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伝説の終わり──もうひとつの始まり
【88】呼応
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パラリとページの捲れる音が響いた。ここは、由緒正しき城の一室。額に収まった写真が、数ヶ所に飾られている。写真の多くには、髪の長い男子がふたり。同じような服装をして、同じような表情をしている。背格好が似たクロッカスの瞳と髪の幼いふたりだ。彼らは幸せそうに微笑み合っている。その幸せな時間が、永遠に続いていくと信じているように。
「お空のずっと上に、神様の住む世界があります」
どこか甘さを感じる低音の声が室内に響く。
「たくさんの神々が住んでいます。そして、その神々を統治する神様は大神と言いました」
朗読をしている男性は、やがて、ゆっくりと歩き始める。
「大神は、それぞれの神様たちに約束ごとを与えました」
そして、窓の前に着くと半回転して立ち止まる。
「約束は守るものです」
壁にもたれたこの男は、写真の一方とどことなく似ている。すでにしっかりとした体格となり、面影は薄い。尚且つ、写真と比べれば髪の毛が格段に短い。
「愛の神は悪魔の子に会いました。やさしい愛の神は、悪魔の子に手を差し伸べてしまいます」
写真とまったく同じなのは、瞳と髪の色。
「大神の怒りは、誰も止められません」
室内をよく見れば、もうひとりいる。その人物は、写真と見比べればもう片方とよく似ている。こちらは朗読をしている男性と比べ、幼少期のように異性と見紛う美しさを残す。
「大神は悪魔の子とともに、愛の神を地へと堕としました」
けれど、瞳と髪の色が異なっている。
「そのときです」
更に、写真と比較すれば違和感がもうひとつ。
「天界が大きく揺れ、大神を守る女神も天界から堕ちてしまいました。そして、戦いの神は堕ちた愛の神を追って、地へと堕ちていったのでした」
写真の中のふたりは同じ年齢に見えるものの、今この空間にいるふたりは年齢の差が生じているように見える。写真と違い、体格差も。──そう、彼らの幼少期を知らない者が、ふたりを双子だと理解するのは現状難しい。
ただし、本人たちにその意識は皆無だ。
「久しぶりに読んだよ、『絵本童話』」
そう、こちらは瑠既。そして、もう一方は沙稀。ここは、王位を継承することになった沙稀の部屋。ようやく沙稀に生来の立場が戻り、婚儀を前に部屋を一新すると決めて足を踏み入れた。
そこへ、瑠既が己の所持する絵本童話を片手にやってきたというわけだ。突然、朗読が開始され、沙稀は何事かと思っていたが、瑠既は懐かしい表情を浮かべるでもなく視線を上げた。
「恭良に、『絵本童話』をやったんだって?」
瑠既の言いたいことはわからなくもない。沙稀の所持していた絵本童話は、母から譲り受けた物だった。いわば、継承者の証。
沙稀は、答えるのを迷うように一度、視線を外す。
「ああ」
言葉を合図にしたかのように、『絵本童話』はパタリと閉じられる。
「ふ~ん、マジだったんだ」
『絵本童話』を片手に、無関心そうに発する。高貴な城には、似つかわしくない言葉で。
しばし流れる沈黙。
ふと、瑠既が沙稀の前まで来て、片手を上げる。向かい合う沙稀の顔の目の前に。それは、『絵本童話』を見せつけているようでもあって。
ふたりの視線は絡まない。
片手を上げている瑠既は、沙稀を一直線に見ていて。沙稀は『絵本童話』を見つめている。秒針だけがいくつか動いた。そして──。
「やるよ。俺の」
まるで祖母から託された想いを、一方的に押しつけているような行為。瑠既の持つ絵本童話は、祖母からの贈答品だ。
