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清算と解放と
【78】告白(2)
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「そうなんだけど」
「分からないの?」
忒畝の問いに、馨民は視線をゆっくりと上げ、右手を上げる。手を伸ばす先は、ティースプーン。
落ち着かないのか、ティースプーンを持って、カップの中をぐるぐると回し始める。
「ずっと、親友だったもの。よくわかっているつもり。充忠っていう人が、どういう人か。だけど……」
『うん』と相槌を打つ。
調和をとるようで、充忠にも難しい一面がある。充忠は自身の家族を知らない。いや、克主研究所に来てから一度だけ両親だと名乗る者が訪ねて来たことがある。──あのときのことは、馨民も知っていて。知っているからこそ、家族と確執がある人物だからこそ、馨民は悩んでいるのか。
馨民は忒畝と同じように、家族思いだ。誕生日にしても、記念日にしても、思いが似ている。けれど、充忠は──捷羅や羅凍たちに意識が近いかもしれない。
ただ、充忠は日頃、そういった側面をほとんど見せない。そう考えれば、馨民が充忠の過去に思い悩んでいるとは考えにくく、もっと単純なことで──もしかしたら、と忒畝は言葉に詰まる馨民に助け船を出す。
「そう意識したことがない……ってこと?」
ティースプーンをぐるぐる回していた手が、ふと停止する。馨民はうなずくでもなく。けれど、顔はどんどん下がっていって。
「だって、私は……」
動きを止めた指がティースプーンを強く握る。
「わかってるでしょ? 私の想っている人」
「過去に想っていた人、なら知っているよ」
間髪入らずに返した言葉。慰めるような声のトーンだったにも関わらず、馨民は伏せていた視線を忒畝に向けてきた。
「今も、変わってないよ」
「止めた方がいいと思う」
どちらも一歩も引かないと言わんばかりの強い口調。
忒畝は咄嗟に視線を逸らす。すると、悲しそうな馨民の声が聞こえてきた。
「何で、そんな言い方……するの?」
泣いてしまいそうな馨民の声に、忒畝はズキリと心を痛める。温和な空気を保っていたのに、一瞬で壊してしまったことへの後悔だ。
忒畝は反省から、再び口調をやさしいものへと改める。
「馨民が幸せになれないと思うから。理由は僕がよくわかっている」
「自分自身……だから?」
確認したくなかったことを『やっぱり』と確認すると、忒畝は馨民を視界に映す。
「そうだね。僕では馨民を幸せにできない。馨民の……未来に見ている望みを、知っているから」
忒畝は困っていた。表情に困惑を浮かべてしまっていることに。けれど、他の表情にすることもできなくて。
それなのに、馨民がじっと忒畝を見ている。
表情を変えられないなら、回る頭を駆使して、何か言葉を続けなくてはならない。
「僕と同じでしょ? 『幸せな家庭』、『幸せな家族』」
無理に笑ってみたが、やはり忒畝の表情には無理がある。馨民を悲しませないように、誤解を生まないようにしたいと必死なのだろう。なにせ、どう話そうかと思って帰ってきた内容を、今なら言えそうなのだから。
「築けないんだ、僕には。望みを捨てるのは、僕だけでいい。大切な子を道連れにしたくはない」
馨民とっては、思いもかけない言葉だったのか。目を大きく開きつつ、まばたきを繰り返す。
「え……どういうこと?」
そう呟いた瞬間、馨民は表情を一変させた。ふと、忒畝から視線を逸らし、またうつむく。
馨民の仕草に、今度は忒畝があることに気づいて苦笑いする。
──やっぱり、馨民は頭の回転がはやいんだな。
話しを聞く前に、馨民の表情を過去に見たことがあると忒畝が感じたように、馨民も忒畝の表情を過去に見たことがあると、そのときのことを思い出したに違いない。
