完結まで5話【女神回収プログラム ~三回転生したその先に~】姫の側近の剣士の、決して口外できない秘密は

呂兎来 弥欷助(呂彪 弥欷助)

文字の大きさ
上 下
27 / 383
譲れないもの

【16】あの日(2)

しおりを挟む
 何秒が経ったのだろう。男はしばらく立ち止まっていたが、周囲を見渡し、首を傾げた。男は何もなかったかのように再び歩き始めていく。
 まったく生きた心地がしなかった。細い息が、長くもれる。
 男の姿が見えなくなっても、瑠既リュウキはしばらく動けなかった。指がわずかに動いて、ようやく大きく息を吸う。

 少し経ち、瑠既リュウキは行こうと思っていた方向にやっと歩き始め、なんとなく、男はどこへ行くのかと考えた──瞬時、血の気が引いた。男の歩いて行った道は、瑠既リュウキの部屋へと続く道だった。
 弟を捜し回って城内をあちこち歩いていなければ、男と鉢合わせしていた可能性は高い。いや、もしかしたら、瑠既リュウキの部屋に来ていたかもしれない。
 恐怖に涙が出そうになる。
「はやく……会いたい」
 弟に会えば、大丈夫。そう言い聞かせる。体の弱い瑠既リュウキを庇ってか、弟は三歳のころから剣を習っていた。その姿は、父の背を追うようにも見えた。
 自分とさほど背格好が変わらないのに、なぜか大きく見えた弟の背中。

 ふと、男が歩いてきた方向の先に、『弟がいる』──なぜか、瑠既リュウキはそんな気がした。

 男が歩いてきただろう道を辿ると、地下へと続いていた。地下には実験施設や装置がある。瑠既リュウキは普段、あまり来ない場所だ。
 空気が徐々に冷たい風に変わる。橙の光が揺れ、静かに歩く足音が響く。
「はぁはぁはぁ……」
 過呼吸気味に息が乱れているのを感じ、壁に手をつく。胸を抑え、呼吸を整える。これは、瑠既リュウキにとってはだ。
 苦しさのあまり俯き、目をつぶる。呼吸が整い始めると、つぶった目をうっすらと開けた。──そのとき、眩しい光を目にした。
 その光はひとつのドアの前でこぼれ、廊下に広がっていた。ドアの前に視線を移すと、そのドアは少しだけ開いている。
 導かれるように、フラリと光へ向かっていく。

 ドアを覗くと、ふしぎと人の気配はなかった。だが、瑠既リュウキは足を止めない。
「いる」
 弟がいると、妙な確信があった。一足、また一足と部屋へ入っていく。
 部屋に入るにつれて、冷たい空気がどこからか流れ込んできた。どうやらここは、研究施設で使うものを保管する場所のようだ。見上げると、薬品や液体などが陳列され、冷やされている。
 キョロキョロと見渡していた瑠既リュウキが、何気なく視線を下げる。そこには、大きな冷凍室があり、妙に目についた。

 冷たい冷気が視線の先から流れてくる。

 ジッと一点を見ていた瑠既リュウキだったが、ふと我に返る。
「こんなところまで、いつの間に……」
 普段は近寄らないこの部屋の、ずいぶん奥深くまで入ってきてしまっていた。
「ここにいると思ったのは、勘違いだ」
 言い聞かせるように言って、部屋を出ようと思ったときだった。何かが視界に入った。目を疑いながら振り返ると──そこに弟はいた。

 信じられなかった。夢であってほしかった。夢なら、目覚めてほしかった。
 視線が止まったのは、冷凍室に入っている大きなクリアケ─ス。それを見て、瑠既リュウキの目の前は一瞬で真っ白になった。

 声にならぬ声。もはやそれは、うめき声だ。
 涙は滲んで、流れた。
 両手を冷凍室につける。ひんやりと冷たい感覚を両手で感じながら、信じられぬ光景をジッと見つめる。冷凍室の大きなクリアケ─スの中で、ただ静かに横たわっていた姿を。
「なんで……こんな……」
 言葉を忘れてしまったかのように、瑠既リュウキは途切れ途切れに呟いた。
 横たわっているのは、双子の弟だった。クロッカスの長い、長い髪の──瑠既リュウキと同じ色、長さの髪を持つ双子の弟の姿。いつも腰につけている剣は、ない。恐らくこの中に入る前も、今のように眠っていたのだろう。弟は眠るときだけ腰から剣を外していた。
 視界に弟を映して、寒気に襲われた。途端に体の芯が寒くなっていく。力が抜けて、しゃがみ込む。
 震え、すっかり冷えてしまった両手で己の体を包むように抱く。
 目覚めたときの、体の違和感の正体がわかった。弟の感覚は双子ゆえに伝わってきたのだと。

