完結まで5話【女神回収プログラム ～三回転生したその先に～】姫の側近の剣士の、決して口外できない秘密は

遠き日々

【２１】命を重ね（２）

「兄の子を……その身に宿していたのですね」
　言葉を聞いた途端、再び紗如サユキの瞳から涙があふれていく。

「ぃや……いやぁ、いやぁっ！」
　頭を、腹を、頬を触り、紗如サユキは錯乱して泣き叫ぶ。
「あの人の子が！　つい……さっきまではいたの？　それなのに、私は……唏劉キリュウの命だけじゃなくて、あの人との子の命まで？」
　癇癪を起したかと思えば、紗如サユキはベッドから飛び降りる。
　予想外の行動に稀霤キリュウは立ち上がり、走り出そうとしていた紗如サユキの肩を咄嗟につかみ、抑える。
「嫌！　逝かせてっ。唏劉キリュウのところへ逝かせてぇっ！」
　泣きわめく紗如サユキをベッドに戻すのは無理だと稀霤キリュウは判断し、無理に抱き締めた。



　稀霤キリュウが強く抱き締め、紗如サユキが落ち着いたのは二十分ほど経ったころだ。

　紗如サユキは稀霤キリュウの腕の中で暴れたいだけ暴れ、泣き、揺さぶり、どうにか正気を取り戻した。
　落ち着いた紗如サユキは稀霤キリュウから離れ謝罪し、大人しくベッドに横たわっている。未だ、ポツポツと頬を滑る雫を拭き、遠くを見つめ悲しみを受け止めようと努めている。

　稀霤キリュウは心身ともに疲労困憊し、ベッドの横の椅子に再び座って気休めに本を読み始めた。正直、紗如サユキとはこれ以上関わりたくない。

　兄の汚名の原因を察してしまった。
　兄は『姫の望んだこと』を叶・え・た・のだ。あの兄がと思えば、頭を抱える事態。心中おだやかではいられない。

　荒ぶる気持ちと混乱する思いをどう処理するかと、稀霤キリュウが難題と向かい合っていると、
「あなたに、お願いがあるの」
　と、紗如サユキが呟いた。

「何ですか」
　気遣いなしで返答すれば、思いもよらない言葉を言われる。

「私に、子どもを産ませてください」
「何を……」
「変な娘だとお思いになるでしょう？　初対面で、まだお互いの名前も……呼ぶような関係でもないのに。……でも、私。あの人の子までいなくなったと思うと、生きていけません」
『ひどいことを言っているのは、よく理解しています』と、紗如サユキはうつむきながら言いにくそうに続けた。
　紗如サユキの血の気がすっか引いている。体の負担のせいだけではないだろう。耐えられないほどの、心の苦しさが拍車をかけている。
　身に宿した子を失う以上に悔いることは、女性にはない。

　同情を向けてしまい、稀霤キリュウは隙を作っていたのか。いつの間にか紗如サユキが稀霤キリュウの方へと身を乗り出している。
「お願いします。貴男にしか頼めないの。私は……」
「何も言わなくて結構です」
　涼舞リャクブ城を出る前まで抱えていた思いが過ってしまった。
　稀霤キリュウは椅子から立ち上がる。本を椅子の上に置き、紗如サユキへと近づく。

　どうせ明日の昼までの命。これから紗如サユキと、良好な関係を築こうとは微塵も思っていない。
　それに、この世から去る算段はつけ生家を出てきた。戻ることもない。

　頭に強い衝撃を受けた気分だ。混乱は収まっていない。どうにでもなれと投げやりになった。
　姫への殺害未遂が、姫への慮辱に変わるだけだ。鴻嫗トキウ城を背きに来たことに変わりはない。
　稀霤キリュウは兄の汚名を己のものにもするべく、ためらわずに紗如サユキを可能な限り乱暴に扱った。

「ありがとう、唏劉キリュウ」

　紗如サユキが止めどなく涙を流し、感謝を繰り返す。
　彼女が呼んだ名は『兄』だろうが、稀霤キリュウには心底そんなことはどうでもいい。

『こんな姫のために』
　兄の未来も、自身の未来も、生家の未来も、すべて変わってしまった。
　稀霤キリュウの怒りは頂点だった。混乱が怒りの制御を、理性の制御を邪魔をした。

　意識は、いつから途切れていただろう。

　何かが鼻をくすぐった。
　稀霤キリュウはやわらかいベッドの上で、虚ろに目を覚ます。
「ごめんなさい」
「いいえ。大丈夫です」
　大失態だ。疲れが重なっていたとはいえ、紗如サユキに寝顔を見られたらしい。

　最期の朝だというのに、目覚めが最悪だ。

　体を起こし、衣服をまとおうと一瞥すれば、昨夜放った衣服が枕元にきちんと整えられている。
「自分を『他人』として扱われることには慣れています」
　嫌味を言った。紗如サユキに言い訳のひとつでもしてみろと。
　それなのに、
「そう」
　と、紗如サユキはサラリと受け流す。

　憤りを覚える。『他人』として扱った人間が、それを肯定したのだ。
　寝起きの詫びは、建前だったことになる。

　稀霤キリュウはガッと衣服を手にし、雑にベッドから出る。煮える思いを抱えながら身支度を整えていると、昼までに済ませなければならないことを思い出す。
　早々に退出しようとした稀霤キリュウに、聞きたくない声が聞こえた。
「どこかへ行くの？」
「ええ」
　怒りを抑えないまま、稀霤キリュウは答える。
　しかし、紗如サユキは何のその。ほんわりと確信をつく。
「今、貴男は普通に鴻嫗コノ城を出入りできないんじゃないかしら？」

『誰のせいで』と、稀霤キリュウが言いそうになったとき、
「大丈夫。教えてあげる」
　と、紗如サユキは照れたように笑う。

　時計を見れば紗如サユキの言葉を信じ、従った方が賢明だと稀霤キリュウは判断した。憤りを鎮め、耳を傾けた。

　そのお陰で稀霤キリュウは、無事に鴻嫗トキウ城の外に出られる。草木に隠れる色彩をした、人がひとり通れるほどの扉を閉め、自慢げに言われた道のりを思い出す。
　紗如サユキの言葉を信じなければ、決して辿り着けない場所だった。人が多い鴻嫗トキウ城で、まさか本当に誰にも会わずに出られるとは思っていなかった。
　紗如サユキ曰く、鴻嫗トキウ城の内部でもほんの一握りしか知らない出口。確かに、これほどかんたんに出られると不特定多数に知られたら、おおごとになるだろう。

　──そんなにも私を信じていいものか。
　感謝よりも紗如サユキの警戒心を疑う。
　とはいえ、鴻嫗トキウ城から出る前に生家に連絡もできた。感謝しなくてはと頭では思いつつも、憎らしい思いは変わらない。



　しばらく走り、赤土へと変わっていく中で、稀霤キリュウには消化しきれない気持ちが渦巻いてきた。

『忠誠を誓い、示し続けたはずの護衛が禁を破った。……姫を凌辱した。罪は身を持って償わせた』

　兄の躯が到着する前、稀霤キリュウが受けた一本の電話。
　声の主は父の兄──留妃リュウキ姫ヒの護衛からだった。