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兄と罪、罪と弟
【67】シロツメクサの告白(1)
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足早に城下町を羅凍は通り過ぎていく。人の少ない道を選ぶのは得意だと言わんばかりに、スイスイと歩いて船に乗り込む。
父が一命をとりとめる方がいいのか、悪いのか、羅凍には判断し難い。倫理で判断するなら当然、前者。それは理解できる。けれど、単純に良しと思えないのは、心にかかる靄。
正直、父が存命しているからこそ、羅凍は城に縛られている気がする。捷羅が継いで順風満帆に日々が過ぎていけば、羅凍に対して母の関心は薄れ──いや、なくなるかもしれない。
捷羅は母の様子を見ながら、自由にさせてくれている。母の関心が羅凍からなくなれば、城から出て自由になる望みは叶いそうだ。
身勝手なのは重々承知。だが、押しつぶされた心は悲鳴を上げていて、その悲鳴がもれないようにグッと理性が抑え込んでいる。どちらも限界を越えそうになりながら生きていて、倫理や理想や建前で父に生きていてほしいとは到底、羅凍には言えない。
──どうして俺は、羅暁城に生まれてきたのだろう。
──違うところに生まれていたなら。
羅凍には、沙稀も忒畝も、誰も彼もが羨ましくて仕方ない。哀萩のことを思えば、尚更。
父が思っているように、羅凍も父の子として生まれなければという思いがある。鏡を見る度に、父と似ていると聞く度に、落胆する。外見だけではなく、己の血肉を呪うように忌み嫌っている。
一方で城から出て、沙稀や忒畝たちと話していればとても満たされる。彼らは羅凍を個として見て、認めてくれているから。対等に扱ってくれるから。そういう彼らと友人でいられることは誇りで、話せる日々はとても幸せだ。
船に揺られて思い出す。そういえば、哀萩に初めて告白したのは、そんな彼らと有意義な一ヶ月を過ごしたあとだった。
あれは、十九歳のときだ。そう、克主研究所の時期君主のお披露目の場として、開かれた約一ヶ月間の講義。講義を務めたのは、もちろん忒畝だ。
楽しく充実した日々はあっという間で──あんな毎日が続いたならと、夢のように思い返しながら羅凍は帰りの船に乗った。
捷羅に帰城した旨を伝えて、その足取りで裏口から出た。向かった先は、幼少期によく過ごした棟の近く。一面には、シロツメクサがかわいらしい花を咲かせていた。その花々を呆然と見つめ、哀萩と出会った日、笑って過ごした日々を思い出す。
巻き戻した時が足早に再生され──羅凍が城内で過ごすようになってからの記憶は、ゆっくりと流れた。
哀萩が急によそよそしくなったのは、そのころだった。話しかけてもそっけない返事しか返ってこなかったり、刺々しい言葉が増えたり──以前のように笑ってくれなくなっていた。
ちょうど捷羅の怒りの声を聞き、驚いたあとのことで。捷羅の言葉の矛先が、父だったのにも驚いたが──それ以上に内容にも、驚いて。心臓が、飛び出そうなほどバクバクといった。
哀萩とは結ばれたいと願うよりも、そばにいてくれればいいと願っていたのに、それさえも願ってはいけないと──諦めなければいけないと、思い詰めることになった。
思いと裏腹に、視線は哀萩に捕らわれ、追いかけてしまう。哀萩は捷羅といつからか仲睦まじくなっていて、羅凍は視線を離せなくなる。──その様子を、捷羅は視線を送らずとも、知っているような気がした。
捷羅の部屋が変ったのと同時に知った、禾葩の死。その原因は、後に母から聞き──捷羅が羅凍に復讐心のようなものを抱いているのを、なんとなく感じるようになっていた。
羅凍自身が、何かをしたわけではない。捷羅もそれを理解しているはず。──けれど、理屈だけですべて片付くわけではない。
哀萩の気持ちは、わからない。本当に捷羅が好きなのかもしれない。だけど、捷羅は──羅凍に見せつけ、羅凍の想う人から想われるという満足に浸るために、必要な演技をしているにすぎないのだろう。
キリキリと胸が痛む。幾重にも諦める理由が重なっていて。好きだという想いが消せなくて。また笑顔が見たいとか、そばにいられればいいとか、そんな思いが膨らんできて。──結局、諦められずに想いを膨らませてしまって、告白しない方が苦しくなってきてしまっていた。
そんな思いを出会って間もない沙稀に露土してしまって、なのに沙稀は、
「羅凍って、自分に素直なんだね」
と言ってくれた。そう? と聞き返せば、
「うん。羨ましいくらい。俺には絶対に真似できない」
と、意外な言葉が返ってきて。──告白してもいいのかと、背中を押してもらえた。
深呼吸をする。あの沙稀に羨ましいと言ってもらえたのだからと、勇気をもらい決心できたと思い出して。哀萩に告白をすると心に決め、草原に腰を下ろす。
──玉砕すれば、きっとスッキリする。
告白しないという選択肢は、もう彼の中にはない。尚且つ、受け入れてもらえるという望みも彼は持っていない。
おもむろに手を伸ばし、一本のシロツメクサを摘む。
懐かしい時間を再び刻むように、茎で円を描く。一度止まり、今度はクルクルと茎を巻きつける。すると、ちいさなシロツメクサの花が、大きく見えた。
シロツメクサを編んで作ったものを見つめて、徐々に鼓動がはやくなる。望みは持っていないが、これには一大決心を込めた。
──結果なんて、わかってる。だけど……。
言わなければ、前には進めない。前を向くこともできない。
告白しないで胸にそっとしまい込めていたら、どんなによかったか。いや、好きだと気づかないで、子どものままこの場で。彼女とふたりでずっと過ごせたのなら──どんなに、よかったか。
ずっとそばにいたかった。いてほしかった。
それだけでいいと願っていた。それだけを望んだ。
一生をともに過ごす象徴が、結婚だ。だけど、結婚は望めないから望まない。だから、プロポーズもできない。
これは、諦めるための手段。
凛と咲き誇る手の中のシロツメクサを見つめ、彼の瞳が潤みかけていたとき、
「おかえり」
と、背後から想い人の声が届いた。
一ヶ月振りに聞く声に、一瞬で瞳は乾く。いや、乾いたのは瞳だけではなく、口の中まで水分は失っていった。
「もう……わざわざ克主研究所から手紙を送ってくるなんて。しかも、ここに呼んで。……どうしたの?」
彼女の声に羅凍の鼓動は高鳴る。いつまでも聞いていたいその声に、心を揺らしてはいけないと、羅凍はなるべく自然に立ち上がる。──手の中にシロツメクサで作ったちいさな物を隠して。
立ち上がれば一面に背の低い緑が広がり、所々に白が点在している。白くて丸いちいさな花を咲かせたシロツメクサたちが。
彼女と向かい合うと、距離はおよそ四メートル。互いに腕を伸ばしても、手は届かない。
「ただいま」
いつものように笑おうとしたのに、顔の筋肉が言うことをきかなかった。彼女に戸惑いの表情が浮かぶ。
それはそうだろう。遠方から手紙を出すのも、彼女を呼び出すのも、強張った表情なのも、すべてが羅凍らしくないのだから。
「何?」
彼女の不安そうな声に、羅凍は隠していたものを差し出す。蔦のように編んだ丸い部分を親指と人差し指で持って、彼女に受け取ってと言うように。
輪の上部に咲く白い花越しに、青と緑の──彼女を象徴するような色合いが、視界を染める。
「はい」
ちいさな花をシンボルとした、おもちゃのリングのようなもの。それを目の前にして、彼女は青空のような瞳を大きくした。
彼女は羅凍の言葉を待っているのか、ただぼんやりとちいさな花を見て──羅凍に標準を合わせるように視界を上げる。
羅凍の顔は、急激に熱を上昇させていく。
「あ……えと、その……初めてあげたのが冠だったから、告白するときはこれを渡そうと思って……た。俺、哀萩が好きだ」
何度か伏し目がちになりながらも、懸命に哀萩を見続ける。
父が一命をとりとめる方がいいのか、悪いのか、羅凍には判断し難い。倫理で判断するなら当然、前者。それは理解できる。けれど、単純に良しと思えないのは、心にかかる靄。
正直、父が存命しているからこそ、羅凍は城に縛られている気がする。捷羅が継いで順風満帆に日々が過ぎていけば、羅凍に対して母の関心は薄れ──いや、なくなるかもしれない。
捷羅は母の様子を見ながら、自由にさせてくれている。母の関心が羅凍からなくなれば、城から出て自由になる望みは叶いそうだ。
身勝手なのは重々承知。だが、押しつぶされた心は悲鳴を上げていて、その悲鳴がもれないようにグッと理性が抑え込んでいる。どちらも限界を越えそうになりながら生きていて、倫理や理想や建前で父に生きていてほしいとは到底、羅凍には言えない。
──どうして俺は、羅暁城に生まれてきたのだろう。
──違うところに生まれていたなら。
羅凍には、沙稀も忒畝も、誰も彼もが羨ましくて仕方ない。哀萩のことを思えば、尚更。
父が思っているように、羅凍も父の子として生まれなければという思いがある。鏡を見る度に、父と似ていると聞く度に、落胆する。外見だけではなく、己の血肉を呪うように忌み嫌っている。
一方で城から出て、沙稀や忒畝たちと話していればとても満たされる。彼らは羅凍を個として見て、認めてくれているから。対等に扱ってくれるから。そういう彼らと友人でいられることは誇りで、話せる日々はとても幸せだ。
船に揺られて思い出す。そういえば、哀萩に初めて告白したのは、そんな彼らと有意義な一ヶ月を過ごしたあとだった。
あれは、十九歳のときだ。そう、克主研究所の時期君主のお披露目の場として、開かれた約一ヶ月間の講義。講義を務めたのは、もちろん忒畝だ。
楽しく充実した日々はあっという間で──あんな毎日が続いたならと、夢のように思い返しながら羅凍は帰りの船に乗った。
捷羅に帰城した旨を伝えて、その足取りで裏口から出た。向かった先は、幼少期によく過ごした棟の近く。一面には、シロツメクサがかわいらしい花を咲かせていた。その花々を呆然と見つめ、哀萩と出会った日、笑って過ごした日々を思い出す。
巻き戻した時が足早に再生され──羅凍が城内で過ごすようになってからの記憶は、ゆっくりと流れた。
哀萩が急によそよそしくなったのは、そのころだった。話しかけてもそっけない返事しか返ってこなかったり、刺々しい言葉が増えたり──以前のように笑ってくれなくなっていた。
ちょうど捷羅の怒りの声を聞き、驚いたあとのことで。捷羅の言葉の矛先が、父だったのにも驚いたが──それ以上に内容にも、驚いて。心臓が、飛び出そうなほどバクバクといった。
哀萩とは結ばれたいと願うよりも、そばにいてくれればいいと願っていたのに、それさえも願ってはいけないと──諦めなければいけないと、思い詰めることになった。
思いと裏腹に、視線は哀萩に捕らわれ、追いかけてしまう。哀萩は捷羅といつからか仲睦まじくなっていて、羅凍は視線を離せなくなる。──その様子を、捷羅は視線を送らずとも、知っているような気がした。
捷羅の部屋が変ったのと同時に知った、禾葩の死。その原因は、後に母から聞き──捷羅が羅凍に復讐心のようなものを抱いているのを、なんとなく感じるようになっていた。
羅凍自身が、何かをしたわけではない。捷羅もそれを理解しているはず。──けれど、理屈だけですべて片付くわけではない。
哀萩の気持ちは、わからない。本当に捷羅が好きなのかもしれない。だけど、捷羅は──羅凍に見せつけ、羅凍の想う人から想われるという満足に浸るために、必要な演技をしているにすぎないのだろう。
