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思い出
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鐙鷃城に宮城研究施設が設立してから、沙稀も少し書類の処理を手伝うようになった。設立間際は何かと大変なもので、日が浅い瑠既が抱え込むにしては、大変なものが多い。
書類に視線を向け淡々と裏門へと歩いていたが、
「あれ?」
と、沙稀は意外な人物を目にし呟く。
漆黒の長い髪。同様に、黒いマントを纏った人物。よく知っているのに、ただマントに鮮やかさがないだけで違和感を覚えてしまう。
けれど、再会した喜びが違和感を払拭する。
「来ていたんだ」
「うん。用事を済ますって名目で」
苦笑いをしても美しい顔立ち──羅凍だ。対する沙稀は笑う。
「稽古場を覗いて行く?」
来た道を戻るが、鐙鷃城へは急がない。一方、鴻嫗城の内部を把握できていない羅凍は、
「行っても構わないなら」
と、遠慮がちに答えた。
ふたりは剣士たちを遠目に見る。日頃、沙稀が指導するときよりも奥まった場所だ。ここならば、ふたりが話していても誰かの耳に届くことはない。
真剣に稽古を続ける剣士たちを、羅凍の瞳は映しているようで映していない。どことなくぼんやりしている羅凍を、沙稀は心配する。
「玄さん……大丈夫?」
すると、羅凍の視線がスッと落ちた。
「わからない。わりと何でも我慢して……言わないような人だから……」
確かに、言葉が本音とも限らない。ただし、これでは心が通じ合ってないと言っているようなものだ。沙稀に更に不安が募ると、ふと、羅凍が言った。
「会ったんだ」
瞬時で誰のことか沙稀に判断はできなかったが、羅凍がずっと想っていた人がいたと思い浮かべる。会ったことのない、人物の名を。
「ああ……あの子?」
沙稀はあえて名を出さない。けれど、羅凍にはきちんと誰と伝わったらしく、軽くうなづく。
「この間来てくれてから、少し経ったころに……会いに行った」
沙稀は驚く。羅凍は妻帯者だ。その妻は、身重だった時期で──冷静さを保とうと、沙稀は書類を足元に置く。
「俺さ、彼女がいいって言ってくれたら、城を出ようと思っていた」
あまりにも沙稀にとっては衝撃的で、思わず羅凍を見る。
たとえ羅凍を貴族らしくないと、自由でいてほしいと願うことがあっても、それは個性と解釈していた範囲のことで。結婚に夢を見ず、立場を割り切っていた羅凍が、身を固めてからまさか立場の破棄を考えるとは。
鴻嫗城の存続を第一に考える沙稀にとっては、考えつかないことだ。断じて自らは選ばない道に困惑する。
「でも、戻った。彼女はいいと言ってくれたけど……俺は、彼女に幸せになってほしいんだって気づいた。つくづく俺じゃ、彼女を幸せにできないんだって、痛感したんだ」
沙稀は、羅凍の想い人への強さを改めて思い知る。前回、羅凍と会ったときは想い人を何とか諦めようとしていた。玄と向き合おうとしていた。それでも、羅凍は断ち切れずに行動したのだ。
内容からして、羅凍と想い人は、両想いだった。──沙稀には両想いと認め合ったなら、その人と離れる決意はできない。生家を捨ててまで選ぶと決めたのなら、尚更。だからこそ、沙稀は生家のために生きると自ら道を選んだわけで。
もし、あのまま恭良と歩む道が分かれたとしても、構わないと想いを潰す方が楽だった。
羅凍はまっすぐだ。楽な方を選ばない。楽な道を探さない。曲がらないからこそ、貞操観念も曲げることはないと思っていた。勝手に沙稀が抱いていた羅凍への印象だが、その分、沙稀は動揺する。
「兄上たちの息子は蓮羅というんだけど、ある程度の年齢になれば、俺が剣術を教えることになる。兄上は、剣術が好きではないようだから」
『兄上たちの息子』と言ったが、以前の電話の話から推測するに、蓮羅は羅凍の息子だ。
辛そうに見えるのは、想い人への気持ちか、息子への気持ちか。
「基礎が多少、身についたら……たまに連れてきてもいい?」
「もちろん」
それも辛くないものかと沙稀は思うが、『親子』の時間が少しでも作れるならいいと願う。
ふと、羅凍は顔を上げた。
「恭良様は、まだ?」
数秒の間が停止した。何かと沙稀は口にしようとしたが、察し、言葉を変える。
「ああ……うん、まだ」
「そっか。望む気持ちが強いほど、授かれないのかもしれないね」
羅凍の言葉は沙稀に意味深に響く。
「また授かれば今度は……」
「今度か」
沙稀の声を遮り、羅凍は遠くを見て笑う。そうして、ちいさなため息をつき、独り言のように呟く。
「蓮羅を見る目は変わらないよ。いや……今度こそ迷うかもしれない。『この子をかわいがっていいのか』って。……俺は、捨てたも同然の立場だ」
「そんなことは……」
「玄さんには言わないでおこうという意向に、従った。産んで抱くこともできないまま、離れて……」
羅凍の声は徐々に消えていく。
蓮羅が産まれたときのこと。
羅凍は出産が終わったと聞き、居ても立っても居られなくなった。玄に、裏切ったと知られると、なぜだか急に落ち着かなくなった。
玄の眠る部屋の扉を開けると、ベッドは煌びやかな日差しに包まれていた。息を呑むほどの美しい光景の中、玄は寝ておらず──ベッドの上で泣いていた。
