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期待
【10】年上の義弟
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忒畝はある夢を思い出していた。父の四十九日が過ぎたころに見た夢だ。暗闇の中でひとり膝を抱え、じっと何かに耐えていた。それは父を失った悲しさや辛さなのか──いや、むしろ心は無で。ただ、ひたすらじっと下を見つめ、ぎゅっと腕を握りしめて座っていた。
真っ暗な空間のはずなのに、誰かの足がすっと忒畝の視界に入ってきた。それを不思議に思い、顔を上げる。そこには生前の悠畝の姿があった。
父はやさしく囁く。
「さぁ、立ち上がるんだ忒畝。君は強い子だ。僕の自慢の息子なんだ。とても愛しているよ。僕が君たちの傍を離れるわけじゃない。たとえ肉体がこの世からなくなったとしても、僕はここにいるよ」
おだやかなであたたかい声。そして、何よりにこやかに微笑む姿に、忒畝は信じられずに呆然とする。
一方で悠畝は、ゆっくりと手を差し伸べる。その姿を忒畝はしばらく見つめていたが、次第に手を伸ばした。
悠畝は屈むでもなく、忒畝を救い上げるでもない。忒畝が何をするにも、悠畝はじっと待ってくれていた。いつも、ずっと。そう、どんなに遅くても。
目の前にいるのは、紛れもなく父だ。忒畝は我を取り戻すかのように、差し伸べられた手をつかむ。
やさしい光が、忒畝を包み込んだ。
闇が光に消されていく。
忒畝はゆっくりと上がっていく悠畝の手につられて、立ち上がる。ふと、悠畝は安心したように笑った。
「お願いだ。忒畝、笑ってくれるかい?」
父の安らかな笑顔。もう見られないと思っていた表情に、忒畝の心は喜びであふれていく。
「はい」
自然とこぼれた笑みは、言葉を理解して作ったわけではなく。幼いころのように、ただ、父がいてくれる安心感と喜びでこぼれたものだった。
憧れ続けた父。そんな『父の代わり』を、忒畝は今日しているのかと漠然と思っていた。忒畝は自室にいるが、テーブルを挟んで前に座っているのは年上の大男だ。そのとなりには、にこにこと笑っている妹の悠穂。
悠穂は悠穂で、ガリレオ湿度計や科学的なインテリアなどの趣味丸出しの部屋に、兄が快く婚約者を通してくれたことを喜んでいる。悠穂は忒畝が誰でも自室に招くわけではないと知っているし、入室も許可するわけではないとよく知っている。兄は立場があるからこそ社交的に振舞っているだけで、実に保守的な人物だと見ている。そう思えば、妹の心配は尽きずに。それこそ、本当に君主になりたかったのかと、たまに心配してしまうくらいだ。
何はともあれ、悠穂からすればこうして兄が自室への入室を許可した時点で、不安は何もなく。ただ、物事が進むのを安心して待つばかり。
けれど、君主を目の前にして座る大男は、まるで拾われた子犬かのように何もわからず、ただ緊張を増していくばかりで。この男の気持ちを微塵も想像しない兄妹のごとく、テーブルの上では、あたたかいアップルティーがのほほんと湯気を上げている。
ゆらゆらと、どのくらい湯気が空気に溶けていったころだろうか。静かな空間は、突如、崩される。
「お義兄さんと結婚させて下さいっ!」
意を決したのか、勢いよく大男は頭を下げた。
ティーカップたちは小話するかのように、ちいさな音を立てる。
勢いに圧倒されたのか、忒畝は瞬時、言葉を失っている。悠穂は──思いっきり笑っていた。
「え~……っと」
忒畝は苦笑いだ。すると、笑い転げていた悠穂が笑い混じりに話す。
「あはは……ねぇ、鷹。なんか飛ばしてない? ふふ……それとも、お兄ちゃんと結婚したいの?」
悠穂の指摘を受け、大男は目を見開く。そうして、次の瞬間には声にならない叫びをあげた。わざわざ言葉に変換するならば、『男が決めるべきことろを!』。悠穂にはその絶叫が聞き取れたのだろう。再びケラケラと笑っている。
けれど、ここには話の舵を握ろうとする冷静な人物がきちんといて。