キリキリと胸が痛む。幾重にも諦める理由が重なっていて。好きだという想いが消せなくて。また笑顔が見たいとか、そばにいられればいいとか、そんな思いが膨らんできて。──結局、諦められずに想いを膨らませてしまって、告白しない方が苦しくなってきてしまっていた。
そんな思いを出会って間もない沙稀に露土してしまって、なのに沙稀は、
「羅凍って、自分に素直なんだね」
と言ってくれた。そう? と聞き返せば、
「うん。羨ましいくらい。俺には絶対に真似できない」
と、意外な言葉が返ってきて。──告白してもいいのかと、背中を押してもらえた。
深呼吸をする。あの沙稀に羨ましいと言ってもらえたのだからと、勇気をもらい決心できたと思い出して。哀萩に告白をすると心に決め、草原に腰を下ろす。
──玉砕すれば、きっとスッキリする。
告白しないという選択肢は、もう彼の中にはない。尚且つ、受け入れてもらえるという望みも彼は持っていない。
おもむろに手を伸ばし、一本のシロツメクサを摘む。
懐かしい時間を再び刻むように、茎で円を描く。一度止まり、今度はクルクルと茎を巻きつける。すると、ちいさなシロツメクサの花が、大きく見えた。
シロツメクサを編んで作ったものを見つめて、徐々に鼓動がはやくなる。望みは持っていないが、これには一大決心を込めた。
──結果なんて、わかってる。だけど……。
言わなければ、前には進めない。前を向くこともできない。
告白しないで胸にそっとしまい込めていたら、どんなによかったか。いや、好きだと気づかないで、子どものままこの場で。彼女とふたりでずっと過ごせたのなら──どんなに、よかったか。
ずっとそばにいたかった。いてほしかった。
それだけでいいと願っていた。それだけを望んだ。
一生をともに過ごす象徴が、結婚だ。だけど、結婚は望めないから望まない。だから、プロポーズもできない。
これは、諦めるための手段。
凛と咲き誇る手の中のシロツメクサを見つめ、彼の瞳が潤みかけていたとき、
「おかえり」
と、背後から想い人の声が届いた。
一ヶ月振りに聞く声に、一瞬で瞳は乾く。いや、乾いたのは瞳だけではなく、口の中まで水分は失っていった。
「もう……わざわざ克主研究所から手紙を送ってくるなんて。しかも、ここに呼んで。……どうしたの?」
彼女の声に羅凍の鼓動は高鳴る。いつまでも聞いていたいその声に、心を揺らしてはいけないと、羅凍はなるべく自然に立ち上がる。──手の中にシロツメクサで作ったちいさな物を隠して。
立ち上がれば一面に背の低い緑が広がり、所々に白が点在している。白くて丸いちいさな花を咲かせたシロツメクサたちが。
彼女と向かい合うと、距離はおよそ四メートル。互いに腕を伸ばしても、手は届かない。
「ただいま」
いつものように笑おうとしたのに、顔の筋肉が言うことをきかなかった。彼女に戸惑いの表情が浮かぶ。
それはそうだろう。遠方から手紙を出すのも、彼女を呼び出すのも、強張った表情なのも、すべてが羅凍らしくないのだから。
「何?」
彼女の不安そうな声に、羅凍は隠していたものを差し出す。蔦のように編んだ丸い部分を親指と人差し指で持って、彼女に受け取ってと言うように。
輪の上部に咲く白い花越しに、青と緑の──彼女を象徴するような色合いが、視界を染める。
「はい」
ちいさな花をシンボルとした、おもちゃのリングのようなもの。それを目の前にして、彼女は青空のような瞳を大きくした。
彼女は羅凍の言葉を待っているのか、ただぼんやりとちいさな花を見て──羅凍に標準を合わせるように視界を上げる。
羅凍の顔は、急激に熱を上昇させていく。
「あ……えと、その……初めてあげたのが冠だったから、告白するときはこれを渡そうと思って……た。俺、哀萩が好きだ」
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