65 / 383
王位継承──前編
【39】決別と行く末(2)
しおりを挟む
思ってもみなかった言葉の数々に、思考が停止した瑠既は、本能のままに叔を追う。だが、無情に扉は閉まる。拒否するように、強く。
瑠既は扉を叩く。
「叔さん!」
悲痛な声が響く。
そのまま扉にすがるように、膝を曲げていく。
静まる室内に、嗚咽だけが響く。
「瑠既様」
大臣がそっと声をかける。その呼びかけに、瑠既は自嘲するようにうっすらと笑う。
「様付けなんて……やめてくれ。俺は、そんなのが相応しい人間じゃない!」
悔しさを、歯がゆさをぶつけるように強く扉を叩く。脳裏には、綺で過ごした日々──叔と初めて出会ったときから、家族のように笑い合えた日々、体を心配された日々や気がかりをなくしてくると言った日などが次々に駆け巡る。
「叔さんはあんな人じゃないんだ……どうして、あんな……」
見捨てられたと言いたげな口調。
大臣は奥歯を噛む。瑠既の態度に、叔と親子のような関係を築いていたのだと、容易に想像できて。
「その理由は貴男が、よくおわかりになるはずでしょう?」
瑠既は無言で大臣を見上げる。困惑した表情を浮かべて。
「これから俺は、どこで……どう過ごせばいい?」
抜け殻のような声。
大臣は諭すように言う。
「お忘れですか? 鴻嫗城は、貴男の生家です。鴻嫗城にいるのが、鴻嫗城で過ごすのが、貴男の『正しい道』なのでは?」
大臣の言葉を受け、瑠既の視線は下がる。
「俺にはもう、そんな資格は……」
「ない、なんて貴男がどこで何があったとしても、私には言えません。私に言えることは『貴男』は、紛れもなく『瑠既様』であり、『紗如様のご子息』だということです」
存在を肯定するように、いつになく強く言う。そして、ため息をもらす。
「私の言うことに、帰ってきてから初めて従い正装をしたかと思えば……今の貴男には『自分の意思がなかっただけ』ということですか」
それは、まるで独り言のようで。言葉は瑠既の耳に届かずに、空気に溶けていく。
ふと、重いため息がまたひとつ。ゆらりと大臣は瑠既に近づく。
瑠既は気配に気づいたかのように、顔を上げる。──その顔は、生気の抜けたもので。瑠既の顔を見た大臣は、手を振り上げていた。
弾けるような音。空間がパッカリと切り開いたかのように、声が響き渡る。
平手が、瑠既の頬を叩いていた。
「しっかりなさい! 幼いままの瑠既様は、私の中だけで充分です」
大臣の悔しそうな声。
フッと、瑠既は笑う。涙を拭い、立ち上がる。
大臣の言葉は『これから道を探せばいい』と伝わってきて、慰めのようだった。
瑠既は自室に戻ろうと長い廊下を歩く。大臣はしばらく一緒にいてくれるようだったが、
「少しひとりでゆっくりしたい」
と断った。間を開けて了承した大臣。その間は、心配だ。気持ちを押し殺し、了承してくれたと瑠既は人知れず感謝する。
自室に着いてぼんやり室内を見れば、沙稀といたときには気づかなかったことばかり。
ベッドが新しくなっている。それに、ソファーもテーブルも、小物まで。飾られていた幼いころの写真だけがそのままと言ってもいい。
まるで別人の部屋になった室内を歩き、そっとウォークインクローゼットを覗く。すると、洋服はもちろん、靴やベルトまで何不自由ないほど身につける物が揃っていた。
「はあ……」
大きなため息がもれると、瑠既は腰が砕けたようにその場に膝をつき、手までつく。
そういえば──と思い出すのは、昼食後のこと。まったく耳に入ってこなかったが、沙稀はこの部屋の状況を説明していたように思う。
「サイズはお前に合うようになっていると思うが、合わない物、不足の物があれば都度言ってくれ。俺でも大臣でも構わない」
ふいに思い出した言葉の一部。それに顔を上げて見渡せば、広い空間にポツンと置き去りにされた感覚が沸きあがり、
「はは……」
と、力ない笑いがこぼれる。
「冗談キツイぜ」
これが当然だった。こういう立場にいた。それを受け入れて、その生活にすぐになじめというのは無理がある。
フラフラと立ちあがる。結局、一切ウォークインクローゼットの中の物に手を振れず。ヨロヨロとベッドに座り、なだれ込むように倒れる。
「あ~あ。どうしたらいいんだか……なぁ」
体を預けるベッドも、客室のベッドと格が違うとわかる。客室のベッドが悪いというわけでは決してない。今横わっているベッドが最上級の品に近しいだけだ。
幼いころは世間知らずだった──そう思えば、そうだ。それだけのことかもしれない。しかし、それだけでは言い表せない感情が沸きあがる。
──母上がいたら『おかえり』と言って、抱き締めてくれるだろうか。
浮かんだ言葉を消すように、瑠既は声を出して大袈裟に笑った。
しばらくすると、
「夕食です」
と、大臣が呼びに来た。ついて行き、部屋に通されたが、そのまま大臣は着席する。
「え?」
「私と一緒では、お嫌ですか?」
「いや、そうじゃなくて……珍しいなと思って」
瑠既が記憶を辿っても、大臣と食をともにした記憶は出てこない。
「そうですね……さぁ、食べましょう」
なんとなく大臣に話を流された気がしたが、瑠既も席につく。
「いただきます」
瑠既が言うと、
「いただきます」
大臣は深々と言った。
瑠既がなんとなくぼんやりしていたせいか、大臣は料理に舌鼓を打っている。その様子に、瑠既は言葉に形容しがたい違和感を抱く。
「なんか……俺が気落ちしすぎないように、気を遣ってない?」
「私がですか? 気のせいですよ」
驚いたような、それでいて受け流すような。だからこそ、返せる言葉は限られる。
「そう……ならいいけど」
笑顔を返してくる大臣に、やはり瑠既は流されているような感覚が残る。いくら思考がまわらないとは言え、大臣にうまく流されるままでいるのも癪に障る。
結論は出ていないが、話題としてはいいと思ったのか、瑠既は本題を切り出す。
「沙稀のことだけどさ……なんとかなんねぇのかな」
「なんとか、とは?」
「本人は今で満足しているのかもしれねぇけど……俺は、本来あるべき立場に戻したい」
「方法は、あります」
妙にはやい返答に、瑠既は目を見開く。
瑠既は扉を叩く。
「叔さん!」
悲痛な声が響く。
そのまま扉にすがるように、膝を曲げていく。
静まる室内に、嗚咽だけが響く。
「瑠既様」
大臣がそっと声をかける。その呼びかけに、瑠既は自嘲するようにうっすらと笑う。
「様付けなんて……やめてくれ。俺は、そんなのが相応しい人間じゃない!」
悔しさを、歯がゆさをぶつけるように強く扉を叩く。脳裏には、綺で過ごした日々──叔と初めて出会ったときから、家族のように笑い合えた日々、体を心配された日々や気がかりをなくしてくると言った日などが次々に駆け巡る。
「叔さんはあんな人じゃないんだ……どうして、あんな……」
見捨てられたと言いたげな口調。
大臣は奥歯を噛む。瑠既の態度に、叔と親子のような関係を築いていたのだと、容易に想像できて。
「その理由は貴男が、よくおわかりになるはずでしょう?」
瑠既は無言で大臣を見上げる。困惑した表情を浮かべて。
「これから俺は、どこで……どう過ごせばいい?」
抜け殻のような声。
大臣は諭すように言う。
「お忘れですか? 鴻嫗城は、貴男の生家です。鴻嫗城にいるのが、鴻嫗城で過ごすのが、貴男の『正しい道』なのでは?」
大臣の言葉を受け、瑠既の視線は下がる。
「俺にはもう、そんな資格は……」
「ない、なんて貴男がどこで何があったとしても、私には言えません。私に言えることは『貴男』は、紛れもなく『瑠既様』であり、『紗如様のご子息』だということです」
存在を肯定するように、いつになく強く言う。そして、ため息をもらす。
「私の言うことに、帰ってきてから初めて従い正装をしたかと思えば……今の貴男には『自分の意思がなかっただけ』ということですか」
それは、まるで独り言のようで。言葉は瑠既の耳に届かずに、空気に溶けていく。
ふと、重いため息がまたひとつ。ゆらりと大臣は瑠既に近づく。
瑠既は気配に気づいたかのように、顔を上げる。──その顔は、生気の抜けたもので。瑠既の顔を見た大臣は、手を振り上げていた。
弾けるような音。空間がパッカリと切り開いたかのように、声が響き渡る。
平手が、瑠既の頬を叩いていた。
「しっかりなさい! 幼いままの瑠既様は、私の中だけで充分です」
大臣の悔しそうな声。
フッと、瑠既は笑う。涙を拭い、立ち上がる。
大臣の言葉は『これから道を探せばいい』と伝わってきて、慰めのようだった。
瑠既は自室に戻ろうと長い廊下を歩く。大臣はしばらく一緒にいてくれるようだったが、
「少しひとりでゆっくりしたい」
と断った。間を開けて了承した大臣。その間は、心配だ。気持ちを押し殺し、了承してくれたと瑠既は人知れず感謝する。
自室に着いてぼんやり室内を見れば、沙稀といたときには気づかなかったことばかり。
ベッドが新しくなっている。それに、ソファーもテーブルも、小物まで。飾られていた幼いころの写真だけがそのままと言ってもいい。
まるで別人の部屋になった室内を歩き、そっとウォークインクローゼットを覗く。すると、洋服はもちろん、靴やベルトまで何不自由ないほど身につける物が揃っていた。
「はあ……」
大きなため息がもれると、瑠既は腰が砕けたようにその場に膝をつき、手までつく。