「悠穂と、でしょ?」
仲いいふたりのやりとりに、忒畝は微笑ましく思いながら話を進めようとする。
半分パニック状態の鷹は、日頃の豪快さは皆無。緊張のあまりだろうが、似つかわしくない涙目になりコクコクとうなずいている。
こんな鷹の姿を他の誰かが見たら、『情けない』と言うかもしれない。ただ、忒畝に迷いはない。
「いいよ。悠穂を幸せにしてね」
忒畝の願いはひとつ。悠穂が幸せになることだ。これほど楽しそうに悠穂が笑っているのだから、忒畝に迷いは生じない。
無邪気に忒畝は言ったが、鷹は唐突に立ち上がる。どうしたものかと忒畝が鷹を見上げていると、両手の拳に力を入れ、部屋の一番遠くにある窓へ向かって走り出していった。
「うぅぉおおお!」
窓に向かって叫ぶ姿は、雄叫びを上げる狼そのもの。
遠目に鷹を見て、忒畝は悠穂にこっそりと言う。
「何だか、悠穂が選んだ人っていうのが意外だけど」
「そう?」
悠穂はにこりと笑う。
「私が寝ていた間のこと、ずっごく心配してくれていたみたいでね。みんな、気づいていたのかもしれないんだけど、目の色……どうしたの? って、鷹だけ聞いてくれて……」
以前、ふたり分の食事を用意してと忒畝が頼んだとき、鷹はなぜか照れ笑いをしながら『悠穂と来ると思っていた』と言っていた。それに、なぜか悠穂の好きなものばかりを用意していた。
すっごく心配していたと悠穂が言うくらいだ。先ほどのように、涙目になって悠穂を心配していたのかもしれない。
「なんて言おうかなって思ってたら、告白されたり、プロポーズされたりですっごい驚いたんだけど……」
ごく一部の状況しか悠穂は言っていないが、今日の鷹を見ている限り、ああいう勢いだったのだろうと想像がつく。悠穂の驚きっぷりは、相当だっただろう。
「鷹って楽しいし、これからも大切にしてくれるだろうなぁと思って」
ふふふと照れたように言うその仕草を見て、妹は幸せになると忒畝は直感し、信じる。
「おめでとう」
「ありがとう!」
手元を離れていくのは、さみしい。だが、妹の決断は逞しくも思える。悠穂をそう変えたのは、鷹かもしれない。
ふたりをそっと見守っていこうと、忒畝は肩の荷をひとつ下ろした。
真っ暗な空間のはずなのに、誰かの足がすっと忒畝の視界に入ってきた。それを不思議に思い、顔を上げる。そこには生前の悠畝の姿があった。
父はやさしく囁く。
「さぁ、立ち上がるんだ忒畝。君は強い子だ。僕の自慢の息子なんだ。とても愛しているよ。僕が君たちの傍を離れるわけじゃない。たとえ肉体がこの世からなくなったとしても、僕はここにいるよ」
おだやかなであたたかい声。そして、何よりにこやかに微笑む姿に、忒畝は信じられずに呆然とする。
一方で悠畝は、ゆっくりと手を差し伸べる。その姿を忒畝はしばらく見つめていたが、次第に手を伸ばした。
悠畝は屈むでもなく、忒畝を救い上げるでもない。忒畝が何をするにも、悠畝はじっと待ってくれていた。いつも、ずっと。そう、どんなに遅くても。
目の前にいるのは、紛れもなく父だ。忒畝は我を取り戻すかのように、差し伸べられた手をつかむ。
やさしい光が、忒畝を包み込んだ。
闇が光に消されていく。
忒畝はゆっくりと上がっていく悠畝の手につられて、立ち上がる。ふと、悠畝は安心したように笑った。
「お願いだ。忒畝、笑ってくれるかい?」
父の安らかな笑顔。もう見られないと思っていた表情に、忒畝の心は喜びであふれていく。
「はい」
自然とこぼれた笑みは、言葉を理解して作ったわけではなく。幼いころのように、ただ、父がいてくれる安心感と喜びでこぼれたものだった。
憧れ続けた父。そんな『父の代わり』を、忒畝は今日しているのかと漠然と思っていた。忒畝は自室にいるが、テーブルを挟んで前に座っているのは年上の大男だ。そのとなりには、にこにこと笑っている妹の悠穂。
悠穂は悠穂で、ガリレオ湿度計や科学的なインテリアなどの趣味丸出しの部屋に、兄が快く婚約者を通してくれたことを喜んでいる。悠穂は忒畝が誰でも自室に招くわけではないと知っているし、入室も許可するわけではないとよく知っている。兄は立場があるからこそ社交的に振舞っているだけで、実に保守的な人物だと見ている。そう思えば、妹の心配は尽きずに。それこそ、本当に君主になりたかったのかと、たまに心配してしまうくらいだ。
何はともあれ、悠穂からすればこうして兄が自室への入室を許可した時点で、不安は何もなく。ただ、物事が進むのを安心して待つばかり。
けれど、君主を目の前にして座る大男は、まるで拾われた子犬かのように何もわからず、ただ緊張を増していくばかりで。この男の気持ちを微塵も想像しない兄妹のごとく、テーブルの上では、あたたかいアップルティーがのほほんと湯気を上げている。
ゆらゆらと、どのくらい湯気が空気に溶けていったころだろうか。静かな空間は、突如、崩される。
「お義兄さんと結婚させて下さいっ!」
意を決したのか、勢いよく大男は頭を下げた。
ティーカップたちは小話するかのように、ちいさな音を立てる。
勢いに圧倒されたのか、忒畝は瞬時、言葉を失っている。悠穂は──思いっきり笑っていた。
「え~……っと」
忒畝は苦笑いだ。すると、笑い転げていた悠穂が笑い混じりに話す。
「あはは……ねぇ、鷹。なんか飛ばしてない? ふふ……それとも、お兄ちゃんと結婚したいの?」
悠穂の指摘を受け、大男は目を見開く。そうして、次の瞬間には声にならない叫びをあげた。わざわざ言葉に変換するならば、『男が決めるべきことろを!』。悠穂にはその絶叫が聞き取れたのだろう。再びケラケラと笑っている。
けれど、ここには話の舵を握ろうとする冷静な人物がきちんといて。
「悠穂と、でしょ?」
仲いいふたりのやりとりに、忒畝は微笑ましく思いながら話を進めようとする。
半分パニック状態の鷹は、日頃の豪快さは皆無。緊張のあまりだろうが、似つかわしくない涙目になりコクコクとうなずいている。
こんな鷹の姿を他の誰かが見たら、『情けない』と言うかもしれない。ただ、忒畝に迷いはない。
「いいよ。悠穂を幸せにしてね」
忒畝の願いはひとつ。悠穂が幸せになることだ。これほど楽しそうに悠穂が笑っているのだから、忒畝に迷いは生じない。
無邪気に忒畝は言ったが、鷹は唐突に立ち上がる。どうしたものかと忒畝が鷹を見上げていると、両手の拳に力を入れ、部屋の一番遠くにある窓へ向かって走り出していった。
「うぅぉおおお!」
窓に向かって叫ぶ姿は、雄叫びを上げる狼そのもの。
遠目に鷹を見て、忒畝は悠穂にこっそりと言う。
「何だか、悠穂が選んだ人っていうのが意外だけど」
「そう?」
悠穂はにこりと笑う。
「私が寝ていた間のこと、ずっごく心配してくれていたみたいでね。みんな、気づいていたのかもしれないんだけど、目の色……どうしたの? って、鷹だけ聞いてくれて……」
以前、ふたり分の食事を用意してと忒畝が頼んだとき、鷹はなぜか照れ笑いをしながら『悠穂と来ると思っていた』と言っていた。それに、なぜか悠穂の好きなものばかりを用意していた。
すっごく心配していたと悠穂が言うくらいだ。先ほどのように、涙目になって悠穂を心配していたのかもしれない。
「なんて言おうかなって思ってたら、告白されたり、プロポーズされたりですっごい驚いたんだけど……」
ごく一部の状況しか悠穂は言っていないが、今日の鷹を見ている限り、ああいう勢いだったのだろうと想像がつく。悠穂の驚きっぷりは、相当だっただろう。
「鷹って楽しいし、これからも大切にしてくれるだろうなぁと思って」
ふふふと照れたように言うその仕草を見て、妹は幸せになると忒畝は直感し、信じる。
「おめでとう」
「ありがとう!」
手元を離れていくのは、さみしい。だが、妹の決断は逞しくも思える。悠穂をそう変えたのは、鷹かもしれない。
ふたりをそっと見守っていこうと、忒畝は肩の荷をひとつ下ろした。
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