あれは、十四歳のとき。君主の試験の、合格発表前日──馨民が小さな勇気振り絞ったときだ。あのとき返事をしたときと、忒畝は同じ表情をしていた。真剣で、でも悲しみや絶望は隠したくて。なるべくやさしくいたいのに、うまく笑えない。
先延ばしにしていたツケが回ってきた。覚悟して帰って来た。いつまでも隠し通すつもりではなく、きちんと言おうと。その言えるチャンスが、今、巡って来ただけのこと。本当は、馨民にはもっともっとはやくに、言わなければいけなかった。
「僕は、伝説の四戦獣の血を持って生まれてきた」
馨民の顔が上がり、大きな瞳が忒畝を捉える。
「この数ヶ月、バタバタしてしまったのは、そのせい。たくさん迷惑をかけたね。ごめんね、ありがとう。お陰で、終わったんだ」
釣鐘草色の瞳が、ぐらぐらと揺れている。
馨民は知っている。この大陸に伝わる伝説の内容を。
忒畝の母を。失踪していたのも。悠穂の髪の毛の色も、瞳の色も。もしかしたら、忒畝の母の髪の毛の色も、瞳の色も。忒畝の三歳よりも前の瞳の色も、覚えていたのかもしれない。
『終わった』と聞いて、この賢い彼女は忒畝の母の失踪が終わった意味も理解しているのだろう。
「僕はこの血を継いでいることを抗えない。子孫を残せないし、短命であることもわかっている。自分より大切な人を家族にしても、その子をひとり残して、僕は逝ってしまわなければいけない。傷つけるだけになると思う。……無責任なことは、したくない」
忒畝は言えるだけの精一杯の言葉を紡いだ。泣かせたいわけではなかったのに、誰よりも大事にしたかった人が、目の前でボロボロと泣いている。
「ごめんね、馨民。もっと、はやくに言っておけば……よかったね」
手を伸ばせば、容易に届く。すぐとなりに座っているのだから。泣いている彼女を抱きしめて、頭をなでて慰めたい。──けれど、忒畝は手を伸ばさない。もう、その役目をしていいときは過ぎた。
「謝らないで。私こそ、辛いこと……ごめん」
「ううん、馨民こそ。……ごめんね」
忒畝は重ねて詫びる。これまで、彼女の感情をのらりくらりとかわしてきた。だから、自身の気持ちをほのめかしたら、彼女の気持ちを弄ぶことになると、今まで馨民を想う気持ちをほのめかせたことはなかった。
それなのに、告白紛いの言葉を言いつつ、彼女の気持ちを断絶することを言ったのだから。いくら、彼女が賢く利口であっても、感情を抑えられなくて当然だろう。
じっと伸ばす手を抑える忒畝は、過ぎた役目を補うべき人物の名を出す。
「充忠はいい人だよ。馨民も知っての通りに。僕の、もうひとりの大切な親友だもの。……僕はいいと思うんだけど、ゆっくり考えてみたら?」
「うん……ありがとう」
忒畝には、後悔はない。むしろ、告げられてよかったとさえ感じている。幸せになってほしいと長い間願っていた人が、これから幸せになってくれるのなら──こんなにうれしいことはない。
普段のように微笑んでいる忒畝とは対照的に、馨民の涙は止まらない。忒畝の気持ちを汲んで、諦めないといけないと呑み込もうとしているように見える。
ずっと望んでいたことを諦めないといけない辛さは、忒畝にはよくわかる。わかるからこそ、敢えて──忒畝は空気を読もうとはしない。悠長に構えるように、アップルティーに手を伸ばし、一口、と、そこへ──。
「もう少し、一緒にいてもらっても……いい?」
「いつまででも、いいよ。落ち着くまでいるよ」
母のいない息子、父のいない娘。
親同士は仲がよかった。
ふたりは昔から、ともに寄り添うようにいるのが当たり前だった。──気づけばいつも傍にいて、いつだって手を取り合った。
同じ道を歩こうとしなくても、同じ道を歩いてきた。互いに、互いを一番知っていると励まし合い、笑い合ってきた。
初めての友達だった。
初めての恋をした。
馨民は忒畝と別の道を歩かないといけないのが怖いのだ。いつも、太陽のように照らしてくれる人が、いつか傍からいなくなると想像しただけで──彼女には耐えられなかった。
