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清算と解放と
【74】恨み憎しみ
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「憎しみの思念では何も救えないよ。竜称、君がよくわかっているでしょう?」
「知った口を利くな」
竜称は貊羅を再び見下ろす。
「所詮、お前にはわからぬことよ」
竜称の見開かれた瞳には、悲しみが宿っている。やはり、今まで忒畝が感じてきたものとは、何かが違う。恐怖や威圧感はない。
忒畝は偏見を持っていないつもりだった。だが、思い込みで見るものを変えていたのかもしれないと自戒する。
試すように忒畝は話しかける。
「人の気持ちを寸分も違わずに理解するのは不可能だ。そんなこと、君は知っているだろう? それなのに、肯定を望むだけでそのままに……言葉を発するの?」
竜称は反応しない。まるで、忒畝の言葉を聞いていないかのようだ。だからこそ、忒畝は声をかけ続ける。
「何のために封印から目覚めたの? どうして……生きたいと思ったの?」
何か、何かが竜称の心をつかめるはずだと信じて。
「憎んだり、過去を繰り返したり……そうしたいわけではなかった、そうでしょう?」
けれど、竜称は一向に反応を示さない。忒畝は言葉を続けるか否かを迷う。
──もし、見当違いなことを僕が思っているのなら……いや、そうだとすれば僕の言葉に竜称は即座に否定するなり、嘲笑うなり、何かしら反応をするはずだ。僕は、核心を突こうとしているのだろうか。いずれにしても、今しか……もう。
竜称と会うのはこれが最後だと思いなおす。上着の左側に入れた注射器に、そっと触れる。
「本当は父さんのもとへ行った母さんのこと……僕のことも、心配だっただけなんでしょ? 昔と同じ思いを繰り返すなら、と……母さんや僕たちを苦しませることになるのならと、いっそ自分の手を染めればいいと思ったんだよね?」
忒畝はおもむろに一歩踏み込む。竜称の様子をうかがい、竜称を見つめて。
「僕は母さんを、君たちを止めることができなかった。だから、この無意味な戦いの清算は僕がつけなければいけない。それが、僕がこの血を継ぎながらも、生きている理由。本当は……六百年前も、僕がケリをつけるべきだったんだ」
琉菜磬を思い出す。ただ、祈りだけを捧げ続けていた。祈りがすべてを導ける道だと信じていた。同時に、祈るだけでは何も変えられないとも痛感していた。もしかしたら、祈りで誰かを救いに導けたことはあるかもしれない。けれど、何かを大きくは変えられなかった。
逃げていたわけではない。でも、戦わなかった。何かに逆らうこと、自ら剣を握ること、方法は色々あっただろう。琉菜磬は祈りをすべてと思っていた節があり、他の手段に目を向けようとしなかった。これが琉菜磬と忒畝の決定的な違い。忒畝なら、剣を握る決断もする。
ふと、竜称の嘲笑ったような気がした。それは、気のせいではなかったようで、竜称は口をちいさく動かしている。
「私たちは、誰も克主なんて恨んでなかった。ただ、私たちを受け入れなかった村人たちを恨んでいた。少しでも、ほんの一欠けらでも、そんなことを望んだ自分たちが……愚かで、憎かった」
後悔だろうか。竜称は首を回して、その視野から忒畝は微妙に外れた。
「ただ、龍声と一緒にいたかったんだ。私たちにとって、龍声は生きていく糧、そのものだった……」
──これだ。
違和感を抱いた正体がこれだと忒畝は直感する。竜称は、忒畝の言葉に返答しているわけではない。つまり、忒畝を見ているようで見ていない。現在にいるようで、現在にいない。
「私たちは龍声さえいれば生きていけたんだ。何に拒まれようとも。龍声は最期まで信じていた。あんなに幼いのに私たちまでも支えていた。……なのに、あいつらは」
涙に声を詰まらせ、声は途絶えた。──と、途端に竜称は叫ぶ。
「忒畝! お前まで私から龍声を奪うのか!」
突如、忒畝は両肩をつかまれ、責め立てられる。忒畝は息を呑む。こんなに竜称は初めてだ。
すっと竜称の視線が忒畝の背後に逸れた。そして、背後に何かを見ているかのように、壁に向かって求めるように手を伸ばす。
「龍声、行くな! 龍声!」
その声は、我を失うほど。
「駄目だ、私の傍を離れて行くな! また、私を置いて逝くのか!」
竜称には、龍声の最期の光景が広がっているのか。それとも、託した『龍声』を失ったと、記憶が曖昧になって忒畝に『奪うな』と言っていたのか。
どちらが正しいのか忒畝に判断はつかない。冷静だと思っていた竜称の乱心は、忒畝を動揺させる。
「竜称、あの子は龍声じゃない。君が一番わかっているはずだ。あの子は……」
「だまれっ!」
竜称は忒畝の両肩から手を離すと、今度は頭が割れそうだというように、両手で自らの頭を押さえる。
竜称は忒畝の両肩から手を離すと、今度は頭が割れそうだというように、両手で自らの頭を押さえる。
悲痛な竜称の様子に、忒畝は推測を改める。竜称には、龍声の最期の光景が広がっているのかもしれないと。もし、そうだとしたら、辛い思い出を前に混濁を起こしたのかもしれない。
過去をを夢のように体感した忒畝には、この混濁が理解できる。
忒畝は黎馨に見せてもらった過去を思い起こす。竜称の戦っていた遠い遠い過去を。
『私だって、人間に戻れることなら戻りたい! 私たちはこの戦いで家族、友達……全てを失った! それを取り戻せるなら、取り戻したい!』
意外にも、脳内に響いたのは、時林の声。
──いつも甘えばかり言っていた時林。現実を見ない甘さにいつも苛立った。
──だから、一度も優しくなんてできなかった。傷つけないように、突き放すだけで精一杯だった。
これは、竜称の思いか。忒畝が竜称に同調したからか、不思議と忒畝の脳内に夢でも見ているかのように竜称の思いが届く。
『私はそうは思わないね』
これは、竜称の声。
──人に期待をしては駄目だ。思いが強ければ、強いほど、勝手に願った願いが叶わなかったときの痛みは何倍にもなって、自分を傷つける。
「もう充分だ、裏切られるのは。もう、充分なんだ」
今度は耳から聞こえた声に、忒畝は現実に戻ったような感覚を持つ。竜称の混濁は、かつての竜称の思いが、竜称を支配していっていたからこそ──。
「はは……あはははっ!」
そうかと思えば、竜称は狂ったように笑う。涙をこれでもかとこぼし、忒畝からぱっと手を離すと、竜称は後方に倒れていくかのようにそのまま力無くしゃがみ込む。
うつむく竜称を忒畝は見つめる。竜称がまるで少女のようで。いや、ボロボロになって捨てられてしまったようにも見えて。
忒畝が悲し気な視線を投げたまま何も言えないでいると、竜称が髪を乱しながらガバっと顔を上げた。
視線が合うと口角をゆっくりと上げ、涙を拭こうともせず、瞳は鋭いまま忒畝を凝視する。
「お前に、何がわかるというのだ」
竜称は両目から大粒の涙を流す。
「私はあいつみたいにすがるくらいなら、死んだ方がマシだね。この、叶うことのない望みを断ち切るがいい」
自嘲しながら望みを見て泣いている。幻影の先に見た何に笑ったのだろうかと、忒畝は悲しみに包まれる。竜称が嘲笑っているのは、恐らく、過去の竜称だ。
「知った口を利くな」
竜称は貊羅を再び見下ろす。
「所詮、お前にはわからぬことよ」
竜称の見開かれた瞳には、悲しみが宿っている。やはり、今まで忒畝が感じてきたものとは、何かが違う。恐怖や威圧感はない。
忒畝は偏見を持っていないつもりだった。だが、思い込みで見るものを変えていたのかもしれないと自戒する。
試すように忒畝は話しかける。
「人の気持ちを寸分も違わずに理解するのは不可能だ。そんなこと、君は知っているだろう? それなのに、肯定を望むだけでそのままに……言葉を発するの?」
竜称は反応しない。まるで、忒畝の言葉を聞いていないかのようだ。だからこそ、忒畝は声をかけ続ける。
「何のために封印から目覚めたの? どうして……生きたいと思ったの?」
何か、何かが竜称の心をつかめるはずだと信じて。
「憎んだり、過去を繰り返したり……そうしたいわけではなかった、そうでしょう?」
けれど、竜称は一向に反応を示さない。忒畝は言葉を続けるか否かを迷う。
──もし、見当違いなことを僕が思っているのなら……いや、そうだとすれば僕の言葉に竜称は即座に否定するなり、嘲笑うなり、何かしら反応をするはずだ。僕は、核心を突こうとしているのだろうか。いずれにしても、今しか……もう。
竜称と会うのはこれが最後だと思いなおす。上着の左側に入れた注射器に、そっと触れる。
「本当は父さんのもとへ行った母さんのこと……僕のことも、心配だっただけなんでしょ? 昔と同じ思いを繰り返すなら、と……母さんや僕たちを苦しませることになるのならと、いっそ自分の手を染めればいいと思ったんだよね?」
忒畝はおもむろに一歩踏み込む。竜称の様子をうかがい、竜称を見つめて。
「僕は母さんを、君たちを止めることができなかった。だから、この無意味な戦いの清算は僕がつけなければいけない。それが、僕がこの血を継ぎながらも、生きている理由。本当は……六百年前も、僕がケリをつけるべきだったんだ」
琉菜磬を思い出す。ただ、祈りだけを捧げ続けていた。祈りがすべてを導ける道だと信じていた。同時に、祈るだけでは何も変えられないとも痛感していた。もしかしたら、祈りで誰かを救いに導けたことはあるかもしれない。けれど、何かを大きくは変えられなかった。
逃げていたわけではない。でも、戦わなかった。何かに逆らうこと、自ら剣を握ること、方法は色々あっただろう。琉菜磬は祈りをすべてと思っていた節があり、他の手段に目を向けようとしなかった。これが琉菜磬と忒畝の決定的な違い。忒畝なら、剣を握る決断もする。
ふと、竜称の嘲笑ったような気がした。それは、気のせいではなかったようで、竜称は口をちいさく動かしている。
「私たちは、誰も克主なんて恨んでなかった。ただ、私たちを受け入れなかった村人たちを恨んでいた。少しでも、ほんの一欠けらでも、そんなことを望んだ自分たちが……愚かで、憎かった」
後悔だろうか。竜称は首を回して、その視野から忒畝は微妙に外れた。
「ただ、龍声と一緒にいたかったんだ。私たちにとって、龍声は生きていく糧、そのものだった……」
──これだ。
違和感を抱いた正体がこれだと忒畝は直感する。竜称は、忒畝の言葉に返答しているわけではない。つまり、忒畝を見ているようで見ていない。現在にいるようで、現在にいない。
「私たちは龍声さえいれば生きていけたんだ。何に拒まれようとも。龍声は最期まで信じていた。あんなに幼いのに私たちまでも支えていた。……なのに、あいつらは」
涙に声を詰まらせ、声は途絶えた。──と、途端に竜称は叫ぶ。
「忒畝! お前まで私から龍声を奪うのか!」
突如、忒畝は両肩をつかまれ、責め立てられる。忒畝は息を呑む。こんなに竜称は初めてだ。
すっと竜称の視線が忒畝の背後に逸れた。そして、背後に何かを見ているかのように、壁に向かって求めるように手を伸ばす。
「龍声、行くな! 龍声!」
その声は、我を失うほど。
「駄目だ、私の傍を離れて行くな! また、私を置いて逝くのか!」
竜称には、龍声の最期の光景が広がっているのか。それとも、託した『龍声』を失ったと、記憶が曖昧になって忒畝に『奪うな』と言っていたのか。
どちらが正しいのか忒畝に判断はつかない。冷静だと思っていた竜称の乱心は、忒畝を動揺させる。
「竜称、あの子は龍声じゃない。君が一番わかっているはずだ。あの子は……」
「だまれっ!」
竜称は忒畝の両肩から手を離すと、今度は頭が割れそうだというように、両手で自らの頭を押さえる。
竜称は忒畝の両肩から手を離すと、今度は頭が割れそうだというように、両手で自らの頭を押さえる。
悲痛な竜称の様子に、忒畝は推測を改める。竜称には、龍声の最期の光景が広がっているのかもしれないと。もし、そうだとしたら、辛い思い出を前に混濁を起こしたのかもしれない。
過去をを夢のように体感した忒畝には、この混濁が理解できる。
忒畝は黎馨に見せてもらった過去を思い起こす。竜称の戦っていた遠い遠い過去を。
『私だって、人間に戻れることなら戻りたい! 私たちはこの戦いで家族、友達……全てを失った! それを取り戻せるなら、取り戻したい!』
意外にも、脳内に響いたのは、時林の声。
──いつも甘えばかり言っていた時林。現実を見ない甘さにいつも苛立った。
──だから、一度も優しくなんてできなかった。傷つけないように、突き放すだけで精一杯だった。
これは、竜称の思いか。忒畝が竜称に同調したからか、不思議と忒畝の脳内に夢でも見ているかのように竜称の思いが届く。
『私はそうは思わないね』
これは、竜称の声。
──人に期待をしては駄目だ。思いが強ければ、強いほど、勝手に願った願いが叶わなかったときの痛みは何倍にもなって、自分を傷つける。
「もう充分だ、裏切られるのは。もう、充分なんだ」
今度は耳から聞こえた声に、忒畝は現実に戻ったような感覚を持つ。竜称の混濁は、かつての竜称の思いが、竜称を支配していっていたからこそ──。
「はは……あはははっ!」
そうかと思えば、竜称は狂ったように笑う。涙をこれでもかとこぼし、忒畝からぱっと手を離すと、竜称は後方に倒れていくかのようにそのまま力無くしゃがみ込む。
うつむく竜称を忒畝は見つめる。竜称がまるで少女のようで。いや、ボロボロになって捨てられてしまったようにも見えて。
忒畝が悲し気な視線を投げたまま何も言えないでいると、竜称が髪を乱しながらガバっと顔を上げた。
視線が合うと口角をゆっくりと上げ、涙を拭こうともせず、瞳は鋭いまま忒畝を凝視する。
「お前に、何がわかるというのだ」
竜称は両目から大粒の涙を流す。
「私はあいつみたいにすがるくらいなら、死んだ方がマシだね。この、叶うことのない望みを断ち切るがいい」
自嘲しながら望みを見て泣いている。幻影の先に見た何に笑ったのだろうかと、忒畝は悲しみに包まれる。竜称が嘲笑っているのは、恐らく、過去の竜称だ。
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