上 下
194 / 379
呈出と堅忍

【18】呈出

しおりを挟む
 他人事のように感じていた瑠既リュウキも、徐々に顔面蒼白になっていく。沙稀イサキは一メートルほど間隔を開けて立ち止まり、固く結んでいた唇を開く。
恭良ユキヅキに触れるなと……言ったよな?」
 変らぬ殺気に、大臣は瑠既リュウキの前に出る。今の沙稀イサキには、実力行使しかないと判断したのだろう。
 一直線に瑠既リュウキを見ていた視界に、割り込んできたのが不快だというように、沙稀イサキが警告をする。
「大臣、そこを退け」
「退きません」
 ふたりが睨み合ったのは、一瞬。恭良ユキヅキが追いつく間際、沙稀イサキは足を踏み出す。
「それなら……まとめて切り倒すまでだ」
「止めてっ!」
 沙稀イサキが剣を振り上げる刹那、恭良ユキヅキが追い越す。そうして、剣を振り下ろそうとしたとき、恭良ユキヅキは大臣に並び──クルリと振り向いた。
 大臣のいない方から、沙稀イサキの剣は瑠既リュウキを狙っていた。
 それが凶と出た。
 照準よりも手前に、恭良ユキヅキがいる。恐怖から身を固くし、けれど、大切な人を守るように身を挺する。
 誰にも止められなかった沙稀イサキの剣が、ピタリと停止した。判断というより、本能で沙稀イサキは止めたのだろう。
 滅多に呼吸を乱さない沙稀イサキの呼吸が乱れている。切りつけようと勇んでいたときよりも、強く剣を握っている。あふれ出た汗は、冷や汗かもしれない。
 恭良ユキヅキのどこかをかすめたかもしれない──恐れるからこそ、動けないのか。そんな沙稀イサキの剣先を、大臣はゆっくりと持ち上げていく。
沙稀イサキ様」
 放心状態だったのか、沙稀イサキは大臣の呼びかけにハッと息を吸い直し、視線を向ける。サッと刃先を大臣が手放せば、我に返ったように剣を戻す。
 恭良ユキヅキは、痛みがないと気づいたのか。力をゆるめる。
 瑠既リュウキは刺激を与えまいとしているのか、恭良ユキヅキにも沙稀イサキにも声をかけない。ルイが、ようやく事情を飲み込む。
 青ざめた沙稀イサキは、恭良ユキヅキが無傷かと目を忙しく動かし確認。──ふと、視線が合う。
 恭良ユキヅキに畏怖は残っていないのだろう。何か言おうと唇を開く。
 同時、沙稀イサキには後ろめたい気持ちがあるのだろう。途端に沙稀イサキは駆け出す。
沙稀イサキ様!」
 叫んだのは、大臣とルイ

 どちらの声も、沙稀イサキには届いていたはずだ。だが、沙稀イサキは止まることも、戻ることもない。
 恭良ユキヅキを斬ろうとした。
 結果的にそうなっただけだが、事実は事実。重くのしかかる。尚且つ、恭良ユキヅキは命を投げ出すかのように、沙稀イサキの狙った人物を庇った。恭良ユキヅキなら、そういう行動をするかもしれないと冷静になってみても、心境がそれをよしと判断しない。
 髪に触れた人物を庇う行為に、理解を示せない。
 なぜ、触れさせたのか。
 なぜ、庇ったのか。
 なぜばかりが増えていき、憤る。
 船の中で、散々苦しんだ思いが再熱し、沙稀イサキを強烈に苦しめる。会えれば楽になると思っていたのに、より苦しんでいる。

 自室で冷静になろうと努めていると、扉の開く音がした。警戒が強くなっている沙稀イサキの聴力が、近づいてくる足音を拾う。誰なのか、見当はついている。
「出て行って。会いたくない」
「嫌。私は会いたくて、ずっと待っていたんだもの」
 入ってきたのは恭良ユキヅキだ。来ると期待をして、わざわざ鍵を締めずにいただろうに、来たら来たで苛立ちが増加していく。子どもじみている──自覚しても、抑えられずに叫ぶ。
「会いたくないって言っているだろ! 出て行け!」
 矛盾する感情で表情が歪む。ひどい言葉を浴びせたかったわけでも、こんな姿を見せたかったわけでもない。でも、どうすることもできない。
 パタリと背後で扉が閉まった。
 呆れて恭良ユキヅキが出て行ったのかもしれないと、沙稀イサキは扉を見る。だが、扉の前には恭良ユキヅキがいた。
 恭良ユキヅキはジッと沙稀イサキを見つめ、近づいてくる。
「どうして……」
 立ち尽くして呟いた沙稀イサキの視線が、どんどん下がっていく。その間も、恭良ユキヅキは足を踏み出す。
「どうして?」
 感情がコントロールできなくなっている。八つ当たりだ。だから言葉を呑み込もうとするのに、それすらもできない。
 子どもじみているどころではなく、子どもそのものだ。いいや、母、紗如サユキが亡くなったときでさえ、しっかりしなくてはと涙を止めることができた。
「どうして瑠既リュウキを庇った? どうして瑠既リュウキに触れさせた? 瑠既リュウキが好きなの? 俺がいない間に……瑠既リュウキと、何をしていたの?」
 自制ができない。
 くだらないし、実に無意味だ。恭良ユキヅキの想いを疑っているわけではないのだから。
 過度な承認欲求だ。単に瑠既リュウキへの嫉妬だ。失ったクロッカスの色彩、身長差、声も瑠既リュウキと重ねて比べて、『本当は今と違かったのではないか』という残骸を消し去ってほしいだけだ。
 残骸があるからこそ、瑠既リュウキの方がいいのかと、その一心に支配されている。
沙稀イサキ……何を想像しているの?」
『何を』、瑠既リュウキ恭良ユキヅキの髪型を変えただけだが、沙稀イサキが想像した具体例はかけ離れたものだったのだろう。うつむいていた顔を咄嗟に上げ、恭良ユキヅキを見た顔色は、まともな想像をしていたとは言えないものになっている。
「私は、お兄様を『お兄様』としか見ていないのに。どうしたの? どうして、そんなに悲しむの?」
 恭良ユキヅキ沙稀イサキの左頬に触れ、下から覗き込む。
「いつまでたっても私は、お兄様と私のふたり兄妹のままなの。私には、どうしてもお兄様と沙稀イサキが双子だとは思えない。……ひどい? 沙稀イサキからお兄様を、私が奪ってしまって……ひどい?」
「違う」
 不安が消え去り、沙稀イサキは左手を恭良ユキヅキの手に重ねる。沙稀イサキには双子の兄を恭良ユキヅキに奪われたとは、微塵にも感じない。むしろ、瑠既リュウキと双子だと事実を知らせてからも、沙稀イサキを個として認識していると安堵したくらいだ。
 無駄な残骸が消え去り、愛おしい気持ちだけが残る。
 ただ、沙稀イサキの混乱が恭良ユキヅキに正確に伝わっていたかは、別問題で。恭良ユキヅキ恭良ユキヅキの持論を続ける。
「私の中には確かにいるの。記憶もないのに、確かにかわいがってくれた『お兄様』が……私の中には、いるの」
 その『兄』の存在を、沙稀イサキは嫌というほど知っている。
恭良ユキヅキ
 だが、誰とは言えず、沙稀イサキ恭良ユキヅキを抱き寄せる。
「私は沙稀イサキが好きよ。今のままの沙稀イサキが好き。髪の色も、瞳の色も何もかも、私の知っている沙稀イサキは、今のままの人よ?」
 それでいい──それでよかったと、沙稀イサキは再び心に決める。恭良ユキヅキが見て、触れているこの姿を好きになろうと。
 恭良ユキヅキがそばにいてくれれば、何であろうと容易なことだ。何が真実であろうと、真実でなかろうと構わない。

 ただ、ひとつだけ──決して真実ではあってほしくないことが、ひとつ過る。

 それは、たとえ真実であるなら沙稀イサキも知りたくないというのが本音であり、誰にも知られたくないことであり、最も、恭良ユキヅキに知られたくないことで。
 恭良ユキヅキを好奇の目にさらしたくないと強く願う。罪に苛まれる意識の中に、恭良ユキヅキを道連れにはしたくないと、切に願う。
 都合がよすぎる。だから、犠牲を払うのなら、自らを差し出すと誓う。
恭良ユキヅキ、俺は恭良ユキヅキがいなくては……生きていけそうにない」
 愛おしくて涙があふれる。言葉にできず、行動に移す。愛を囁かなくとも、愛を伝えるための行いを。

 数分後、ふたりの唇が離れると、恭良ユキヅキ沙稀イサキの両頬に両手を添える。
「私は何があっても、沙稀イサキを離したりなんか、しないわ」
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

【1/23取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

愛のゆくえ【完結】

春の小径
恋愛
私、あなたが好きでした ですが、告白した私にあなたは言いました 「妹にしか思えない」 私は幼馴染みと婚約しました それなのに、あなたはなぜ今になって私にプロポーズするのですか? ☆12時30分より1時間更新 (6月1日0時30分 完結) こう言う話はサクッと完結してから読みたいですよね? ……違う? とりあえず13日後ではなく13時間で完結させてみました。 他社でも公開

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

私は貴方を許さない

白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。 前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。

女性として見れない私は、もう不要な様です〜俺の事は忘れて幸せになって欲しい。と言われたのでそうする事にした結果〜

流雲青人
恋愛
子爵令嬢のプレセアは目の前に広がる光景に静かに涙を零した。 偶然にも居合わせてしまったのだ。 学園の裏庭で、婚約者がプレセアの友人へと告白している場面に。 そして後日、婚約者に呼び出され告げられた。 「君を女性として見ることが出来ない」 幼馴染であり、共に過ごして来た時間はとても長い。 その中でどうやら彼はプレセアを友人以上として見れなくなってしまったらしい。 「俺の事は忘れて幸せになって欲しい。君は幸せになるべき人だから」 大切な二人だからこそ、清く身を引いて、大好きな人と友人の恋を応援したい。 そう思っている筈なのに、恋心がその気持ちを邪魔してきて...。 ※ ゆるふわ設定です。 完結しました。

貴方といると、お茶が不味い

わらびもち
恋愛
貴方の婚約者は私。 なのに貴方は私との逢瀬に別の女性を同伴する。 王太子殿下の婚約者である令嬢を―――。

処理中です...