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清算と解放と
【77】幸せになった意味
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コンコンコン
夕飯後、ノックが聞こえた。夕食の前に眠ったあと、目覚めるときに浮かんだあれは何だったのか──と思考していた忒畝は現実に意識を戻す。
顔を出したのは捷羅だ。
「父の意識が戻りました。忒畝君主がよろしければ、会っていただけないでしょうか?」
忒畝はうなずき捷羅に同行する。夕食の前に少し休んだのがよかったのか、体調は改善している。
向かう先は、来たときに向かった場所──王の間。扉の前に到着すると、捷羅はていねいに会釈をして下がっていく。
忒畝も会釈を返しながら、やはり違和感が拭えない。父と息子の関係は希薄に思え、寂しい気持ちになる。──だが、抑える。案内されたのだから、貊羅を待たせるわけにいかない。
忒畝はノックをし、扉を開ける。中にはベッドの上で上半身を起こした貊羅がいた。
「ご気分は……いかがですか?」
「ありがとう。ごめんね、こんな姿のままで。久しぶりに会えて、うれしいよ」
貊羅が無理に微笑む。苦しみで歪み、やつれた今でさえ整った顔立ちは美しい。
「私はね、思い残すことはないから。よかったんだよ、あのままで」
諦めたような声の貊羅。
忒畝の眉間にしわが寄り、悲痛な思いを声に出す。
「貊羅様……何をおっしゃるのですか」
父、悠畝の最期の姿と重なり、忒畝は貊羅の右手を両手で取り、握る。言葉を詰まらせる忒畝に、貊羅は悲しそうな笑みを浮かべた。
「やさしいね。でも、本当にね、何も未練はないんだよ。かえって……向こうの方が会いたい人がいてね……」
「そんなに苦しい状態で、何がいいのですか。貊羅様がこんなに苦しむことはないのです」
こんなにやつれ、まして死の淵をさまよっていたことに対しても、忒畝は責任を感じている。鴻嫗城でも、羅暁城までも──そう思えば多くの人を巻き込んでしまったと。
自責の念にかられている忒畝に、貊羅はやさしく話す。
「それは違う……」
まるで、自責している忒畝を救うような、貊羅の言葉。
「それは……違うよ。私は苦しみながら死んでいくのが当然なんだ。私ほど、ひどい人間はいないのだから」
「貊羅様」
忒畝は更に表情を悲痛に歪ませる。──貊羅に何があったのかは、わからない。安易に慰めの言葉をかけるなど、忒畝には到底できない。だからこそ、口を閉じることでなんとかもどかしさを封じようとする。
すると、貊羅は意外にも幸せそうに笑って、こんなことを言った。
「忒畝君。君を見ていると、悠畝君を思い出すよ」
その表情はとても楽しそうで、忒畝が美しさに見とれるほどで。やさしくやわらかな声とともに、夢心地になる。
「君が生まれてから悠畝君は変わってね。幸せに笑うことが多くなったんだよ」
「父が……ですか?」
忒畝には驚くことだ。幸せそうではない父の方が、想像できない。
「悠畝君には、こんなにいい息子がいて幸せだね。君を見ていると悠畝君がとても幸せになった意味がよく伝わってくる」
ふと、忒畝は幼いころを思い出す。父、悠畝に連れられて羅暁城に来たときのこと。
忒畝が言葉の意味を理解せずに、ただ耳に流しているだけだったのに、あのときも貊羅はこんな風にやわらかな物腰で、やさしく微笑む美しい人だった。
「いつでもここに来てね。忒畝君とは、いつでも会いたい」
幸せそうに笑う貊羅は、悠畝と重なるほど、おだやかでやさしい。まるで、会いたかった父に会えたかのようで、忒畝は声を弾ませる。
「はい」
忒畝はより強く手を握り、礼を言う。
「会えてよかったのは……僕の方です。ありがとうございます」
そうして、王の間を退室しようとしたとき、貊羅の声がふいに聞こえた。
「ああ、でも。私の愛娘の哀萩には近づかないでね」
「え?」
忒畝は再び驚き、思わず振り向く。
そんな忒畝の反応などお構いなしに、貊羅は微笑んで手を振っていた。またね、と親しい友人との別れかのように。その姿はあまりに無邪気で、幸せそうで、美しくて。