そういえば──と思い出すのは、昼食後のこと。まったく耳に入ってこなかったが、沙稀はこの部屋の状況を説明していたように思う。
「サイズはお前に合うようになっていると思うが、合わない物、不足の物があれば都度言ってくれ。俺でも大臣でも構わない」
ふいに思い出した言葉の一部。それに顔を上げて見渡せば、広い空間にポツンと置き去りにされた感覚が沸きあがり、
「はは……」
と、力ない笑いがこぼれる。
「冗談キツイぜ」
これが当然だった。こういう立場にいた。それを受け入れて、その生活にすぐになじめというのは無理がある。
フラフラと立ちあがる。結局、一切ウォークインクローゼットの中の物に手を振れず。ヨロヨロとベッドに座り、なだれ込むように倒れる。
「あ~あ。どうしたらいいんだか……なぁ」
体を預けるベッドも、客室のベッドと格が違うとわかる。客室のベッドが悪いというわけでは決してない。今横わっているベッドが最上級の品に近しいだけだ。
幼いころは世間知らずだった──そう思えば、そうだ。それだけのことかもしれない。しかし、それだけでは言い表せない感情が沸きあがる。
──母上がいたら『おかえり』と言って、抱き締めてくれるだろうか。
浮かんだ言葉を消すように、瑠既は声を出して大袈裟に笑った。
しばらくすると、
「夕食です」
と、大臣が呼びに来た。ついて行き、部屋に通されたが、そのまま大臣は着席する。
「え?」
「私と一緒では、お嫌ですか?」
「いや、そうじゃなくて……珍しいなと思って」
瑠既が記憶を辿っても、大臣と食をともにした記憶は出てこない。
「そうですね……さぁ、食べましょう」
なんとなく大臣に話を流された気がしたが、瑠既も席につく。
「いただきます」
瑠既が言うと、
「いただきます」
大臣は深々と言った。
瑠既がなんとなくぼんやりしていたせいか、大臣は料理に舌鼓を打っている。その様子に、瑠既は言葉に形容しがたい違和感を抱く。
「なんか……俺が気落ちしすぎないように、気を遣ってない?」
「私がですか? 気のせいですよ」
驚いたような、それでいて受け流すような。だからこそ、返せる言葉は限られる。
「そう……ならいいけど」
笑顔を返してくる大臣に、やはり瑠既は流されているような感覚が残る。いくら思考がまわらないとは言え、大臣にうまく流されるままでいるのも癪に障る。
結論は出ていないが、話題としてはいいと思ったのか、瑠既は本題を切り出す。
「沙稀のことだけどさ……なんとかなんねぇのかな」
「なんとか、とは?」
「本人は今で満足しているのかもしれねぇけど……俺は、本来あるべき立場に戻したい」
「方法は、あります」
妙にはやい返答に、瑠既は目を見開く。
0
お気に入りに追加
38
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
【電子書籍発売に伴い作品引き上げ】私が妻でなくてもいいのでは?
キムラましゅろう
恋愛
夫には妻が二人いると言われている。
戸籍上の妻と仕事上の妻。
私は彼の姓を名乗り共に暮らす戸籍上の妻だけど、夫の側には常に仕事上の妻と呼ばれる女性副官がいた。
見合い結婚の私とは違い、副官である彼女は付き合いも長く多忙な夫と多くの時間を共有している。その胸に特別な恋情を抱いて。
一方私は新婚であるにも関わらず多忙な夫を支えながら節々で感じる女性副官のマウントと戦っていた。
だけどある時ふと思ってしまったのだ。
妻と揶揄される有能な女性が側にいるのなら、私が妻でなくてもいいのではないかと。
完全ご都合主義、ノーリアリティなお話です。
誤字脱字が罠のように点在します(断言)が、決して嫌がらせではございません(泣)
モヤモヤ案件ものですが、作者は元サヤ(大きな概念で)ハピエン作家です。
アンチ元サヤの方はそっ閉じをオススメいたします。
あとは自己責任でどうぞ♡
小説家になろうさんにも時差投稿します。

ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
女性が全く生まれない世界とか嘘ですよね?
青海 兎稀
恋愛
ただの一般人である主人公・ユヅキは、知らぬうちに全く知らない街の中にいた。ここがどこだかも分からず、ただ当てもなく歩いていた時、誰かにぶつかってしまい、そのまま意識を失う。
そして、意識を取り戻し、助けてくれたイケメンにこの世界には全く女性がいないことを知らされる。
そんなユヅキの逆ハーレムのお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる