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伝説の真実へ
【Program2】3(2)
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「愛しています。できれば、ずっと側にいて欲しいほどに。刻水さんのことも、悠水ちゃんのことも守らせてほしい。もう……あんなには離れたくはないのです」
克主は言葉を発するのが多い方ではない。真面目で、どこか臆病に見えて、さみしそうな瞳をしていた。その人柄は、刻水にも伝わっていたのか。
克主が振り絞った勇気に飛び込むように、刻水は胸に飛び込む。
「はい、もう……離さないで下さい」
瞳を閉じて、今の幸せを刻水は抱き締める。克主も同じく、時を埋め尽くすように。
どこかから、声が聞こえる。
「克主の恋人は、女悪神の血を継ぐ者らしい」
男とも女とも聞こえる、囁き声。嘘だの本当だの、追跡しようだの、噂が飛び交う。克主の耳にも入っているようで、克主は尾行を振り切り、刻水に会いに行く。
「あの噂は本当かい?」
今度は克主の母の声だ。
「本当……だとしたら、母ちゃんは別れろと言う?」
「当然だろう!」
「なぜ?」
「アンタには、幸せになってほしいからさ!」
母と息子の会話は平行線だ。
「僕は、刻水だから……幸せなんだ」
克主は叫ぶ母を置いて、ちいさな研究所を出ていく。もちろん、刻水の居場所を知られないように注意を払いながら。
わずかな幸せな時間を、ふたりはすこしずつ重ねたのだろう。だが、時代はそれを許さない。
晴れた日、刻水は家のポストに届いた一通の赤い封筒を見つめていた。
くり返されていた買い物の帰り道、刻水は『通知が届いた』と克主に告げた。
克主は夜の森の中を駆け抜け、刻水の家へと行き、『ともに生きよう』と婚約指輪を送った。刻水は無言のままだが、克主はいつになく強引に腕を引く。刻水を連れ、向かったのは教会だった。──克主は、誓いを立てるために教会へと刻水を連れてきていたようだ。
けれど、実際に教会で刻水の口から発せられた言葉は、誓いとはほど遠いもので──。
克主に別れを告げた刻水は一度、家に戻っていた。静かに眠る、少女になりかけた悠水をなで、刻水は赤い封筒に記された地図を頼りに歩いていく。
刻水の手元には、地図が二枚ある。一枚は『生きたい人はこちらへ』という誘い文句を書かれた『開発所』への地図。
もう一枚は『死をも恐れぬ人はこちらへ』と書かれた『戦地』への地図。
途中までは同じ道だったようで、分かれ道で刻水は一度足を止める。二枚の地図をじっと見て。
「人を人とも扱わないと噂の絶えない開発所が……」
こんな甘い言葉で誘惑しようとしているなんて──と、刻水の声が聞こえてきそうなほどに地図を持つ手が震えている。
刻水の怒りは頂点に達していたのか。『生きたい人はこちらへ』と書かれていた地図はビリビリと音を立てて破られていく。
幾日も歩いた先に辿り着いたのは、戦地。──着いた刻水を待っていたのは、酷い光景だった。
残虐、そのもの。
奇声。
悲鳴。
その他に聞こえるものといえば、抉るような鈍い音。
液体が吹き上げている音。
悲惨な光景は、何の音かを想像しなくても脳が勝手に理解してしまう。
思わず目を閉じた刻水も同じだったのだろう。目の前で広がる光景に足がすくんだのか、身動きをとらないでいる。
ふと、どこからか引き笑いが聞こえ、刻水は目を開けた。その先には、異形とも言える姿の者が魔物を八つ裂きにしている。もっとも、魔物と思える物質は原型をとどめておらず、どんな魔物だったかはわからない。
狂気の沙汰で笑う者の体には、衣服だった物と思われるボロボロの布がまとわりついている。その隙間から見える肌は白緑色の毛で覆われていて。腕も足も変形して伸び、手の形まで歪。爪は異常に伸びていて、それが魔物の血肉を垂らしている。
不気味に上がる引きちぎれそうな口角。ギラギラと見開かれる瞳はアクア。──女悪神の血を継ぐ者のなれの果ての姿と想像するに難くない。
刻水は感情が停止したかのように、その異形の存在を呆然と眺めていた。もしかしたら、このまま死を選んだ方がいいのかもしれないと思ったのかもしれない。視線は凍り、下がっていく。
そのとき。一匹の魔物が刻水を見て動きを止めた。
魔物の影が刻水の視界に入ったのか。刻水はすこしだけ顔を上げる。
ねっとりとしている皮膚を持っているのか、毛を一切持たずヨタヨタとしている紫色の魔物。食事にありつけるというような嬉々とした瞳で刻水を捕らえ、機を待っている。
克主は言葉を発するのが多い方ではない。真面目で、どこか臆病に見えて、さみしそうな瞳をしていた。その人柄は、刻水にも伝わっていたのか。
克主が振り絞った勇気に飛び込むように、刻水は胸に飛び込む。
「はい、もう……離さないで下さい」
瞳を閉じて、今の幸せを刻水は抱き締める。克主も同じく、時を埋め尽くすように。
どこかから、声が聞こえる。
「克主の恋人は、女悪神の血を継ぐ者らしい」
男とも女とも聞こえる、囁き声。嘘だの本当だの、追跡しようだの、噂が飛び交う。克主の耳にも入っているようで、克主は尾行を振り切り、刻水に会いに行く。
「あの噂は本当かい?」
今度は克主の母の声だ。
「本当……だとしたら、母ちゃんは別れろと言う?」
「当然だろう!」
「なぜ?」
「アンタには、幸せになってほしいからさ!」
母と息子の会話は平行線だ。
「僕は、刻水だから……幸せなんだ」
克主は叫ぶ母を置いて、ちいさな研究所を出ていく。もちろん、刻水の居場所を知られないように注意を払いながら。
わずかな幸せな時間を、ふたりはすこしずつ重ねたのだろう。だが、時代はそれを許さない。
晴れた日、刻水は家のポストに届いた一通の赤い封筒を見つめていた。
くり返されていた買い物の帰り道、刻水は『通知が届いた』と克主に告げた。
克主は夜の森の中を駆け抜け、刻水の家へと行き、『ともに生きよう』と婚約指輪を送った。刻水は無言のままだが、克主はいつになく強引に腕を引く。刻水を連れ、向かったのは教会だった。──克主は、誓いを立てるために教会へと刻水を連れてきていたようだ。
けれど、実際に教会で刻水の口から発せられた言葉は、誓いとはほど遠いもので──。
克主に別れを告げた刻水は一度、家に戻っていた。静かに眠る、少女になりかけた悠水をなで、刻水は赤い封筒に記された地図を頼りに歩いていく。
刻水の手元には、地図が二枚ある。一枚は『生きたい人はこちらへ』という誘い文句を書かれた『開発所』への地図。
もう一枚は『死をも恐れぬ人はこちらへ』と書かれた『戦地』への地図。
途中までは同じ道だったようで、分かれ道で刻水は一度足を止める。二枚の地図をじっと見て。
「人を人とも扱わないと噂の絶えない開発所が……」
こんな甘い言葉で誘惑しようとしているなんて──と、刻水の声が聞こえてきそうなほどに地図を持つ手が震えている。
刻水の怒りは頂点に達していたのか。『生きたい人はこちらへ』と書かれていた地図はビリビリと音を立てて破られていく。
幾日も歩いた先に辿り着いたのは、戦地。──着いた刻水を待っていたのは、酷い光景だった。
残虐、そのもの。
奇声。
悲鳴。
その他に聞こえるものといえば、抉るような鈍い音。
液体が吹き上げている音。
悲惨な光景は、何の音かを想像しなくても脳が勝手に理解してしまう。
思わず目を閉じた刻水も同じだったのだろう。目の前で広がる光景に足がすくんだのか、身動きをとらないでいる。
ふと、どこからか引き笑いが聞こえ、刻水は目を開けた。その先には、異形とも言える姿の者が魔物を八つ裂きにしている。もっとも、魔物と思える物質は原型をとどめておらず、どんな魔物だったかはわからない。
狂気の沙汰で笑う者の体には、衣服だった物と思われるボロボロの布がまとわりついている。その隙間から見える肌は白緑色の毛で覆われていて。腕も足も変形して伸び、手の形まで歪。爪は異常に伸びていて、それが魔物の血肉を垂らしている。
不気味に上がる引きちぎれそうな口角。ギラギラと見開かれる瞳はアクア。──女悪神の血を継ぐ者のなれの果ての姿と想像するに難くない。
刻水は感情が停止したかのように、その異形の存在を呆然と眺めていた。もしかしたら、このまま死を選んだ方がいいのかもしれないと思ったのかもしれない。視線は凍り、下がっていく。
そのとき。一匹の魔物が刻水を見て動きを止めた。
魔物の影が刻水の視界に入ったのか。刻水はすこしだけ顔を上げる。
ねっとりとしている皮膚を持っているのか、毛を一切持たずヨタヨタとしている紫色の魔物。食事にありつけるというような嬉々とした瞳で刻水を捕らえ、機を待っている。
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