「俺は鴻嫗城を出ていくし、それに、これは俺よりも……お前が持っておくべきものだから」
それでいて、拒否権はないというかのよう。
だからなのか、沙稀は自然と手が伸びていた。
『絵本童話』がふたりを繋ぐ。
ただ、それはわずかな時。
片方は手放し、片方に『絵本童話』の重さが残る。
持ち主が変わると、手を放した方は歩き始める。
「死ぬなよ、沙稀」
「当然だ」
すれ違いざまに交わされた言葉。瑠既はそのまま退室していった。
沙稀は明日、懐迂の儀式を受ける。どんなことを言うよりも、実に瑠既らしい激励だと沙稀は感じる。
耳にたこができるほど祖母に懐迂の儀式を聞かされていた瑠既が、なぜその権利を手放したか沙稀は知らない。ただ、すでに儀式を受けられないことを後悔しているのは、伝わってきた。だからこそ、絵本童話を受け取った。
清くない体で懐迂に身を沈めれば、聖なる泉の怒りを呼び、意識は永遠に囚われると言い伝えられている。嘘の潔白を装ってまで、儀式に挑む者はいない。権利がないと辞退するのが通例だ。また、懐迂に身を沈めたあとの意識下が、一面の暗闇だと説明を受け、その恐怖に慄く婚約者もいたらしい。当時の姫が強行し、失敗したこともあるとも言い伝えられている。
懐迂の儀式で失敗をしたら最後。意識を飲まれて、戻ってこられない。
命懸けの儀式を沙稀が受け入れたのは、継承者に選ばれたときの感情に似ている。ずしりと重いが、期待に応えようという思い。最も、懐迂の儀式を行う相手が恭良だから承諾したのだが。
幸い、恭良は鴻嫗城の姫として育ち、一連の仕来りは知っている。その点は、沙稀にとって都合がよかった。多少の不安は感じているものの、過敏な恐怖心や拒否がない。
懐迂の準備は着々と整っている。明日になるのを待つばかりだ。
実質的には、沙稀に王位があるが、正式に継承できるのは婚儀が終わったあと。鴻嫗城が存続している長い歴史の中で、初めての男性の即位。
幼少期の写真を手に取り、ようやく時が戻り、進むと感じる。そうして、写真を一枚ずつ額から外していく。
沙稀に不安は微塵もない。かえって、一面の暗闇で恭良を必ず見つけ出してみせると、沙稀は絵本童話に微笑みかけた。
「お空のずっと上に、神様の住む世界があります」
どこか甘さを感じる低音の声が室内に響く。
「たくさんの神々が住んでいます。そして、その神々を統治する神様は大神と言いました」
朗読をしている男性は、やがて、ゆっくりと歩き始める。
「大神は、それぞれの神様たちに約束ごとを与えました」
そして、窓の前に着くと半回転して立ち止まる。
「約束は守るものです」
壁にもたれたこの男は、写真の一方とどことなく似ている。すでにしっかりとした体格となり、面影は薄い。尚且つ、写真と比べれば髪の毛が格段に短い。
「愛の神は悪魔の子に会いました。やさしい愛の神は、悪魔の子に手を差し伸べてしまいます」
写真とまったく同じなのは、瞳と髪の色。
「大神の怒りは、誰も止められません」
室内をよく見れば、もうひとりいる。その人物は、写真と見比べればもう片方とよく似ている。こちらは朗読をしている男性と比べ、幼少期のように異性と見紛う美しさを残す。
「大神は悪魔の子とともに、愛の神を地へと堕としました」
けれど、瞳と髪の色が異なっている。
「そのときです」
更に、写真と比較すれば違和感がもうひとつ。
「天界が大きく揺れ、大神を守る女神も天界から堕ちてしまいました。そして、戦いの神は堕ちた愛の神を追って、地へと堕ちていったのでした」
写真の中のふたりは同じ年齢に見えるものの、今この空間にいるふたりは年齢の差が生じているように見える。写真と違い、体格差も。──そう、彼らの幼少期を知らない者が、ふたりを双子だと理解するのは現状難しい。
ただし、本人たちにその意識は皆無だ。
