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兄と罪、罪と弟
【58】蓄積(2)
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しかし、会えずに時は流れて。浮き立った気持ちは徐々に痛みに変わった。
『来る』と『来ない』を数えて月日は流れていく。そして、再び誕生日を迎えて『来ない』と思いは固まった。ウキウキワクワクした分、それはそれは深い悲しみになった。
誕生日が終わるころ、羅凍はひとりで泣いた。声を上げて。
日頃、誰もいてくれなくても、『双子』だと思えば。例え会ったことがなくても、『双子』のもうひとりと繋がっているという気持ちになれていた。寂しいと思っても、寂しさを消すことができた。
けれど、このときは。今までそうして自らを支えてきた分、余計に辛かった。寂しかった。寂しさでいっぱいになって、大声で泣いた。
また会いに来てくれると信じて、また会えると楽しみにして、会いたくて、会いたくて、その思いが募っていった分、寂しさでいっぱいで。
会いに来てくれない。一年以上経ったのに。それが現実で、誰とも繋がってなどいなかった。
六歳の誕生日に、羅凍は『双子』という概念を捨てた。もう、こんなに辛い思いはしたくないという一心で。
別棟の階段をゆっくり上りながら、羅凍は哀萩の言葉を思い出す。
「あの子も……別に深い意味はないんだ。兄上と同じように……もしかしたら、思い出したように……たまに来ることはあるかもしれないけど。わざわざ俺に会いに来たりなんてしないんだ、きっと……」
きっと、今日も単に偶然。わざわざ会いに来たわけではないんだろうと、羅凍は言葉に発して自らに言い聞かせる。
夕食の時間になり、時間通りに使用人が来る。
「ご夕食をお持ちしました」
業務的に報告をする者はいるが、羅凍の名を呼ぶ者はいない。まして、羅凍が別棟から出ていることを、気にかける者はいない。ただ愛想を売るように笑って、やさしそうな声を出す者だけだ。
──誰かと入れ替わっても、誰も気づきはしないんだろうな。
ぼんやりそんな考えが浮かんでも、『誰か』がいないのでは入れ替わることもできないとため息が出そうになる。出入りする使用人にとっても、教育係にしても、『羅凍』は『羅凍』ではない。『羅暁城の息子』、しかも、『第二子』なだけであって、羅凍はその待遇を受けているだけに過ぎない──と、幼い羅凍は妙に冷めていた。
使用人が下がり、羅凍は湯気の上がる料理に手を伸ばす。口に運んで一言。
「おいしくも、何ともない……」
すぐにフォークは置かれる。興味をなくすかのように。
食事はもちろん、羅暁城の料理人が調理をしている。味は極上のはずだ。それなのに、羅凍には目の輝かせるものではなかった。
「白うさぎは、きちんとご飯を食べられているのかな……」
窓から夜空を見上げて心配すると、白うさぎが家族と幸せそうに食事をする姿が浮かんだ。その想像した家族の光景に、両目からポロポロと涙があふれ出す。
「食べなきゃ……」
今度は、強迫観念。食事を残せば、母に叱られる。怖い人には、会いたくない。
一度は置いたフォークをつかみ、無理に口へと運ぶ。涙をこらえ、恐怖心で飲み込む食事は、おいしいとは程遠く。羅凍には、口に合わないモノとして蓄積されていく。
物心がついてから羅凍は度々、食事を残すようになっていた。ひとりで食べるのが、空しくなって。食事をしても、味覚を感じなくなっていた。
しかし、食事を残すと数人の大人たちに囲まれて──そう、まるで尋問を受けているかのように──あれやこれやと聞かれる。母はそれをじっと見ていて、残してはいけないと最後に言う。それは、心配ではなく。躾というよりは、業務命令のような。言うことを聞けと言いたげな、冷たい視線。苛立っているような声も、聞きたくないほど恐ろしい。
そうして、羅凍は無理に食べるようになっていた。食事は、一番嫌いな時間だ。
外に出たい、自由になりたい、やさしい人に囲まれたい……そんな様々な感情が込められているとは気づかず、幼い羅凍は漠然と『白うさぎになりたい』と思っていた。
翌日、羅凍は教育係が去ったあと、また別棟を抜け出す。周囲はシロツメクサが一面に広がっていて。
「やっぱり……」
いないじゃないか、と心の中で呟いて。草の上に座り、空を見上げる。
──信じなくてよかったな。
昨日会った人物、哀萩の言葉を楽しみにしなくてよかったと、羅凍はちいさく息を吐く。
林に視線を向けたが、白うさぎも来ない気がした。
──野生は自由だもんな。
『自由』──白うさぎが自由だと思っただけで羅凍は笑う。いいなと思う反面、よかったなと安心して。
