196 / 349
呈出と堅忍
【19】嫌な予感(2)
しおりを挟む
「そうだよな、俺がお前の抑制を外す手助けしちまったんだもんな」
今更、後悔しても遅いが、まだ間に合うと信じたい。
思い返せば今朝、恭良に違和感を抱いたときに引き留めておけば──後悔は募る。小骨がひっかかるような不快感が沸く。
「何だか……嫌な感じがしてさ」
「嫌な感じ?」
「嫌な予感っていうか」
露骨に|恭良に仕掛けられたとは言えない。いや、言えば沙稀は否定するだろう。
単に瑠既の憶測だ。恭良を毛嫌いしているから、嫌な風に映るのかもしれない。
「うまく言えないけど」
「もし、俺が同じことを言ったとして……瑠既もふたつ返事で納得しないだろ?」
「まぁ……そうだな」
「心配してくれてるってことだけは、覚えているようにしておく。ただ、悪いが何があっても俺は恭良と別れることはない」
「俺が、悪かったんだな」
「さぁ? ……確かなのは、俺が今、幸せを感じていられるのは、恭良のお蔭だってことだ」
数秒の間が静か流れ、僅かなすれ違いがあったと瑠既は認識する。
鴻嫗城に来て、沙稀と再会したとき──恭良に対する想いを沙稀が口にしていたときと、似た空気だった。
『お前がどう生きてきたか、知らない』
あの沙稀の言葉は、瑠既にとっては突き放された気がした。
「もう、いいか?」
沙稀の声に、瑠既は我に返る。
「悪かったな」
「いいや」
咄嗟に間を繋ごうとしたが、沙稀が終わらせた。
そうして、沙稀が背を向ける間際、瑠既はしっかりとその表情を見る。──沙稀は深く悩んでいるようだった。
瑠既は声をかけなかった。
僅かなすれ違いを感じていたのは瑠既だけではなかったようだ。沙稀もまた、同じく感じていたのか。
徐々にちいさくなる背中を見送りながら、瑠既には双子の弟が確実に、少しずつ離れて行ってしまうように感じていた。
沙稀が退室して間もなく、瑠既も自室を後にする。ふと、沙稀の背が見えた。瑠既がこれから向かうのは宮城研究施設。沙稀とは歩いていく方向が反対だ。
少しずつ離れていく姿を眺め、仕方のないことだと背を向け歩き出す。
沙稀には王としての職務もあるだろうし、長年してきた剣士としての職務もあるだろう。多忙を極めているに違いない。
──俺たちの『時』は……どこかでまた、合流するのか?
美しい鴻嫗城の壁を、瑠既の足音が壊すかのように響いていく。
鴻嫗城にいなかった時間を『空白の時間』のように感じるときがある。ただ、瑠既にとっては『貴族でなかった』時間。──沙稀にとっての『空白の時間』は、完全なる欠落。
同じ言葉を使ったとしても、意味はまったく違う。
瑠既は誄と結婚してから、ずい分貴族らしい感覚が戻ってきた。言葉遣いこそ修正しようと思わないが、いざ、必要な場面に出くわしても、過剰に緊張せず正しい言葉で話せる気がする。
──沙稀も、恭良と結婚してから……埋まっているのなら……。
いい、とは続かず、後悔が思考を止めた。だが、深呼吸をして思い直す。
──俺が恭良を毛嫌いしているのか。
崩壊したように感じた壁は、見渡せば一切、崩れた形跡はない。
──それだけだよな、きっと。
ああだ、こうだと思考を巡らし、はた、と瑠既の足が止まる。そういえば、誄は慌てているように見えて冷静だったと。
『宮城研究施設で待っていますから、瑠既様は沙稀様とお会いして来て下さい』
誄はあんな事態を目の当たりにしても、沙稀が単に嫉妬しているだけだとわかっていたのだろう、と今更ながら背を押してくれたと気づく。
──誄姫は俺より長く……沙稀といるんだもんな。
ふっと笑みが浮かぶ。誄が待機場所を宮城研究施設に選んだのは、実に抜かりのないと感心する。歩き始め、歩数を数えるように理由が浮かぶ。
第一に、誄が待機する場所に選んで不自然ではない。第二に、大臣の手を煩わせない。第三に、恭良が来る確率が高い。
するすると浮かぶ理由にも、瑠既は感嘆する。
誰にも迷惑をかけず、振り回さず、きちんと瑠既が沙稀とふたりで話せるようにと、誄は行動していた。尚且つ、誰に一番気をまわしたかが伝わってきて、瑠既は柄にもなく頬が赤らむ。自覚し、つい、首元と頬を触る。
鐙鷃城に誄とはやく帰城した方がいいだろう──と考えつつ、瑠既は大臣と話したいと考えを改め、紫紺の絨毯が敷かれた廊下でふと足を止める。
行き先を突然変えても、新たな進路を選べる。鴻嫗城は瑠既の生家でもあるのだから、迷子にはならない。
ただし、経路を一度、脳内で確認。方向転換し、スイスイと大臣の部屋を目指す。片側が一面のガラスで覆われ、中庭が見える通路を介さずに瑠既は深部を通って行く。
コンコンコン
「はい」
大臣の返答がはやいなと思いつつ、瑠既はドアを開ける。入室し扉を閉めると、瑠既は扉に寄りかかって腕を組む。
「大臣、聞きたいことがある」
「何ですか?」
「恭良のことだ」
今更、後悔しても遅いが、まだ間に合うと信じたい。
思い返せば今朝、恭良に違和感を抱いたときに引き留めておけば──後悔は募る。小骨がひっかかるような不快感が沸く。
「何だか……嫌な感じがしてさ」
「嫌な感じ?」
「嫌な予感っていうか」
露骨に|恭良に仕掛けられたとは言えない。いや、言えば沙稀は否定するだろう。
単に瑠既の憶測だ。恭良を毛嫌いしているから、嫌な風に映るのかもしれない。
「うまく言えないけど」
「もし、俺が同じことを言ったとして……瑠既もふたつ返事で納得しないだろ?」
「まぁ……そうだな」
「心配してくれてるってことだけは、覚えているようにしておく。ただ、悪いが何があっても俺は恭良と別れることはない」
「俺が、悪かったんだな」
「さぁ? ……確かなのは、俺が今、幸せを感じていられるのは、恭良のお蔭だってことだ」
数秒の間が静か流れ、僅かなすれ違いがあったと瑠既は認識する。
鴻嫗城に来て、沙稀と再会したとき──恭良に対する想いを沙稀が口にしていたときと、似た空気だった。
『お前がどう生きてきたか、知らない』
あの沙稀の言葉は、瑠既にとっては突き放された気がした。
「もう、いいか?」
沙稀の声に、瑠既は我に返る。
「悪かったな」
「いいや」
咄嗟に間を繋ごうとしたが、沙稀が終わらせた。
そうして、沙稀が背を向ける間際、瑠既はしっかりとその表情を見る。──沙稀は深く悩んでいるようだった。
瑠既は声をかけなかった。
僅かなすれ違いを感じていたのは瑠既だけではなかったようだ。沙稀もまた、同じく感じていたのか。
徐々にちいさくなる背中を見送りながら、瑠既には双子の弟が確実に、少しずつ離れて行ってしまうように感じていた。
沙稀が退室して間もなく、瑠既も自室を後にする。ふと、沙稀の背が見えた。瑠既がこれから向かうのは宮城研究施設。沙稀とは歩いていく方向が反対だ。
少しずつ離れていく姿を眺め、仕方のないことだと背を向け歩き出す。
沙稀には王としての職務もあるだろうし、長年してきた剣士としての職務もあるだろう。多忙を極めているに違いない。
──俺たちの『時』は……どこかでまた、合流するのか?
美しい鴻嫗城の壁を、瑠既の足音が壊すかのように響いていく。
鴻嫗城にいなかった時間を『空白の時間』のように感じるときがある。ただ、瑠既にとっては『貴族でなかった』時間。──沙稀にとっての『空白の時間』は、完全なる欠落。
同じ言葉を使ったとしても、意味はまったく違う。
瑠既は誄と結婚してから、ずい分貴族らしい感覚が戻ってきた。言葉遣いこそ修正しようと思わないが、いざ、必要な場面に出くわしても、過剰に緊張せず正しい言葉で話せる気がする。
──沙稀も、恭良と結婚してから……埋まっているのなら……。
いい、とは続かず、後悔が思考を止めた。だが、深呼吸をして思い直す。
──俺が恭良を毛嫌いしているのか。
崩壊したように感じた壁は、見渡せば一切、崩れた形跡はない。
──それだけだよな、きっと。
ああだ、こうだと思考を巡らし、はた、と瑠既の足が止まる。そういえば、誄は慌てているように見えて冷静だったと。
『宮城研究施設で待っていますから、瑠既様は沙稀様とお会いして来て下さい』
誄はあんな事態を目の当たりにしても、沙稀が単に嫉妬しているだけだとわかっていたのだろう、と今更ながら背を押してくれたと気づく。
──誄姫は俺より長く……沙稀といるんだもんな。
ふっと笑みが浮かぶ。誄が待機場所を宮城研究施設に選んだのは、実に抜かりのないと感心する。歩き始め、歩数を数えるように理由が浮かぶ。
第一に、誄が待機する場所に選んで不自然ではない。第二に、大臣の手を煩わせない。第三に、恭良が来る確率が高い。
するすると浮かぶ理由にも、瑠既は感嘆する。
誰にも迷惑をかけず、振り回さず、きちんと瑠既が沙稀とふたりで話せるようにと、誄は行動していた。尚且つ、誰に一番気をまわしたかが伝わってきて、瑠既は柄にもなく頬が赤らむ。自覚し、つい、首元と頬を触る。
鐙鷃城に誄とはやく帰城した方がいいだろう──と考えつつ、瑠既は大臣と話したいと考えを改め、紫紺の絨毯が敷かれた廊下でふと足を止める。
行き先を突然変えても、新たな進路を選べる。鴻嫗城は瑠既の生家でもあるのだから、迷子にはならない。
ただし、経路を一度、脳内で確認。方向転換し、スイスイと大臣の部屋を目指す。片側が一面のガラスで覆われ、中庭が見える通路を介さずに瑠既は深部を通って行く。
コンコンコン
「はい」
大臣の返答がはやいなと思いつつ、瑠既はドアを開ける。入室し扉を閉めると、瑠既は扉に寄りかかって腕を組む。
「大臣、聞きたいことがある」
「何ですか?」
「恭良のことだ」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
34
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる