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思い出
【36】呼び起こす想い(1)
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月日は流れるように過ぎて行った。季節が一周半し、瑠既と誄の間には、娘がもうひとり産まれていた。
長女のときの、大臣と沙稀からの忠告が利いたのか。次女は、彩綺と名付けられた。
瑠既は相変わらず、フラフラしている印象が沙稀にはある。髪を伸ばす気になったのかと見守っていたが、まるで法の抜け道を見つけたかのように襟足の一部を長くしているだけだ。うしろから見れば一本にまとめているように見えるが、留めるほどの量もない。
けれど、一方で長女の黎と次女の彩綺を連れ、四人で鴻嫗城に来ることもある。しっかり父も、夫もしているのだろう。
それだけのことなのに、沙稀は──いや、大臣も安心するのだから時折うんざりする。
沙稀と恭良は、まだ子宝に恵まれていない。
黎をかわいがっている沙稀を、城内の者たちは『物珍しいからではないか』と、囁いた。
沙稀は恭良と鐙鷃城に赴くことも増えた。元々、沙稀は恭良を気遣う。鐙鷃城に赴くのは、恭良に付き添っているのだろうと剣士たちは高を括っていた。
だが、黎が一歳になり、二歳になり、彩綺が生まれても、沙稀は変わらない。信じられないと言いたげな視線に周囲は変わっていき、むしろ姪を実の娘のようにかわいがっているようだとざわめく。そうして、沙稀は子ども好きだったのかと、噂されるようになった。
剣士たちは互いを疑うように見合う。
『これまで抱いていた沙稀様の印象は、多々違うものだったのかもしれない』と。
鴻嫗城の者たちの雰囲気に、沙稀が違和感を覚えたのは、姪がふたりになって、一年と少し経ったころだった。
違和感のせいか、瑠既にまでおかしいと首をひねる。ここしばらく誄の顔を見ない。瑠既は娘ふたりを連れて鴻嫗城に訪れるが、誄がいないのだ。
瑠既と誄が不仲になるような、何かがあったとは考えにくい。となりにいる恭良は妙に思わないのか、うれしそうに姪っ子たちを迎える。
「先に子どもたちと、中庭に行っていて」
沙稀は恭良に告げる。
「はい。……黎姫、彩綺姫、行きましょ」
恭良はお手本のように沙稀に返事をしたあと、両手を姪にそれぞれ差し出す。やっと歩けるようになった彩綺に合わせながら、恭良は幸せそうに姪と手を繋いで歩き始める。
姿が見えなくなると、沙稀は瑠既に率直な言葉を投げた。
「誄姫は、体調悪いのか?」
「まぁ……」
歯切れの悪い返答に、沙稀の眉は寄る。
「まぁ?」
呆れが半分、怒りが半分だ。心配じゃないのかと沙稀は言いたくなる。そこへ、
「病気じゃないし」
と、瑠既はまたよくわからないことを言う。
沙稀の感情が、より表情に浮かぶ。
瑠既は苦笑いを浮かべ、瞬時顔を背けた。そうして、言いにくそうに『あ~』と唸る。
「三人目」
一瞬にして沙稀の表情が驚きに変わる。沙稀にその発想はなかったのだ。
「ああ、そうか。……それは、おめでとう」
野暮なことを言ってしまったと、悔いる。
一方の瑠既は、黎のときも彩綺のときも、沙稀は一瞬、驚いたような顔をしたと思い出す。だが、黎のときは、その表情はすぐに祝福に変わったものだ。
彩綺のときは、少し悔しそうに瑠既には見えた。
報告が三回目となれば顔を曇らせてしまったかと、瑠既は沙稀を覗き込む。
「何?」
「悔しいんだ?」
瑠既の指摘に、沙稀はフイッと顔を背ける。返答こそないが、図星なのだろう。
「単に、相性だと俺は思うけど?」
瑠既の口調は軽い。それでも、沙稀には受け流せなかったのか。
「もしかしたら、俺……」
「ん?」
こぼれ落ちそうな沙稀の言葉を、瑠既は掬おうとする。その視線から、心配を汲み取ったのか、沙稀は咄嗟に訂正をする。
「なんでもない」
それでも瑠既には、なんとなく想像がついたのか。わざとらしく茶化す。
「気にするなよ。俺だって、倭穏と四年付き合ってても子どもができなかったんだから」
あえて『なかった』と断言したのが仇となったのか、直接触れてほしくない話題だったのか。沙稀は押し黙る。
地雷だったかと瑠既は判断するも、引ける状況でもない。瑠既は開き直り、沙稀の肩に腕を置く。
「それか、しすぎなんじゃないの?」
明らかな冷やかしだが、功を奏したか。冷やかしには乗らないと、瑠既の腕を振り払う。だが、沙稀はそのまま中庭へと向かって行く。
