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『A』
【A-1】(2)
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話をした記憶のない父よりも、身近にいる大臣の方がよほど彼女は好きなのだ。
そんな思い込みと妄想で胸を弾ませ、彼女は中庭へと向かう。到着すればいつも、ある花に目がいく。
母が好きだったという花。
ひとつひとつはちいさいが、いくつも集まって大きい花に見える。
「あなたはかわいいのに、頼もしくもあるわね」
花にポツリと囁き、
「お母様も、こんな人だったのかしら……」
と、目をつむり花の香りを吸い込む。
幸せに浸りフラリフラリと中庭を歩き、ある変化に彼女は気づく。
数メートル先に見える今まで誰もいなかった部屋に、誰かが眠っている。──眠っているのになぜか中庭を眺めている気がして、じっと見つめた。
その人はとても苦しそうで痛そうに見えた。
鼻や腕、首にもたくさんのチューブがついている。
──同い年くらいの人かな。髪の毛の色は、私と同じクロッカス? どこの人だろう。
食い入るように彼女は見る。
──多分、生きているのよね。だから、苦しそうとか痛そうとか、感じると思うのだけれど。でも、眠っていたらわからないのかな。……わかるのかな。
彼女は見つめながら、ドキドキとしてきた。
──眠っているのよね。
見つめて、目が離せなくなる。
──どうして、中庭を眺めている気がするのかな。
その人の視線の先が気になり、ゆっくりとうしろを見る。右を見て、左を見る。空を見上げて、今度はしゃがんで何か変わったものが見られるかとまた立ち上がる。
けれど何も見つけられず──恭良は呆然と発見した人物を見つめた。
そうして翌日も、その翌日も。彼女は中庭に行き、不思議な人物を遠くから眺める。
──きれいな人。女の子かな。どうしてあんなにきれいなんだろう。クロッカスの髪の毛だから?
遠くのガラス越しに見える人物を凝視し、すこし悲しむ。
──私、自分の髪の毛をきれいと思ったことなんてないのに。
髪の毛を右手ですこしつまみ、見比べる。同じような色に見えても、彼女はちっとも自身の色をきれいとは思えない。
──あの人、起きてくれないかな。一緒にここでお花を見られたらすてき。お花に囲まれたあの人は、きっと、もっときれい。
心奪われたように、恭良は遠くの人物に夢中になった。毎日中庭に来ては眺め、気づけば一週間も通っていた。
いつの間にか、中庭を気に入っていた理由を忘れるほどに。
「きれいな人に今日も会うのよ」
中庭に到着した恭良は、母の好きだった花に自慢をして通り過ぎる。一週間も立ち尽くして眺めた定位置へと向かう恭良は、今日も会えると疑わなかった。
踊るように定位置へ向かい、しばらく踊る心と同化する。蝶がひらりひらりとやってきて、一緒になって飛べる気になる。
幸せいっぱいになり意気揚々と定位置に立ち──部屋を見た彼女は目を疑った。
その人物はいなくなっていた。
彼女は咄嗟に走り出す。
部屋を見つめたまま、近寄れる限り近づく。
けれど、花たちがこれ以上近寄ってはダメだと立ちふさがるように咲いていて、何メートルも離れた位置で止まるしかなかった。
──もしかしたら、目が覚めてここに来るのかもしれない。
ざわざわと風が騒いだ気がした。
彼女は目を大きくして振り返る。
左を向く。
右を向く。
彼女は一周を見渡したが、その人物はいなかった。
目の前にあるのは、花たちだけだ。
一面の花。
立ち尽くす彼女を、風が揺らす。
「そっか……」
ポツリと言葉が落ちた。
「私また、ひとりになったんだ……」
ポツリと涙が落ちた。
ポツリポツリと彼女は泣いた。
「そうだ……今日はお父様が、帰って来られる……」
そういえば、あの人物があの部屋に現れたのは、父が出かけた日だった。そう気づいて恭良の涙はボロボロとこぼれた。
「お父様が帰って来なければ、あの人はずっとあの部屋にいられたの?」
発想は、憶測は、何も根拠がない。どこの誰だったのかも恭良は知らないのだから。
悲しみが恭良を支配して、眺めているだけでよかったのにと怒りが渦巻く。
──もし、もしもそうなら……お父様なんて要らないのに。
そんな思い込みと妄想で胸を弾ませ、彼女は中庭へと向かう。到着すればいつも、ある花に目がいく。
母が好きだったという花。
ひとつひとつはちいさいが、いくつも集まって大きい花に見える。
「あなたはかわいいのに、頼もしくもあるわね」
花にポツリと囁き、
「お母様も、こんな人だったのかしら……」
と、目をつむり花の香りを吸い込む。
幸せに浸りフラリフラリと中庭を歩き、ある変化に彼女は気づく。
数メートル先に見える今まで誰もいなかった部屋に、誰かが眠っている。──眠っているのになぜか中庭を眺めている気がして、じっと見つめた。
その人はとても苦しそうで痛そうに見えた。
鼻や腕、首にもたくさんのチューブがついている。
──同い年くらいの人かな。髪の毛の色は、私と同じクロッカス? どこの人だろう。
食い入るように彼女は見る。
──多分、生きているのよね。だから、苦しそうとか痛そうとか、感じると思うのだけれど。でも、眠っていたらわからないのかな。……わかるのかな。
彼女は見つめながら、ドキドキとしてきた。
──眠っているのよね。
見つめて、目が離せなくなる。
──どうして、中庭を眺めている気がするのかな。
その人の視線の先が気になり、ゆっくりとうしろを見る。右を見て、左を見る。空を見上げて、今度はしゃがんで何か変わったものが見られるかとまた立ち上がる。
けれど何も見つけられず──恭良は呆然と発見した人物を見つめた。
そうして翌日も、その翌日も。彼女は中庭に行き、不思議な人物を遠くから眺める。
──きれいな人。女の子かな。どうしてあんなにきれいなんだろう。クロッカスの髪の毛だから?
遠くのガラス越しに見える人物を凝視し、すこし悲しむ。
──私、自分の髪の毛をきれいと思ったことなんてないのに。
髪の毛を右手ですこしつまみ、見比べる。同じような色に見えても、彼女はちっとも自身の色をきれいとは思えない。
──あの人、起きてくれないかな。一緒にここでお花を見られたらすてき。お花に囲まれたあの人は、きっと、もっときれい。
心奪われたように、恭良は遠くの人物に夢中になった。毎日中庭に来ては眺め、気づけば一週間も通っていた。
いつの間にか、中庭を気に入っていた理由を忘れるほどに。
「きれいな人に今日も会うのよ」
中庭に到着した恭良は、母の好きだった花に自慢をして通り過ぎる。一週間も立ち尽くして眺めた定位置へと向かう恭良は、今日も会えると疑わなかった。
踊るように定位置へ向かい、しばらく踊る心と同化する。蝶がひらりひらりとやってきて、一緒になって飛べる気になる。
幸せいっぱいになり意気揚々と定位置に立ち──部屋を見た彼女は目を疑った。
その人物はいなくなっていた。
彼女は咄嗟に走り出す。
部屋を見つめたまま、近寄れる限り近づく。
けれど、花たちがこれ以上近寄ってはダメだと立ちふさがるように咲いていて、何メートルも離れた位置で止まるしかなかった。
──もしかしたら、目が覚めてここに来るのかもしれない。
ざわざわと風が騒いだ気がした。
彼女は目を大きくして振り返る。
左を向く。
右を向く。
彼女は一周を見渡したが、その人物はいなかった。
目の前にあるのは、花たちだけだ。
一面の花。
立ち尽くす彼女を、風が揺らす。
「そっか……」
ポツリと言葉が落ちた。
「私また、ひとりになったんだ……」
ポツリと涙が落ちた。
ポツリポツリと彼女は泣いた。
「そうだ……今日はお父様が、帰って来られる……」
そういえば、あの人物があの部屋に現れたのは、父が出かけた日だった。そう気づいて恭良の涙はボロボロとこぼれた。
「お父様が帰って来なければ、あの人はずっとあの部屋にいられたの?」
発想は、憶測は、何も根拠がない。どこの誰だったのかも恭良は知らないのだから。
悲しみが恭良を支配して、眺めているだけでよかったのにと怒りが渦巻く。
──もし、もしもそうなら……お父様なんて要らないのに。
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