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前世との決別
【Program3】3
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その日は満月だった。今月二回目──ブルームーン。そんな夜、あの人物は教会にやってきた。
「神父様、僕をこの苦しみから解放して下さい。救って下さい。僕は愛おしいあの人を……救えなかった」
克主だ。教会の扉を開けて叫び、その場で力尽きたように両手を着いている。
ブルームーンと呼ばれる現象、その響きに克主は刻水のアクアの瞳を思い出し、この場へ導かれたのか。
四戦獣が封印されたと琉菜磬も耳にしていた。その噂を耳にしてから、一ヶ月くらいだろうか。
村人たちの不安をなくすためとはいえ、かつての恋人を、彼女たちを救えなかった。それが克主を自責の念を募らせ、追い込むのだろう。
恐らく克主は──苦しみ、涙を落とさなかった日などない。
琉菜磬は克主へと近づく。そっと克主の頭の近くに膝をつき、左肩に手を差し伸べる。
克主は上半身を起こすことなく、震える両手で神父の手を求めつかんだ。そして──。
「幸せは永く続くはずないってわかってた。でも、ありがとう。幸せだった」
克主がぽつりと囁く。
許しを乞うように、縋るように神父の手をより強くつかむ。
「刻水が戦地へと向かう前……この教会へと来る前に、刻水が言った言葉です。刻水は、僕とここに来る前から……戦地へと行く覚悟だった……」
克主は幾度、この言葉を思い出していたことだろう。
琉菜磬の胸の奥がズキンと痛む。けれど、克主が琉菜磬に望んでいるものは、共感ではない。
「貴男に、罪はありません」
神父の言葉が克主に注ぐ。やさしい囁き。
克主はゆっくりと顔を上げ、神父を見上げる。
「本来なら私が彼女たちを救うべきだったのです。克主君主、咎めるのであれば。どうか、私を咎めて下さい」
白髪の神父の長めの前髪が、月の灯りでうっすらと金に輝く。──それは、神のような神々しいもの。
「神父様」
両手で琉菜磬の左手を握る克主に、琉菜磬は悲しく微笑む。
「私はあの日、貴男が守りたいと願っていた人と来ていたのを見守っていました。けれど、私は声すらもかけることができなかった。まだ、神父として未熟だったのです。今の貴男の苦しみは、当時の私の苦しみと似ている」
克主は不思議そうに琉菜磬を見ている。
「君主、貴男に私の苦痛を押し付けてしまいました。申し訳ありません」
克主にとっては意外な言葉だったのだろう。放心状態になったかのように、克主はただ首を横に振る。
琉菜磬の素性は、克主には想像もできなかったのだろう。個人の言葉を、琉菜磬は神父の言葉で上書きする。
「私が見守っていたのです。きっと、神も見守って下さっていますよ。今も、貴男のことを」
そうしてスタンドグラスに照らされた大きな十字架を見上げれば。克主も同様に。静かなその光景は、克主の自責の念を溶かしていったのか。克主はじっと十字架を見つめたあと、
「やはり、来てよかったです。想いを……吐き出し、楽になれました」
と、琉菜磬に感謝した。
克主が落ち着いたころ、琉菜磬は悠水を呼んだ。ふたりは懐かしい再会に、涙して喜び抱き合った。
琉菜磬は克主に、提案をする。救いや心の支えとなるようにと。
「研究所内に塚の見える場所の設置をしてはどうでしょうか。それと、たまには悠水に会いに来てあげて下さい」
それは、悠水に意外な言葉だったのか。目を大きく開けて克主を見上げる。
にっこりと心からうれしそうな笑顔を浮かべた克主は、
「はい」
と返事をした。その短い言葉は、悠水の表情も変えるには充分なものだった。
克主は研究所に戻ると、すぐに塚野見える位置を確認した。翌朝、窓を設ける手配をする。以後、彼はその窓からの風景を心の拠り所とした。
