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伝説の終わり──もうひとつの始まり
【81】漆黒の宝石
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おとぎ話は、必ずしも幸せな最後を迎えない。現実離れした空想の世界なのだから、ときには残酷な最後を迎えて終わるときもある。──哀萩は、そんなことをぼんやりと思いながら、貊羅の部屋に足を踏み入れた。
この日が来るのを、いつのころからか願っていたのかもしれない。少なくとも、貊羅の体調が回復してからは、哀萩は首を長くして待っていた。
貊羅もそれを察していたのか──浮かない顔をしている。
「私が哀萩にいてもらったのは……私の我が儘に過ぎなかったね」
「お父様には、感謝してます」
悲しそうに視線を伏せる貊羅に、哀萩は深く頭を下げる。哀萩が貊羅に感謝しているのは、本当だ。幼なくして母が亡くなり、行くあてはなかった。
突然『父』が現れたことに驚き、且つ、連れて行かれた場所にも驚いたが、哀萩にとってはおとぎ話のようだった。
本来は『姫』になれる立場が用意されつつも、意地悪な義母によって使用人のような立場にいたことも──なにを思い返してみても、おとぎ話の世界に迷い込んでしまったとしか言いようがなくて。
「感謝なんて……しきれないのは私の方だ」
貊羅は哀萩に両腕を伸ばすと、そのまま抱きしめる。
「ありがとう。哀萩がいてくれたから……生まれて来てくれていたから、私は生きていられた」
声は波打つように、ちいさくも大きくも聞こえた。涙をこらえている様子の父に抱きしめられて、哀萩は妙に冷静だ。
世界中から美しいと賞賛され、見ただけで病が治るとまで噂がされていた。若くして事故で両親を亡くし、前触れなく王の座についたという『漆黒の宝石』。母、櫻と暮らしていたころは、梓維大陸を治める王として、その異名と若き国王の名を耳にはしていた。だが、直接見ることはもちろん、写真でも見ることもなく暮らしてきた。それだけ、哀萩の暮らしていた町は、田舎町で。何度か羅暁城の城下町に来ても、クレープを食べるのが精一杯の贅沢だった。けれど、そんなときに限って母は、日頃口にしない父のことを言った。
「哀萩のお父さんはね、すごく素敵な人なんだから!」
父の名をいくら聞いても教えてくれなかった母。なのに、こうして自ら言うときはうれしそうで、少女のようで──。
母が病に倒れ、ずっと『漆黒の宝石』が来てくれないかと待っていた。『漆黒の宝石』を見れば、母は病が治るのだと信じて。
それなのに、当然のように母を訪ねて来ることはなく。母、櫻は亡くなった。四歳では、いくらあれば何を買えるのかもわからない。何のためにいくら必要かもわからない。
ただただ母が眠り続けたことに泣いていたら、誰かがやってきて、お金をあるだけ出してと言われて母の葬儀が終わり。哀萩は残った母の骨壺に『さみしい』と『お腹がすいた』を繰り返した。
幾日かが過ぎて、『漆黒の宝石』はやってきた。噂通りの美しさに、哀萩は一目でこの人物が国王だと理解した。
どうして、もっとはやくに。何日か前だったら! とそんなことばかりを叫んで泣いた。喉の渇きも、空腹も、どうでもよくて。ただ、何日かはやくに来てくれるだけでよかったのにと、貊羅をなじった。
貊羅は哀萩を見て、骨壺を見て。力なく座り込んで──哀萩を抱きしめ、そうだね、私が悪いと繰り返した。
それから羅暁城へと向かうまで、貊羅はずっと哀萩を抱きかかえて歩き。哀萩の名を聞いたとき、こんなことを呟いた。
「愛が、終わらないように……かな」
羅暁城に来てからというもの、哀萩は気軽に貊羅の部屋を訪れる。いつでも部屋に入っていいと貊羅から鍵を預かっているからだが、それが生存確認になったのは、いつからだったか。
