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呈出と堅忍
【21】見えないもの(1)
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うっすらと日差しが室内に入り込み、瑠既は新しい朝を迎えたと気づいて目を覚ます。天井が高く、開放的な広さと清潔感が漂う室内。ガチャガチャ飾られているわけでも、簡素でもなく、程よい高級感。こういう雰囲気に、瑠既は慣れるのがはやかった。
元々このような雰囲気の中で育ち、慣れれば本来いるべきところにいる感覚がして、気が休まり安心する。
ふかふかとしたベッドの上で体勢を変え、すぐ横で眠っている誄を見つめる。ふっくらとした白い枕で気持ちよさそうに眠る誄。
ぼんやりと後悔が募る。
後悔してもしきれないと、何度思ったことか。
挙式を終えた夜のことだ。今日から夫婦になったと瑠既は妙に意識して、やけに緊張していた。身を固くしていると気づき、何を今更と嘲笑ったほどだ。
ふうっと息を吐いて、ベッドに膝から落ちた。ビシっと決めた服装のせいだと首元をゆるめる。同時に、気もゆるんだのだろう。意識を戻したときには、朝になっていた。
慌てて起きた。
青ざめて誄を探せば、どうにか端っこで横になれたようで、ぐっすりと眠る姿があった。
どんな思いで誄がそうして眠りについたのか想像すれば、瑠既の顔は真っ青になり、けれど、時間は戻らないとよく知っていて頭を抱える。
ただ、頭を抱えていてもどうにもならないと声にならぬ声を飲み、服を脱ぎ捨て、浴室へと赴く。
熱いシャワーを頭からかぶれば贅沢だと感じ、いつの間にか贅沢になじんできたと適応力の高さに呆れた。
自己嫌悪を流しきれないまま浴室を出れば、誄は起きていて。パッと赤く頬が染まり、視線を逸らされ、習慣が抜けていないと気づく。
衣服を身につけず、タオルが腰に巻いてあるだけ。髪を乾かさず、タオルで拭きながら上がってきた。誄には少々どころか、過度な刺激だったのだろう。慌てふためきながら、誄は部屋を飛び出していった。
身支度を整え顔を合わせて謝ったが、先ほどの件と思われ。勘違いされたが夜にまた謝ろうかと考えた。だが、それも不自然かとそのままにし──ぎこちないまま二日目の夜が過ぎ。
それから夜を迎える度に、手を伸ばしそうになっては手が戻ってしまった。挽回できるタイミングは、巡ってこなかった。
結婚する前、誄に冷たい態度を取った。婚約を解消しようともした。結婚するまで誄は、何度も何度も瑠既に歩み寄ろうとしてくれた。
誄に近づけないまま、単に傷つけるだけのことをした自覚もある。それでも、遠ざかることなく誄は傍にいて、結婚に至った。
なのに失態を重ねて、誄に見放されても仕方ないと諦めの気持ちが沸く。
ただ、悔しい想いも拭えない。
こればかりは勘なのだろう。倭穏でよく鍛えられたからと思えば、それも物悲しく。倭穏と同じように誄が思い行動したのだとしたら、二の舞を踏ませてしまったとしか思えなくなる。
見えていたはずの誄の気持ちが、見えない。
眠っている誄に手を伸ばす。すると、誄は目を覚ました。瑠既は咄嗟に手を戻し、誄に背を向ける。
誰が相手かと、検討がつかない。誄が表立つようになって、まだ日は浅い。それに、大陸外に赴いたわけで──と、瑠既はある人物を浮かべた。具体的に浮かび、ドクドクと脈が強く打つ。
その人物は、瑠既が梛懦乙大陸行きの船に乗ったときに出会った人物だ。
気品というより、落ち着いた雰囲気をまとっていて、けれど相反する見た目でもあり。それを補うかのようなしっかりとした服装で身を包み、博識そうな瞳をした男。
その男と、挙式のあとに久しぶりに会った。
綺のことを聞いたら事情を何も知らないだろうに、態度はどんどん怪訝になった。何かしたかと考え、その場では気づかなかったが腑に落ちる。
──なるほど。俺が誄姫と結婚したからか。
強く打っていた脈が落ち着いたかと思えば、鼓動がはやくなっている。誄を責めたくない。だからこそ、誄から何かを切り出されたくない。
怒りもある。悲しみもある。ただ、それよりも後悔の方が瑠既には大きい。
