238 / 374
還
【51】回想3(2)
しおりを挟む
「もし、子どもが生まれたら……連れてきなよ。父親に子どもが会うんだったら、正当な理由だろ。外の世界が邪悪にまみれたものか、子どもに知る権利があるはずだ。丞樺さんだって、俺が克主研究所にいて、子どもが会いに来ているなら……またいつだって口実つけて、出て来られるだろ?」
丞樺は驚いたように目を丸くして、首を傾げる。
「そう、ですね」
「俺には丞樺さんがどうしてあの町に帰りたいと思ったのかわからないけど、片道切符じゃないから。克主研究所じゃなくたって、丞樺さんなら研究者を続けられるさ。いつだってさ」
「充忠さんにそう言ってもらえると……そんな気がします」
「そう。じゃあ、忘れないで」
「ありがとうございます。私、やっぱり充忠さんを好きになってよかったです」
間もなく、丞樺は克主研究所を後にした。それから一年して、丞樺は息子を連れてくる。
年に数回、息子の成長を見せに来ては、丞樺はすやすやと一日中眠り続ける。あの町で、どんなに多くの人を救っているのか、どれだけの激務か、充忠には想像もつかない。
馨民は丞樺と同じ年に女の子を出産した。ちいさな命は『岷音』と名付けた。
丞樺の連れてくる息子と岷音を、馨民は分け隔てなくかわいがる。世話を一緒に見たり、兄妹のように子どもたちを遊ばせたりする。
「子どもに罪はないし」
と言ったり、
「私も、充忠と考えが似ているのかもしれないわね」
と言ったりする。その割に、一日中寝ている丞樺に文句も言わない。あの町のことを馨民はまったく知らないのに、丞樺が疲れているとわかるのか。労い、労わり、
「また、いつでも来てね」
と笑顔で見送る。
馨民も、父親を知らない。母の釈来も馨民の父親はわからないと言うのだから、知りようがないと当たり前のように言う。馨民は釈来がひとりで産み、精一杯育ててくれたことに感謝しているのだろう。
子育ての大変さも、身に染みているのだろう。丞樺を、よき友と思っているのかもしれない。
馨民が岷音を産んだ直後に、忒畝が様子を見に来たと話したことがあった。
「おめでとう」
忙しいだろうに、喜々として駆けつけてきたらしい。
娘を抱き幸せを噛みしめていた馨民は、忒畝に言った。
「ねぇ、抱っこしてあげて」
馨民が催促をすると、忒畝は驚いた様子だったと言う。それはそうだ。充忠が来る前だったと言うのだから。
馨民が娘を渡そうとすると、忒畝は慌てながらも抱き上げ、それはうれしそうに微笑んだと言う。
「かわいいね」
忒畝は慣れた手つきで岷音をあやし、幸せそうだったそうだ。──その様子を見た馨民は、自分と同じ憧れを抱きながらも忒畝は憧れを手放したとしみじみ思い、自然と涙が零れた。
不意に忒畝と視線が合い、馨民は照れた笑いをした。
「幸せ過ぎると人って泣けるのね」
忒畝に、初めて嘘をついた──と、馨民が充忠に話したのは、忒畝に二度と詫びることができなくなったからかもしれない。
そういえば、産後の馨民が適度に動けるようになったころ、充忠は釈来の職場に赴いた。
釈来は初孫を満足そうに見て、けれど、どこか他人事のようだった。
「『みんな友達』って意味なのよね?」
「母さんが言うと、何かが違うわ」
馨民が冷静に突っ込む。
「本当は?」
酉惟が充忠に尋ねる。
「俺たちが『三人で親友だった』ってことを、何かで残したくて。……って、酉惟さん、照れます。こういう話」
真面目に答え始めたが、急に充忠は恥ずかしくなった。口ごもったような充忠に構わず、釈来がパッと明るくケラっとした声を出す。
「ほら。『みんな友達』って意味じゃない」
「だから、母さんが言うと何かが違うの」
馨民はどこか恥ずかしそうだった。
充忠は母娘で二人三脚してきたふたりならではの会話だなと聞いていたが、
「ねぇ?」
と馨民に同意を求められ、充忠は苦笑した。
合同の誕生日会をする仲だったのに、忒畝がしないと言ったと聞いたとき、充忠は無性に腹立たしかった。無理にでも連れ出そうと思ったほどだ。
充忠にとって、忒畝は間違いなく『家族』だった。弟でもなく、兄でもなく、もちろん親でもないが、『家族』だったのだ。
「忒畝は自分の何かを残そうとしつつも、全部を……消そうともしている気がして」
ポツリと言葉がもれた。
無理にでも連れ出さなかったのは、忒畝を追い詰める結果になってしまったら、『僕がいなくなってから、違和感を抱いてほしくない』と言われそうだったからだ。
忒畝は死を迎える準備をしているようだった。それを、明白な言葉で突きつけられたくはなかったのだ。
「忒畝……一回、本気で殴んないと俺の気持ちなんか、わかんないんだろぉな」
「熱い男の友情っていうより……深いね」
酉惟はポツンと充忠に言葉を投げた。言葉を受け、充忠は背筋を伸ばす。
「何なんでしょうね。もちろん、息子っていう感覚でもないし、弟や兄っていう感覚でもないのに……昔っから忒畝のこと、放っておけなくて」
「充忠君は、面倒見がいいからじゃない?」
「苦労人ってことですか?」
感情の込められていない言葉に、酉惟は目を細めた。
「ある意味ね」
「ストレスで身体的な影響が出ないように……と、願っておきます」
酉惟が吹き出し、充忠は目を丸くする。
「それは大丈夫でしょ。充忠君、打たれ強いから」
「酉惟さんにそう言って頂けるのは光栄ですが」
「が?」
「いいえ」
充忠は先々を思い、自然と言葉を閉ざした。
酉惟は釈来の職場の鬼の門番と呼ばれる人物。釈来との良好な関係を維持するには、酉惟とも良好な関係の維持が必須だ。
「ほら、充忠君は強がったりしないでしょ? それが『強さ』だよ」
意外な言葉だった。
酉惟は昔から釈来とも悠畝とも懇意の仲だと耳にしたことがある。酉惟が、悠畝に親し気にしている様子を目にしたことはない。逆に、悠畝も酉惟に笑みを投げかけていた記憶もないが。
「そうなんですかねぇ」
ふたりにはふたりの間柄でしかわからないこともある。充忠はそんなことを思いながら、忒畝を浮かべていた。
丞樺は驚いたように目を丸くして、首を傾げる。
「そう、ですね」
「俺には丞樺さんがどうしてあの町に帰りたいと思ったのかわからないけど、片道切符じゃないから。克主研究所じゃなくたって、丞樺さんなら研究者を続けられるさ。いつだってさ」
「充忠さんにそう言ってもらえると……そんな気がします」
「そう。じゃあ、忘れないで」
「ありがとうございます。私、やっぱり充忠さんを好きになってよかったです」
間もなく、丞樺は克主研究所を後にした。それから一年して、丞樺は息子を連れてくる。
年に数回、息子の成長を見せに来ては、丞樺はすやすやと一日中眠り続ける。あの町で、どんなに多くの人を救っているのか、どれだけの激務か、充忠には想像もつかない。
馨民は丞樺と同じ年に女の子を出産した。ちいさな命は『岷音』と名付けた。
丞樺の連れてくる息子と岷音を、馨民は分け隔てなくかわいがる。世話を一緒に見たり、兄妹のように子どもたちを遊ばせたりする。
「子どもに罪はないし」
と言ったり、
「私も、充忠と考えが似ているのかもしれないわね」
と言ったりする。その割に、一日中寝ている丞樺に文句も言わない。あの町のことを馨民はまったく知らないのに、丞樺が疲れているとわかるのか。労い、労わり、
「また、いつでも来てね」
と笑顔で見送る。
馨民も、父親を知らない。母の釈来も馨民の父親はわからないと言うのだから、知りようがないと当たり前のように言う。馨民は釈来がひとりで産み、精一杯育ててくれたことに感謝しているのだろう。
子育ての大変さも、身に染みているのだろう。丞樺を、よき友と思っているのかもしれない。
馨民が岷音を産んだ直後に、忒畝が様子を見に来たと話したことがあった。
「おめでとう」
忙しいだろうに、喜々として駆けつけてきたらしい。
娘を抱き幸せを噛みしめていた馨民は、忒畝に言った。
「ねぇ、抱っこしてあげて」
馨民が催促をすると、忒畝は驚いた様子だったと言う。それはそうだ。充忠が来る前だったと言うのだから。
馨民が娘を渡そうとすると、忒畝は慌てながらも抱き上げ、それはうれしそうに微笑んだと言う。
「かわいいね」
忒畝は慣れた手つきで岷音をあやし、幸せそうだったそうだ。──その様子を見た馨民は、自分と同じ憧れを抱きながらも忒畝は憧れを手放したとしみじみ思い、自然と涙が零れた。
不意に忒畝と視線が合い、馨民は照れた笑いをした。
「幸せ過ぎると人って泣けるのね」
忒畝に、初めて嘘をついた──と、馨民が充忠に話したのは、忒畝に二度と詫びることができなくなったからかもしれない。
そういえば、産後の馨民が適度に動けるようになったころ、充忠は釈来の職場に赴いた。
釈来は初孫を満足そうに見て、けれど、どこか他人事のようだった。
「『みんな友達』って意味なのよね?」
「母さんが言うと、何かが違うわ」
馨民が冷静に突っ込む。
「本当は?」
酉惟が充忠に尋ねる。
「俺たちが『三人で親友だった』ってことを、何かで残したくて。……って、酉惟さん、照れます。こういう話」
真面目に答え始めたが、急に充忠は恥ずかしくなった。口ごもったような充忠に構わず、釈来がパッと明るくケラっとした声を出す。
「ほら。『みんな友達』って意味じゃない」
「だから、母さんが言うと何かが違うの」
馨民はどこか恥ずかしそうだった。
充忠は母娘で二人三脚してきたふたりならではの会話だなと聞いていたが、
「ねぇ?」
と馨民に同意を求められ、充忠は苦笑した。
合同の誕生日会をする仲だったのに、忒畝がしないと言ったと聞いたとき、充忠は無性に腹立たしかった。無理にでも連れ出そうと思ったほどだ。
充忠にとって、忒畝は間違いなく『家族』だった。弟でもなく、兄でもなく、もちろん親でもないが、『家族』だったのだ。
「忒畝は自分の何かを残そうとしつつも、全部を……消そうともしている気がして」
ポツリと言葉がもれた。
無理にでも連れ出さなかったのは、忒畝を追い詰める結果になってしまったら、『僕がいなくなってから、違和感を抱いてほしくない』と言われそうだったからだ。
忒畝は死を迎える準備をしているようだった。それを、明白な言葉で突きつけられたくはなかったのだ。
「忒畝……一回、本気で殴んないと俺の気持ちなんか、わかんないんだろぉな」
「熱い男の友情っていうより……深いね」
酉惟はポツンと充忠に言葉を投げた。言葉を受け、充忠は背筋を伸ばす。
「何なんでしょうね。もちろん、息子っていう感覚でもないし、弟や兄っていう感覚でもないのに……昔っから忒畝のこと、放っておけなくて」
「充忠君は、面倒見がいいからじゃない?」
「苦労人ってことですか?」
感情の込められていない言葉に、酉惟は目を細めた。
「ある意味ね」
「ストレスで身体的な影響が出ないように……と、願っておきます」
酉惟が吹き出し、充忠は目を丸くする。
「それは大丈夫でしょ。充忠君、打たれ強いから」
「酉惟さんにそう言って頂けるのは光栄ですが」
「が?」
「いいえ」
充忠は先々を思い、自然と言葉を閉ざした。
酉惟は釈来の職場の鬼の門番と呼ばれる人物。釈来との良好な関係を維持するには、酉惟とも良好な関係の維持が必須だ。
「ほら、充忠君は強がったりしないでしょ? それが『強さ』だよ」
意外な言葉だった。
酉惟は昔から釈来とも悠畝とも懇意の仲だと耳にしたことがある。酉惟が、悠畝に親し気にしている様子を目にしたことはない。逆に、悠畝も酉惟に笑みを投げかけていた記憶もないが。
「そうなんですかねぇ」
ふたりにはふたりの間柄でしかわからないこともある。充忠はそんなことを思いながら、忒畝を浮かべていた。
0
お気に入りに追加
37
あなたにおすすめの小説
彼女にも愛する人がいた
まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。
「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」
そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。
餓死だと? この王宮で?
彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。
俺の背中を嫌な汗が流れた。
では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…?
そんな馬鹿な…。信じられなかった。
だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。
「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。
彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。
俺はその報告に愕然とした。
【完結】え、別れましょう?
須木 水夏
恋愛
「実は他に好きな人が出来て」
「は?え?別れましょう?」
何言ってんだこいつ、とアリエットは目を瞬かせながらも。まあこちらも好きな訳では無いし都合がいいわ、と長年の婚約者(腐れ縁)だったディオルにお別れを申し出た。
ところがその出来事の裏側にはある双子が絡んでいて…?
だる絡みをしてくる美しい双子の兄妹(?)と、のんびりかつ冷静なアリエットのお話。
※毎度ですが空想であり、架空のお話です。史実に全く関係ありません。
ヨーロッパの雰囲気出してますが、別物です。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢は逃げることにした
葉柚
恋愛
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢のレイチェルは幸せいっぱいに暮らしていました。
でも、妊娠を切っ掛けに前世の記憶がよみがえり、悪役令嬢だということに気づいたレイチェルは皇太子の前から逃げ出すことにしました。
本編完結済みです。時々番外編を追加します。
宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました
悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。
クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。
婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。
そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。
そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯
王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。
シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯
【完結】側妃は愛されるのをやめました
なか
恋愛
「君ではなく、彼女を正妃とする」
私は、貴方のためにこの国へと貢献してきた自負がある。
なのに……彼は。
「だが僕は、ラテシアを見捨てはしない。これから君には側妃になってもらうよ」
私のため。
そんな建前で……側妃へと下げる宣言をするのだ。
このような侮辱、恥を受けてなお……正妃を求めて抗議するか?
否。
そのような恥を晒す気は無い。
「承知いたしました。セリム陛下……私は側妃を受け入れます」
側妃を受けいれた私は、呼吸を挟まずに言葉を続ける。
今しがた決めた、たった一つの決意を込めて。
「ですが陛下。私はもう貴方を支える気はありません」
これから私は、『捨てられた妃』という汚名でなく、彼を『捨てた妃』となるために。
華々しく、私の人生を謳歌しよう。
全ては、廃妃となるために。
◇◇◇
設定はゆるめです。
読んでくださると嬉しいです!
王女、騎士と結婚させられイかされまくる
ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。
性描写激しめですが、甘々の溺愛です。
※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。
忌むべき番
藍田ひびき
恋愛
「メルヴィ・ハハリ。お前との婚姻は無効とし、国外追放に処す。その忌まわしい姿を、二度と俺に見せるな」
メルヴィはザブァヒワ皇国の皇太子ヴァルラムの番だと告げられ、強引に彼の後宮へ入れられた。しかしヴァルラムは他の妃のもとへ通うばかり。さらに、真の番が見つかったからとメルヴィへ追放を言い渡す。
彼は知らなかった。それこそがメルヴィの望みだということを――。
※ 8/4 誤字修正しました。
※ なろうにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる