完結確約【女神回収プログラム ～三回転生したその先に～】姫の側近の剣士の、決して口外できない秘密は

『第二部【後半】幻想と真実』 未来と過去に向かって

★【６】猶予（１）

　あたたかい日差しが舞い、多くの花々が咲いて爽やかな風が吹くころ、颯唏サツキは七歳になった。公務で姉が忙しく寂しいからか、度々いたずらをする。
　被害者は大臣だ。些細なことばかりだが、積み重ねは心身ともに堪えているのだろう。大臣は辟易としていた。

　そんなある日のこと。
　大臣は気を落ち着かせ今日こそは業務に集中しようと、ふうと一息しあたたかい紅茶を一口。書類を捲り確認する。
　捲る手がビクリとして止まった。その揺れで、思わずカップを落としそうになる。
　書類の間から、大きな何かが見えた。瞬時、身を引く。
　ムカデだ。
　大臣は虫の類が苦手でなわけではない。だが、室内ということ、それに書類の間からということで、純粋に驚いただけ。
　女性たちが出くわしたり、封筒の中に紛れたりせずによかったと大臣は冷静にカップを置く。そうして、外に逃がそうかとムカデの乗る書類を持ち上げようとし、違和感を覚えた。

　動かない。まったく。

　訝しげに大臣はムカデをよく観察する。そして、作り物だと気づく。──いたずらだ。犯人は考えるまでもない。
　大臣は席を立ち職場を離れ、その姿を探す。いる場所の検討をつけるのは容易だ。中庭の一定の場所からなら、大臣の職場は覗ける。
「颯唏サツキ様！」
　案の定、颯唏サツキは中庭から出てきたようだった。
　クロッカスの一本に結わかれた長い髪が、小動物が身の危険を感じたときのように、ふわっと浮く。大臣の姿を見た颯唏サツキは一瞬身を縮め、一目散に駆け出す。ちいさい体が大臣のとなりで屈み、すり抜けて行く。
「颯唏サツキ様、お待ちなさい！」
　大臣は息巻く。
　瑠既リュウキや沙稀イサキがちいさかった、三十代のころのようにはいかない。尤も、ふたりとも、それに恭良ユキヅキも、こんな悪さをするような子どもではなかった。
　老体に鞭を打ち、幼子を追いかける。今日こそはしっかりと仕置きをしなければと、大臣も必死だ。
「いやだよ～ん」
　一方の颯唏サツキは、まるで鬼ごっこを楽しむかのように軽快に走る。

　傍から見れば、実に平穏で微笑ましい。──そう言うかのような、おだやかな笑みを浮かべる女性がひとり、ふらりと現れる。

「颯唏サツキ」
　春のひだまりかのような、あたたかい声──颯唏サツキは意識を取られ、ピタリと止まる。視線を上げるとそこには母、恭良ユキヅキがいた。
「母上っ！」
　会えた喜びに声を弾ませ、颯唏サツキは母に抱きつく。
「恭良ユキヅキ様」
　大臣は息を整えながら何とか名を呼ぶ。
　何をしていたかなど疑問に思っていないのか、恭良ユキヅキはやわらかい笑みを浮かべた。
「ちょうどよかったわ。大臣に話があったの」

　続く言葉に、大臣も颯唏サツキも目を丸くする。
「なぜ……ですか？」
　颯唏サツキが思わず母に問う。
「あら、どうして？　私、おかしいことでも言ったかしら？」
　大臣に首を傾げる恭良ユキヅキは本心を言っているようで、
「いいえ……。かしこまりました」
　と、大臣は返答するしかなかった。

　その夜、大臣は瑠既リュウキを鴻嫗トキウ城に呼び、大臣の部屋で庾月ユツキに説明を求めた。
　恭良ユキヅキの発言から大臣にしがみついてきた颯唏サツキについては、『これからは、いたずらをしない』という約束つきで同席も認められた。
　一番奥に庾月ユツキ、となりには颯唏サツキ。向かいに大臣、庾月ユツキと向かい合って座るのは瑠既リュウキだ。

