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王位継承──前編
【36】言いたかった言葉(2)
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妙なやきもちをやいて気を引きたいのかと思い、瑠既はつい、笑ってしまう。
「それはなに? 俺の気持ちを理解してて、そんなの言ってんの?」
返事はない。
しかし、瑠既には、倭穏の表情を見なくても容易に想像できる。
今までも倭穏は、妙にヤキモチをやくことがあった。それは、彼女の自信のなさによるもの。自分に自信がないという気持ちは、瑠既にはよく理解できる。
鴻嫗城を出てからというもの、ロクな経験はない。長い間、同性とも異性とも、何十人もの相手をさせられ、学びからは遠のき、学力と呼べる程度のものもない。綺に来てから居場所ができたと思っていても、叔に出て行けと言われたら、それさえも失う。
そう思えば、倭穏の劣等感などちいさいものだと言いたくもなるが、大小を決めるのは本人だ。
だから、嫉妬をされるとうれしくなってしまう。変にヤキモチをやく倭穏はかわいくて仕方ない。
「ほら、こっち向きな」
瑠既の思った通り、倭穏は子どもがグズるような顔をしていた。予想通りの反応に、瑠既の頬はゆるむ。
──まったく。
不思議だった。こんなに安心して、まるで自分ではないかのように穏やかな気持ちになれる。こんな気持ちになれるのは、倭穏といるときだけだ。
「俺は、お前を愛してる。知ってるだろ? わかってるだろ? 俺が倭穏をここに連れてきたくなかったのは今みたいに、こんな風にお前が感じたら嫌と思ったからだ。俺はね、ずっとお前と結婚したくて、その了承を得るためにここに来たんだよ」
いつになく、素直に言えた言葉。やっと言えた、言いたかった言葉。
本当は、この先も出生を伝える気はなかった。だが、もし、結婚してから出生の話になったら。正式に鴻嫗城から出ていれば、笑い話として話せるときがくるかもしれないと思っていた。
沙稀の王位継承が終われば──いや、本人にその意思がなく、例え現状のままだとしても。沙稀の件のあとに今後の話を大臣とすれば、それで済む。例え、沙稀を正規の立場に戻せなかったとしても、わざわざきたことは無意味ではない。本人の意志を無視して、強制するつもりは元々ないし、本人の意志が確認できたのなら、それで充分だ。
目の前の倭穏は、大きく見開いた瞳に涙をためている。
「安心した?」
頬がゆるんだまま瑠既は問う。すると、倭穏はハッとし、口を大きく開く。
「そ、そんなこと……瑠既が考えてるだなんて、一度も聞いたことないわよ」
「俺だって、こんな風に言うなんて……思ってもなかったよ。プロポーズする前に、こんな話するなんてさ。格好のひとつもつきやしない。……だから、ほら。安心したなら忘れちゃいなさい」
「嫌よ、もったいない」
強い口調に、瑠既は恥ずかしさがこみ上げる。珍しく、顔が熱くなる。
倭穏は瑠既の気持ちを知っても照れるでも、驚くでもなかった。ただ、うれしいとも言わなかったが、倭穏の想いは伝わってくる。
「帰ったら、きちんと言ってあげるから」
そろそろ恥ずかしさの限界だ。
「ね」
念押しの一言。
これには周囲に花が咲くほど、倭穏は喜んだ。満足そうに笑う。
「仕方ないなぁ。じゃ、忘れられなくても。忘れたフリしててあげるわよ」
その笑顔は、まるでウエディングドレスを着ているかのようだった。
瑠既が目を覚ますと、倭穏は目の前で横たわっていた。頬に冷たいものを感じる。──涙だ。
涙を拭い、そっと、倭穏の頬に触れる。やさしくなで、頬を滑らせる。人差し指の側面で顎をすこし持ち上げ、親指でかすかに唇に触れる。
顔を近づける。息を吹き込むように──いや、普段と変わらぬように唇を重ねる。
──愛している。
幼いころに、深く教え込まれた行為の意味を、瑠既は忘れはしない。愛しさを伝える、重大な行為。
だからこそ、口づけは鴻嫗城にとって正式な婚約が成立する行為でもある。愛しい人にだけ、捧げる行い。
祖母に教え込まれたこの仕来りを、瑠既は幼いながらに夢見ていた。おとぎ話のように、キラキラとしたものだった。憧れだった。なんてロマンチックで胸が幸せになるのだろうと。憧れ、夢見て、幸せをつかもうとしたからこそ、『家族の前で』という条件もきっちり含むよう実行した。『懐迂』が清い体と認めるのは、婚約のときの、ただ一度だけの口づけだから──。
『懐迂』のことを諦めてからも、忘れたことはない。だからこそ、苦しみ続けてきた。
想いを言葉にしなくても、伝わればいいといつも思いながら倭穏にはしてきた。そうして、いつも伝っていると思えるような反応を、倭穏は返してくれていた。
しかし、今は。
ただ、静かに。
なにも反応がないことに、現実と夢が交錯する。浸み込んでくるように感じる、眼球の潤い。
ゆっくりと唇を離す。再び、倭穏の頬に触れる。そっと触れる手は、確かに残っている倭穏の体温を伝えてくる。
「なぁ、起きろよ。もう……そんな風に俺の気を引くような素振りを続けなくていいんだよ、なぁ……。一緒にはやく帰ろうぜ。帰って、泌稜《ヒイズ》の丘に行って、また馬鹿みたいにふざけあってさ……プロポーズして、お前の照れる顔見てさ、ウエディングドレス着てはしゃぐ姿見てさ、叔さん男泣きさせてさ……」
