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固い誓い
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彼女は幼女の命とともに尽きた。
守りたかった。命と引き換えても。
「お兄ちゃん、まだ帰ってこないの?」
幼女の視力は、ないと言ってもいい。微かに光を感じられる程度だ。
「そうだね。大丈夫、私がいるから」
「うん」
そう言うと笑った。彼女が幼女の笑顔を見た最後。
幼女を膝に乗せて子守唄を歌う。幼女が静かな寝息を立てても、兄は帰宅しなかった。
いつかは、こんな日が来ると彼女は思っていた。
ふたつ上の兄は、半分しか血の繋がらない姉妹を捨てたのだろう。
──明日、ここを発たなければ。
身に危険が迫るかもしれない。
同じ血を継ぐ者たちが血を流し、涙を流す中で、彼女たちはおだやかに暮らして来られたと感謝をする。
──兄を、恨んではいけない。
今までずい分、姉妹のために自らを犠牲にしてきた人だと振り返る。ただ、気がかりは幼女──年の離れた妹だった。
必要最低限の物しかない室内から、月を見上げる。
──この身は、どうなってもいい。
でも、せめて、妹がひとりで生きていけるようになるまではそばにいたいと懇願する。妹がひとりで生きていけるようになれば、自らも同じ血を持つ者たちと同じ末路を辿って構わないと意を決する。
末路を想像し、背筋を震わせる。けれど、誰かに守ってもらわなくては生きていけないほどちいさい妹を思い、抱き締める。
ぬくもりが緊張をほぐし、彼女はいつの間にか眠りに落ちてしまった。
数時間が立ち、彼女は眠りから目覚める。
スヤスヤと安心して眠る愛おしい妹を眺め、幸せそうに微笑む。
一瞬流れた平穏も、外の明るみで失われる。夜明けが近づいていると気づき、彼女からおだやかさが消えた。
──まもなく、夜があける。
──明るくなる前に、行かなくては。
当てはないが、家にいるのは危険だろう。
兄には当面の生活費が必要だったはずだ。その日暮らしだったのは、明らか。そうなれば、資金になり得る『情報』を売ると考えるのが自然。
彼女は妹を抱きかかえ、妹の必要な物をまとめる。
兄に恨みはない。感謝を返すに足りるものであったのなら、恩を返せたも同然だとむしろホッとしている。
だが──彼女の行動は、遅かったと悔いるしかない。
準備が整ったと扉に向かおうとした刹那、ガヤガヤとした声に家の周囲が囲まれていた。
彼女はひとつしかない出入口を前に、後ずさりをする。
後ずさりをしても、出口はない。すがるように月を見れば、窓からは室内をのぞく数人の知らない男たちと目が合った。
『おい、情報だと五歳くらいの幼女だと聞いていたが、イイのがいるじゃねぇか』
『これは、上玉だ。幼女は殺してもいいから、そっちを連れて行け』
──殺す? この子を? 冗談じゃない!
窓越しに聞こえた声に震え、妹を抱き締める。荷物を置いてでも走って逃げることを選び、ひとつだけある出入口へと向かう。
扉が開いた。
彼女の手が届く前に。
男たちが入ってくる。
ひとり、ふたりと。
強行突破をするしかないと、彼女は止まった足を動かす。助走をつけようと、一歩、二歩と後退したところで──十人、十五人と、見知らぬ男はどんどん増えていった。
──逃げられる人数じゃない!