誄が瑠既を裏切る行為をしていたとしても、汚らわしいとか、気持ち悪いとか、そういう感情はない。むしろ、瑠既自身の方が余程汚れていると自らを見下す。
──目をつぶれる。一度くらい。いや、何度だって。ただ……。
倭穏のように、自らを傷つける行為だとするならば、それは辛い。単なる火遊びなのか。それとも、目移りをしたのか。
一度は誄に諦めてと伝えた身なのに、今度は手放す立場になるのかもしれないと腹をくくろうとする。三下り半を瑠既が受ければ、鴻嫗城に出戻るしかないだろう。生家に泥を塗ることになろうが、瑠既自身には恥も外聞もない。貴族に戻ったことの方が、奇跡だ。
誄を責めたくはないと、再確認するように繰り返す。
しばらく様子を見るしかない。様子を見た結果が、単なる火遊びなら見逃せると瑠既は自身を咎める。すでに向こうに気持ちがいっているのかもしれないと臆病にもなる。
ふと、沙稀から土産をもらったときのやりとりを思い出す。誄はまた眠りに落ちたのか、動く気配はない。真新しい箱を開け──吹きかける。慣れない香りが広がり、それとなく誄を見る。
誄の好きそうな香りだと、沙稀は言っていた。
空や海を浮かべる爽やかな香りを身にまとい、誄のことを何も知らないのかもしれないとさえ思う。
瑠既が起きれば、誄も起き、身支度を整えて鴻嫗城へと赴く。
そうして何日も鴻嫗城へと通い、書類の用意ができたからと誄は再び克主研究所へと向かう。
「行ってらっしゃい」
「行ってきますぅ」
誄は頬をほのかに赤らめる。瑠既はわざと照れたふりをし、手を振って見送るが、周囲の目があるからこそだ。沙稀にも大臣にも、恭良にも、誄の変化を知られなければいいと願う。
ひとりで出かけるようになった誄。これまで籠りきりだった分、不安が募っている。
数日前に克主研究所から帰ってきて以来、誄は首元と胸元を露出しなくなった。寒さのせいかもしれないが、別の理由だと胸がざわついている。
確かめる度胸がないのだから、情けない。
「相変わらず仲がよさそうで、安心した」
背後からの声にドキリとしたが、沙稀だとすぐに冷静さを取り戻す。口ぶりからして、瑠既が香水を変えたと、言いたいのだろう。
クルリと体を回転させ、
「お陰様で」
と礼を言い、背伸びを大袈裟にする。
「さ~て、鬼教官に教わりに行かないと」
元々このような雰囲気の中で育ち、慣れれば本来いるべきところにいる感覚がして、気が休まり安心する。
ふかふかとしたベッドの上で体勢を変え、すぐ横で眠っている誄を見つめる。ふっくらとした白い枕で気持ちよさそうに眠る誄。
ぼんやりと後悔が募る。
後悔してもしきれないと、何度思ったことか。
挙式を終えた夜のことだ。今日から夫婦になったと瑠既は妙に意識して、やけに緊張していた。身を固くしていると気づき、何を今更と嘲笑ったほどだ。
ふうっと息を吐いて、ベッドに膝から落ちた。ビシっと決めた服装のせいだと首元をゆるめる。同時に、気もゆるんだのだろう。意識を戻したときには、朝になっていた。
慌てて起きた。
青ざめて誄を探せば、どうにか端っこで横になれたようで、ぐっすりと眠る姿があった。
どんな思いで誄がそうして眠りについたのか想像すれば、瑠既の顔は真っ青になり、けれど、時間は戻らないとよく知っていて頭を抱える。
ただ、頭を抱えていてもどうにもならないと声にならぬ声を飲み、服を脱ぎ捨て、浴室へと赴く。
熱いシャワーを頭からかぶれば贅沢だと感じ、いつの間にか贅沢になじんできたと適応力の高さに呆れた。
自己嫌悪を流しきれないまま浴室を出れば、誄は起きていて。パッと赤く頬が染まり、視線を逸らされ、習慣が抜けていないと気づく。
衣服を身につけず、タオルが腰に巻いてあるだけ。髪を乾かさず、タオルで拭きながら上がってきた。誄には少々どころか、過度な刺激だったのだろう。慌てふためきながら、誄は部屋を飛び出していった。
身支度を整え顔を合わせて謝ったが、先ほどの件と思われ。勘違いされたが夜にまた謝ろうかと考えた。だが、それも不自然かとそのままにし──ぎこちないまま二日目の夜が過ぎ。