クラクラと目が回る感覚を覚えながら忒畝は瞼を開けた。ぼんやりと見えるのは、赤く見える周防色の長い髪をゆらして、すこし背伸びする後ろ姿。──黎馨が血液バッグを取り外している。
ふと、右腕を見てみれば、すでに針は抜かれ止血された状態。まだ朦朧とする意識でベッドの横にあるローテーブルを見れば、用意した数だけ青い液体で血液バッグが満たされている。
「忒畝様? 大丈夫……ですか?」
黎馨の声で、ああそうだと意識する。幼い神父ではなく、忒畝だと。
「うん。ありがとう」
起き上がろうとすれば、黎馨は慌てて止めてくる。
「大丈夫だよ。それよりも、黎馨も疲れたでしょう?」
眉を下げた笑みが返ってくるだけで、黎馨は否定も肯定もしない。無理に起きて時計を見れば、夕食にはいい時間だ。
ゆっくり起きて歩いて行けば、食堂には充忠も馨民もいて。なぜかすこし驚かれたが、
「お前、また顔色悪くして」
とやや怒りのこもった充忠の声に、それで驚かれたのかと解釈する。
食事をし始めたころ悠穂も顔を出し同じテーブルに着席すれば、同様の反応をして。顔色を心配されたのかと特に反応せずに、黎馨を知り合いだと悠穂に紹介すれば、
「え? あ、噂の……」
となにやら言おうとするのを、慌てて充忠と馨民が止めている。
「噂?」
忒畝が聞き返すも、今『噂』と耳にすれば夢のように見てきた過去のこと──四戦獣のことしか浮かばない。
「いや! なんでも!」
「そうそう、俺らは忒畝が話すのを待っているからな!」
馨民と充忠がせかせかと言う。なにをそんなに慌てているのか忒畝にはさっぱりわからない。
「な?」
更に充忠は、なにかについて肯定だけを求めるかのように、馨民と悠穂に言う。ふたりはごまかすように笑うと、仲良く同意する。
忒畝には疑問符だらけだ。けれど頭はいつものようには回らなくて。珍しくぼうっとしたように過ごしていても、賑やかに食事は進み。
職場の研究室に入って黎馨と作業を進めようとしても、頭はやはり普段のようには回らず。それに、寄り添ってくれる黎馨を近くに感じる度、指が触れてしまう度に妙に意識してしまう。
鼓動の強さを感じて、血液を多く取り過ぎたせいだと気を紛らわそうとしても、別の理由で体調不良になり捗らない。
一分でも一秒でも惜しい──気ばかり焦っても、体調が回復するわけもなく。
「また、明日からにして、今日は休みませんか?」
黎馨のやんわりした言葉に、妥協するかのように中断する。
その夜は過去を見ることもなく、翌朝から忒畝は黎馨と分析に取りかかる。寝起きの記憶の混濁がないお陰か、頭はわりとすっきりとしていた。
一緒に試験管をのぞき込んだり、数値の確認をしていると、どうしても体の距離が近くなる。接触が容易にできる距離で過ごすことが多い。それは『親密な関係』の距離。
心に度々混じってくる感情。それが忒畝に黎馨を女性として意識させる。鼓動を強く感じて、微笑む黎馨を直視できなくなる。
──おかしい。
困惑と動揺。これまでは、どんな状況下でも実験や研究作業に入ればそちらにのめり込んでいた。そう、馨民を意識し始めたときも、彼女に告白され断り両思いだと認識しても。実験や研究作業に入れば無になって。無我夢中で打ち込めた。
それに、普段でさえも気持ちを抑えられていた。抑えないといけないと理解していたから。今では馨民に対して安堵に近い感覚を抱く。ふと気持ちが高まっても、抑制がきく。
けれど、黎馨に対する感情はまったく違う。発作のように起こって、衝動に駆られる。手を伸ばしたいと思うよりも前に、伸びている。触れれば、もっと触れていたくなる。
黎馨は抵抗せずに、それを許して受け入れる。汗でも唾液でも口に含めば体中に染みわたっていく快楽。癒しの快楽に落ちていきそうになって、違和感を覚える。感じているのが苦痛ではないと。
そうして忒畝は、我に返る。黎馨からすぐに離れて短く謝る。距離を取りながらも、困惑しかない。気持ちをコントロールできなくなるのはなぜか。答えは簡単だ。琉菜磬の感情が衝動を起こさせている。
落ち着こうとしても、残る快楽に自己嫌悪する。過去生の感情に翻弄されて行動していいことではないと。
深呼吸をして、『忒畝だ』と再認識するように言い聞かし、自我を取り戻す。気持ちを落ち着かせて黎馨を気まずく見れば、作業を再開しようと何事もなかったかのように言うだけで。
それを繰り返す。一日、二日──三日。
いつかは歯止めがきかなくなってしまうのではないか。そんな不安を忒畝は抱えながら、時間は過ぎていく。
「神父様、僕をこの苦しみから解放して下さい。救って下さい。僕は愛おしいあの人を……救えなかった」
克主だ。教会の扉を開けて叫び、その場で力尽きたように両手を着いている。
ブルームーンと呼ばれる現象、その響きに克主は刻水のアクアの瞳を思い出し、この場へ導かれたのか。
四戦獣が封印されたと琉菜磬も耳にしていた。その噂を耳にしてから、一ヶ月くらいだろうか。
村人たちの不安をなくすためとはいえ、かつての恋人を、彼女たちを救えなかった。それが克主を自責の念を募らせ、追い込むのだろう。
恐らく克主は──苦しみ、涙を落とさなかった日などない。
琉菜磬は克主へと近づく。そっと克主の頭の近くに膝をつき、左肩に手を差し伸べる。
克主は上半身を起こすことなく、震える両手で神父の手を求めつかんだ。そして──。
「幸せは永く続くはずないってわかってた。でも、ありがとう。幸せだった」
克主がぽつりと囁く。
許しを乞うように、縋るように神父の手をより強くつかむ。
「刻水が戦地へと向かう前……この教会へと来る前に、刻水が言った言葉です。刻水は、僕とここに来る前から……戦地へと行く覚悟だった……」
克主は幾度、この言葉を思い出していたことだろう。
琉菜磬の胸の奥がズキンと痛む。けれど、克主が琉菜磬に望んでいるものは、共感ではない。
「貴男に、罪はありません」
神父の言葉が克主に注ぐ。やさしい囁き。
克主はゆっくりと顔を上げ、神父を見上げる。
「本来なら私が彼女たちを救うべきだったのです。克主君主、咎めるのであれば。どうか、私を咎めて下さい」
白髪の神父の長めの前髪が、月の灯りでうっすらと金に輝く。──それは、神のような神々しいもの。
「神父様」
両手で琉菜磬の左手を握る克主に、琉菜磬は悲しく微笑む。
「私はあの日、貴男が守りたいと願っていた人と来ていたのを見守っていました。けれど、私は声すらもかけることができなかった。まだ、神父として未熟だったのです。今の貴男の苦しみは、当時の私の苦しみと似ている」
克主は不思議そうに琉菜磬を見ている。
「君主、貴男に私の苦痛を押し付けてしまいました。申し訳ありません」
克主にとっては意外な言葉だったのだろう。放心状態になったかのように、克主はただ首を横に振る。
琉菜磬の素性は、克主には想像もできなかったのだろう。個人の言葉を、琉菜磬は神父の言葉で上書きする。
「私が見守っていたのです。きっと、神も見守って下さっていますよ。今も、貴男のことを」
そうしてスタンドグラスに照らされた大きな十字架を見上げれば。克主も同様に。静かなその光景は、克主の自責の念を溶かしていったのか。克主はじっと十字架を見つめたあと、
「やはり、来てよかったです。想いを……吐き出し、楽になれました」
と、琉菜磬に感謝した。
克主が落ち着いたころ、琉菜磬は悠水を呼んだ。ふたりは懐かしい再会に、涙して喜び抱き合った。
琉菜磬は克主に、提案をする。救いや心の支えとなるようにと。
「研究所内に塚の見える場所の設置をしてはどうでしょうか。それと、たまには悠水に会いに来てあげて下さい」
それは、悠水に意外な言葉だったのか。目を大きく開けて克主を見上げる。
にっこりと心からうれしそうな笑顔を浮かべた克主は、
「はい」
と返事をした。その短い言葉は、悠水の表情も変えるには充分なものだった。
克主は研究所に戻ると、すぐに塚野見える位置を確認した。翌朝、窓を設ける手配をする。以後、彼はその窓からの風景を心の拠り所とした。