座ってシロツメクサを数本取る。明日、白うさぎが来るかもしれない。来たらあげようかな、なんて思いながら、花冠を編み始める。
「器用なんだね」
どこからか聞こえてきた声。
羅凍は疑うように視線を上げる。そこには──。
「編めるんだ?」
昨日、ここで会った人物がいて。
「え……ぃや……」
今日は、羅凍が見下ろされていて。うまく言葉が出ない。
綺麗には編めないし、まだ作っている途中。それに、誰かに見せたことのない自己満足の品。
「誰かにあげるの?」
哀萩はいつの間にか、羅凍のとなりにちょこんと座っていた。
「うん」
『白うさぎに、だけど』とは言わないが。すると、
「いつか、私にもくれる?」
と、哀萩は瞳をキラキラとさせて言う。
『いつか』はいつだろうと羅凍は思ったが、
「うん……いつか」
と、羅凍は曖昧に返事をした。
「本当に? 待ってるね!」
にっこりと哀萩は笑った。とてもうれしそうに。
羅凍はなぜか少し瞳が潤んだ。
──きちんと綺麗にできる日が、来たら。
その日を『いつか』だと決めて。
その日も空が赤くなれば哀萩は手を振って走って行った。
羅凍は、また日が暮れた後のような髪の毛が揺れるのを見送る。
別棟の階段をゆっくりと上がりながら、羅凍は何となく哀萩の言葉を思い出す。
『待ってるね!』
──そうか、俺にも待っててくれる人ができたのかな。
じんわりと胸はあたたかくなって、口元がゆるむ。体も軽い気がした。
哀萩は、確かに会いたいと思っていてくれたのだと、それが何よりもうれしかった。
それから時折、哀萩が来ない日はあったが、一週間に何度も来てくれた。ふたりは些細なことを笑い合って成長した。羅凍が、別棟で過ごしている間は。
哀萩と出会ってから数年後、羅凍は約束通りに花冠をあげた。
「ありがとう!」
それは、『待ってるね!』と言ったときよりも、うれしそうな笑顔で。
──ああ、俺はこの子が好きなんだ。
と、羅凍は初めて『哀萩が女の子だった』と今更ながら認識した。
うれしいとか照れとか、浮ついた気持ちよりも、それは『戸惑い』だった。
哀萩は、初めて会ったときから『養女』だと言っていた。羅暁城は男が継いできた城で、兄という嫡男がいるにも関わらず。
このときはまだ、哀萩が『養女』になった意味は知らなかった。けれど、『養女』という意味は理解している。つまり、義理の妹だということ。
異性として哀萩を見ていたと気づいて、羅凍はだから会いたいと思ったのか、会いたいと思ったから好意を寄せていたのかと、苦悩する。
『来る』と『来ない』を数えて月日は流れていく。そして、再び誕生日を迎えて『来ない』と思いは固まった。ウキウキワクワクした分、それはそれは深い悲しみになった。
誕生日が終わるころ、羅凍はひとりで泣いた。声を上げて。
日頃、誰もいてくれなくても、『双子』だと思えば。例え会ったことがなくても、『双子』のもうひとりと繋がっているという気持ちになれていた。寂しいと思っても、寂しさを消すことができた。
けれど、このときは。今までそうして自らを支えてきた分、余計に辛かった。寂しかった。寂しさでいっぱいになって、大声で泣いた。
また会いに来てくれると信じて、また会えると楽しみにして、会いたくて、会いたくて、その思いが募っていった分、寂しさでいっぱいで。
会いに来てくれない。一年以上経ったのに。それが現実で、誰とも繋がってなどいなかった。
六歳の誕生日に、羅凍は『双子』という概念を捨てた。もう、こんなに辛い思いはしたくないという一心で。
別棟の階段をゆっくり上りながら、羅凍は哀萩の言葉を思い出す。
「あの子も……別に深い意味はないんだ。兄上と同じように……もしかしたら、思い出したように……たまに来ることはあるかもしれないけど。わざわざ俺に会いに来たりなんてしないんだ、きっと……」
きっと、今日も単に偶然。わざわざ会いに来たわけではないんだろうと、羅凍は言葉に発して自らに言い聞かせる。
夕食の時間になり、時間通りに使用人が来る。
「ご夕食をお持ちしました」
業務的に報告をする者はいるが、羅凍の名を呼ぶ者はいない。まして、羅凍が別棟から出ていることを、気にかける者はいない。ただ愛想を売るように笑って、やさしそうな声を出す者だけだ。
──誰かと入れ替わっても、誰も気づきはしないんだろうな。
ぼんやりそんな考えが浮かんでも、『誰か』がいないのでは入れ替わることもできないとため息が出そうになる。出入りする使用人にとっても、教育係にしても、『羅凍』は『羅凍』ではない。『羅暁城の息子』、しかも、『第二子』なだけであって、羅凍はその待遇を受けているだけに過ぎない──と、幼い羅凍は妙に冷めていた。
使用人が下がり、羅凍は湯気の上がる料理に手を伸ばす。口に運んで一言。
「おいしくも、何ともない……」
