上 下
278 / 374
『第二部【後半】幻想と真実』 未来と過去に向かって

【9】数日間の意味

しおりを挟む
 夕刻になり、姉の連れて来た人物は先に戻って行った。
 姉は珍しく数日このまま鴻嫗トキウ城にいるらしい。颯唏サツキはよく考えもせず、
「久し振りに姉上と何日もまだいられるなんて、うれしいです」
 と、頬をやわらかくした。

 そうして、再び庾月ユツキが『出かける』と聞いていた日を迎える。
 けれど、『今度の帰城の予定はない』と大臣から聞き、颯唏サツキの顔色が変わった。慌てて庾月ユツキのもとへと駆けつけ、困らせるように服を引っ張る。
「姉上、行かないで下さい!」
 颯唏サツキは必死だ。
 ルイ凰玖オウキに慌てて礼をした庾月ユツキは、宮城研究施設から出て、ぐずる颯唏サツキを中庭へと連れて行く。その間も、颯唏サツキは叫んだ。
「姉上は、鴻嫗城ココの跡継ぎです。どうして行かれるのですか」
 煌めく光を全身で浴びながら必死に叫ぶ颯唏サツキ庾月ユツキは向き合う。颯唏サツキの視線と合わせるようにしゃがみ、慰めるようにやさしく頭をなでた。
「私は鴻嫗城ココの責務を放棄するわけではないの。でもね、彼もそれは同じ。だから、あなたが鴻嫗城ココにいてくれる間だけ、私があなたに甘えるのよ、颯唏サツキ
 颯唏サツキには、意味がわからない。ただ込み上げてくる涙を感情のままに落とす。
「必ず私は鴻嫗城ココに帰ってくるわ」
「本当ですか?」
「ええ、約束」
 不安そうな弟に姉は微笑む。
「私が約束を破ったことがある?」
 安堵を与えるやさしい声。
 姉の笑顔が眩しく、颯唏サツキは目が眩みそうになる。流れる涙を堪えようと颯唏サツキは視線を伏せた。
「いいえ」
 まだまだ颯唏サツキは幼い。けれど、姉は頼もしそうに颯唏サツキを眺め、にこやかに笑った。



 その夜、颯唏サツキは大臣の部屋を訪れた。
 今にも泣きそうな幼い姿に大臣は悲しく微笑む。颯唏サツキをやさしく部屋の中へと入れ、ホットミルクを入れてテーブルへと置く。
「どうしましたか? 眠れないのですか」
 大臣の柔らかな声に対し、颯唏サツキの拗ねるような小声がもれる。
「姉上……どうして結婚しちゃうの?」
庾月ユツキ様がご結婚なさるのは、不思議でも何でもないでしょう?」
『そうだけど』と消えそうな声がもれ、伏せていた顔をグッと上げる。
「でも、お嫁に行っちゃうんでしょう?」
 駄々をこねる幼子に、大臣の口元がふとゆるむ。
リュウ様も、アヤにとっては大切な跡取りということです。しかし、庾月ユツキ様が完全にお嫁に行かれる……というわけではありません」
「どういうこと?」
 幼い声に、大臣は眉を下げた。
「期限つきなのです。由緒正しい鴻嫗トキウ城が、正統な継承者を簡単に手放すなんてこと、あり得ません」
 大臣は安心させるかのように笑っている。
『期限』――とはいつだろうと颯唏サツキは思ったが、『いずれ姉が戻って来るのであればいい』と思えた。
「貴男のお父様は、貴男の年齢のころには、すでに自立されていましたよ」
 颯唏サツキは大臣の言葉にムッとする。
「知らないよっ! 父様なんて……父様なんてっ、俺にはいないも同然だもん」
 涙を必死に耐え、涙を拭う。
 大臣はそんな颯唏サツキの様子に沙稀イサキを重ねる。
「貴男のお父様も、そう言いたいときがあったのかもしれませんね」
 ポツリ、と雫が落ちた。
 涙を落としたのは大臣の方で、颯唏サツキは驚く。
颯唏サツキ様のお父様は、もっとちいさなころから素直には……何事も我慢をして言わない子どもでした。今の貴男を見たら、素直に成長されていることを、喜ばれるかもしれません」
「大臣?」
 颯唏サツキの困惑を感じ取ったのか、大臣はサッと涙を拭う。
「けれど私は、貴男が沙稀イサキ様を軽視される発言をなさるのは、許しませんよ」
 大臣はそう言いながら微笑む。まるで、颯唏サツキの成長を見守れることをうれしそうに。


 その後、自室に戻った颯唏サツキは、ベッドの中で大臣の言っていたことが頭から離れなかった。
「期限……」
 姉が戻って来るときは、いつなのか。はやくその日が来るといいと、ぼんやり思う。
 答えの出ない問いを前に、颯唏サツキはあたたかい思いに包まれ眠りに落ちた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

【完結】え、別れましょう?

須木 水夏
恋愛
「実は他に好きな人が出来て」 「は?え?別れましょう?」 何言ってんだこいつ、とアリエットは目を瞬かせながらも。まあこちらも好きな訳では無いし都合がいいわ、と長年の婚約者(腐れ縁)だったディオルにお別れを申し出た。  ところがその出来事の裏側にはある双子が絡んでいて…?  だる絡みをしてくる美しい双子の兄妹(?)と、のんびりかつ冷静なアリエットのお話。   ※毎度ですが空想であり、架空のお話です。史実に全く関係ありません。 ヨーロッパの雰囲気出してますが、別物です。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

完結 若い愛人がいる?それは良かったです。

音爽(ネソウ)
恋愛
妻が余命宣告を受けた、愛人を抱える夫は小躍りするのだが……

皇太子の子を妊娠した悪役令嬢は逃げることにした

葉柚
恋愛
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢のレイチェルは幸せいっぱいに暮らしていました。 でも、妊娠を切っ掛けに前世の記憶がよみがえり、悪役令嬢だということに気づいたレイチェルは皇太子の前から逃げ出すことにしました。 本編完結済みです。時々番外編を追加します。

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

【完結】側妃は愛されるのをやめました

なか
恋愛
「君ではなく、彼女を正妃とする」  私は、貴方のためにこの国へと貢献してきた自負がある。  なのに……彼は。 「だが僕は、ラテシアを見捨てはしない。これから君には側妃になってもらうよ」  私のため。  そんな建前で……側妃へと下げる宣言をするのだ。    このような侮辱、恥を受けてなお……正妃を求めて抗議するか?  否。  そのような恥を晒す気は無い。 「承知いたしました。セリム陛下……私は側妃を受け入れます」  側妃を受けいれた私は、呼吸を挟まずに言葉を続ける。  今しがた決めた、たった一つの決意を込めて。 「ですが陛下。私はもう貴方を支える気はありません」  これから私は、『捨てられた妃』という汚名でなく、彼を『捨てた妃』となるために。  華々しく、私の人生を謳歌しよう。  全ては、廃妃となるために。    ◇◇◇  設定はゆるめです。  読んでくださると嬉しいです!

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

処理中です...