上 下
271 / 374
『第二部【後半】幻想と真実』 未来と過去に向かって

【4】信念

しおりを挟む
 颯唏サツキレキと頻繁に剣技に勤しむようになってから、庾月ユツキは公務で外出が増えた。庾月ユツキの護衛には、正式に羅凍ラトウが選ばれる。

 何ヶ月か経ち、庾月ユツキは十三歳になった。
 この年で城の行く末を見つめ、宮城研究術師になると決意した。克主ナリス研究所にあいさつに行くと大臣に告げる。
 早々に決定された日取り。寂しがる颯唏サツキレキがなだめ、庾月ユツキは笑顔で羅凍ラトウ鴻嫗トキウ城を後にする。

 通り慣れているかのような足取りの羅凍ラトウの背中を見上げ、船の手続きまで見届けたところで庾月ユツキはクスリと笑う。
「慣れているのね」
 ドキリとした羅凍ラトウに返す言葉はない。無言のまま視線を伏せていると、
「助かるわ。ありがとう」
 と微笑み、搭乗する。

『初めて船に乗るから』と庾月ユツキはバルコニーへと足を運ぶ。羅凍ラトウは一度周囲を見渡して庾月ユツキの後を歩いた。
 一直線に端へと歩いて行く。
 風にあたりたかったのだろうか。はしゃぐ笑顔はなく、すっと遠くに視線を投げている。──羅凍ラトウは声をかけず、周囲を警戒することに意識を注いだ。


 庾月ユツキにとっても沙稀イサキの死去は、大きな変化だった。様々なことが変化し、空っぽになったような心の空洞を埋めるものがない。
 恭良ユキヅキ颯唏サツキの出産のときに大きな代償を払い、それから体調を崩し寝たきりに近い状態になっている。それこそ、父が亡くなってから何度会っただろう。両手で足りるかもしれないと漠然と庾月ユツキは振り返る。
 父が倒れてからは伯父に引き取られたかのように、庾月ユツキ鴻嫗トキウ城にはいなかった。
 父が亡くなりしばらくして、庾月ユツキは大臣に呼ばれ鴻嫗トキウ城に戻る。そのとき、『父は戦争孤児だった』と颯唏サツキには話すと言われた。
 当時、まだ七歳だった庾月ユツキに決定権はない。大臣が『そう』といえば、従うしかなく──けれど、庾月ユツキは事実は揺るがないと信じた。
 庾月ユツキは、父が倒れる前に継承者としてたくさんのことを聞いていた。鴻嫗トキウ城は『姫』が継ぐ城だと父が言った矛盾は忘れられるものではない。『姫』だったはずの母からは、一言も継承について聞いたことはなく、庾月ユツキは父に鴻嫗トキウ城の造りを教えてもらい、深部まで連れて行ってもらっていた。
 父が倒れる前の記憶があまりにも鮮明で。そこにいる恭良ユキヅキはとても朗らかな母だったというのに、面影はまるでない。
 鴻嫗トキウ城に戻ってきてからというもの、恭良ユキヅキ庾月ユツキを見てもぼんやりとしたまま。娘と認識されていないようにさえ感じる。けれど、颯唏サツキには昔のような笑みを向けるのだ。
 それは、庾月ユツキにとって父の死が大きかった以上に、母には抱えきれないことなのだろうと思えて──庾月ユツキは娘でいることを手放し、父の愛した鴻嫗トキウ城を『鴻嫗トキウ城の姫』として守り、継承しようと胸に刻んだ。
 だから、大臣がどう舵をとろうとも、庾月ユツキには構わない。庾月ユツキの中には変わらない事実が残っている。
 それに、大臣には大臣の考えがあると信じ、目をつぶる。颯唏サツキには──弟には、いつか話す機会がくるとも信じて。

 七歳で母が寝たきりに近い状態となったことで、宮城研究施設は伯母のルイを筆頭に、従姉たちが手伝い、維持してくれた。庾月ユツキも見様見真似から始め、なんとか凰玖オウキとふたりだけで運営ができるようになってきた。
 凰玖オウキは優秀だ。将来は克主ナリス研究所に行きたいと夢を語るほどに。

 ふと、父が生きていてくれたならと、思うことはある。けれど、口にはしない。一番言いたいのは、颯唏サツキか伯父か、大臣なのか──と、鴻嫗トキウ城の姫らしくあろうと父に誓う。そうすることが、父が一番喜んでくれることだと信じて。

 だからこそ、庾月ユツキ克主ナリス研究所にあいさつへ行くと決めた。書類に不足があろうが、克主ナリス研究所の代表者は鴻嫗トキウ城に泥を塗らないようにするためか何も言わずに処理をしてくれていた。
 常々世話をかけてきた。だから、直接礼を言いたかった。

