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遠き日々

【22】何を犠牲にしても(2)

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「私の力不足です。私こそ、詫びなければ」
留妃リュウキ!」
 後方から聞こえた伯父の声に稀霤キリュウが目を丸くすると、驚くべき光景を見る。
 留妃リュウキが、稀霤キリュウの前で膝を折ろうとしている。
「お止め下さい! 唏劉キリュウの処分を止める貴女の声を聞かなかったのは私です! 留妃リュウキの頭を下げさせるくらいなら、私の命など」
 伯父の声に稀霤キリュウはハッとし、床に手を付こうとする留妃リュウキをすぐさま制止する。宥めるような微笑を浮かべ、悲しみを刻んだ留妃リュウキの思いを受け取る。間一髪、留妃リュウキの手を床につかせずに済んだ。
 稀霤キリュウが手を差し伸べると、留妃リュウキは上品に微笑む。その笑みを見て、稀霤キリュウは恐れ多かったと手を引く。
 娘を溺愛する留妃リュウキが兄を処罰したのだと、稀霤キリュウは思っていた。だが、思い違いだったらしい。
 稀霤キリュウは後方を警戒するように見、問う。
「どういうことですか」
 稀霤キリュウは立ち上がり、伯父と向かい合う。
 伯父は剣を抜くでもなく、稀霤キリュウに敵視を向けるでもなく、淡々と語った。
「言った通りだ。私が唏劉キリュウの首を切り落とし、吊るした。……ご存知でしょう? 姫と護衛は恋仲になってはいけない。そんな当然なことを守れない者がいることが恥、汚点そのものだ。認識が欠けている証だ! なぜ涼舞リャクブ城が代々、鴻嫗トキウ城に忠誠を示してきたのか……」
「遠い昔のことよ!」
 留妃リュウキの叫び声が、伯父の言葉を遮る。
 ドレスを握り、留妃リュウキが立ち上がる。涙を浮かべ、稀霤キリュウに、兄に、懺悔するように。
 伯父をじっと見つめて咎める。
「貴男こそ、何もわかっていないのね! もう終わりにするのよ何もかも……私は、鴻嫗コノ城を変えるために戻って来たの。それを貴男は理解してくれているのだと、思っていた。……私は、紗如サユキには、自由でいてほしかった……。それなのに……」
 伯父と留妃リュウキの間に、何があったのか。稀霤キリュウにはわからない。
 だが、伯父は黙ってしまった。
 伯父は留妃リュウキの護衛だ。稀霤キリュウが生まれる前から、鴻嫗トキウ城に仕えている。

 ──伯父には伯父の『正』があり、守りたいことがあったのだろう。
 稀霤キリュウの中にもどかしさが生まれる。
 覚悟を決め稀霤キリュウ鴻嫗トキウ城に来たが、伯父は稀霤キリュウの行動も見越していただろう。もしかしたら、稀霤キリュウ鴻嫗トキウ城と縁を切りに来たと口にしたなら、己の命を代償にしても城同士の関係維持をさせるつもりだったかもしれない。

 ヒシヒシと伯父の心情が流れてくる。しびれて、痛いほど。
 それほどまでに、兄の行動が許せなかったのだ。

稀霤キリュウ国王、仰りたいことは……私は飲むつもりでいます。もう、止めましょう。こんなことは。お互いの大切な家族を、シガラミから解放しましょう」
 稀霤キリュウは意外な言葉に驚く。留妃リュウキの言葉には、懺悔しかない。しかも、稀霤キリュウが憤慨していることを理解し、何をしに来たかさえも見通している。

 稀霤キリュウから言えば角が立つ。和解は不可能になる。
 けれど、留妃リュウキから関係性を放棄したなら、それは和解だ。

 伯父は稀霤キリュウの命を奪うつもりだったのかも知れないが、留妃リュウキには、その考えは一切ないように見える。

 留妃リュウキは更に詫びる。
唏劉キリュウを守れなかったのは、いくら私が悔い、謝罪をしても取り返しのつかないことです。どんなに貴男に詫びようとも、紗如サユキに詫びようとも……ですが、この機会は唏劉キリュウが遺してくれた、私への最大のきっかけなのです。それを、私は……無駄にはできません」
 留妃リュウキの声が、徐々に絞り出すようなものへと変わる。眉を下げ、涙をこぼす姿は命乞いをしているかのよう。

 稀霤キリュウは絶句する。

 剣士にとって守るべき者の命は、何よりも重い。守るためには、誰が命を落とそうが構ってはいられないのが常だ。
 命は、平等ではない。

 ──けれど、この姫は……。
 命は等しく平等だと、訴えている。それが稀霤キリュウには、とてつもなく残酷な言葉だった。

 これまでの常識が一気にいくつも覆された瞬間だ。
 恐らくは伯父も同様。

 伯父には、鴻嫗トキウ城が絶対だったはずだ。留妃リュウキが絶対だったはずだ。

 稀霤キリュウには、伯父に対して直感が働いた。
 だが、それを回避させようと行動しなかったのは、もし稀霤キリュウが伯父の立場だったなら、同じ行動を取るとからだ。

 引き留めようがなかった。

 稀霤キリュウは伯父の横を、目を伏せ通り過ぎ扉へと向かう。
 行く当てはないが、鴻嫗トキウ城と涼舞リャクブ城の関係は、稀霤キリュウが望んだようになった。

鴻嫗城ココにいなさい」
 稀霤キリュウが退室しようとしたとき、留妃リュウキから声がかかる。
 足が止まり、ゆっくりと振り返ると、
「帰れないのでしょう?」
 と、すまなさそうに言う。

「考えさせて下さい」
 図星の稀霤キリュウには、そうとしか返答できなかった。



 稀霤キリュウが扉を開けたころ、伯父の声が聞こえた。
 聞くつもりなく、耳に留めるつもりもなかったが、伯父は留妃リュウキに謝罪をしているようだった。

 気づかなかったことにして、稀霤キリュウは退室する。ふうと、息を吐き、場を離れる。

 歩きながらも、伯父のことが頭から離れない。

 伯父は今夜、命を絶つだろう。
 それを知ったら、紗如サユキは『古臭い』と言うだろうか──そんな風に、ふと思う。

 兄だったら、伯父と同じようにするだろう。
 稀霤キリュウでも、伯父と同じ行動を取ると瞬時で判断したのだ。

 但し、稀霤キリュウと伯父とでは決定的に違うことがある。これは、肌で感じたことだ。言葉にすべきではない。

 兄がどちら側の人間だったのかと考えれば──兄は伯父側だ。

 ──兄上が無抵抗に伯父上に首をはねられたのは……。
 恐らく、そういうことだったのだ。
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