哀萩が来れば、貊羅はきちんと背筋を伸ばすし、多少は王らしくあろうとする。だから、秘書のように世話をして──そうしていると、時折、貊羅は哀萩を見て心底うれしそうに微笑む。
その笑みを見て、ああ、貊羅は母を想っていてくれていたんだと、母と父は結ばれることのない身分差の恋をしたのかと、漠然と感じるようになっていた。両親がどう出会って、どう別れたのかは知らない。例え、貊羅に聞いたとしても、話したがらないだろうと思えば哀萩は聞くことをしない。──恐らく、貊羅は、母に振られた。母は、貊羅に王になれと、結婚できないと追い出して姿をくらませたのだろう。真実は知らないが、そう勝手に哀萩は解釈しておく。そうすれば、貊羅がようやく母、櫻の居場所がわかって訪ねてきたときが、あの日だと思っていられるから。
「お父様、私……ここを出ますね」
「私も、引退したら……会いに行っていい?」
哀萩は目を丸くする。貊羅は、捷羅が結婚したら、ここぞとばかりに王位を差し出す気だと。
父なのに、娘にすがるようなまなざしを向けるのは卑怯だと、哀萩は言いたくなる。
「会いに……だけなら」
ああ、母は、幾度このまなざしを向けられたのだろう。
哀萩の気持ちなど知る由のない貊羅は、目のくらむような微笑みを浮かべる。
「ありがとう。その言葉があればケリをつける勇気が持てる」
ケリ──それは母、櫻と同じ響きを名とする、意地悪お妃とのことだろうか。この期に及んで離婚すると貊羅が言いだすことはしないだろうと、哀萩は貊羅の目元ににじむ雫を拭いた。
──まったく、ここの男どもは世話がやけるんだから。
梓維大陸で生まれた幼いころの哀萩は、気づけば幸せの階段を登るような、まるで、おとぎ話の主人公になったかのようだった。
けれど、もうひとつ気づいた。
魔法がかかっていたのなら、魔法はとけるものだと。魔法がとければ、夢から覚めて現実の世界へと戻る。
哀萩はいつからか、おとぎ話の世界から現実の世界へと戻る方法が、貊羅との離別だと感じていた。
この日が来るのを、いつのころからか願っていたのかもしれない。少なくとも、貊羅の体調が回復してからは、哀萩は首を長くして待っていた。
貊羅もそれを察していたのか──浮かない顔をしている。
「私が哀萩にいてもらったのは……私の我が儘に過ぎなかったね」
「お父様には、感謝してます」
悲しそうに視線を伏せる貊羅に、哀萩は深く頭を下げる。哀萩が貊羅に感謝しているのは、本当だ。幼なくして母が亡くなり、行くあてはなかった。
突然『父』が現れたことに驚き、且つ、連れて行かれた場所にも驚いたが、哀萩にとってはおとぎ話のようだった。
本来は『姫』になれる立場が用意されつつも、意地悪な義母によって使用人のような立場にいたことも──なにを思い返してみても、おとぎ話の世界に迷い込んでしまったとしか言いようがなくて。
「感謝なんて……しきれないのは私の方だ」
貊羅は哀萩に両腕を伸ばすと、そのまま抱きしめる。
「ありがとう。哀萩がいてくれたから……生まれて来てくれていたから、私は生きていられた」
声は波打つように、ちいさくも大きくも聞こえた。涙をこらえている様子の父に抱きしめられて、哀萩は妙に冷静だ。
世界中から美しいと賞賛され、見ただけで病が治るとまで噂がされていた。若くして事故で両親を亡くし、前触れなく王の座についたという『漆黒の宝石』。母、櫻と暮らしていたころは、梓維大陸を治める王として、その異名と若き国王の名を耳にはしていた。だが、直接見ることはもちろん、写真でも見ることもなく暮らしてきた。それだけ、哀萩の暮らしていた町は、田舎町で。何度か羅暁城の城下町に来ても、クレープを食べるのが精一杯の贅沢だった。けれど、そんなときに限って母は、日頃口にしない父のことを言った。