忒畝は理解できないまま、
「はい」
と、了承する。
苦笑いしかできなかったが、感謝で胸を満たし退室した。
貊羅は、公の場にあまり姿を現さない。王位にいるのは貊羅なのに、公の場に姿を現すのはいつのころからか嫡男の捷羅だ。
捷羅は公の場で要領がいい。ただ、体よく接するのは否めないが、人間関係を無難に済ますなら必要なこととも言える。双子の羅凍とは真逆だ。羅凍は要領や無難という言葉と程遠い。どちらかといえば、考えるより口が出るタイプで、よく言えば偽りがなく情があるように感じる。だからこそ、沙稀や充忠とも交流が深いのだろう。冗談を言いやすくて、探り合いをせずにいられるから付き合いやすい。
だが、忒畝には捷羅の気持ちもわからなくはない。どちらかと言えば、忒畝は羅凍よりも捷羅の方が近いタイプだと感じている。一歩引いている捷羅には、忒畝も一歩踏み込んでいけない。それだけだ。
貊羅が公の場に姿を滅多に現わさなくなった理由は知らない。それこそ、悠畝が他界してからは皆無かもしれない。
王位を貊羅が死守しようとも、捷羅が奪おうとしているようにも感じられないが──羅暁城に来てから伝わってくる違和感は、父と息子の溝なのだろうか──と、忒畝は仮説を立てる。
それと、もうひとつ。
貊羅が妙なことを言っていた。
「愛娘……」
ぼんやりと言葉が出るが、これにも違和感しかない。
哀萩とは面識はないはずだと忒畝は記憶を辿る。そうして何度か繰り返し、ようやく聞いたことがあると思い当たる。
──あれは、十五歳のときだ。父さんの勧めで一ヶ月の講義を開いたとき。
本来なら『哀萩』も来ると、その名を確かに悠畝から聞いていた。羅凍と一緒に羅暁城から来ると聞いていたのに、結局は来なかった。急遽、都合が悪くなったと──『哀萩』の名を聞いたのは、それきりだ。
いや、他にも聞いたような気がした。なんだったかと忒畝は記憶を早送りしていく。
──あれは……確か羅凍が話をしていたような……。
ぼんやりとしか思い出せない記憶に考えがまとまらない。そのとき、視界に見知った人物が飛び込んできた。
羅凍だ。前方に羅凍の姿がある。あの真っ赤なマントは間違えようがない。──その姿は忒畝を待っていたように見えて、駆け寄る。
すると、羅凍は忒畝に会釈をした。
「ありがとう」
忒畝は首を振る。
「間に合ってよかった」
その言葉に羅凍は『そうだね』と言う。落ち着きを払う笑顔は、安堵からの微笑みに忒畝には見えた。
「また、昔みたいに……皆で集まって話せる機会があれば楽しいんだろうね」
忒畝は昔を懐かしむ。それは、現状では互いに難しくなってしまったことだが、『いつがいいかな?』と羅凍は忒畝の厚意を受け止めた。
「そういえば」
『忒畝は知っている?』と羅凍は続けた。それは、忒畝にはドキリとする話で。──羅凍が口にしたのは、四戦獣伝説と、絵本童話の話だった。
「前に凪裟が伝説を知りたいって兄上に話したみたいでさ、鴻嫗城に四戦獣伝説を話しに行ったことがあるんだけど」
話を聞きながら、『なるほど』と忒畝は思う。恭良たちが突然、克主研究所に来たのはそういうことだったのかと。
「梓維大陸にはどっちも言い伝えが残されているんだけど……梛懦乙大陸には絵本童話、楓珠大陸には伝説が残っていると聞くからさ。やっぱり凪裟が伝説を知らなかったみたいに、忒畝は絵本童話は知らないの?」
羅凍にとっては、単なる世間話だ。それ以上でも、それ以下でもない。けれど、忒畝に嫌な予感を覚えさせる。
突如、再動したかのようだった四戦獣伝説。この予感が正しいのなら、絵本童話も無関係には思えない。
「そうだね」
「じゃ、忒畝が今度向こうに行ったら、見せてもらえるように沙稀様に話してみるよ。あれは俺も初めて最近手に取ったけど、なんか、感動するから」
感動──それは忒畝には想定外の言葉で。羅凍がそう感じるのであれば、胸騒ぎを起こさせるようなものではないだろうと忒畝は解釈した。
「わかった。よろしくね」