彼女は悟り、更に後退して懇願する。
「わ、私は、貴男たちについて行くのは構わない。だけど、この子は……」
『泣けるねぇ。命乞いより、救出を我々に懇願するとは』
『ほら、貸しな』
『しっかし、女悪神の血を引く女ってのは、何でこう美人が多いのかね。この女もそそるな』
『犯っちまうか』
『いぃねぇ』
言葉は人間の話すものであるのに、まるで人間ではないと──彼女は化け物が話しているかのように聞こえた。
下品な男たちの微笑みに身の毛がよだつ。
抵抗をするが、いつのまにか男数人に囲まれ、成す術はない。やめて! と叫ぼうが妹は奪われ、彼女は両腕を押さえられた。
片腕に対し、ひとりがつかんでいる。妹を心配して姿を確認しようと体をねじると、腰も足も押さえつけられた。
男たちの汚らわしいものが晒されようと、触れようと、彼女は声を抑え、耐える。男は入れ代わり立ち代りに彼女の身を好き放題にし──日が上がりきり、辺りはすっかり明るくなっていった。
ボロボロになった彼女は、覚悟の上だったと思いつつも溺れたような苦しさに意識が遠ざかろうとしていた。
そこへ、彼女の意識を覚醒させる声が届く。
「お姉ちゃん?」
妹は生きていた。眠りから目を覚ましたのだろう。何度も彼女を呼び、泣き求める。
男たちがギョロリとした目を向け、彼女は息を呑んだ。
「お願い! 妹に手出しはしないで!」
何度も何度も繰り返し、頭を下げる。
「何でもするから……妹を、返してください」
涙を流し、床にひれ伏せる。
妹は状況がまったくわからないのだろう。目が見えないのだから。
いつもはすぐ来てくれる姉がいない。それだけでもパニックだろうに、聞いたこともない声と異臭であふれ、泣き叫ぶ。
『うるせぇなぁ。こいつ、殺っちまった方がいいなぁ』
彼女は血の気が引き、すぐさま体を起こす。
妹に、剣が向けられていた。
震えあがっても、誰も助けてはくれない。あれほど頼んだのに、こんな結果になったと、無我夢中で彼女は妹のもとへと駆けだす。
「やめろぉぉぉおおお!」
この世は地獄だ。
平穏に暮らすなど、程遠い。
けれど、彼女は切に願った。
──何があっても、生きていてほしい。
と。
「お姉ちゃん?」
彼女の腕の中で、妹は姉の存在を確認するように呼んだ。
そして、笑う前に、その顔は表情を失った。
生暖かい液体に包まれながら、彼女たちはお互いを離さないように抱き、つかみ──個体から解き放たれた。
そうして、彼女はひとつの願いを握り締めて、輪廻の輪へと運ばれる。
──守りたい。この子を。
──たとえ私が、どうなろうとも。
守りたかった。命と引き換えても。
「お兄ちゃん、まだ帰ってこないの?」
幼女の視力は、ないと言ってもいい。微かに光を感じられる程度だ。
「そうだね。大丈夫、私がいるから」
「うん」
そう言うと笑った。彼女が幼女の笑顔を見た最後。
幼女を膝に乗せて子守唄を歌う。幼女が静かな寝息を立てても、兄は帰宅しなかった。
いつかは、こんな日が来ると彼女は思っていた。
ふたつ上の兄は、半分しか血の繋がらない姉妹を捨てたのだろう。
──明日、ここを発たなければ。
身に危険が迫るかもしれない。
同じ血を継ぐ者たちが血を流し、涙を流す中で、彼女たちはおだやかに暮らして来られたと感謝をする。
──兄を、恨んではいけない。
今までずい分、姉妹のために自らを犠牲にしてきた人だと振り返る。ただ、気がかりは幼女──年の離れた妹だった。
必要最低限の物しかない室内から、月を見上げる。
──この身は、どうなってもいい。
でも、せめて、妹がひとりで生きていけるようになるまではそばにいたいと懇願する。妹がひとりで生きていけるようになれば、自らも同じ血を持つ者たちと同じ末路を辿って構わないと意を決する。
末路を想像し、背筋を震わせる。けれど、誰かに守ってもらわなくては生きていけないほどちいさい妹を思い、抱き締める。
ぬくもりが緊張をほぐし、彼女はいつの間にか眠りに落ちてしまった。
数時間が立ち、彼女は眠りから目覚める。
スヤスヤと安心して眠る愛おしい妹を眺め、幸せそうに微笑む。
一瞬流れた平穏も、外の明るみで失われる。夜明けが近づいていると気づき、彼女からおだやかさが消えた。
──まもなく、夜があける。
──明るくなる前に、行かなくては。
当てはないが、家にいるのは危険だろう。
兄には当面の生活費が必要だったはずだ。その日暮らしだったのは、明らか。そうなれば、資金になり得る『情報』を売ると考えるのが自然。
彼女は妹を抱きかかえ、妹の必要な物をまとめる。
兄に恨みはない。感謝を返すに足りるものであったのなら、恩を返せたも同然だとむしろホッとしている。
だが──彼女の行動は、遅かったと悔いるしかない。
準備が整ったと扉に向かおうとした刹那、ガヤガヤとした声に家の周囲が囲まれていた。
彼女はひとつしかない出入口を前に、後ずさりをする。
後ずさりをしても、出口はない。すがるように月を見れば、窓からは室内をのぞく数人の知らない男たちと目が合った。
『おい、情報だと五歳くらいの幼女だと聞いていたが、イイのがいるじゃねぇか』
『これは、上玉だ。幼女は殺してもいいから、そっちを連れて行け』
──殺す? この子を? 冗談じゃない!
