94 / 379
伝説の真実へ
【Program2】10(1)
しおりを挟む
邑樹はふと顔を上げる。すると、時林は照れ笑いをしていた。
「こんな風な出会いでも、『友達』と言ってくれたら……私はうれしい」
涙は止まり、代わりに照れ笑いが移る。
「きちんと謝らせてくれて、ありがとう」
やさしく微笑む邑樹に、時林は今にも抱きつきそうな笑顔を返した。──ザッ、ザッと、砂を荒く歩く音がする。
ザッ、ザッ
土を踏み締め歩くひとつの影。竜称だ。
暗がりに月明りを浴びて歩く彼女の心残り──それは、かつての婚約者か。
闇夜が隠すようにしている今の竜称は、よく見れば体中に飛び散ったものがある。──すでに、竜称は『用』を済ませたのか。
裕福な家庭であたたかく上品に育った彼女にしてみれば、その後に用意されていたはずの未来を追いたくなるのは自然だ。『今の自分は』という思いが強ければ、強いほど。
「バケモノ!」
突如、響いてきたのは、女の声。
彼女は、元婚約者の姿を一目だけと見に行ったのかもしれない。
たとえ、それが『元婚約者の家庭』を見ることになっても。
一目見れば、辿っていたはずの道が見える。──そう思って、本当に一目だけ見たかったのかもしれない。
けれど、たった一言。
たった一言だけでその思いは、いとも容易く崩されたのだろう。
枯れたはずの涙が頬を伝っている。月を見て、呪えというように微笑んでいる。それでも、歩く足を止めず、何度も何度も頬を拭う。
皆に会うまでにはまた、気丈な自分でなければと思っているのか。龍声がいない今、彼女は弱音を吐かないだろう。
すすり泣く竜称の姿は、幼い少女がトボトボと歩いているようにも見える。心残りをなくした彼女は、ただただ皆との合流地へと歩いていく。
懐かしい──そう刻水の声が聞こえた気がした。だが、刻水が声を出したとは考えにくい。緋倉に刻水は戻ってきている。
街の一角の廃墟をこっそりと見て回っている。その様子からしても、刻水は声を発しないだろう。
何もない。──また刻水の声だ。
刻水は忒畝の母、聖蓮と同一人物。過去を漂うように見ている息子の忒畝が、刻水に同調し感情が声のように聞こえるのだろうか。
まるで今の自分のようだと、ゆっくりさまようように歩く刻水。空を見上げれば月が高く、周辺を月明りがほんのりと照らしている。
ああ。この地は……この癒してくれるような感覚は、何一つ変わっていない──刻水は瞳を閉じている。懐かしい思い出の頁をていねいにめくっているかのように。
私に、あの人を忘れられるだろうか──思い浮かべたのは、克主か。一度は突き放したのに、歳月を経て恋人になった人だ。理解はできても、忒畝の心はチクリと痛む。
戦いの間も心のどこかで、いつも支えにしていたことだろう。そういえば、龍声もやっとこれで会えると刻水を元気づけようとしていた。
ふと、刻水は周囲を見渡す。忒畝はドキリとするが、刻水に姿は見えないはず。忒畝自身も、自らの手すら見ることはできないのだから。
けれど、刻水の警戒は増すばかり。瞳に鋭さを帯びていく。
廃墟に盗み目的で誰かが入った? ──殺気とは違う。むしろ逆というべき感情。見つかりたくない一心は、騒ぎにしたくないのだろう。見つかれば、騒がれることが必至。刻水はただ思い出に浸っていたいだけだ。
刻水が固まって動かなくなる。視線を追うと、そこにはひとつの人影。
その人影は、刻水に向かってくる。
月のやわらかい光は、残酷にふたりを照らす。影の持ち主は、幾分か身なりをきれいに整えるようになった克主だ。
「刻水、刻水だろう?」
少年時代と青年になった克主を見てきたからこその直感。刻水が別れたころよりも顔つきはもっとしっかりしたものになっているが、面影がハッキリとある。しっかりしたのは、声も同じで。
克主は『四戦獣』の中に刻水がいると信じ、探しに来ていたのか。この場所なら、刻水と会えると、危険も顧みずに。
刻水は微かに震えている。歓喜、絶望、拒絶──入り混じる感情は渦になり、どれも定着しない。
呼びかけに返答がないのに、克主は駆け出してきた。覚醒し、手足や顔も変貌しているにも関わらず。ギラギラと大きい瞳にも、裂けた口にも、伸ばし切ったボザボザな髪も、魔物を切り裂いてきた鋭利な爪にも臆さずに。
どれを持って刻水だと確信したのか、迷わずに手を伸ばし抱き寄せる。
「刻水」
強い強い抱擁。それは、もう何があっても離さないと伝えてくるような。
克主の想いに、刻水はゆっくりと首に手を回そうと腕を動かす。すると、克主は瞳を閉じたまま意外なことを言う。
「いいよ。殺すのなら、殺せばいい」
「こんな風な出会いでも、『友達』と言ってくれたら……私はうれしい」
涙は止まり、代わりに照れ笑いが移る。
「きちんと謝らせてくれて、ありがとう」
やさしく微笑む邑樹に、時林は今にも抱きつきそうな笑顔を返した。──ザッ、ザッと、砂を荒く歩く音がする。
ザッ、ザッ
土を踏み締め歩くひとつの影。竜称だ。
暗がりに月明りを浴びて歩く彼女の心残り──それは、かつての婚約者か。
闇夜が隠すようにしている今の竜称は、よく見れば体中に飛び散ったものがある。──すでに、竜称は『用』を済ませたのか。
裕福な家庭であたたかく上品に育った彼女にしてみれば、その後に用意されていたはずの未来を追いたくなるのは自然だ。『今の自分は』という思いが強ければ、強いほど。
「バケモノ!」
突如、響いてきたのは、女の声。
彼女は、元婚約者の姿を一目だけと見に行ったのかもしれない。
たとえ、それが『元婚約者の家庭』を見ることになっても。
一目見れば、辿っていたはずの道が見える。──そう思って、本当に一目だけ見たかったのかもしれない。
けれど、たった一言。
たった一言だけでその思いは、いとも容易く崩されたのだろう。
枯れたはずの涙が頬を伝っている。月を見て、呪えというように微笑んでいる。それでも、歩く足を止めず、何度も何度も頬を拭う。
皆に会うまでにはまた、気丈な自分でなければと思っているのか。龍声がいない今、彼女は弱音を吐かないだろう。
すすり泣く竜称の姿は、幼い少女がトボトボと歩いているようにも見える。心残りをなくした彼女は、ただただ皆との合流地へと歩いていく。
懐かしい──そう刻水の声が聞こえた気がした。だが、刻水が声を出したとは考えにくい。緋倉に刻水は戻ってきている。
街の一角の廃墟をこっそりと見て回っている。その様子からしても、刻水は声を発しないだろう。
何もない。──また刻水の声だ。
刻水は忒畝の母、聖蓮と同一人物。過去を漂うように見ている息子の忒畝が、刻水に同調し感情が声のように聞こえるのだろうか。
まるで今の自分のようだと、ゆっくりさまようように歩く刻水。空を見上げれば月が高く、周辺を月明りがほんのりと照らしている。
ああ。この地は……この癒してくれるような感覚は、何一つ変わっていない──刻水は瞳を閉じている。懐かしい思い出の頁をていねいにめくっているかのように。
私に、あの人を忘れられるだろうか──思い浮かべたのは、克主か。一度は突き放したのに、歳月を経て恋人になった人だ。理解はできても、忒畝の心はチクリと痛む。
戦いの間も心のどこかで、いつも支えにしていたことだろう。そういえば、龍声もやっとこれで会えると刻水を元気づけようとしていた。
ふと、刻水は周囲を見渡す。忒畝はドキリとするが、刻水に姿は見えないはず。忒畝自身も、自らの手すら見ることはできないのだから。
けれど、刻水の警戒は増すばかり。瞳に鋭さを帯びていく。
廃墟に盗み目的で誰かが入った? ──殺気とは違う。むしろ逆というべき感情。見つかりたくない一心は、騒ぎにしたくないのだろう。見つかれば、騒がれることが必至。刻水はただ思い出に浸っていたいだけだ。
刻水が固まって動かなくなる。視線を追うと、そこにはひとつの人影。
その人影は、刻水に向かってくる。
月のやわらかい光は、残酷にふたりを照らす。影の持ち主は、幾分か身なりをきれいに整えるようになった克主だ。
「刻水、刻水だろう?」
少年時代と青年になった克主を見てきたからこその直感。刻水が別れたころよりも顔つきはもっとしっかりしたものになっているが、面影がハッキリとある。しっかりしたのは、声も同じで。
克主は『四戦獣』の中に刻水がいると信じ、探しに来ていたのか。この場所なら、刻水と会えると、危険も顧みずに。
刻水は微かに震えている。歓喜、絶望、拒絶──入り混じる感情は渦になり、どれも定着しない。
呼びかけに返答がないのに、克主は駆け出してきた。覚醒し、手足や顔も変貌しているにも関わらず。ギラギラと大きい瞳にも、裂けた口にも、伸ばし切ったボザボザな髪も、魔物を切り裂いてきた鋭利な爪にも臆さずに。
どれを持って刻水だと確信したのか、迷わずに手を伸ばし抱き寄せる。
「刻水」
強い強い抱擁。それは、もう何があっても離さないと伝えてくるような。
克主の想いに、刻水はゆっくりと首に手を回そうと腕を動かす。すると、克主は瞳を閉じたまま意外なことを言う。
「いいよ。殺すのなら、殺せばいい」
0
お気に入りに追加
38
あなたにおすすめの小説
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
【1/23取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
彼女にも愛する人がいた
まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。
「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」
そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。
餓死だと? この王宮で?
彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。
俺の背中を嫌な汗が流れた。
では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…?
そんな馬鹿な…。信じられなかった。
だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。
「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。
彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。
俺はその報告に愕然とした。
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
愛のゆくえ【完結】
春の小径
恋愛
私、あなたが好きでした
ですが、告白した私にあなたは言いました
「妹にしか思えない」
私は幼馴染みと婚約しました
それなのに、あなたはなぜ今になって私にプロポーズするのですか?
☆12時30分より1時間更新
(6月1日0時30分 完結)
こう言う話はサクッと完結してから読みたいですよね?
……違う?
とりあえず13日後ではなく13時間で完結させてみました。
他社でも公開
「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。
私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜
月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。
だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。
「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。
私は心を捨てたのに。
あなたはいきなり許しを乞うてきた。
そして優しくしてくるようになった。
ーー私が想いを捨てた後で。
どうして今更なのですかーー。
*この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる