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呈出と堅忍
【17】悋気
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高くそびえる塀の奥に、臙脂色の半休体や三角錐の屋根が並んでいる。平和で爽やかな朝を迎え、太陽に屋根が照らされ赤く輝く。
キラキラとした輝きは城内にも差し込み、俗世から離れたような異空間を作り上げる。いや、その雰囲気はこの城の姫が作り上げているのかもしれない。そう、数十枚の書類をパラパラと捲ってにこやかに微笑んでいる姫──いや、王妃となった恭良が。
恭良は書類にひと段落つけ、瑠既に近づく。
「ねぇ、お兄様。お願いが」
「何?」
瑠既は一歩後退する。たじろぐような瑠既をよそに、伏し目がちにうつむく様子は告白直前のよう。
「沙稀が帰って来る前に……髪型を変えてほしいの」
瑠既は気が抜け、軽く笑う。
「前にお姉様から聞いちゃった。たまに、お姉様の髪型をお兄様が変えていらっしゃるのでしょう?」
照れた様子から一変し、恭良はすっかり普段の様子に戻っている。
「あ~、まぁ……」
瑠既は言葉を濁す。
そもそも、瑠既が誄の髪型をたまに変えるのは、今に始まったことではない。幼いころから誄の髪を触りたいがための口実だ。
長い年月が流れても、その口実は変らない。
「何、沙稀にほめてもらいたいんだ?」
恭良は肩をすくめ、頬を赤くしうなづく。沙稀が今の恭良を見たら喜ぶだろう。
「うん」
「罪だねぇ。あれ以上、惚れさせてどうしたいの?」
「ええ? 女の子は好きな人にいつまでも『かわいいね』って言われたいものよ」
「はいはい、わかりました。え~っと、沙稀が好きそうなのにすればいい?」
「うん」
満面の笑みで返事をする恭良とは対照的に、瑠既はため息を吐く。沙稀が喜ぶからと思っても、乗り気ではない。
瑠既は恭良を座らせ、背後にまわる。右耳の上から左耳に向かって編み込みを始めた。
「お迎えに行きたいなぁ」
「勘弁してくれよ。お前を外に出したら俺も大臣も、沙稀に何言われるか分からねぇよ」
「でも……」
「ん~……、じゃあ、正面の入り口前で大臣と三人で待つか?」
「うん。そこで我慢する」
ちいさな声に、瑠既は笑う。
「まったく……泣くな。そろそろ沙稀が帰って来るんだから」
「泣いてないもん」
「泣きそうだ。お前を泣かせたと沙稀に誤解されたら困る」
「お兄様! その言い方はあんまりよ」
「いやいや、保身は大事だぜ?」
「もう」
恭良は怒ったかのように言い、笑う。実に楽しそうだ。
瑠既は逆側も同じように編み込むと左上に白いリボンをつけ、編み込みをカチューシャのように仕上げた。
「はい。お姫様、どうでしょう?」
鏡を恭良の前で開き、髪型を確認させる。鏡に映る姿に心が躍ったのか、恭良の表情は晴れやかになる。
「ありがとう、お兄様」
「おや、お気に召したかな?」
右手を頬にあて、照れ笑いを浮かべる恭良。髪型が気に入ったこともあるのだろうが、もうすぐ沙稀に会えることがうれしいようにも見える。
半ば呆れ混じりのため息を瑠既は落とし、鏡を閉じた。
「じゃ、行くか」
書類の上に鏡を置く。
恭良はすでに室内を出ようとしていた。
気持ちが高揚しているのか、恭良は楽しそうに弾んで歩いている。鼻歌が聞こえてきそうな背中に、瑠既は見入る。
──違和感があった……気がしたんだが。
帰城してからも、瑠既は恭良にいい印象を持っていない。沙稀が好意を持っていたから応援しようと思っただけで。義理の妹になるから、なったから仲良くしていこうという意識なだけだ。ただ、そうして接していても、印象が好転することはなく。
見えなくなった背中につられて、足が動く。廊下に出ると、クルリと恭良が振り向いた。
「お兄様?」
離れた距離をふしぎに思うでもなく、恭良は微笑み、どうしたのかと尋ねているようで──瑠既の背筋が伸びる。
「ああ、わりぃ」
瑠既は小走りで駆け寄る。そんな瑠既を恭良はクスクスと笑う。
どこか、ちぐはぐな気がした。けれど、どこと指摘できることではなく、単に直感という感覚に近い。気がしただけであり、気のせいだと流すこともできて──瑠既はそう流してやり過ごし、大臣と合流して正面の入り口前で待つ。
一方の沙稀と誄は、予定の時刻に無事合流していた。誄は珍しく首や肩をストールで巻いていたが、暑さが遠のいたと思えば不自然ではなく。沙稀は特に気にとめず、来た道のように談笑しながら帰路につく。
「ただいま」
「ただいま戻りました」
多少の疲労が伺える声と、疲れを感じさせないおだやかな声に、恭良の表情はパッと明るくなる。
「お帰りなさい!」
「お帰り」
「お帰りなさいませ」
安心から口角が上がる瑠既と、深々と頭を下げて出迎える大臣。
疲れが吹き飛んだかのように、沙稀も表情が晴れた──のは、一瞬で。次第にその表情は驚きに変わり、曇っていく。
「おかえりなさい、お姉様」
「ただいまですぅ」
子犬のように恭良が駆け寄ったのは、誄で。仲睦まじい会話は、沙稀の耳を通過する。
立ち止まったままの沙稀に気づいたのか、恭良は毛先をいじりながら今度は沙稀に近づく。
「どう……かな? あのね、お兄様にかわいい髪型していただいたの。似合う?」
照れながら微笑む恭良。こんな表情を目の当たりにしたら、日頃の沙稀であれば、何もかもが浄化されて幸せに包まれただろう。
しかし、会えなかった時間で過度なストレスを抱えていたのか。突如、予想外の行動に出る。
沙稀は恭良に背を向けたかと思うと、その眼光は鋭く瑠既を捉えていた。徐々に加速していく足。スッと、左手が右脇にある剣をつかむ。
異変に気づいたのは、大臣だ。
「駄目です!」
緊張の面持ちで大臣は沙稀を止めようと前に出る。だが、沙稀は歩みを止めるどころか、ためらいなく剣を抜いた。
「駄目っ!」
恭良が叫ぶころ、大臣が意を決し鞘から剣を外す。差し違える覚悟だ。
状況が飲み込めない誄を差し置いて、恭良は走り出す。ただならぬ雰囲気に、瑠既は何事かと驚く。
「は?」
思考停止とは、正にこういう状況なのだろう。瑠既は、まるで他人の視界を映像で見ているかのような錯覚に陥る。
それはそうだ。双子の弟が殺気を放ち、左手で握りしめる剣で──仕留めようと近づいてくるのだから。
キラキラとした輝きは城内にも差し込み、俗世から離れたような異空間を作り上げる。いや、その雰囲気はこの城の姫が作り上げているのかもしれない。そう、数十枚の書類をパラパラと捲ってにこやかに微笑んでいる姫──いや、王妃となった恭良が。
恭良は書類にひと段落つけ、瑠既に近づく。
「ねぇ、お兄様。お願いが」
「何?」
瑠既は一歩後退する。たじろぐような瑠既をよそに、伏し目がちにうつむく様子は告白直前のよう。
「沙稀が帰って来る前に……髪型を変えてほしいの」
瑠既は気が抜け、軽く笑う。
「前にお姉様から聞いちゃった。たまに、お姉様の髪型をお兄様が変えていらっしゃるのでしょう?」
照れた様子から一変し、恭良はすっかり普段の様子に戻っている。
「あ~、まぁ……」
瑠既は言葉を濁す。
そもそも、瑠既が誄の髪型をたまに変えるのは、今に始まったことではない。幼いころから誄の髪を触りたいがための口実だ。
長い年月が流れても、その口実は変らない。
「何、沙稀にほめてもらいたいんだ?」
恭良は肩をすくめ、頬を赤くしうなづく。沙稀が今の恭良を見たら喜ぶだろう。
「うん」
「罪だねぇ。あれ以上、惚れさせてどうしたいの?」
「ええ? 女の子は好きな人にいつまでも『かわいいね』って言われたいものよ」
「はいはい、わかりました。え~っと、沙稀が好きそうなのにすればいい?」
「うん」
満面の笑みで返事をする恭良とは対照的に、瑠既はため息を吐く。沙稀が喜ぶからと思っても、乗り気ではない。
瑠既は恭良を座らせ、背後にまわる。右耳の上から左耳に向かって編み込みを始めた。
「お迎えに行きたいなぁ」
「勘弁してくれよ。お前を外に出したら俺も大臣も、沙稀に何言われるか分からねぇよ」
「でも……」
「ん~……、じゃあ、正面の入り口前で大臣と三人で待つか?」
「うん。そこで我慢する」
ちいさな声に、瑠既は笑う。
「まったく……泣くな。そろそろ沙稀が帰って来るんだから」
「泣いてないもん」
「泣きそうだ。お前を泣かせたと沙稀に誤解されたら困る」
「お兄様! その言い方はあんまりよ」
「いやいや、保身は大事だぜ?」
「もう」
恭良は怒ったかのように言い、笑う。実に楽しそうだ。
瑠既は逆側も同じように編み込むと左上に白いリボンをつけ、編み込みをカチューシャのように仕上げた。
「はい。お姫様、どうでしょう?」
鏡を恭良の前で開き、髪型を確認させる。鏡に映る姿に心が躍ったのか、恭良の表情は晴れやかになる。
「ありがとう、お兄様」
「おや、お気に召したかな?」
右手を頬にあて、照れ笑いを浮かべる恭良。髪型が気に入ったこともあるのだろうが、もうすぐ沙稀に会えることがうれしいようにも見える。
半ば呆れ混じりのため息を瑠既は落とし、鏡を閉じた。
「じゃ、行くか」
書類の上に鏡を置く。
恭良はすでに室内を出ようとしていた。
気持ちが高揚しているのか、恭良は楽しそうに弾んで歩いている。鼻歌が聞こえてきそうな背中に、瑠既は見入る。
──違和感があった……気がしたんだが。
帰城してからも、瑠既は恭良にいい印象を持っていない。沙稀が好意を持っていたから応援しようと思っただけで。義理の妹になるから、なったから仲良くしていこうという意識なだけだ。ただ、そうして接していても、印象が好転することはなく。
見えなくなった背中につられて、足が動く。廊下に出ると、クルリと恭良が振り向いた。
「お兄様?」
離れた距離をふしぎに思うでもなく、恭良は微笑み、どうしたのかと尋ねているようで──瑠既の背筋が伸びる。
「ああ、わりぃ」
瑠既は小走りで駆け寄る。そんな瑠既を恭良はクスクスと笑う。
どこか、ちぐはぐな気がした。けれど、どこと指摘できることではなく、単に直感という感覚に近い。気がしただけであり、気のせいだと流すこともできて──瑠既はそう流してやり過ごし、大臣と合流して正面の入り口前で待つ。
一方の沙稀と誄は、予定の時刻に無事合流していた。誄は珍しく首や肩をストールで巻いていたが、暑さが遠のいたと思えば不自然ではなく。沙稀は特に気にとめず、来た道のように談笑しながら帰路につく。
「ただいま」
「ただいま戻りました」
多少の疲労が伺える声と、疲れを感じさせないおだやかな声に、恭良の表情はパッと明るくなる。
「お帰りなさい!」
「お帰り」
「お帰りなさいませ」
安心から口角が上がる瑠既と、深々と頭を下げて出迎える大臣。
疲れが吹き飛んだかのように、沙稀も表情が晴れた──のは、一瞬で。次第にその表情は驚きに変わり、曇っていく。
「おかえりなさい、お姉様」
「ただいまですぅ」
子犬のように恭良が駆け寄ったのは、誄で。仲睦まじい会話は、沙稀の耳を通過する。
立ち止まったままの沙稀に気づいたのか、恭良は毛先をいじりながら今度は沙稀に近づく。
「どう……かな? あのね、お兄様にかわいい髪型していただいたの。似合う?」
照れながら微笑む恭良。こんな表情を目の当たりにしたら、日頃の沙稀であれば、何もかもが浄化されて幸せに包まれただろう。
しかし、会えなかった時間で過度なストレスを抱えていたのか。突如、予想外の行動に出る。
沙稀は恭良に背を向けたかと思うと、その眼光は鋭く瑠既を捉えていた。徐々に加速していく足。スッと、左手が右脇にある剣をつかむ。
異変に気づいたのは、大臣だ。
「駄目です!」
緊張の面持ちで大臣は沙稀を止めようと前に出る。だが、沙稀は歩みを止めるどころか、ためらいなく剣を抜いた。
「駄目っ!」
恭良が叫ぶころ、大臣が意を決し鞘から剣を外す。差し違える覚悟だ。
状況が飲み込めない誄を差し置いて、恭良は走り出す。ただならぬ雰囲気に、瑠既は何事かと驚く。
「は?」
思考停止とは、正にこういう状況なのだろう。瑠既は、まるで他人の視界を映像で見ているかのような錯覚に陥る。
それはそうだ。双子の弟が殺気を放ち、左手で握りしめる剣で──仕留めようと近づいてくるのだから。
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