「分からないの?」
忒畝の問いに、馨民は視線をゆっくりと上げ、右手を上げる。手を伸ばす先は、ティースプーン。
落ち着かないのか、ティースプーンを持って、カップの中をぐるぐると回し始める。
「ずっと、親友だったもの。よくわかっているつもり。充忠っていう人が、どういう人か。だけど……」
『うん』と相槌を打つ。
調和をとるようで、充忠にも難しい一面がある。充忠は自身の家族を知らない。いや、克主研究所に来てから一度だけ両親だと名乗る者が訪ねて来たことがある。──あのときのことは、馨民も知っていて。知っているからこそ、家族と確執がある人物だからこそ、馨民は悩んでいるのか。
馨民は忒畝と同じように、家族思いだ。誕生日にしても、記念日にしても、思いが似ている。けれど、充忠は──捷羅や羅凍たちに意識が近いかもしれない。
ただ、充忠は日頃、そういった側面をほとんど見せない。そう考えれば、馨民が充忠の過去に思い悩んでいるとは考えにくく、もっと単純なことで──もしかしたら、と忒畝は言葉に詰まる馨民に助け船を出す。
「そう意識したことがない……ってこと?」
ティースプーンをぐるぐる回していた手が、ふと停止する。馨民はうなずくでもなく。けれど、顔はどんどん下がっていって。
「だって、私は……」
動きを止めた指がティースプーンを強く握る。
「わかってるでしょ? 私の想っている人」
「過去に想っていた人、なら知っているよ」
間髪入らずに返した言葉。慰めるような声のトーンだったにも関わらず、馨民は伏せていた視線を忒畝に向けてきた。
「今も、変わってないよ」
「止めた方がいいと思う」
どちらも一歩も引かないと言わんばかりの強い口調。
忒畝は咄嗟に視線を逸らす。すると、悲しそうな馨民の声が聞こえてきた。
「何で、そんな言い方……するの?」
泣いてしまいそうな馨民の声に、忒畝はズキリと心を痛める。温和な空気を保っていたのに、一瞬で壊してしまったことへの後悔だ。
忒畝は反省から、再び口調をやさしいものへと改める。
「馨民が幸せになれないと思うから。理由は僕がよくわかっている」
「自分自身……だから?」
確認したくなかったことを『やっぱり』と確認すると、忒畝は馨民を視界に映す。
「そうだね。僕では馨民を幸せにできない。馨民の……未来に見ている望みを、知っているから」
忒畝は困っていた。表情に困惑を浮かべてしまっていることに。けれど、他の表情にすることもできなくて。
それなのに、馨民がじっと忒畝を見ている。
表情を変えられないなら、回る頭を駆使して、何か言葉を続けなくてはならない。
「僕と同じでしょ? 『幸せな家庭』、『幸せな家族』」
無理に笑ってみたが、やはり忒畝の表情には無理がある。馨民を悲しませないように、誤解を生まないようにしたいと必死なのだろう。なにせ、どう話そうかと思って帰ってきた内容を、今なら言えそうなのだから。
「築けないんだ、僕には。望みを捨てるのは、僕だけでいい。大切な子を道連れにしたくはない」
馨民とっては、思いもかけない言葉だったのか。目を大きく開きつつ、まばたきを繰り返す。
「え……どういうこと?」
そう呟いた瞬間、馨民は表情を一変させた。ふと、忒畝から視線を逸らし、またうつむく。
馨民の仕草に、今度は忒畝があることに気づいて苦笑いする。
──やっぱり、馨民は頭の回転がはやいんだな。
話しを聞く前に、馨民の表情を過去に見たことがあると忒畝が感じたように、馨民も忒畝の表情を過去に見たことがあると、そのときのことを思い出したに違いない。
あれは、十四歳のとき。君主の試験の、合格発表前日──馨民が小さな勇気振り絞ったときだ。あのとき返事をしたときと、忒畝は同じ表情をしていた。真剣で、でも悲しみや絶望は隠したくて。なるべくやさしくいたいのに、うまく笑えない。
