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『第二部【後半】幻想と真実』 未来と過去に向かって
【3】存在
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沙稀の死去から五年。
鴻嫗城内は華やかに賑わっていた。今日は、颯唏の五回目の誕生日。まだまだ無邪気な年ごろ。ひとつに束ねている通例通りの長さの髪の毛が、生き物のようにぴょこぴょことあとを追って跳ねている。髪の毛をやさしく纏めているのは、姉の庾月だろう。
はしゃぎまわる颯唏とは対照的に、庾月は寡黙になった。父に似て見事なストレートな髪質だ。踊るように輝く光が美しい。
その美しさに轢は遠目から息を飲む。瑠既たち家族も招待されているが、轢は家族より一足先に鴻嫗城に来ていた。
幼少期は色んな髪型を姉たちにされていた轢。物心がついてからは、前髪も含めてひとつにしっかりと結うのがすっかり定番になった。
こんな風に遠くから立ち止まって、視線が固定することが増えたのはいつからだろう。昔は妹のように思い、転ばないようにと手を繋いで歩いたり、寂しい夜は一緒にも寝たはずなのに庾月は確実に『鴻嫗城の姫』になった。近しい存在なのに、見つめる度に遠い存在になっていく。
ふうと轢は深呼吸をし、誕生会に浮き立つ颯唏を呼ぶ。
「颯唏」
「何? 轢兄」
くるりと振り向く人懐っこい様子の颯唏は、
「おいで」
と大人びた笑みを浮かべる轢に、すぐ駆け寄り心躍るまま了承の返事をする。
轢は颯唏に笑みを返し、庾月を再び見る。
「庾月……ごめんね。颯唏をすこし借りる」
コクリと首肯した庾月は、そっとふたりに手を振る。轢は自然とゆるむ頬を隠しながら同様の仕草を返した。
轢が淡々と歩く一方、颯唏はうれしそうに足を弾ませていた。物心つく前から、実の兄のように接してくれている轢が、特別な祝いをしてくれるのだろうと楽しみにしているかのようだ。
轢は目指す場所は、幼いころから何度も何度も家族で過ごしていた場所。城内を出て、更に歩く。そうして、屋根がなくなったところで轢はおもむろに足を止めた。
「この場所で……颯唏に話したかったんだ」
美しい花々が広がる──中庭だ。この場所は轢も颯唏も、家族とよく過ごしてきた場所。いわば、家族を象徴するような場所だ。
神妙な轢の声に、颯唏は不思議そうに視線を上げる。
その瞬間、颯唏は目を見開いた。
轢が腰から剣を抜き、颯唏に真直ぐと向けている。
「れ……轢兄?」
恐怖で颯唏の声は震えた。日ごろ温和な轢が、表情をも固くしている。
不安で颯唏の脳裏には死が過った。
理由はわからない。だが、仲の良い従兄に殺されると。
轢は口を開かない。
颯唏は口を開けない。
沈黙が続いた。
颯唏はやがて覚悟を決め、瞳を閉じた。風の感触と音がふたりを包む。
すると、そっと轢が悲しそうに言った。
「驚いたか?」
その声に、颯唏は恐る恐る瞳を開ける。
轢は悲しそうに笑っていた。その笑顔に、颯唏の瞳からは涙があふれる。
轢はしゃがみ、颯唏を抱き締めた。
「ごめん。でも、颯唏には……自分の身は自分で守る覚悟を持ってほしかった」
「覚……悟?」
颯唏は声にならない声で聞く。
抱き締めていた腕の力をゆるめ、轢は颯唏をやさしく見て頷く。
「そう、『覚悟』だ。颯唏は大臣から、颯唏の父上の血筋である『涼舞城』について聞いたことがあるだろう?」
『涼舞城』──かつて鴻嫗城に長男を忠誠の証として仕えさせていたという『剣士の名家』。姫の護衛になることは、鴻嫗城を守ると同義。
しかし、その城は颯唏の父、沙稀が幼いころになくなったと、颯唏は聞いていた。その為、沙稀は戦災孤児となり、鴻嫗城に身を寄せたとも。
それら思い出しながら颯唏は首肯する。
「颯唏にも『涼舞城』の血は流れている。そして、それは誇り高き沙稀様の血だ。だから……颯唏には、きちんと受け継いでほしいんだよ」