それから夜を迎える度に、手を伸ばしそうになっては手が戻ってしまった。挽回できるタイミングは、巡ってこなかった。
結婚する前、誄に冷たい態度を取った。婚約を解消しようともした。結婚するまで誄は、何度も何度も瑠既に歩み寄ろうとしてくれた。
誄に近づけないまま、単に傷つけるだけのことをした自覚もある。それでも、遠ざかることなく誄は傍にいて、結婚に至った。
なのに失態を重ねて、誄に見放されても仕方ないと諦めの気持ちが沸く。
ただ、悔しい想いも拭えない。
こればかりは勘なのだろう。倭穏でよく鍛えられたからと思えば、それも物悲しく。倭穏と同じように誄が思い行動したのだとしたら、二の舞を踏ませてしまったとしか思えなくなる。
見えていたはずの誄の気持ちが、見えない。
眠っている誄に手を伸ばす。すると、誄は目を覚ました。瑠既は咄嗟に手を戻し、誄に背を向ける。
誰が相手かと、検討がつかない。誄が表立つようになって、まだ日は浅い。それに、大陸外に赴いたわけで──と、瑠既はある人物を浮かべた。具体的に浮かび、ドクドクと脈が強く打つ。
その人物は、瑠既が梛懦乙大陸行きの船に乗ったときに出会った人物だ。
気品というより、落ち着いた雰囲気をまとっていて、けれど相反する見た目でもあり。それを補うかのようなしっかりとした服装で身を包み、博識そうな瞳をした男。
その男と、挙式のあとに久しぶりに会った。
綺のことを聞いたら事情を何も知らないだろうに、態度はどんどん怪訝になった。何かしたかと考え、その場では気づかなかったが腑に落ちる。
──なるほど。俺が誄姫と結婚したからか。
強く打っていた脈が落ち着いたかと思えば、鼓動がはやくなっている。誄を責めたくない。だからこそ、誄から何かを切り出されたくない。
怒りもある。悲しみもある。ただ、それよりも後悔の方が瑠既には大きい。
誄が瑠既を裏切る行為をしていたとしても、汚らわしいとか、気持ち悪いとか、そういう感情はない。むしろ、瑠既自身の方が余程汚れていると自らを見下す。
──目をつぶれる。一度くらい。いや、何度だって。ただ……。
倭穏のように、自らを傷つける行為だとするならば、それは辛い。単なる火遊びなのか。それとも、目移りをしたのか。
一度は誄に諦めてと伝えた身なのに、今度は手放す立場になるのかもしれないと腹をくくろうとする。三下り半を瑠既が受ければ、鴻嫗城に出戻るしかないだろう。生家に泥を塗ることになろうが、瑠既自身には恥も外聞もない。貴族に戻ったことの方が、奇跡だ。
誄を責めたくはないと、再確認するように繰り返す。
しばらく様子を見るしかない。様子を見た結果が、単なる火遊びなら見逃せると瑠既は自身を咎める。すでに向こうに気持ちがいっているのかもしれないと臆病にもなる。
ふと、沙稀から土産をもらったときのやりとりを思い出す。誄はまた眠りに落ちたのか、動く気配はない。真新しい箱を開け──吹きかける。慣れない香りが広がり、それとなく誄を見る。
誄の好きそうな香りだと、沙稀は言っていた。
空や海を浮かべる爽やかな香りを身にまとい、誄のことを何も知らないのかもしれないとさえ思う。
瑠既が起きれば、誄も起き、身支度を整えて鴻嫗城へと赴く。
そうして何日も鴻嫗城へと通い、書類の用意ができたからと誄は再び克主研究所へと向かう。
「行ってらっしゃい」
「行ってきますぅ」
誄は頬をほのかに赤らめる。瑠既はわざと照れたふりをし、手を振って見送るが、周囲の目があるからこそだ。沙稀にも大臣にも、恭良にも、誄の変化を知られなければいいと願う。
ひとりで出かけるようになった誄。これまで籠りきりだった分、不安が募っている。
数日前に克主研究所から帰ってきて以来、誄は首元と胸元を露出しなくなった。寒さのせいかもしれないが、別の理由だと胸がざわついている。
確かめる度胸がないのだから、情けない。
「相変わらず仲がよさそうで、安心した」
背後からの声にドキリとしたが、沙稀だとすぐに冷静さを取り戻す。口ぶりからして、瑠既が香水を変えたと、言いたいのだろう。
クルリと体を回転させ、
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