先延ばしにしていたツケが回ってきた。覚悟して帰って来た。いつまでも隠し通すつもりではなく、きちんと言おうと。その言えるチャンスが、今、巡って来ただけのこと。本当は、馨民にはもっともっとはやくに、言わなければいけなかった。
「僕は、伝説の四戦獣の血を持って生まれてきた」
馨民の顔が上がり、大きな瞳が忒畝を捉える。
「この数ヶ月、バタバタしてしまったのは、そのせい。たくさん迷惑をかけたね。ごめんね、ありがとう。お陰で、終わったんだ」
釣鐘草色の瞳が、ぐらぐらと揺れている。
馨民は知っている。この大陸に伝わる伝説の内容を。
忒畝の母を。失踪していたのも。悠穂の髪の毛の色も、瞳の色も。もしかしたら、忒畝の母の髪の毛の色も、瞳の色も。忒畝の三歳よりも前の瞳の色も、覚えていたのかもしれない。
『終わった』と聞いて、この賢い彼女は忒畝の母の失踪が終わった意味も理解しているのだろう。
「僕はこの血を継いでいることを抗えない。子孫を残せないし、短命であることもわかっている。自分より大切な人を家族にしても、その子をひとり残して、僕は逝ってしまわなければいけない。傷つけるだけになると思う。……無責任なことは、したくない」
忒畝は言えるだけの精一杯の言葉を紡いだ。泣かせたいわけではなかったのに、誰よりも大事にしたかった人が、目の前でボロボロと泣いている。
「ごめんね、馨民。もっと、はやくに言っておけば……よかったね」
手を伸ばせば、容易に届く。すぐとなりに座っているのだから。泣いている彼女を抱きしめて、頭をなでて慰めたい。──けれど、忒畝は手を伸ばさない。もう、その役目をしていいときは過ぎた。
「謝らないで。私こそ、辛いこと……ごめん」
「ううん、馨民こそ。……ごめんね」
忒畝は重ねて詫びる。これまで、彼女の感情をのらりくらりとかわしてきた。だから、自身の気持ちをほのめかしたら、彼女の気持ちを弄ぶことになると、今まで馨民を想う気持ちをほのめかせたことはなかった。
それなのに、告白紛いの言葉を言いつつ、彼女の気持ちを断絶することを言ったのだから。いくら、彼女が賢く利口であっても、感情を抑えられなくて当然だろう。
じっと伸ばす手を抑える忒畝は、過ぎた役目を補うべき人物の名を出す。
「充忠はいい人だよ。馨民も知っての通りに。僕の、もうひとりの大切な親友だもの。……僕はいいと思うんだけど、ゆっくり考えてみたら?」
「うん……ありがとう」
忒畝には、後悔はない。むしろ、告げられてよかったとさえ感じている。幸せになってほしいと長い間願っていた人が、これから幸せになってくれるのなら──こんなにうれしいことはない。
普段のように微笑んでいる忒畝とは対照的に、馨民の涙は止まらない。忒畝の気持ちを汲んで、諦めないといけないと呑み込もうとしているように見える。
ずっと望んでいたことを諦めないといけない辛さは、忒畝にはよくわかる。わかるからこそ、敢えて──忒畝は空気を読もうとはしない。悠長に構えるように、アップルティーに手を伸ばし、一口、と、そこへ──。
「もう少し、一緒にいてもらっても……いい?」
「いつまででも、いいよ。落ち着くまでいるよ」
母のいない息子、父のいない娘。
親同士は仲がよかった。
ふたりは昔から、ともに寄り添うようにいるのが当たり前だった。──気づけばいつも傍にいて、いつだって手を取り合った。
同じ道を歩こうとしなくても、同じ道を歩いてきた。互いに、互いを一番知っていると励まし合い、笑い合ってきた。
初めての友達だった。
初めての恋をした。
馨民は忒畝と別の道を歩かないといけないのが怖いのだ。いつも、太陽のように照らしてくれる人が、いつか傍からいなくなると想像しただけで──彼女には耐えられなかった。
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