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遠き日々
【23】色(1)
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稀霤は客間に案内をされ、ひとりの時間を持ち緊張感が切れた。泥のように眠り新たな日を迎えたが、何やら騒々しい。
使いの者が留妃姫が呼んでいると声をかけてきた。
稀霤が使いの者についていくと、昨日、留妃姫と謁見した王の間に案内された。
入室すれば、留妃姫が棺の中を覗いて立ち尽くしている。稀霤の気配に気づいたのか、顔を上げた留妃姫は悲し気に微笑んだ。
案の定、伯父が息絶えているのだろう。
留妃姫の近くまで着けば『発見したのは、城内の剣士だったのよ』と、涙とともにポツリと落ちる。
棺に入った伯父を見て静かに涙を落とす留妃姫からすれば、晴天の霹靂だったのだろう。
けれど、予期していた稀霤に驚きはない。
どうりで騒がしかったわけだと納得する。
だが、一方で心がざわついてくる。
見ている方が痛々しいのだ。
棺を目の前にする留妃姫の姿が、数日前の己の姿と重なる。
兄は鴻嫗城に来てからS級を取得し、鴻嫗城の剣士たちを統括していた。
『若造が』と言いたくとも、誰もそむけなかったのだろう。日頃温厚な分、剣を握った兄は別人のようだった。
兄の死後、稀霤が対面したのは何日後だったのか。稀霤は正確な日付を知らない。
兄が死去してから、伯父が剣士たちを統括していたと判断するのが妥当だろうか。兄の来る前に戻っただけだが、現状は不在になってしまった。
稀霤は遺体となった伯父をじっと見つめる。
この人の最期が、自害になると昨日までは思わなかった。
しかし、困った状況になった。
まさか命が残り、しかも留妃姫に鴻嫗城にいるようにと声をかけてもらえるとは思っていなかった。命が残ったと判断したときは、夜には放浪していると思い込んでいた。
伯父の遺体を目にしなければ、こんな困惑は抱かなかっただろう。知らないと、済んだ話だ。
けれど、こんな留妃姫をとなりにしては、稀霤まで投げ出せなくなる。昨日の時点で伯父を引き止めておけばよかったと後悔しても、後の祭りだ。
『私のせいで』
留妃姫は言葉にこそしなかったが、そう思っていると稀霤にはヒシヒシと伝わってきた。
非常に困った。
『それでは、さようなら』と放り出せない。
「この人の自害を、公表するわけにはいきません。密葬させて頂きます」
拠り所を失ったように感じていたが、留妃姫は気丈だ。稀霤のことを、まったくあてにしていない。
「すみません」
留妃姫が呟く。──と、堰を切ったように留妃姫は号泣する。
彼女は、何かを成すためには大きな犠牲を払わなければいけないと知っていたのだろう。後悔のない、自責だ。
だからこそ、稀霤は言ってしまったのかもしれない。
「私が、鴻嫗城にいます」
留妃姫が涙を落としながら稀霤を見上げる。
「貴女が……『鴻嫗城にいなさい』と、私に言ったのです」
少なくとも稀霤は、留妃姫の一貫とした行動に誠意を感じていた。保守的な貴族とは異なるような、自由を求める姿に惹かれていた。
同志になりたいと、思わされていた。
留妃姫は驚いたかのようにきょとんとし、稀霤を見上げる。そうして、申し訳なさそうに伯父を見、
「そうね」
と、留妃姫は悲しげに微笑んだ。
伯父の密葬が執り行われる。内密で行うのは、通常よりも手がかかる。
詳細は、また後日ということになった。
念のため、稀霤は剣士の志願をしておいた。失うはずだった命だ。遠征に出て命尽きても思い残すこともなければ、命も惜しくない。
王の間を後にしてから、稀霤は『あ』と立ち止まる。部屋を用意してほしいと言うのを忘れてしまった。
声にならない声とともに、ため息はもれる。
昨日与えられたのは、就寝用の簡易的な部屋だった。──戻る場所を失ってしまった。
身を置く場所と思考を凝らし、浮かんだ行き場はひとつ。紗如が静養している部屋しかない。
──そういえば、気にかけてくれた礼を言っていない。
鴻嫗城にいることになったのなら、留妃姫の大切にする娘とも、ある程度良好な関係を築いておかなくてはならない。
二度と会わないでいられると思ったのにと不服を言っている場合ではないと、仕方なく稀霤は知っている道を辿る。
目的地に着き、稀霤はためらう。紗如は姫だ。あんなに自由奔放で、人を振り回すが、鴻嫗城の姫だ。使用人のひとりくらいは付き添っているだろう。
一昨日が異例だっただけだ。
だが、ここに来て思い悩んでもどうにもならないと開き直る。
使用人に会ったら、礼を伝えに来たと言えばいい。そうだ、紗如に一先ず今日を凌げる部屋を用意してもらえばいいのだ、と。
稀霤は名案だと言わんばかりにひとり頷き、紳士にノックをする。すると、『どうぞ』と、警戒心のない紗如の声が返ってきた。