羅凍が来たと、気づいたのだろう。玄は顔を上げ、ポツリと雫が落ちるように呟く。
「知っていたのですか?」
書類に視線を向け淡々と裏門へと歩いていたが、
「あれ?」
と、沙稀は意外な人物を目にし呟く。
漆黒の長い髪。同様に、黒いマントを纏った人物。よく知っているのに、ただマントに鮮やかさがないだけで違和感を覚えてしまう。
けれど、再会した喜びが違和感を払拭する。
「来ていたんだ」
「うん。用事を済ますって名目で」
苦笑いをしても美しい顔立ち──羅凍だ。対する沙稀は笑う。
「稽古場を覗いて行く?」
来た道を戻るが、鐙鷃城へは急がない。一方、鴻嫗城の内部を把握できていない羅凍は、
「行っても構わないなら」
と、遠慮がちに答えた。
ふたりは剣士たちを遠目に見る。日頃、沙稀が指導するときよりも奥まった場所だ。ここならば、ふたりが話していても誰かの耳に届くことはない。
真剣に稽古を続ける剣士たちを、羅凍の瞳は映しているようで映していない。どことなくぼんやりしている羅凍を、沙稀は心配する。
「玄さん……大丈夫?」
すると、羅凍の視線がスッと落ちた。
「わからない。わりと何でも我慢して……言わないような人だから……」
確かに、言葉が本音とも限らない。ただし、これでは心が通じ合ってないと言っているようなものだ。沙稀に更に不安が募ると、ふと、羅凍が言った。
「会ったんだ」
瞬時で誰のことか沙稀に判断はできなかったが、羅凍がずっと想っていた人がいたと思い浮かべる。会ったことのない、人物の名を。
「ああ……あの子?」
沙稀はあえて名を出さない。けれど、羅凍にはきちんと誰と伝わったらしく、軽くうなづく。
「この間来てくれてから、少し経ったころに……会いに行った」
沙稀は驚く。羅凍は妻帯者だ。その妻は、身重だった時期で──冷静さを保とうと、沙稀は書類を足元に置く。
「俺さ、彼女がいいって言ってくれたら、城を出ようと思っていた」
あまりにも沙稀にとっては衝撃的で、思わず羅凍を見る。
たとえ羅凍を貴族らしくないと、自由でいてほしいと願うことがあっても、それは個性と解釈していた範囲のことで。結婚に夢を見ず、立場を割り切っていた羅凍が、身を固めてからまさか立場の破棄を考えるとは。
鴻嫗城の存続を第一に考える沙稀にとっては、考えつかないことだ。断じて自らは選ばない道に困惑する。
「でも、戻った。彼女はいいと言ってくれたけど……俺は、彼女に幸せになってほしいんだって気づいた。つくづく俺じゃ、彼女を幸せにできないんだって、痛感したんだ」
沙稀は、羅凍の想い人への強さを改めて思い知る。前回、羅凍と会ったときは想い人を何とか諦めようとしていた。玄と向き合おうとしていた。それでも、羅凍は断ち切れずに行動したのだ。
内容からして、羅凍と想い人は、両想いだった。──沙稀には両想いと認め合ったなら、その人と離れる決意はできない。生家を捨ててまで選ぶと決めたのなら、尚更。だからこそ、沙稀は生家のために生きると自ら道を選んだわけで。
もし、あのまま恭良と歩む道が分かれたとしても、構わないと想いを潰す方が楽だった。
羅凍はまっすぐだ。楽な方を選ばない。楽な道を探さない。曲がらないからこそ、貞操観念も曲げることはないと思っていた。勝手に沙稀が抱いていた羅凍への印象だが、その分、沙稀は動揺する。
「兄上たちの息子は蓮羅というんだけど、ある程度の年齢になれば、俺が剣術を教えることになる。兄上は、剣術が好きではないようだから」
『兄上たちの息子』と言ったが、以前の電話の話から推測するに、蓮羅は羅凍の息子だ。
辛そうに見えるのは、想い人への気持ちか、息子への気持ちか。
「基礎が多少、身についたら……たまに連れてきてもいい?」
「もちろん」
それも辛くないものかと沙稀は思うが、『親子』の時間が少しでも作れるならいいと願う。
ふと、羅凍は顔を上げた。
「恭良様は、まだ?」
数秒の間が停止した。何かと沙稀は口にしようとしたが、察し、言葉を変える。
「ああ……うん、まだ」
「そっか。望む気持ちが強いほど、授かれないのかもしれないね」
羅凍の言葉は沙稀に意味深に響く。
「また授かれば今度は……」
「今度か」
沙稀の声を遮り、羅凍は遠くを見て笑う。そうして、ちいさなため息をつき、独り言のように呟く。
「蓮羅を見る目は変わらないよ。いや……今度こそ迷うかもしれない。『この子をかわいがっていいのか』って。……俺は、捨てたも同然の立場だ」
「そんなことは……」
「玄さんには言わないでおこうという意向に、従った。産んで抱くこともできないまま、離れて……」
羅凍の声は徐々に消えていく。
蓮羅が産まれたときのこと。
羅凍は出産が終わったと聞き、居ても立っても居られなくなった。玄に、裏切ったと知られると、なぜだか急に落ち着かなくなった。
玄の眠る部屋の扉を開けると、ベッドは煌びやかな日差しに包まれていた。息を呑むほどの美しい光景の中、玄は寝ておらず──ベッドの上で泣いていた。
羅凍が来たと、気づいたのだろう。玄は顔を上げ、ポツリと雫が落ちるように呟く。
「知っていたのですか?」
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