瑠既リュウキ!』

 夢で聞こえたあの声は、確かに弟が助けを求め、叫んだものだ。窮地に追い込まれ、弟は頼りにならないこの兄を呼んでくれていた。それなのに、助けられなかったと奥歯を噛む。
「……ぃ」
 悔しいなんてものではない。情けないどころではない。ごめんと謝っても、すまされない。懺悔と後悔が募るが、それらはどれも言葉にはならなかった。
 瑠既リュウキは弟に手を伸ばす。
 どんなときも支えてくれていたのに、助けてくれたのに、何もできない。どうしたらいいのかも、わからない。弟に申し訳なくて、様々な想いで胸がいっぱいになる。
 弟はやさしかった。その分、瑠既リュウキがわがままを言えたり、母に甘えられたりした。弟の方が兄のようで、瑠既リュウキはうれしかった。そのくらい、甘えん坊だった。
 弟のいる空間は居心地がよく、安心できた。──それなのに今は。弟が目の前にいるのに、まったく違う。弟は遠くに離れてしまっているかのようだ。いつも一緒の弟と、離れる日が来るなど想像したこともない。

 うずくまって泣いた。恐怖も忘れて。泣いて泣いて、ようやく弟のためにできることは何かと考えた。
「助けたい」
 気持ちはそれだけだった。ただ、どうしたら助けられるのかはわからなかった。ひとりでは、何もできない。
 誰かに助けを求めなければ。──しかし、と、答えは出ない。少なくとも、あの男には助けを求められない。
 それならば、ここを出るしかない。ここを出れば、すぐ近くに婚約者の幼なじみがいる。その両親だって、きっと力を貸してくれる。
 ──ここを出よう。
 ただ、問題があった。もし、弟をこのようにしたのが、あの男だったなら。正門から出るのは危険だ。──正門から出られないのであれば、もうひとつ出入口を使うしかない。ここには、限られた人しか知らない裏門がある。
 瑠既リュウキは何とか立ちあがる。
「俺が助けなきゃ」
 重く冷えた体で、瑠既リュウキは歩き始めた。



 何とか瑠既リュウキは裏門に着いた。だが、体力は限界に近い。うな垂れたように歩いていると、声が聞こえた。
瑠既リュウキ様!」
 顔を上げると、三十代前半の男がいた。瞳が瑠既リュウキたちよりも桃色がかっている紫。長く、ひとつにまとまった髪は瞳よりも薄い色をしている。一週間前までここにいた、双子の教育係の大臣だ。
 大臣がここを不在にしたのは、噂が原因だ。涼舞リャクブ城が攻め込まれたという噂。その確認と、事実なら援護のために、大臣はしばらく留守にしていた。
 涼舞リャクブ城は双子の父の生家だというが、瑠既リュウキも弟も行ったことはない。──それは父の死が関係している。父は双子が生まれる前に、他界していた。双子の生家であるここ──鴻嫗トキウ城で、汚名を着せられて。
 大臣がすぐに帰城しなかったのは、涼舞リャクブ城は噂通り攻められていたということだ。大臣が援護をしていたお蔭か、体制は優勢になったという噂を双子は耳にしていた。だからこそ、弟は大丈夫だと言ったのだろう。そろそろ、大臣が戻ってくるはずだと思って。双子が生まれたときから、教育係としてそばにいた大臣。双子の信頼は厚い。
 その大臣を目の前にして、瑠既リュウキは安堵した。
「……っ、大臣っ」
 声にならぬ声で求め、泣いた。大臣は駆け寄り、抱き締める。
「申し訳ありません。貴男たちのもとから、離れるべきではありませんでした」
 寝間着で裸足のままの瑠既リュウキを見て、何かが城内で起こっていると大臣は察知した。顔をしかめる。いつも一緒にいる双子が、片方しかいない。しかも、決してひとりで外を出歩くようなことがない瑠既リュウキが、ぼろぼろの状態で裏門にいた。どんな思いでここまでひとりで歩いてきたのかを想像するだけで、大臣の胸は詰まる。
 尚且つ、いない双子の弟の万一を想像するだけで──大臣は激しい後悔に襲われていた。
「……が、沙稀イサキが!」
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

冤罪だと誰も信じてくれず追い詰められた僕、濡れ衣が明るみになったけど今更仲直りなんてできない

一本橋
恋愛
女子の体操着を盗んだという身に覚えのない罪を着せられ、僕は皆の信頼を失った。 クラスメイトからは日常的に罵倒を浴びせられ、向けられるのは蔑みの目。 さらに、信じていた初恋だった女友達でさえ僕を見限った。 両親からは拒絶され、姉からもいないものと扱われる日々。 ……だが、転機は訪れる。冤罪だった事が明かになったのだ。 それを機に、今まで僕を蔑ろに扱った人達から次々と謝罪の声が。 皆は僕と関係を戻したいみたいだけど、今更仲直りなんてできない。 ※小説家になろう、カクヨムと同時に投稿しています。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

番から逃げる事にしました

みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。 前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。 彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。 ❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。 ❋独自設定有りです。 ❋他視点の話もあります。 ❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

処理中です...