誰が来ても警戒する必要がないくらい使用人がいるのか──と、扉を開け入室した稀霤はすぐさま後悔をする。
「どうして、こう……何日も使用人がいないのですか」
使いの者が留妃姫が呼んでいると声をかけてきた。
稀霤が使いの者についていくと、昨日、留妃姫と謁見した王の間に案内された。
入室すれば、留妃姫が棺の中を覗いて立ち尽くしている。稀霤の気配に気づいたのか、顔を上げた留妃姫は悲し気に微笑んだ。
案の定、伯父が息絶えているのだろう。
留妃姫の近くまで着けば『発見したのは、城内の剣士だったのよ』と、涙とともにポツリと落ちる。
棺に入った伯父を見て静かに涙を落とす留妃姫からすれば、晴天の霹靂だったのだろう。
けれど、予期していた稀霤に驚きはない。
どうりで騒がしかったわけだと納得する。
だが、一方で心がざわついてくる。
見ている方が痛々しいのだ。
棺を目の前にする留妃姫の姿が、数日前の己の姿と重なる。
兄は鴻嫗城に来てからS級を取得し、鴻嫗城の剣士たちを統括していた。
『若造が』と言いたくとも、誰もそむけなかったのだろう。日頃温厚な分、剣を握った兄は別人のようだった。
兄の死後、稀霤が対面したのは何日後だったのか。稀霤は正確な日付を知らない。
兄が死去してから、伯父が剣士たちを統括していたと判断するのが妥当だろうか。兄の来る前に戻っただけだが、現状は不在になってしまった。
稀霤は遺体となった伯父をじっと見つめる。
この人の最期が、自害になると昨日までは思わなかった。
しかし、困った状況になった。
まさか命が残り、しかも留妃姫に鴻嫗城にいるようにと声をかけてもらえるとは思っていなかった。命が残ったと判断したときは、夜には放浪していると思い込んでいた。
伯父の遺体を目にしなければ、こんな困惑は抱かなかっただろう。知らないと、済んだ話だ。
けれど、こんな留妃姫をとなりにしては、稀霤まで投げ出せなくなる。昨日の時点で伯父を引き止めておけばよかったと後悔しても、後の祭りだ。
『私のせいで』
留妃姫は言葉にこそしなかったが、そう思っていると稀霤にはヒシヒシと伝わってきた。
非常に困った。
『それでは、さようなら』と放り出せない。
「この人の自害を、公表するわけにはいきません。密葬させて頂きます」
拠り所を失ったように感じていたが、留妃姫は気丈だ。稀霤のことを、まったくあてにしていない。
「すみません」
留妃姫が呟く。──と、堰を切ったように留妃姫は号泣する。
彼女は、何かを成すためには大きな犠牲を払わなければいけないと知っていたのだろう。後悔のない、自責だ。
だからこそ、稀霤は言ってしまったのかもしれない。
「私が、鴻嫗城にいます」
留妃姫が涙を落としながら稀霤を見上げる。
「貴女が……『鴻嫗城にいなさい』と、私に言ったのです」
少なくとも稀霤は、留妃姫の一貫とした行動に誠意を感じていた。保守的な貴族とは異なるような、自由を求める姿に惹かれていた。
同志になりたいと、思わされていた。
留妃姫は驚いたかのようにきょとんとし、稀霤を見上げる。そうして、申し訳なさそうに伯父を見、
「そうね」
と、留妃姫は悲しげに微笑んだ。
伯父の密葬が執り行われる。内密で行うのは、通常よりも手がかかる。
詳細は、また後日ということになった。
念のため、稀霤は剣士の志願をしておいた。失うはずだった命だ。遠征に出て命尽きても思い残すこともなければ、命も惜しくない。
王の間を後にしてから、稀霤は『あ』と立ち止まる。部屋を用意してほしいと言うのを忘れてしまった。
声にならない声とともに、ため息はもれる。
昨日与えられたのは、就寝用の簡易的な部屋だった。──戻る場所を失ってしまった。
身を置く場所と思考を凝らし、浮かんだ行き場はひとつ。紗如が静養している部屋しかない。
──そういえば、気にかけてくれた礼を言っていない。
鴻嫗城にいることになったのなら、留妃姫の大切にする娘とも、ある程度良好な関係を築いておかなくてはならない。
二度と会わないでいられると思ったのにと不服を言っている場合ではないと、仕方なく稀霤は知っている道を辿る。
目的地に着き、稀霤はためらう。紗如は姫だ。あんなに自由奔放で、人を振り回すが、鴻嫗城の姫だ。使用人のひとりくらいは付き添っているだろう。
一昨日が異例だっただけだ。
だが、ここに来て思い悩んでもどうにもならないと開き直る。
使用人に会ったら、礼を伝えに来たと言えばいい。そうだ、紗如に一先ず今日を凌げる部屋を用意してもらえばいいのだ、と。
稀霤は名案だと言わんばかりにひとり頷き、紳士にノックをする。すると、『どうぞ』と、警戒心のない紗如の声が返ってきた。
誰が来ても警戒する必要がないくらい使用人がいるのか──と、扉を開け入室した稀霤はすぐさま後悔をする。
「どうして、こう……何日も使用人がいないのですか」
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