　すっと、春とは思えない涼しい風が室内を通り過ぎる。

「鴻嫗城ココを出て行くとは……どういうことだ？」
　誰も口を開こうとしない中、瑠既リュウキが口火を切る。
　庾月ユツキは言いにくそうに口を開いた。
「ずっと……一緒にいたいと思う人に出会ったんです。でも、その人は……その人には家の事情があって……」
「実家を出られない、それはお前も同じだろ？」
「だから認めて頂けるよう……私も、彼の仕事の大変さをわかることができるように……そうなりたいと思ってお母様に話したんです！　お母様は私に猶予を下さいました。『鴻嫗城ココの姫はまだ私だから』と。それとも、伯父様は……私に『諦めろ』と仰るのですか？」
　瑠既リュウキは盛大にため息を吐く。
「あの頭のイカレたヤツの承諾を取ったからって、それでいいと『鴻嫗トキウ城』が認めると思うのか？」
「瑠既リュウキ様、お言葉が過ぎます」
　大臣の抑制に瑠既リュウキ様は明らかに怪訝な態度をし、今度は鼻で笑う。
「俺は『長兄』だから呼ばれたんだと思ったんだが……。ま、鴻嫗城ココを出て行った人間だもんなあ？」
「そうは言っておりません。私が瑠既リュウキ様をお呼びして同席を願ったのは、前者だからです」
　機嫌の天秤を大臣が器用に調整しようとしているところへ、当事者の庾月ユツキが意を決して言う。
「伯父様の、仰る通りです」
　すっと、この場にいる者たちの表情が変化する。
　それでも庾月ユツキは、凛とし主張する。
「私は茶番をしたの。建前を取っただけ……『鴻嫗トキウ城のために』、よくわかるわ。私もそう思って行動してきたもの。……でも、お父様なら何て言ってくれたかしらと考えてしまったの。だからよ。だから、私は……」
「沙稀イサキだったら……ねぇ……」
　ちいさく消えていく庾月ユツキの声に、瑠既リュウキは観念するように言う。
「はっ、ズリぃな。そう言われたら俺、何にも言えねぇや」
　大臣が目を見開き瑠既リュウキをまじまじと見る。それはそうだ。瑠既リュウキが白旗を上げたら、庾月ユツキを止められる者はもういない。
　瑠既リュウキは沙稀イサキがいたころのように、口角を上げる。
「『猶予』まで、なんだろ？　肝据えてここまで仕立てたんだ。その惚れた男ガッチリ捕まえて、逃がさずいつかちゃんと鴻嫗城ココに連れて来いよ？」
『沙稀イサキだったら』何と言ったか、瑠既リュウキにも大臣にもさっぱり見当はつかない。あの沙稀イサキだ。『鴻嫗トキウ城のために』と何でも優先にしそうだが、あくまでもそれは沙稀イサキ自身に対することなら、だ。対、恭良ユキヅキや対、庾月ユツキなら、どうしただろう。しかし、想像ができない以上、想像した庾月ユツキが勝る。
　もう、庾月ユツキの意見に賛同する沙稀イサキしか、瑠既リュウキも大臣も想像がつかない。
「はい。ありがとうございます。伯父様」
　笑顔の庾月ユツキに瑠既リュウキも大臣も苦笑いだ。
「礼なら、沙稀イサキに言え」
　瑠既リュウキは立ち会がり、早々に出て行こうとする。すると、庾月ユツキは明日、出発前に鐙鷃トウアン城へ寄ると告げた。


　翌朝、庾月ユツキは凰玖オウキと誄ルイに悪いと詫びる。ようやくひとりで宮城研究施設を持ちこたえられるようになったのに、と。
　誄ルイは庾月ユツキの背を押すように首を横に振る。
　凰玖オウキも誄ルイの姿を見て、頑張ってと激励をする。庾月ユツキはじんわりと瞳に涙を溜め、ふたりに抱きつき、母子、姉妹のような別れをした。

　そんなあたたかい雰囲気から離れ、ひとり気落ちしたのは轢レキ。生まれたときが一番近く、家族以外では庾月ユツキと一番一緒にいたはずだった。
　家族以外の異性で唯一『庾月ユツキ』と呼び捨てで呼べる存在のはずだった。

　瑠既リュウキは『やっぱり初恋は叶わなかったか』と、声をかけずに見守る。こればかりは、庾月ユツキの意思が最優先だ。意思は、定まっている。変えられようはない。

「庾月ユツキ様、そろそろ」
　羅凍ラトウが控えめに呼ぶ。
　誄ルイが離れ、庾月ユツキが力を抜き、凰玖オウキが名残惜しそうに離れる。
　長女の黎レイと次女の彩綺サイキも駆け寄り、姉妹のように激励の言葉をかける。涙をふき、庾月ユツキは『またね』と『いつか』の再会を約束する。

　轢レキは庾月ユツキに近づこうとしない。
　庾月ユツキはその様子に気づき、悲しそうに微笑んで手を振った。

　無反応に近い轢レキに視線を伏せ、羅凍ラトウに声をかけ、出入口で深く礼をして庾月ユツキは護衛とともに鐙鷃トウアン城を出て行く。

　パタリと扉が閉まっても動こうとしない轢レキに、瑠既リュウキが煽る。
「いいのか、そんな風に拗ねているままで」






















【イメージイラスト】

左：轢レキ14歳　真ん中：颯唏サツキ7歳　右：庾月ユツキ14歳

※2013年に描いたイメージ画です。描き直す予定ですが、参考まで※

　颯唏サツキ7歳