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『第二部【前半】花一華』 君を愛す
【2】君を愛す(1)
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海胡が輝いてから四日後の朝。
瑠既が鴻嫗城に顔を出すと、我が目を疑う光景を目にして足が止まる。あの沙稀が、恭良に食べさせてもらっている。すぐ近くには大臣がいて、
「沙稀様、ご自身で食べて下さい」
見ていられないと言いたげに冷たく声をかける。それに反応を示したのは、恭良だ。
「私があげたいの」
まるで駄々っ子のような反発。恭良のムッとした怒りの声に大臣が口ごもると、今度は咀嚼だけをしていた沙稀が賛同する。
「恭良から与えられないのなら、餓死をしても構わない」
「貴男の高貴な気位はどこへ行ったのですか?」
即座に無感情の声を大臣は発した。
沙稀には大臣を見なくとも、そこに浮かぶ表情をかんたんに想像できるのだろう。呆然とした瞳をテーブルの上に並ぶ食事に向け、恭良はそれでいいと言うように、時折、沙稀の視界に割り込む。すると、互いに微笑み合って。恭良はフォークを沙稀の前へ。沙稀は無抵抗を示すように瞳を閉じて口を開く。──この状況では、大臣のため息は当然だ。
「俺の中では元々、恭良がすべてだから」
「変わらず忠犬だな、お前は」
甘さを含む低音の声に、沙稀は一瞬動きを止める。そうして、閉じていたまぶたを開け、鋭い瞳で声の主を映す。『何をしに来た』と言いたげな不機嫌な顔を、瑠既は楽しそうに受け流す。
フラフラと瑠既が歩く度に、沙稀の表情の渋さが増していく。けれど、それを気にする瑠既ではない。
「恭良、俺もあげたい」
それはそれは、とても楽しそうな声で恭良にフォークを催促する。左手の人差し指で己を指し、右の手のひらを見せて。
沙稀の眉間に寄った皺が、ぐっと深くなる。──恭良からすれば、笑みを返した気はなかったのだが、沙稀にとっては不快だったのだろう。恭良を背中から抱き寄せる。
「きゃ!」
恭良がぐらりと揺れて、瑠既の気がそちらへ移る。刹那、瑠既は寒気がした。沙稀が憎らしそうに睨んでいる。これには、瑠既が青ざめる。
「いやいや、何で俺に敵意を向けるんだよ。恭良を取ったりしねぇよ。俺はお前と違って、幼児体型にまったく興味がない」
「『誰』が、幼児体型だって?」
沙稀の背後からは、冷たい炎がメラメラと漂う。
一方の瑠既は、咄嗟にテーブルへと視界を逃す。助けを求めるようにカリフラワーをフォークで刺すと、満面の笑みと弾んだ声で沙稀に呼びかける。
「はい、あ~ん」
けれど、この朗らかな雰囲気は一変。一言で沙稀はぶち壊す。
「お前からしか食を与えられないくらいなら、喜んで餓死してやる」
せせら笑うような言い方に、瑠既はかなりの衝撃を受けたが、ここで引かないのが双子の兄。瑠既はわざとムッとし、対抗する。
「あんまり冷たくし過ぎると、泣くぞ? 俺」
だが、瑠既が加わったあとのやり取りも、大臣には微笑ましいと見ていられる光景ではなかったようで。
「頭が痛くなってきたので、職務に戻ります。お三方は、ほどほどになさって下さい」
ふらふらと歩き出す。もう、三人の様子は、見ても聞いてもいられない。立ち去ろうと大臣は扉に近づき、一歩出たが、すぐ人影に気づく。
「誄姫」
呼ばれた方は、眉を下げて微笑む。三人の光景を見て、誄が入室をためらったのかは不明だが、
「だから、瑠既様がいらしていたのですね」
と、大臣の疑問は解消する。
『はい』と言うように、誄はまた控えめに微笑んだ。
「あの、実は……」