「哀萩のお父さんはね、すごく素敵な人なんだから!」
父の名をいくら聞いても教えてくれなかった母。なのに、こうして自ら言うときはうれしそうで、少女のようで──。
母が病に倒れ、ずっと『漆黒の宝石』が来てくれないかと待っていた。『漆黒の宝石』を見れば、母は病が治るのだと信じて。
それなのに、当然のように母を訪ねて来ることはなく。母、櫻は亡くなった。四歳では、いくらあれば何を買えるのかもわからない。何のためにいくら必要かもわからない。
ただただ母が眠り続けたことに泣いていたら、誰かがやってきて、お金をあるだけ出してと言われて母の葬儀が終わり。哀萩は残った母の骨壺に『さみしい』と『お腹がすいた』を繰り返した。
幾日かが過ぎて、『漆黒の宝石』はやってきた。噂通りの美しさに、哀萩は一目でこの人物が国王だと理解した。
どうして、もっとはやくに。何日か前だったら! とそんなことばかりを叫んで泣いた。喉の渇きも、空腹も、どうでもよくて。ただ、何日かはやくに来てくれるだけでよかったのにと、貊羅をなじった。
貊羅は哀萩を見て、骨壺を見て。力なく座り込んで──哀萩を抱きしめ、そうだね、私が悪いと繰り返した。
それから羅暁城へと向かうまで、貊羅はずっと哀萩を抱きかかえて歩き。哀萩の名を聞いたとき、こんなことを呟いた。
「愛が、終わらないように……かな」
羅暁城に来てからというもの、哀萩は気軽に貊羅の部屋を訪れる。いつでも部屋に入っていいと貊羅から鍵を預かっているからだが、それが生存確認になったのは、いつからだったか。
哀萩が来れば、貊羅はきちんと背筋を伸ばすし、多少は王らしくあろうとする。だから、秘書のように世話をして──そうしていると、時折、貊羅は哀萩を見て心底うれしそうに微笑む。
その笑みを見て、ああ、貊羅は母を想っていてくれていたんだと、母と父は結ばれることのない身分差の恋をしたのかと、漠然と感じるようになっていた。両親がどう出会って、どう別れたのかは知らない。例え、貊羅に聞いたとしても、話したがらないだろうと思えば哀萩は聞くことをしない。──恐らく、貊羅は、母に振られた。母は、貊羅に王になれと、結婚できないと追い出して姿をくらませたのだろう。真実は知らないが、そう勝手に哀萩は解釈しておく。そうすれば、貊羅がようやく母、櫻の居場所がわかって訪ねてきたときが、あの日だと思っていられるから。
「お父様、私……ここを出ますね」
「私も、引退したら……会いに行っていい?」
哀萩は目を丸くする。貊羅は、捷羅が結婚したら、ここぞとばかりに王位を差し出す気だと。
父なのに、娘にすがるようなまなざしを向けるのは卑怯だと、哀萩は言いたくなる。
「会いに……だけなら」
ああ、母は、幾度このまなざしを向けられたのだろう。
哀萩の気持ちなど知る由のない貊羅は、目のくらむような微笑みを浮かべる。
「ありがとう。その言葉があればケリをつける勇気が持てる」
ケリ──それは母、櫻と同じ響きを名とする、意地悪お妃とのことだろうか。この期に及んで離婚すると貊羅が言いだすことはしないだろうと、哀萩は貊羅の目元ににじむ雫を拭いた。
──まったく、ここの男どもは世話がやけるんだから。
梓維大陸で生まれた幼いころの哀萩は、気づけば幸せの階段を登るような、まるで、おとぎ話の主人公になったかのようだった。
けれど、もうひとつ気づいた。
魔法がかかっていたのなら、魔法はとけるものだと。魔法がとければ、夢から覚めて現実の世界へと戻る。
哀萩はいつからか、おとぎ話の世界から現実の世界へと戻る方法が、貊羅との離別だと感じていた。
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