「久しぶりに読んだよ、『絵本童話』」
そう、こちらは瑠既。そして、もう一方は沙稀。ここは、王位を継承することになった沙稀の部屋。ようやく沙稀に生来の立場が戻り、婚儀を前に部屋を一新すると決めて足を踏み入れた。
そこへ、瑠既が己の所持する絵本童話を片手にやってきたというわけだ。突然、朗読が開始され、沙稀は何事かと思っていたが、瑠既は懐かしい表情を浮かべるでもなく視線を上げた。
「恭良に、『絵本童話』をやったんだって?」
瑠既の言いたいことはわからなくもない。沙稀の所持していた絵本童話は、母から譲り受けた物だった。いわば、継承者の証。
沙稀は、答えるのを迷うように一度、視線を外す。
「ああ」
言葉を合図にしたかのように、『絵本童話』はパタリと閉じられる。
「ふ~ん、マジだったんだ」
『絵本童話』を片手に、無関心そうに発する。高貴な城には、似つかわしくない言葉で。
しばし流れる沈黙。
ふと、瑠既が沙稀の前まで来て、片手を上げる。向かい合う沙稀の顔の目の前に。それは、『絵本童話』を見せつけているようでもあって。
ふたりの視線は絡まない。
片手を上げている瑠既は、沙稀を一直線に見ていて。沙稀は『絵本童話』を見つめている。秒針だけがいくつか動いた。そして──。
「やるよ。俺の」
まるで祖母から託された想いを、一方的に押しつけているような行為。瑠既の持つ絵本童話は、祖母からの贈答品だ。
「俺は鴻嫗城を出ていくし、それに、これは俺よりも……お前が持っておくべきものだから」
それでいて、拒否権はないというかのよう。
だからなのか、沙稀は自然と手が伸びていた。
『絵本童話』がふたりを繋ぐ。
ただ、それはわずかな時。
片方は手放し、片方に『絵本童話』の重さが残る。
持ち主が変わると、手を放した方は歩き始める。
「死ぬなよ、沙稀」
「当然だ」
すれ違いざまに交わされた言葉。瑠既はそのまま退室していった。
沙稀は明日、懐迂の儀式を受ける。どんなことを言うよりも、実に瑠既らしい激励だと沙稀は感じる。
耳にたこができるほど祖母に懐迂の儀式を聞かされていた瑠既が、なぜその権利を手放したか沙稀は知らない。ただ、すでに儀式を受けられないことを後悔しているのは、伝わってきた。だからこそ、絵本童話を受け取った。
清くない体で懐迂に身を沈めれば、聖なる泉の怒りを呼び、意識は永遠に囚われると言い伝えられている。嘘の潔白を装ってまで、儀式に挑む者はいない。権利がないと辞退するのが通例だ。また、懐迂に身を沈めたあとの意識下が、一面の暗闇だと説明を受け、その恐怖に慄く婚約者もいたらしい。当時の姫が強行し、失敗したこともあるとも言い伝えられている。
懐迂の儀式で失敗をしたら最後。意識を飲まれて、戻ってこられない。
命懸けの儀式を沙稀が受け入れたのは、継承者に選ばれたときの感情に似ている。ずしりと重いが、期待に応えようという思い。最も、懐迂の儀式を行う相手が恭良だから承諾したのだが。
幸い、恭良は鴻嫗城の姫として育ち、一連の仕来りは知っている。その点は、沙稀にとって都合がよかった。多少の不安は感じているものの、過敏な恐怖心や拒否がない。
懐迂の準備は着々と整っている。明日になるのを待つばかりだ。
実質的には、沙稀に王位があるが、正式に継承できるのは婚儀が終わったあと。鴻嫗城が存続している長い歴史の中で、初めての男性の即位。
幼少期の写真を手に取り、ようやく時が戻り、進むと感じる。そうして、写真を一枚ずつ額から外していく。
沙稀に不安は微塵もない。かえって、一面の暗闇で恭良を必ず見つけ出してみせると、沙稀は絵本童話に微笑みかけた。
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