「受け……継ぐ……」
言葉の一部を繰り返すことが颯唏はやっとだ。
不思議そうに言う颯唏に対し、轢の瞳には強い意思。
「この剣は、今日から颯唏の剣だ」
轢は先程向けた剣を颯唏の右手に握らせる。
「これ! さっきの……」
「沙稀様の剣だ。……初めて手にした剣らしい」
颯唏は轢の言葉に驚く。
「どうして、そんな剣が残って……」
疑問を思うがまま口にした颯唏だが、ある矛盾に気がついて言葉が止まる。握った右手から疑うように轢へと視線を移し、颯唏は叫ぶ。
「嘘だっ! 父上が初めて手にした剣が『これ』のはずがない! 父上は、父上は……」
「『左利き』だった」
颯唏が言おうとした言葉をそのまま轢が言い、颯唏は呆然とする。混乱からか、クロッカスの瞳に涙が溜まる。
「俺は、颯唏に嘘は言っていない」
なだめるように言うと轢は立ち上がり、数歩離れて再びと向き合う。そうして、腰からもう一本の剣を抜く。
「基礎を教えてもらったのは、沙稀様だった。だから俺は、それを颯唏にすこしでも伝えたいと思う。……来い」
颯唏は声を上げて駆け出す。──何を叫んでいるのかもわからずに。
颯唏は悔しかった。
何も『父』を知らないことが。『父』を知っている轢が。
受けとめて返されるだけの剣の音が、その後、何十分も花々の中で響いた。
一時間もしないうちに颯唏はよろよろと膝をつく。轢は颯唏を抱き上げて、一緒に横になって空を見上げる。
「父上は、どんな人だった?」
土にまみれた手も顔も気にせずに、颯唏は柔らかい土の上に身を預ける。
「やさしくて強い人、だったよ」
「そ……っか」
颯唏は轢の言葉に、また涙があふれ出た。
これまで颯唏は、父のことを考えないようにしてきていた。自ら父のことを聞いたのは初めてだ。
「うん……。ほら、颯唏たちより先に俺たちが産まれてたでしょ。だからか……すごくかわいがってもらったんだ」
『ふ~ん』と無関心気味に答えた颯唏の頭を轢はなでる。
「このごろ、思うんだ。本当は……」
轢が伝えたかった言葉を聞き、颯唏は激しく泣きだした。颯唏の反応に轢は慌て、必死になだめた。
鴻嫗城内は華やかに賑わっていた。今日は、颯唏の五回目の誕生日。まだまだ無邪気な年ごろ。ひとつに束ねている通例通りの長さの髪の毛が、生き物のようにぴょこぴょことあとを追って跳ねている。髪の毛をやさしく纏めているのは、姉の庾月だろう。
はしゃぎまわる颯唏とは対照的に、庾月は寡黙になった。父に似て見事なストレートな髪質だ。踊るように輝く光が美しい。
その美しさに轢は遠目から息を飲む。瑠既たち家族も招待されているが、轢は家族より一足先に鴻嫗城に来ていた。
幼少期は色んな髪型を姉たちにされていた轢。物心がついてからは、前髪も含めてひとつにしっかりと結うのがすっかり定番になった。
こんな風に遠くから立ち止まって、視線が固定することが増えたのはいつからだろう。昔は妹のように思い、転ばないようにと手を繋いで歩いたり、寂しい夜は一緒にも寝たはずなのに庾月は確実に『鴻嫗城の姫』になった。近しい存在なのに、見つめる度に遠い存在になっていく。
ふうと轢は深呼吸をし、誕生会に浮き立つ颯唏を呼ぶ。
「颯唏」
「何? 轢兄」
くるりと振り向く人懐っこい様子の颯唏は、
「おいで」
と大人びた笑みを浮かべる轢に、すぐ駆け寄り心躍るまま了承の返事をする。
轢は颯唏に笑みを返し、庾月を再び見る。
「庾月……ごめんね。颯唏をすこし借りる」
コクリと首肯した庾月は、そっとふたりに手を振る。轢は自然とゆるむ頬を隠しながら同様の仕草を返した。
轢が淡々と歩く一方、颯唏はうれしそうに足を弾ませていた。物心つく前から、実の兄のように接してくれている轢が、特別な祝いをしてくれるのだろうと楽しみにしているかのようだ。
轢は目指す場所は、幼いころから何度も何度も家族で過ごしていた場所。城内を出て、更に歩く。そうして、屋根がなくなったところで轢はおもむろに足を止めた。
「この場所で……颯唏に話したかったんだ」
