような大臣の声に、望みをかけるような紗如サユキ
 思わず大臣は乾いた笑いをする。
 先ほど、紗如サユキは『留妃リュウキが決めた相手なら結婚するつもりだった』とも、『姫が産まれるまで何人でも産むつもりだった』とも言った。
『女の子を、この腕に抱けるまで』
 それが紗如サユキの願いで、気持ちはそこにしかない。もっぱら、『相手』の気持ちは無関係なのだ。
『誰もが言うことを何でも聞くわ』
 そう言った紗如サユキが、唯一思い通りにならなかったのが大臣なのだろう。だからこそ、紗如サユキは余命を盾に、大臣が断れない状況でこんな話をしてきた。

「ふたつ、条件があります」
「なぁに?」
 口を尖らせた紗如サユキが大きな瞳で大臣を見つめる。それを横目で見、大臣は続ける。
「ひとつ目はご懐妊されたらご結婚をし、結婚相手を子の父とすること」
 時間はないと言った紗如サユキに、大臣はとっとと結婚しろと言っているようなもの。当然ながら紗如サユキの表情は不満を深めた。
「新たに命を授かったとき、瑠既リュウキ様と沙稀イサキ様に『誰が父だ』と話すおつもりですか」
唏劉キリュウと結婚をすれば……」
「ご冗談を」
『立場からあり得ない』と大臣は即座に否定する。
「嘘を重ねるくらいなら、今すぐにでもご結婚された方がいいでしょうと私は言っているんです」
 ふいっと大臣は顔を背ける。

 紗如サユキが言うようにできていたなら、今には至らない。双子に『父だ』と名乗り、これまでのことを水に流せるとしたら──だが、双子のことを思えば『そんなこと』であり、『今更』なのだ。

 思い通りにいかず、さぞ紗如サユキは不愉快だっただろう。しかし、大臣が一向に顔を向けないでいると、
「わかったわ」
 と、渋々承諾した。
 大臣はまさか紗如サユキが条件を飲むとは思っておらず、目を見開く。

「もうひとつは?」
 今度は紗如サユキが顔を背けた。
「私を……」
 言いかけて、大臣は言葉を消す。──いつから望んでいたのだろうと、混乱して。
 消えた言葉を不思議に思ったのか、紗如サユキが大臣を見上げる。
 大きな紗如サユキの瞳に吸い込まれ、大臣は頭を整理できないまま言葉を出す。

「私を……私の名で、呼べますか?」

 言葉にして問いかけたところで、何も意味がない。そんなことをわざわざ聞いたのは、馬鹿げている。
『貴女は、いつまで私をその名で呼ぶのか』と、問いたい気持ちをずっと押さえてきた。
『貴女にとって自分は何なのか』と、何度も何度も投げつけたかった。
 兄からも大臣からもすべてを奪っておいて、紗如サユキはほしいものを手に入れている。それが憎い。憎くてたまらない。
 ずっと憎かった。
 それは今でも変わらないはずなのに。
 言葉として発し、『見てほしい』と願っていたと、気づいてしまった。

 一方の紗如サユキは、声を出せないほど驚いていたようだった。気まずそうにする大臣を前に、混乱したようだった。

『無理でしょう』と、大臣が流そうとしたとき、
「『世良イヅキ』、と……呼べばいい?」
 と、紗如サユキは困ったように言う。
 紗如サユキが了承をしたのに、虚しい。紗如サユキにとって大臣は兄の代わりだ。それを止めろと言ったも同然なのに、願いが叶うかもしれないのであれば、紗如サユキは自らを偽るのもかんたんだと示したようなもの。
 嫌がらせと思われていようとも、当て付けだと思われていようとも、大臣に本心は言えない。ともかく、拒否せず受け入れた紗如サユキに『なしだ』とも言えず、うなづく。

 自らを示す名を呼ばれ、大臣は紗如サユキを乱暴には扱えなかった。初めて唇を重ね、やさしく手を握る。



 半年経ち、大臣は紗如サユキの言葉に頭を抱える事態となった。呆れて落胆するしかない。
「私を……騙していたのですか」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

皇太子の子を妊娠した悪役令嬢は逃げることにした

葉柚
恋愛
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢のレイチェルは幸せいっぱいに暮らしていました。 でも、妊娠を切っ掛けに前世の記憶がよみがえり、悪役令嬢だということに気づいたレイチェルは皇太子の前から逃げ出すことにしました。 本編完結済みです。時々番外編を追加します。

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

【完結】え、別れましょう?

須木 水夏
恋愛
「実は他に好きな人が出来て」 「は?え?別れましょう?」 何言ってんだこいつ、とアリエットは目を瞬かせながらも。まあこちらも好きな訳では無いし都合がいいわ、と長年の婚約者(腐れ縁)だったディオルにお別れを申し出た。  ところがその出来事の裏側にはある双子が絡んでいて…?  だる絡みをしてくる美しい双子の兄妹(?)と、のんびりかつ冷静なアリエットのお話。   ※毎度ですが空想であり、架空のお話です。史実に全く関係ありません。 ヨーロッパの雰囲気出してますが、別物です。

【完結】側妃は愛されるのをやめました

なか
恋愛
「君ではなく、彼女を正妃とする」  私は、貴方のためにこの国へと貢献してきた自負がある。  なのに……彼は。 「だが僕は、ラテシアを見捨てはしない。これから君には側妃になってもらうよ」  私のため。  そんな建前で……側妃へと下げる宣言をするのだ。    このような侮辱、恥を受けてなお……正妃を求めて抗議するか?  否。  そのような恥を晒す気は無い。 「承知いたしました。セリム陛下……私は側妃を受け入れます」  側妃を受けいれた私は、呼吸を挟まずに言葉を続ける。  今しがた決めた、たった一つの決意を込めて。 「ですが陛下。私はもう貴方を支える気はありません」  これから私は、『捨てられた妃』という汚名でなく、彼を『捨てた妃』となるために。  華々しく、私の人生を謳歌しよう。  全ては、廃妃となるために。    ◇◇◇  設定はゆるめです。  読んでくださると嬉しいです!

王女、騎士と結婚させられイかされまくる

ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。 性描写激しめですが、甘々の溺愛です。 ※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

処理中です...