そう言うと、誄は鐙鷃城に宮城研究施設を設けることにしたと大臣に話し始める。
鐙鷃城は鴻嫗城からすれば、ずい分ちいさな城だ。通常なら今回のような婚約話は出ない。今回は偶然、近くの城で年の近い姫が産まれたと聞いて、瑠既が興味を持った。そうして双子が訪問し、瑠既がその姫を気に入ってしまった。紗如は許した。そんな偶然が重なっただけのこと。
鐙鷃城からすれば、瑠既をこれから迎えるにあたり、少しでも立派な城にしたいのだろう。それには、ちいさくても宮城研究施設を設立しようと誄の両親は考えたのだろう。幸い、誄にはそれを運営できるだけの能力がある。
「そうですか。わかりました。協力が必要なときは、いつでも仰って下さい」
ふたりの挙式は、二週間後だ。
瑠既は苦しそうな声を漏らして目を覚ます。どこにいるのかとおぼろげだ。不安と恐怖を覚えながら、ゆっくりと瞳を開ける。
目に飛び込んできたのは、クロッカスの艶やかな髪。長く伸びる美しい眉毛。健康的な肌の色をした頬。鮮やかな色をした唇。誄だ。すやすやと眠る姿は、安心しきっている表情で。安全な場所だと疑わずによく眠っていた。
「ん~……」
微かに声を出し、誄は寝返りをうつ。
瑠既は鐙鷃城にいると理解する。そういえば、昨日は数日振りに沙稀に会ったんだっけと、胸をなで下ろす。
寝起きには長年うなされる。倭穏と付き合うようになって、ずい分と緩和されていた。今のように悪夢で目覚めても倭穏を見れば大概は忘れられたし、立ち直れないときはその肌に触れれば落ち着けた。ああ、倭穏も瑠既の寝込みに好き放題することがあったと思い出す。本当に、似た者同士だったのかもしれない。
首周りに髪の毛がまとわりついている。誄と婚約してから半年以上が過ぎた。一緒にこうして寝るようになって、一ヶ月が経とうとしていて、無理に肌を重ねて数日。誄は、変わらずに瑠既に接してくれている。
変わったと言えば、距離を意識しているようには感じる。以前のように近寄ってきて、ふと、瑠既との距離の近さに気づき、一瞬だけ動きを止める。──けれど、それだけだ。後退することもしないし、合間を見て離れようともしない。ほんのりと頬と耳が赤くなって、多少の落ち着きを失う。
瑠既が一歩踏み込めば、それだけで体を固くして過度に意識されているのが伝わってくる。
緊張は伝染し、瑠既まで体が固くなる。結果、関係性は変わらない。いや、誄が確かに瑠既に好意を向けていると明確な分だけよくなったのかもしれない。拒否をされない、それだけで瑠既には充分で。
ベッドの上でも、誄からは桃の香りが漂う。甘い香りに吸い込まれるように、瑠既は誄の背中に引き込まれる。頬をあてれば、肉付きのいい柔らかさがあって──そのまま瑠既は誄をふんわりと抱きしめる。
広がる甘美な香り。成熟した果実の香りに包まれながら、瑠既は安心し、再び眠りに落ちた。
不安定ながらも、ほのかに甘く切ない日々が過ぎ、瑠既と誄は無事に挙式の当日を迎える。
挙式は、鴻嫗城で行われることになっていた。来客は少ないが、鐙鷃城で行えるような人数でもない。もしかしたら、待ち望んでいた恭良が喜ぶという考えもあったのかもしれない。
そんなわけで、瑠既は約半月前に沙稀が使用していた控室にいたのだが──支度を手早く終え、控室をこっそりと抜け出す。
遠目から大臣の姿を確認すると、人目につかないようにサササッと近づく。背後まで瑠既が来ても、大臣は気づかない。
「大臣」
人目を気にするように小声で呼びかけられた声に対し、大臣は驚き振り向く。
「瑠既様、何していらっしゃるんですか」
大臣にとっては、背後を取られた驚きもあっただろう。騒ぎを起こさぬようにと、大臣も瑠既の耳元で叱咤した。
だが、その叱咤は瑠既の想定内。やっぱり? というように苦笑いを浮かべている。
「あの子は来てないの?」
「あの子とは、誰ですか?」
瑠既が鴻嫗城に顔を出すと、我が目を疑う光景を目にして足が止まる。あの沙稀が、恭良に食べさせてもらっている。すぐ近くには大臣がいて、
「沙稀様、ご自身で食べて下さい」
見ていられないと言いたげに冷たく声をかける。それに反応を示したのは、恭良だ。
「私があげたいの」
まるで駄々っ子のような反発。恭良のムッとした怒りの声に大臣が口ごもると、今度は咀嚼だけをしていた沙稀が賛同する。
「恭良から与えられないのなら、餓死をしても構わない」
「貴男の高貴な気位はどこへ行ったのですか?」
即座に無感情の声を大臣は発した。
沙稀には大臣を見なくとも、そこに浮かぶ表情をかんたんに想像できるのだろう。呆然とした瞳をテーブルの上に並ぶ食事に向け、恭良はそれでいいと言うように、時折、沙稀の視界に割り込む。すると、互いに微笑み合って。恭良はフォークを沙稀の前へ。沙稀は無抵抗を示すように瞳を閉じて口を開く。──この状況では、大臣のため息は当然だ。
「俺の中では元々、恭良がすべてだから」
「変わらず忠犬だな、お前は」
甘さを含む低音の声に、沙稀は一瞬動きを止める。そうして、閉じていたまぶたを開け、鋭い瞳で声の主を映す。『何をしに来た』と言いたげな不機嫌な顔を、瑠既は楽しそうに受け流す。
フラフラと瑠既が歩く度に、沙稀の表情の渋さが増していく。けれど、それを気にする瑠既ではない。
「恭良、俺もあげたい」
それはそれは、とても楽しそうな声で恭良にフォークを催促する。左手の人差し指で己を指し、右の手のひらを見せて。
沙稀の眉間に寄った皺が、ぐっと深くなる。──恭良からすれば、笑みを返した気はなかったのだが、沙稀にとっては不快だったのだろう。恭良を背中から抱き寄せる。
「きゃ!」
恭良がぐらりと揺れて、瑠既の気がそちらへ移る。刹那、瑠既は寒気がした。沙稀が憎らしそうに睨んでいる。これには、瑠既が青ざめる。
「いやいや、何で俺に敵意を向けるんだよ。恭良を取ったりしねぇよ。俺はお前と違って、幼児体型にまったく興味がない」
「『誰』が、幼児体型だって?」
沙稀の背後からは、冷たい炎がメラメラと漂う。
一方の瑠既は、咄嗟にテーブルへと視界を逃す。助けを求めるようにカリフラワーをフォークで刺すと、満面の笑みと弾んだ声で沙稀に呼びかける。
「はい、あ~ん」
けれど、この朗らかな雰囲気は一変。一言で沙稀はぶち壊す。
「お前からしか食を与えられないくらいなら、喜んで餓死してやる」
せせら笑うような言い方に、瑠既はかなりの衝撃を受けたが、ここで引かないのが双子の兄。瑠既はわざとムッとし、対抗する。
「あんまり冷たくし過ぎると、泣くぞ? 俺」
だが、瑠既が加わったあとのやり取りも、大臣には微笑ましいと見ていられる光景ではなかったようで。
「頭が痛くなってきたので、職務に戻ります。お三方は、ほどほどになさって下さい」
ふらふらと歩き出す。もう、三人の様子は、見ても聞いてもいられない。立ち去ろうと大臣は扉に近づき、一歩出たが、すぐ人影に気づく。
「誄姫」
呼ばれた方は、眉を下げて微笑む。三人の光景を見て、誄が入室をためらったのかは不明だが、
「だから、瑠既様がいらしていたのですね」
と、大臣の疑問は解消する。
『はい』と言うように、誄はまた控えめに微笑んだ。
「あの、実は……」
そう言うと、誄は鐙鷃城に宮城研究施設を設けることにしたと大臣に話し始める。
鐙鷃城は鴻嫗城からすれば、ずい分ちいさな城だ。通常なら今回のような婚約話は出ない。今回は偶然、近くの城で年の近い姫が産まれたと聞いて、瑠既が興味を持った。そうして双子が訪問し、瑠既がその姫を気に入ってしまった。紗如は許した。そんな偶然が重なっただけのこと。