久しぶりに会った旧友とのかけがえのない時間──結局ふたりは忒畝の客間の前まで、時を気にせずに会話を楽しんだ。
夕飯後、ノックが聞こえた。夕食の前に眠ったあと、目覚めるときに浮かんだあれは何だったのか──と思考していた忒畝は現実に意識を戻す。
顔を出したのは捷羅だ。
「父の意識が戻りました。忒畝君主がよろしければ、会っていただけないでしょうか?」
忒畝はうなずき捷羅に同行する。夕食の前に少し休んだのがよかったのか、体調は改善している。
向かう先は、来たときに向かった場所──王の間。扉の前に到着すると、捷羅はていねいに会釈をして下がっていく。
忒畝も会釈を返しながら、やはり違和感が拭えない。父と息子の関係は希薄に思え、寂しい気持ちになる。──だが、抑える。案内されたのだから、貊羅を待たせるわけにいかない。
忒畝はノックをし、扉を開ける。中にはベッドの上で上半身を起こした貊羅がいた。
「ご気分は……いかがですか?」
「ありがとう。ごめんね、こんな姿のままで。久しぶりに会えて、うれしいよ」
貊羅が無理に微笑む。苦しみで歪み、やつれた今でさえ整った顔立ちは美しい。
「私はね、思い残すことはないから。よかったんだよ、あのままで」
諦めたような声の貊羅。
忒畝の眉間にしわが寄り、悲痛な思いを声に出す。
「貊羅様……何をおっしゃるのですか」
父、悠畝の最期の姿と重なり、忒畝は貊羅の右手を両手で取り、握る。言葉を詰まらせる忒畝に、貊羅は悲しそうな笑みを浮かべた。
「やさしいね。でも、本当にね、何も未練はないんだよ。かえって……向こうの方が会いたい人がいてね……」
「そんなに苦しい状態で、何がいいのですか。貊羅様がこんなに苦しむことはないのです」
こんなにやつれ、まして死の淵をさまよっていたことに対しても、忒畝は責任を感じている。鴻嫗城でも、羅暁城までも──そう思えば多くの人を巻き込んでしまったと。
自責の念にかられている忒畝に、貊羅はやさしく話す。
「それは違う……」
まるで、自責している忒畝を救うような、貊羅の言葉。
「それは……違うよ。私は苦しみながら死んでいくのが当然なんだ。私ほど、ひどい人間はいないのだから」
「貊羅様」
忒畝は更に表情を悲痛に歪ませる。──貊羅に何があったのかは、わからない。安易に慰めの言葉をかけるなど、忒畝には到底できない。だからこそ、口を閉じることでなんとかもどかしさを封じようとする。
すると、貊羅は意外にも幸せそうに笑って、こんなことを言った。
「忒畝君。君を見ていると、悠畝君を思い出すよ」
その表情はとても楽しそうで、忒畝が美しさに見とれるほどで。やさしくやわらかな声とともに、夢心地になる。
「君が生まれてから悠畝君は変わってね。幸せに笑うことが多くなったんだよ」
「父が……ですか?」
忒畝には驚くことだ。幸せそうではない父の方が、想像できない。
「悠畝君には、こんなにいい息子がいて幸せだね。君を見ていると悠畝君がとても幸せになった意味がよく伝わってくる」
ふと、忒畝は幼いころを思い出す。父、悠畝に連れられて羅暁城に来たときのこと。
忒畝が言葉の意味を理解せずに、ただ耳に流しているだけだったのに、あのときも貊羅はこんな風にやわらかな物腰で、やさしく微笑む美しい人だった。
「いつでもここに来てね。忒畝君とは、いつでも会いたい」
幸せそうに笑う貊羅は、悠畝と重なるほど、おだやかでやさしい。まるで、会いたかった父に会えたかのようで、忒畝は声を弾ませる。
「はい」
忒畝はより強く手を握り、礼を言う。
「会えてよかったのは……僕の方です。ありがとうございます」
そうして、王の間を退室しようとしたとき、貊羅の声がふいに聞こえた。
「ああ、でも。私の愛娘の哀萩には近づかないでね」
「え?」
忒畝は再び驚き、思わず振り向く。
そんな忒畝の反応などお構いなしに、貊羅は微笑んで手を振っていた。またね、と親しい友人との別れかのように。その姿はあまりに無邪気で、幸せそうで、美しくて。
忒畝は理解できないまま、
「はい」
と、了承する。
苦笑いしかできなかったが、感謝で胸を満たし退室した。