「ちょっと、俺も行くんだけど」
慌てて歩き出す瑠既に、
「お前は大臣に言ってくることがあるだろ」
と、沙稀は顔を向けて一言だけ言い、また足早で歩き始めた。
その夜、沙稀は大臣に呼ばれた。本来ならば、大臣が沙稀の部屋を訪ねるが、恭良がいては具合が悪いのだろう。
話の見当がつき、大臣の部屋を開ける沙稀の心持ちは重い。想定している内容だったとして、どう答えるか。
迷っているようで、見つけられる回答はひとつしかなく。他の術を探したいと足掻くように、導き出されている解に問いがグルグルと回る。
それでも、他の術は見出せない。
導き出している解を良しとできないのは、何人もの大切な人を傷つけるからだ。けれど、これ以上先延ばしにしたら、この方法を選ぶよりも恭良を傷つけてしまうかもしれない。
沙稀はノックをして入室する。すると、入れ替わりに大臣が扉へと寄る。珍しく大臣は、鍵をかけた。
大臣の机の前で足が止まった沙稀の前を、大臣が通過する。そうして、奥のソファーへと歩いて行く。
ソファーの手前で立ち止まった大臣は、沙稀が奥のソファーに座るのを待っているのだろう。暗黙の了解で沙稀が座ると、大臣は一礼して座り、向かい合う。
「そろそろ、お考えになってはいかがですか?」
素直に返事をするなら『否』だ。しかし、納得のできる解を持ち得ていない。『否』と感情で発言できることではないのだ。仕来りを重んじる沙稀であれば、余計に。
時機到来であるからこそ、大臣も今、提案している。三人目だ。次の機会は巡ってこないかもしれない。
「俺に……養子を迎えろって?」
「はい。誄姫がご懐妊されたと聞きました。沙稀様もお聞きですよね?」
沙稀は首肯する。瑠既も、もしかしたらこのような話が出るだろうと思っていたのではないかと想定して。けれど、あんな風に冷やかしてきた瑠既だ。瑠既から提案してくることは、ないだろう。
ただし、瑠既に覚悟がないかと言えば、否。瑠既は長男だが、沙稀が後継者と決まったときから理解はしているだろう。現実味がなかったとしても──。
「瑠既には……」
重い言葉は、一度胸でつかえて止まる。
数年前、友人が子どもを養子に出している。彼と瑠既はまったく違うが、当時の友人の様子が鮮明に思い出された。
同じような思いを瑠既にも、誄にもさせるのだと、胸が痛む。
「瑠既には、話したのか?」
長女のときの、大臣と沙稀からの忠告が利いたのか。次女は、彩綺と名付けられた。
瑠既は相変わらず、フラフラしている印象が沙稀にはある。髪を伸ばす気になったのかと見守っていたが、まるで法の抜け道を見つけたかのように襟足の一部を長くしているだけだ。うしろから見れば一本にまとめているように見えるが、留めるほどの量もない。
けれど、一方で長女の黎と次女の彩綺を連れ、四人で鴻嫗城に来ることもある。しっかり父も、夫もしているのだろう。
それだけのことなのに、沙稀は──いや、大臣も安心するのだから時折うんざりする。
沙稀と恭良は、まだ子宝に恵まれていない。
黎をかわいがっている沙稀を、城内の者たちは『物珍しいからではないか』と、囁いた。
沙稀は恭良と鐙鷃城に赴くことも増えた。元々、沙稀は恭良を気遣う。鐙鷃城に赴くのは、恭良に付き添っているのだろうと剣士たちは高を括っていた。
だが、黎が一歳になり、二歳になり、彩綺が生まれても、沙稀は変わらない。信じられないと言いたげな視線に周囲は変わっていき、むしろ姪を実の娘のようにかわいがっているようだとざわめく。そうして、沙稀は子ども好きだったのかと、噂されるようになった。
剣士たちは互いを疑うように見合う。
『これまで抱いていた沙稀様の印象は、多々違うものだったのかもしれない』と。
鴻嫗城の者たちの雰囲気に、沙稀が違和感を覚えたのは、姪がふたりになって、一年と少し経ったころだった。
違和感のせいか、瑠既にまでおかしいと首をひねる。ここしばらく誄の顔を見ない。瑠既は娘ふたりを連れて鴻嫗城に訪れるが、誄がいないのだ。
瑠既と誄が不仲になるような、何かがあったとは考えにくい。となりにいる恭良は妙に思わないのか、うれしそうに姪っ子たちを迎える。
「先に子どもたちと、中庭に行っていて」
沙稀は恭良に告げる。
「はい。……黎姫、彩綺姫、行きましょ」
恭良はお手本のように沙稀に返事をしたあと、両手を姪にそれぞれ差し出す。やっと歩けるようになった彩綺に合わせながら、恭良は幸せそうに姪と手を繋いで歩き始める。