美しい花々が広がる──中庭だ。この場所は轢も颯唏も、家族とよく過ごしてきた場所。いわば、家族を象徴するような場所だ。
神妙な轢の声に、颯唏は不思議そうに視線を上げる。
その瞬間、颯唏は目を見開いた。
轢が腰から剣を抜き、颯唏に真直ぐと向けている。
「れ……轢兄?」
恐怖で颯唏の声は震えた。日ごろ温和な轢が、表情をも固くしている。
不安で颯唏の脳裏には死が過った。
理由はわからない。だが、仲の良い従兄に殺されると。
轢は口を開かない。
颯唏は口を開けない。
沈黙が続いた。
颯唏はやがて覚悟を決め、瞳を閉じた。風の感触と音がふたりを包む。
すると、そっと轢が悲しそうに言った。
「驚いたか?」
その声に、颯唏は恐る恐る瞳を開ける。
轢は悲しそうに笑っていた。その笑顔に、颯唏の瞳からは涙があふれる。
轢はしゃがみ、颯唏を抱き締めた。
「ごめん。でも、颯唏には……自分の身は自分で守る覚悟を持ってほしかった」
「覚……悟?」
颯唏は声にならない声で聞く。
抱き締めていた腕の力をゆるめ、轢は颯唏をやさしく見て頷く。
「そう、『覚悟』だ。颯唏は大臣から、颯唏の父上の血筋である『涼舞城』について聞いたことがあるだろう?」
『涼舞城』──かつて鴻嫗城に長男を忠誠の証として仕えさせていたという『剣士の名家』。姫の護衛になることは、鴻嫗城を守ると同義。
しかし、その城は颯唏の父、沙稀が幼いころになくなったと、颯唏は聞いていた。その為、沙稀は戦災孤児となり、鴻嫗城に身を寄せたとも。
それら思い出しながら颯唏は首肯する。
「颯唏にも『涼舞城』の血は流れている。そして、それは誇り高き沙稀様の血だ。だから……颯唏には、きちんと受け継いでほしいんだよ」
「受け……継ぐ……」
言葉の一部を繰り返すことが颯唏はやっとだ。
不思議そうに言う颯唏に対し、轢の瞳には強い意思。
「この剣は、今日から颯唏の剣だ」
轢は先程向けた剣を颯唏の右手に握らせる。
「これ! さっきの……」
「沙稀様の剣だ。……初めて手にした剣らしい」
颯唏は轢の言葉に驚く。
「どうして、そんな剣が残って……」
疑問を思うがまま口にした颯唏だが、ある矛盾に気がついて言葉が止まる。握った右手から疑うように轢へと視線を移し、颯唏は叫ぶ。
「嘘だっ! 父上が初めて手にした剣が『これ』のはずがない! 父上は、父上は……」
「『左利き』だった」
颯唏が言おうとした言葉をそのまま轢が言い、颯唏は呆然とする。混乱からか、クロッカスの瞳に涙が溜まる。
「俺は、颯唏に嘘は言っていない」
なだめるように言うと轢は立ち上がり、数歩離れて再びと向き合う。そうして、腰からもう一本の剣を抜く。
「基礎を教えてもらったのは、沙稀様だった。だから俺は、それを颯唏にすこしでも伝えたいと思う。……来い」
颯唏は声を上げて駆け出す。──何を叫んでいるのかもわからずに。
颯唏は悔しかった。
何も『父』を知らないことが。『父』を知っている轢が。
受けとめて返されるだけの剣の音が、その後、何十分も花々の中で響いた。
一時間もしないうちに颯唏はよろよろと膝をつく。轢は颯唏を抱き上げて、一緒に横になって空を見上げる。
「父上は、どんな人だった?」
土にまみれた手も顔も気にせずに、颯唏は柔らかい土の上に身を預ける。
「やさしくて強い人、だったよ」
「そ……っか」
颯唏は轢の言葉に、また涙があふれ出た。
これまで颯唏は、父のことを考えないようにしてきていた。自ら父のことを聞いたのは初めてだ。
「うん……。ほら、颯唏たちより先に俺たちが産まれてたでしょ。だからか……すごくかわいがってもらったんだ」
『ふ~ん』と無関心気味に答えた颯唏の頭を轢はなでる。
「このごろ、思うんだ。本当は……」
轢が伝えたかった言葉を聞き、颯唏は激しく泣きだした。颯唏の反応に轢は慌て、必死になだめた。
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