貊羅は、公の場にあまり姿を現さない。王位にいるのは貊羅なのに、公の場に姿を現すのはいつのころからか嫡男の捷羅だ。
捷羅は公の場で要領がいい。ただ、体よく接するのは否めないが、人間関係を無難に済ますなら必要なこととも言える。双子の羅凍とは真逆だ。羅凍は要領や無難という言葉と程遠い。どちらかといえば、考えるより口が出るタイプで、よく言えば偽りがなく情があるように感じる。だからこそ、沙稀や充忠とも交流が深いのだろう。冗談を言いやすくて、探り合いをせずにいられるから付き合いやすい。
だが、忒畝には捷羅の気持ちもわからなくはない。どちらかと言えば、忒畝は羅凍よりも捷羅の方が近いタイプだと感じている。一歩引いている捷羅には、忒畝も一歩踏み込んでいけない。それだけだ。
貊羅が公の場に姿を滅多に現わさなくなった理由は知らない。それこそ、悠畝が他界してからは皆無かもしれない。
王位を貊羅が死守しようとも、捷羅が奪おうとしているようにも感じられないが──羅暁城に来てから伝わってくる違和感は、父と息子の溝なのだろうか──と、忒畝は仮説を立てる。
それと、もうひとつ。
貊羅が妙なことを言っていた。
「愛娘……」
ぼんやりと言葉が出るが、これにも違和感しかない。
哀萩とは面識はないはずだと忒畝は記憶を辿る。そうして何度か繰り返し、ようやく聞いたことがあると思い当たる。
──あれは、十五歳のときだ。父さんの勧めで一ヶ月の講義を開いたとき。
本来なら『哀萩』も来ると、その名を確かに悠畝から聞いていた。羅凍と一緒に羅暁城から来ると聞いていたのに、結局は来なかった。急遽、都合が悪くなったと──『哀萩』の名を聞いたのは、それきりだ。
いや、他にも聞いたような気がした。なんだったかと忒畝は記憶を早送りしていく。
──あれは……確か羅凍が話をしていたような……。
ぼんやりとしか思い出せない記憶に考えがまとまらない。そのとき、視界に見知った人物が飛び込んできた。
羅凍だ。前方に羅凍の姿がある。あの真っ赤なマントは間違えようがない。──その姿は忒畝を待っていたように見えて、駆け寄る。
すると、羅凍は忒畝に会釈をした。
「ありがとう」
忒畝は首を振る。
「間に合ってよかった」
その言葉に羅凍は『そうだね』と言う。落ち着きを払う笑顔は、安堵からの微笑みに忒畝には見えた。
「また、昔みたいに……皆で集まって話せる機会があれば楽しいんだろうね」
忒畝は昔を懐かしむ。それは、現状では互いに難しくなってしまったことだが、『いつがいいかな?』と羅凍は忒畝の厚意を受け止めた。
「そういえば」
『忒畝は知っている?』と羅凍は続けた。それは、忒畝にはドキリとする話で。──羅凍が口にしたのは、四戦獣伝説と、絵本童話の話だった。
「前に凪裟が伝説を知りたいって兄上に話したみたいでさ、鴻嫗城に四戦獣伝説を話しに行ったことがあるんだけど」
話を聞きながら、『なるほど』と忒畝は思う。恭良たちが突然、克主研究所に来たのはそういうことだったのかと。
「梓維大陸にはどっちも言い伝えが残されているんだけど……梛懦乙大陸には絵本童話、楓珠大陸には伝説が残っていると聞くからさ。やっぱり凪裟が伝説を知らなかったみたいに、忒畝は絵本童話は知らないの?」
羅凍にとっては、単なる世間話だ。それ以上でも、それ以下でもない。けれど、忒畝に嫌な予感を覚えさせる。
突如、再動したかのようだった四戦獣伝説。この予感が正しいのなら、絵本童話も無関係には思えない。
「そうだね」
「じゃ、忒畝が今度向こうに行ったら、見せてもらえるように沙稀様に話してみるよ。あれは俺も初めて最近手に取ったけど、なんか、感動するから」
感動──それは忒畝には想定外の言葉で。羅凍がそう感じるのであれば、胸騒ぎを起こさせるようなものではないだろうと忒畝は解釈した。
「わかった。よろしくね」
久しぶりに会った旧友とのかけがえのない時間──結局ふたりは忒畝の客間の前まで、時を気にせずに会話を楽しんだ。
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