すぐにフォークは置かれる。興味をなくすかのように。
食事はもちろん、羅暁城の料理人が調理をしている。味は極上のはずだ。それなのに、羅凍には目の輝かせるものではなかった。
「白うさぎは、きちんとご飯を食べられているのかな……」
窓から夜空を見上げて心配すると、白うさぎが家族と幸せそうに食事をする姿が浮かんだ。その想像した家族の光景に、両目からポロポロと涙があふれ出す。
「食べなきゃ……」
今度は、強迫観念。食事を残せば、母に叱られる。怖い人には、会いたくない。
一度は置いたフォークをつかみ、無理に口へと運ぶ。涙をこらえ、恐怖心で飲み込む食事は、おいしいとは程遠く。羅凍には、口に合わないモノとして蓄積されていく。
物心がついてから羅凍は度々、食事を残すようになっていた。ひとりで食べるのが、空しくなって。食事をしても、味覚を感じなくなっていた。
しかし、食事を残すと数人の大人たちに囲まれて──そう、まるで尋問を受けているかのように──あれやこれやと聞かれる。母はそれをじっと見ていて、残してはいけないと最後に言う。それは、心配ではなく。躾というよりは、業務命令のような。言うことを聞けと言いたげな、冷たい視線。苛立っているような声も、聞きたくないほど恐ろしい。
そうして、羅凍は無理に食べるようになっていた。食事は、一番嫌いな時間だ。
外に出たい、自由になりたい、やさしい人に囲まれたい……そんな様々な感情が込められているとは気づかず、幼い羅凍は漠然と『白うさぎになりたい』と思っていた。
翌日、羅凍は教育係が去ったあと、また別棟を抜け出す。周囲はシロツメクサが一面に広がっていて。
「やっぱり……」
いないじゃないか、と心の中で呟いて。草の上に座り、空を見上げる。
──信じなくてよかったな。
昨日会った人物、哀萩の言葉を楽しみにしなくてよかったと、羅凍はちいさく息を吐く。
林に視線を向けたが、白うさぎも来ない気がした。
──野生は自由だもんな。
『自由』──白うさぎが自由だと思っただけで羅凍は笑う。いいなと思う反面、よかったなと安心して。
座ってシロツメクサを数本取る。明日、白うさぎが来るかもしれない。来たらあげようかな、なんて思いながら、花冠を編み始める。
「器用なんだね」
どこからか聞こえてきた声。
羅凍は疑うように視線を上げる。そこには──。
「編めるんだ?」
昨日、ここで会った人物がいて。
「え……ぃや……」
今日は、羅凍が見下ろされていて。うまく言葉が出ない。
綺麗には編めないし、まだ作っている途中。それに、誰かに見せたことのない自己満足の品。
「誰かにあげるの?」
哀萩はいつの間にか、羅凍のとなりにちょこんと座っていた。
「うん」
『白うさぎに、だけど』とは言わないが。すると、
「いつか、私にもくれる?」
と、哀萩は瞳をキラキラとさせて言う。
『いつか』はいつだろうと羅凍は思ったが、
「うん……いつか」
と、羅凍は曖昧に返事をした。
「本当に? 待ってるね!」
にっこりと哀萩は笑った。とてもうれしそうに。
羅凍はなぜか少し瞳が潤んだ。
──きちんと綺麗にできる日が、来たら。
その日を『いつか』だと決めて。
その日も空が赤くなれば哀萩は手を振って走って行った。
羅凍は、また日が暮れた後のような髪の毛が揺れるのを見送る。
別棟の階段をゆっくりと上がりながら、羅凍は何となく哀萩の言葉を思い出す。
『待ってるね!』
──そうか、俺にも待っててくれる人ができたのかな。
じんわりと胸はあたたかくなって、口元がゆるむ。体も軽い気がした。
哀萩は、確かに会いたいと思っていてくれたのだと、それが何よりもうれしかった。
それから時折、哀萩が来ない日はあったが、一週間に何度も来てくれた。ふたりは些細なことを笑い合って成長した。羅凍が、別棟で過ごしている間は。
哀萩と出会ってから数年後、羅凍は約束通りに花冠をあげた。
「ありがとう!」
それは、『待ってるね!』と言ったときよりも、うれしそうな笑顔で。
──ああ、俺はこの子が好きなんだ。
と、羅凍は初めて『哀萩が女の子だった』と今更ながら認識した。
うれしいとか照れとか、浮ついた気持ちよりも、それは『戸惑い』だった。
哀萩は、初めて会ったときから『養女』だと言っていた。羅暁城は男が継いできた城で、兄という嫡男がいるにも関わらず。
このときはまだ、哀萩が『養女』になった意味は知らなかった。けれど、『養女』という意味は理解している。つまり、義理の妹だということ。
異性として哀萩を見ていたと気づいて、羅凍はだから会いたいと思ったのか、会いたいと思ったから好意を寄せていたのかと、苦悩する。
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