【女神回収プログラム ～三回転生したその先に～】姫の側近の剣士の、決して口外できない秘密は

兄と罪、罪と弟

【６７】シロツメクサの告白（２）

　哀萩アイシュウは、言葉を言う前と変わらず、ただ動かない。

　風が羅凍ラトウの背中から吹いた。動かない彼女の代わりに、羅凍ラトウに歩いて行けと後押しするように。
　風は周囲に咲く、集まって丸くなっているちいさな花も強く揺らす。四ｍほど先にいる彼女に近づけと促すように、追い風が吹く。

　動かない彼女の、熨斗目色の髪が去るようになびく。

　後頭部で一本に結わいている漆黒の髪が、視界を邪魔した。

　そのとき──ゆっくりと彼女の唇は開いていった。
　風が激しく木々も揺らすざわざわとした中で、消えそうなほどちいさな声は、羅凍ラトウの鼓膜にしっかりと届く。

「いらない」

　哀萩アイシュウの顔は曇り、それを隠すかのようにうつむいていく。

「受け取れないから」
　ちいさな声なのに、はっきりと聞こえる哀萩アイシュウの声。

　哀萩アイシュウは振り向いてくれない、絶対に──そう思っていたからこそ、玉砕すると結果を予測していたのに、羅凍ラトウの伸ばした右腕は下がっていく。

　哀萩アイシュウは体の向きを変え、城へと姿を消して行った。

　彼女の姿が見えなくなっていく中、羅凍ラトウは力が抜けてその場にしゃがみ込む。ふたつの指で挟んでいる子どもの遊び道具のような指輪を眺め、力無く笑う。
　こういう結果だとわかっていた。いや、わかりきっていた。振り向いてもらえないと。それなのに──。

　──おかしいな……。
　流れる涙を、苦しい心を不思議に思い、羅凍ラトウは笑いながら泣いていた。

　幼いころから彼を見守ってきたシロツメクサたちが、周囲でそっと揺れていた。


　ただし、気落ちしたのはこの日だけで。
　結局、羅凍ラトウは諦められないと悟り、ぐちぐちしていた思いが吹っ切れただけだった。却って彼らしくなったというか。ストレートに哀萩アイシュウへ気持ちを伝えるようになる。

　翌日、哀萩アイシュウに会ったときにぎこちなかったのは彼女の方で。そんな彼女に、
「あれ？　やっと意識してもらえるようになったの？　俺」
　と明るく笑うほどだった。
　今度は満面の笑みで、
「好きだよ」
　と言い、彼女が『昨日、ちゃんと返事をした』と抗議をしたものなら、
「うん。聞いた。でも、俺たぶん気持ち変えられないし。哀萩アイシュウが俺の気持ち知ってる以上、何回言ったっていいでしょ？」
　というほどになっており。──現在に至る。


　船のスピードがゆるみ、羅凍ラトウは懐かしい思い出から戻ってくる。そうして、ふと、思う。──父のことが片付いたら、哀萩アイシュウにもう一度、きちんと想いを伝えようと。

　捷羅ショウラが母から何かを聞いたかと言っていた。──捷羅ショウラの結婚の話を聞いていて、母からの話が返答に返ってくるとは──予想できることは、羅凍ラトウの望みは叶わないということ。羅凍ラトウにとって、人生が終わること。
　予想が正しければ、時間はなさそうだ。
　羅凍ラトウに一度、婚約話が沸いたことがある。あれは、三年前。母に呼ばれて、母がとても浮かれていたのが印象深い。興味がなく誰かと聞かなかったが、捷羅ショウラに妻が不在の状態で羅凍ラトウを城から出すと決めたとなれば、政略結婚として母が大層に満足するような相手だったのだろう。
　結局、話は流れたが、なぜ流れたかにも興味はない。
　ただ、婚約話が流れて羅凍ラトウはホッとし、これに驚く。──それは、哀萩アイシュウと話せる場所にいられるという安堵だった。それだけが、なによりうれしく。あのとき、羅凍ラトウは痛感していた。
　城から出て、自由の身になれるのはうれしいはずだった。けれど、羅凍ラトウにとっては、そこに哀萩アイシュウがいなければ意味がないと思い知った出来事で。

　──多分、これが最後の機会だ。

　羅凍ラトウの決意を固めるかのように船は停まり、羅凍ラトウは船を降りていく。
　母の関心が羅凍ラトウからなくなればなど、悠長なことは言っていられないかもしれない。いざとなれば強行突破するしかない。
　身勝手なのは、承知の上だ。

　明るく賑やかな緋倉ヒソウの街に、バサリと真っ赤なマントが風に強く揺れた。