「海って広いのね」
 庾月ユツキは海に見入ったかのように言い、船の中へと戻って行く。
「そういえば、庾月ユツキ様のご両親がご結婚されるとき……この海は光輝いていたのですよ」
 羅凍ラトウがポツリと言えば、庾月ユツキは微笑を浮かべ、
「そう……伝説ではなかったのね。私も、見たかったわ」
 と、どこか懐かしそうに言った。


 食事の時間になれば羅凍ラトウは迎えに来て、見渡すことなく食堂へと案内する。庾月ユツキと同じようなペースで食べて雑談をするでもなく、だからこそ庾月ユツキはまじまじと羅凍ラトウを観察する。
「どうしましたか?」
羅凍ラトウって、モテたでしょう?」
「いいえ、まったく」
 即答に庾月ユツキは目を丸くし、あははと笑う。
「そう……羅凍ラトウって、罪な人なのね」
 あまりにも庾月ユツキは楽しそうに笑い、羅凍ラトウは『笑いすぎです』と言いながら微笑ましく眺めた。

 庾月ユツキが多少の子どもらしさを取り戻したころ、船は楓珠フウジュ大陸の港街、緋倉ヒソウへと辿り着く。あまりにも雑多で、あふれんばかりの人々が行き交っていて、庾月ユツキは立ち尽くしてしまった。こんなに多くもの人々の声が賑わう街に来たのは初めてだ。
 目が回りそうになる庾月ユツキを尻目に、船を降りてからも羅凍ラトウは動揺せずにしっかりとした足取りで導く。その様子に庾月ユツキは、
「懐かしそう」
 と思うがままに口にする。
 元々、梛懦乙ナジュト大陸の出身ではないと思われていたと判断していたのか、羅凍ラトウは微笑む。
克主ナリス研究所の君主とは……幼なじみみたいなものだったんです」
 すると、庾月ユツキは見当違いなことを言った。
「あら、羅凍ラトウ克主ナリス研究所にいたの?」
 思わず羅凍ラトウは笑う。
「いいえ。父同士が友人だっただけですよ」
「そう……羅凍ラトウはお父様とは友人だったのよね?」
 いつしか耳にしたことを庾月ユツキは言っただけだが、羅凍ラトウは返答に困ったらしい。
「え……と……。そう、ですね。よくして頂きました」
 庾月ユツキ沙稀イサキが王だったと知っている。一概に沙稀イサキとの仲を言うのは得策ではないと羅凍ラトウは一瞬で判断したのか。
 内心、庾月ユツキは残念に思う。庾月ユツキ自身、父と母の関係性は七歳では明確化するには難しく、正確性には欠けるのだ。
 ──羅凍ラトウになら聞けるかなと思ったのに……。
 ぷうっと膨らみそうな頬を抑え、目的地を見据える。城を出て、羽が伸びていたらしい。『鴻嫗トキウ城の姫』に戻ってきちんとした振る舞いをしなくては──と、思ったとき、庾月ユツキは雷に打たれたような感覚に捕らわれた。

リュウ、気ぃつけろよ!」

 その、名前を聞いて。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】え、別れましょう?

須木 水夏
恋愛
「実は他に好きな人が出来て」 「は?え?別れましょう?」 何言ってんだこいつ、とアリエットは目を瞬かせながらも。まあこちらも好きな訳では無いし都合がいいわ、と長年の婚約者(腐れ縁)だったディオルにお別れを申し出た。  ところがその出来事の裏側にはある双子が絡んでいて…?  だる絡みをしてくる美しい双子の兄妹(?)と、のんびりかつ冷静なアリエットのお話。   ※毎度ですが空想であり、架空のお話です。史実に全く関係ありません。 ヨーロッパの雰囲気出してますが、別物です。

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない

斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。 襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……! この人本当に旦那さま? って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!

不倫をしている私ですが、妻を愛しています。

ふまさ
恋愛
「──それをあなたが言うの?」

彼を追いかける事に疲れたので、諦める事にしました

Karamimi
恋愛
貴族学院2年、伯爵令嬢のアンリには、大好きな人がいる。それは1学年上の侯爵令息、エディソン様だ。そんな彼に振り向いて欲しくて、必死に努力してきたけれど、一向に振り向いてくれない。 どれどころか、最近では迷惑そうにあしらわれる始末。さらに同じ侯爵令嬢、ネリア様との婚約も、近々結ぶとの噂も… これはもうダメね、ここらが潮時なのかもしれない… そんな思いから彼を諦める事を決意したのだが… 5万文字ちょっとの短めのお話で、テンポも早めです。 よろしくお願いしますm(__)m

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

皇太子の子を妊娠した悪役令嬢は逃げることにした

葉柚
恋愛
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢のレイチェルは幸せいっぱいに暮らしていました。 でも、妊娠を切っ掛けに前世の記憶がよみがえり、悪役令嬢だということに気づいたレイチェルは皇太子の前から逃げ出すことにしました。 本編完結済みです。時々番外編を追加します。

処理中です...