徐々に詰まる声を抑えるように、倭穏の手に自らの手を重ねる。その手は、消えていく声の変わりに力を増していった。
「それはなに? 俺の気持ちを理解してて、そんなの言ってんの?」
返事はない。
しかし、瑠既には、倭穏の表情を見なくても容易に想像できる。
今までも倭穏は、妙にヤキモチをやくことがあった。それは、彼女の自信のなさによるもの。自分に自信がないという気持ちは、瑠既にはよく理解できる。
鴻嫗城を出てからというもの、ロクな経験はない。長い間、同性とも異性とも、何十人もの相手をさせられ、学びからは遠のき、学力と呼べる程度のものもない。綺に来てから居場所ができたと思っていても、叔に出て行けと言われたら、それさえも失う。
そう思えば、倭穏の劣等感などちいさいものだと言いたくもなるが、大小を決めるのは本人だ。
だから、嫉妬をされるとうれしくなってしまう。変にヤキモチをやく倭穏はかわいくて仕方ない。
「ほら、こっち向きな」
瑠既の思った通り、倭穏は子どもがグズるような顔をしていた。予想通りの反応に、瑠既の頬はゆるむ。
──まったく。
不思議だった。こんなに安心して、まるで自分ではないかのように穏やかな気持ちになれる。こんな気持ちになれるのは、倭穏といるときだけだ。
「俺は、お前を愛してる。知ってるだろ? わかってるだろ? 俺が倭穏をここに連れてきたくなかったのは今みたいに、こんな風にお前が感じたら嫌と思ったからだ。俺はね、ずっとお前と結婚したくて、その了承を得るためにここに来たんだよ」
いつになく、素直に言えた言葉。やっと言えた、言いたかった言葉。
本当は、この先も出生を伝える気はなかった。だが、もし、結婚してから出生の話になったら。正式に鴻嫗城から出ていれば、笑い話として話せるときがくるかもしれないと思っていた。
沙稀の王位継承が終われば──いや、本人にその意思がなく、例え現状のままだとしても。沙稀の件のあとに今後の話を大臣とすれば、それで済む。例え、沙稀を正規の立場に戻せなかったとしても、わざわざきたことは無意味ではない。本人の意志を無視して、強制するつもりは元々ないし、本人の意志が確認できたのなら、それで充分だ。
目の前の倭穏は、大きく見開いた瞳に涙をためている。
「安心した?」
頬がゆるんだまま瑠既は問う。すると、倭穏はハッとし、口を大きく開く。
「そ、そんなこと……瑠既が考えてるだなんて、一度も聞いたことないわよ」
「俺だって、こんな風に言うなんて……思ってもなかったよ。プロポーズする前に、こんな話するなんてさ。格好のひとつもつきやしない。……だから、ほら。安心したなら忘れちゃいなさい」
「嫌よ、もったいない」
強い口調に、瑠既は恥ずかしさがこみ上げる。珍しく、顔が熱くなる。
倭穏は瑠既の気持ちを知っても照れるでも、驚くでもなかった。ただ、うれしいとも言わなかったが、倭穏の想いは伝わってくる。
「帰ったら、きちんと言ってあげるから」
そろそろ恥ずかしさの限界だ。
「ね」
念押しの一言。
これには周囲に花が咲くほど、倭穏は喜んだ。満足そうに笑う。
「仕方ないなぁ。じゃ、忘れられなくても。忘れたフリしててあげるわよ」
その笑顔は、まるでウエディングドレスを着ているかのようだった。
瑠既が目を覚ますと、倭穏は目の前で横たわっていた。頬に冷たいものを感じる。──涙だ。
涙を拭い、そっと、倭穏の頬に触れる。やさしくなで、頬を滑らせる。人差し指の側面で顎をすこし持ち上げ、親指でかすかに唇に触れる。
顔を近づける。息を吹き込むように──いや、普段と変わらぬように唇を重ねる。
──愛している。
幼いころに、深く教え込まれた行為の意味を、瑠既は忘れはしない。愛しさを伝える、重大な行為。
だからこそ、口づけは鴻嫗城にとって正式な婚約が成立する行為でもある。愛しい人にだけ、捧げる行い。
祖母に教え込まれたこの仕来りを、瑠既は幼いながらに夢見ていた。おとぎ話のように、キラキラとしたものだった。憧れだった。なんてロマンチックで胸が幸せになるのだろうと。憧れ、夢見て、幸せをつかもうとしたからこそ、『家族の前で』という条件もきっちり含むよう実行した。『懐迂』が清い体と認めるのは、婚約のときの、ただ一度だけの口づけだから──。
『懐迂』のことを諦めてからも、忘れたことはない。だからこそ、苦しみ続けてきた。
想いを言葉にしなくても、伝わればいいといつも思いながら倭穏にはしてきた。そうして、いつも伝っていると思えるような反応を、倭穏は返してくれていた。
しかし、今は。
ただ、静かに。
なにも反応がないことに、現実と夢が交錯する。浸み込んでくるように感じる、眼球の潤い。
ゆっくりと唇を離す。再び、倭穏の頬に触れる。そっと触れる手は、確かに残っている倭穏の体温を伝えてくる。
「なぁ、起きろよ。もう……そんな風に俺の気を引くような素振りを続けなくていいんだよ、なぁ……。一緒にはやく帰ろうぜ。帰って、泌稜《ヒイズ》の丘に行って、また馬鹿みたいにふざけあってさ……プロポーズして、お前の照れる顔見てさ、ウエディングドレス着てはしゃぐ姿見てさ、叔さん男泣きさせてさ……」
徐々に詰まる声を抑えるように、倭穏の手に自らの手を重ねる。その手は、消えていく声の変わりに力を増していった。
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