窓越しに聞こえた声に震え、妹を抱き締める。荷物を置いてでも走って逃げることを選び、ひとつだけある出入口へと向かう。
扉が開いた。
彼女の手が届く前に。
男たちが入ってくる。
ひとり、ふたりと。
強行突破をするしかないと、彼女は止まった足を動かす。助走をつけようと、一歩、二歩と後退したところで──十人、十五人と、見知らぬ男はどんどん増えていった。
──逃げられる人数じゃない!
彼女は悟り、更に後退して懇願する。
「わ、私は、貴男たちについて行くのは構わない。だけど、この子は……」
『泣けるねぇ。命乞いより、救出を我々に懇願するとは』
『ほら、貸しな』
『しっかし、女悪神の血を引く女ってのは、何でこう美人が多いのかね。この女もそそるな』
『犯っちまうか』
『いぃねぇ』
言葉は人間の話すものであるのに、まるで人間ではないと──彼女は化け物が話しているかのように聞こえた。
下品な男たちの微笑みに身の毛がよだつ。
抵抗をするが、いつのまにか男数人に囲まれ、成す術はない。やめて! と叫ぼうが妹は奪われ、彼女は両腕を押さえられた。
片腕に対し、ひとりがつかんでいる。妹を心配して姿を確認しようと体をねじると、腰も足も押さえつけられた。
男たちの汚らわしいものが晒されようと、触れようと、彼女は声を抑え、耐える。男は入れ代わり立ち代りに彼女の身を好き放題にし──日が上がりきり、辺りはすっかり明るくなっていった。
ボロボロになった彼女は、覚悟の上だったと思いつつも溺れたような苦しさに意識が遠ざかろうとしていた。
そこへ、彼女の意識を覚醒させる声が届く。
「お姉ちゃん?」
妹は生きていた。眠りから目を覚ましたのだろう。何度も彼女を呼び、泣き求める。
男たちがギョロリとした目を向け、彼女は息を呑んだ。
「お願い! 妹に手出しはしないで!」
何度も何度も繰り返し、頭を下げる。
「何でもするから……妹を、返してください」
涙を流し、床にひれ伏せる。
妹は状況がまったくわからないのだろう。目が見えないのだから。
いつもはすぐ来てくれる姉がいない。それだけでもパニックだろうに、聞いたこともない声と異臭であふれ、泣き叫ぶ。
『うるせぇなぁ。こいつ、殺っちまった方がいいなぁ』
彼女は血の気が引き、すぐさま体を起こす。
妹に、剣が向けられていた。
震えあがっても、誰も助けてはくれない。あれほど頼んだのに、こんな結果になったと、無我夢中で彼女は妹のもとへと駆けだす。
「やめろぉぉぉおおお!」
この世は地獄だ。
平穏に暮らすなど、程遠い。
けれど、彼女は切に願った。
──何があっても、生きていてほしい。
と。
「お姉ちゃん?」
彼女の腕の中で、妹は姉の存在を確認するように呼んだ。
そして、笑う前に、その顔は表情を失った。
生暖かい液体に包まれながら、彼女たちはお互いを離さないように抱き、つかみ──個体から解き放たれた。
そうして、彼女はひとつの願いを握り締めて、輪廻の輪へと運ばれる。
──守りたい。この子を。
──たとえ私が、どうなろうとも。
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