姿が見えなくなると、沙稀は瑠既に率直な言葉を投げた。
「誄姫は、体調悪いのか?」
「まぁ……」
歯切れの悪い返答に、沙稀の眉は寄る。
「まぁ?」
呆れが半分、怒りが半分だ。心配じゃないのかと沙稀は言いたくなる。そこへ、
「病気じゃないし」
と、瑠既はまたよくわからないことを言う。
沙稀の感情が、より表情に浮かぶ。
瑠既は苦笑いを浮かべ、瞬時顔を背けた。そうして、言いにくそうに『あ~』と唸る。
「三人目」
一瞬にして沙稀の表情が驚きに変わる。沙稀にその発想はなかったのだ。
「ああ、そうか。……それは、おめでとう」
野暮なことを言ってしまったと、悔いる。
一方の瑠既は、黎のときも彩綺のときも、沙稀は一瞬、驚いたような顔をしたと思い出す。だが、黎のときは、その表情はすぐに祝福に変わったものだ。
彩綺のときは、少し悔しそうに瑠既には見えた。
報告が三回目となれば顔を曇らせてしまったかと、瑠既は沙稀を覗き込む。
「何?」
「悔しいんだ?」
瑠既の指摘に、沙稀はフイッと顔を背ける。返答こそないが、図星なのだろう。
「単に、相性だと俺は思うけど?」
瑠既の口調は軽い。それでも、沙稀には受け流せなかったのか。
「もしかしたら、俺……」
「ん?」
こぼれ落ちそうな沙稀の言葉を、瑠既は掬おうとする。その視線から、心配を汲み取ったのか、沙稀は咄嗟に訂正をする。
「なんでもない」
それでも瑠既には、なんとなく想像がついたのか。わざとらしく茶化す。
「気にするなよ。俺だって、倭穏と四年付き合ってても子どもができなかったんだから」
あえて『なかった』と断言したのが仇となったのか、直接触れてほしくない話題だったのか。沙稀は押し黙る。
地雷だったかと瑠既は判断するも、引ける状況でもない。瑠既は開き直り、沙稀の肩に腕を置く。
「それか、しすぎなんじゃないの?」
明らかな冷やかしだが、功を奏したか。冷やかしには乗らないと、瑠既の腕を振り払う。だが、沙稀はそのまま中庭へと向かって行く。
「ちょっと、俺も行くんだけど」
慌てて歩き出す瑠既に、
「お前は大臣に言ってくることがあるだろ」
と、沙稀は顔を向けて一言だけ言い、また足早で歩き始めた。
その夜、沙稀は大臣に呼ばれた。本来ならば、大臣が沙稀の部屋を訪ねるが、恭良がいては具合が悪いのだろう。
話の見当がつき、大臣の部屋を開ける沙稀の心持ちは重い。想定している内容だったとして、どう答えるか。
迷っているようで、見つけられる回答はひとつしかなく。他の術を探したいと足掻くように、導き出されている解に問いがグルグルと回る。
それでも、他の術は見出せない。
導き出している解を良しとできないのは、何人もの大切な人を傷つけるからだ。けれど、これ以上先延ばしにしたら、この方法を選ぶよりも恭良を傷つけてしまうかもしれない。
沙稀はノックをして入室する。すると、入れ替わりに大臣が扉へと寄る。珍しく大臣は、鍵をかけた。
大臣の机の前で足が止まった沙稀の前を、大臣が通過する。そうして、奥のソファーへと歩いて行く。
ソファーの手前で立ち止まった大臣は、沙稀が奥のソファーに座るのを待っているのだろう。暗黙の了解で沙稀が座ると、大臣は一礼して座り、向かい合う。
「そろそろ、お考えになってはいかがですか?」
素直に返事をするなら『否』だ。しかし、納得のできる解を持ち得ていない。『否』と感情で発言できることではないのだ。仕来りを重んじる沙稀であれば、余計に。
時機到来であるからこそ、大臣も今、提案している。三人目だ。次の機会は巡ってこないかもしれない。
「俺に……養子を迎えろって?」
「はい。誄姫がご懐妊されたと聞きました。沙稀様もお聞きですよね?」
沙稀は首肯する。瑠既も、もしかしたらこのような話が出るだろうと思っていたのではないかと想定して。けれど、あんな風に冷やかしてきた瑠既だ。瑠既から提案してくることは、ないだろう。
ただし、瑠既に覚悟がないかと言えば、否。瑠既は長男だが、沙稀が後継者と決まったときから理解はしているだろう。現実味がなかったとしても──。
「瑠既には……」
重い言葉は、一度胸でつかえて止まる。
数年前、友人が子どもを養子に出している。彼と瑠既はまったく違うが、当時の友人の様子が鮮明に思い出された。
同じような思いを瑠既にも、誄にもさせるのだと、胸が痛む。
「瑠既には、話したのか?」
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