鐙鷃城からすれば、瑠既をこれから迎えるにあたり、少しでも立派な城にしたいのだろう。それには、ちいさくても宮城研究施設を設立しようと誄の両親は考えたのだろう。幸い、誄にはそれを運営できるだけの能力がある。
「そうですか。わかりました。協力が必要なときは、いつでも仰って下さい」
ふたりの挙式は、二週間後だ。
瑠既は苦しそうな声を漏らして目を覚ます。どこにいるのかとおぼろげだ。不安と恐怖を覚えながら、ゆっくりと瞳を開ける。
目に飛び込んできたのは、クロッカスの艶やかな髪。長く伸びる美しい眉毛。健康的な肌の色をした頬。鮮やかな色をした唇。誄だ。すやすやと眠る姿は、安心しきっている表情で。安全な場所だと疑わずによく眠っていた。
「ん~……」
微かに声を出し、誄は寝返りをうつ。
瑠既は鐙鷃城にいると理解する。そういえば、昨日は数日振りに沙稀に会ったんだっけと、胸をなで下ろす。
寝起きには長年うなされる。倭穏と付き合うようになって、ずい分と緩和されていた。今のように悪夢で目覚めても倭穏を見れば大概は忘れられたし、立ち直れないときはその肌に触れれば落ち着けた。ああ、倭穏も瑠既の寝込みに好き放題することがあったと思い出す。本当に、似た者同士だったのかもしれない。
首周りに髪の毛がまとわりついている。誄と婚約してから半年以上が過ぎた。一緒にこうして寝るようになって、一ヶ月が経とうとしていて、無理に肌を重ねて数日。誄は、変わらずに瑠既に接してくれている。
変わったと言えば、距離を意識しているようには感じる。以前のように近寄ってきて、ふと、瑠既との距離の近さに気づき、一瞬だけ動きを止める。──けれど、それだけだ。後退することもしないし、合間を見て離れようともしない。ほんのりと頬と耳が赤くなって、多少の落ち着きを失う。
瑠既が一歩踏み込めば、それだけで体を固くして過度に意識されているのが伝わってくる。
緊張は伝染し、瑠既まで体が固くなる。結果、関係性は変わらない。いや、誄が確かに瑠既に好意を向けていると明確な分だけよくなったのかもしれない。拒否をされない、それだけで瑠既には充分で。
ベッドの上でも、誄からは桃の香りが漂う。甘い香りに吸い込まれるように、瑠既は誄の背中に引き込まれる。頬をあてれば、肉付きのいい柔らかさがあって──そのまま瑠既は誄をふんわりと抱きしめる。
広がる甘美な香り。成熟した果実の香りに包まれながら、瑠既は安心し、再び眠りに落ちた。
不安定ながらも、ほのかに甘く切ない日々が過ぎ、瑠既と誄は無事に挙式の当日を迎える。
挙式は、鴻嫗城で行われることになっていた。来客は少ないが、鐙鷃城で行えるような人数でもない。もしかしたら、待ち望んでいた恭良が喜ぶという考えもあったのかもしれない。
そんなわけで、瑠既は約半月前に沙稀が使用していた控室にいたのだが──支度を手早く終え、控室をこっそりと抜け出す。
遠目から大臣の姿を確認すると、人目につかないようにサササッと近づく。背後まで瑠既が来ても、大臣は気づかない。
「大臣」
人目を気にするように小声で呼びかけられた声に対し、大臣は驚き振り向く。
「瑠既様、何していらっしゃるんですか」
大臣にとっては、背後を取られた驚きもあっただろう。騒ぎを起こさぬようにと、大臣も瑠既の耳元で叱咤した。
だが、その叱咤は瑠既の想定内。やっぱり? というように苦笑いを浮かべている。
「あの子は来てないの?」
「あの子とは、誰ですか?」
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