クラクラと目が回る感覚を覚えながら忒畝は瞼を開けた。ぼんやりと見えるのは、赤く見える周防色の長い髪をゆらして、すこし背伸びする後ろ姿。──黎馨が血液バッグを取り外している。
ふと、右腕を見てみれば、すでに針は抜かれ止血された状態。まだ朦朧とする意識でベッドの横にあるローテーブルを見れば、用意した数だけ青い液体で血液バッグが満たされている。
「忒畝様? 大丈夫……ですか?」
黎馨の声で、ああそうだと意識する。幼い神父ではなく、忒畝だと。
「うん。ありがとう」
起き上がろうとすれば、黎馨は慌てて止めてくる。
「大丈夫だよ。それよりも、黎馨も疲れたでしょう?」
眉を下げた笑みが返ってくるだけで、黎馨は否定も肯定もしない。無理に起きて時計を見れば、夕食にはいい時間だ。
ゆっくり起きて歩いて行けば、食堂には充忠も馨民もいて。なぜかすこし驚かれたが、
「お前、また顔色悪くして」
とやや怒りのこもった充忠の声に、それで驚かれたのかと解釈する。
食事をし始めたころ悠穂も顔を出し同じテーブルに着席すれば、同様の反応をして。顔色を心配されたのかと特に反応せずに、黎馨を知り合いだと悠穂に紹介すれば、
「え? あ、噂の……」
となにやら言おうとするのを、慌てて充忠と馨民が止めている。
「噂?」
忒畝が聞き返すも、今『噂』と耳にすれば夢のように見てきた過去のこと──四戦獣のことしか浮かばない。
「いや! なんでも!」
「そうそう、俺らは忒畝が話すのを待っているからな!」
馨民と充忠がせかせかと言う。なにをそんなに慌てているのか忒畝にはさっぱりわからない。
「な?」
更に充忠は、なにかについて肯定だけを求めるかのように、馨民と悠穂に言う。ふたりはごまかすように笑うと、仲良く同意する。
忒畝には疑問符だらけだ。けれど頭はいつものようには回らなくて。珍しくぼうっとしたように過ごしていても、賑やかに食事は進み。
職場の研究室に入って黎馨と作業を進めようとしても、頭はやはり普段のようには回らず。それに、寄り添ってくれる黎馨を近くに感じる度、指が触れてしまう度に妙に意識してしまう。
鼓動の強さを感じて、血液を多く取り過ぎたせいだと気を紛らわそうとしても、別の理由で体調不良になり捗らない。
一分でも一秒でも惜しい──気ばかり焦っても、体調が回復するわけもなく。
「また、明日からにして、今日は休みませんか?」
黎馨のやんわりした言葉に、妥協するかのように中断する。
その夜は過去を見ることもなく、翌朝から忒畝は黎馨と分析に取りかかる。寝起きの記憶の混濁がないお陰か、頭はわりとすっきりとしていた。
一緒に試験管をのぞき込んだり、数値の確認をしていると、どうしても体の距離が近くなる。接触が容易にできる距離で過ごすことが多い。それは『親密な関係』の距離。
心に度々混じってくる感情。それが忒畝に黎馨を女性として意識させる。鼓動を強く感じて、微笑む黎馨を直視できなくなる。
──おかしい。
困惑と動揺。これまでは、どんな状況下でも実験や研究作業に入ればそちらにのめり込んでいた。そう、馨民を意識し始めたときも、彼女に告白され断り両思いだと認識しても。実験や研究作業に入れば無になって。無我夢中で打ち込めた。
それに、普段でさえも気持ちを抑えられていた。抑えないといけないと理解していたから。今では馨民に対して安堵に近い感覚を抱く。ふと気持ちが高まっても、抑制がきく。
けれど、黎馨に対する感情はまったく違う。発作のように起こって、衝動に駆られる。手を伸ばしたいと思うよりも前に、伸びている。触れれば、もっと触れていたくなる。
黎馨は抵抗せずに、それを許して受け入れる。汗でも唾液でも口に含めば体中に染みわたっていく快楽。癒しの快楽に落ちていきそうになって、違和感を覚える。感じているのが苦痛ではないと。
そうして忒畝は、我に返る。黎馨からすぐに離れて短く謝る。距離を取りながらも、困惑しかない。気持ちをコントロールできなくなるのはなぜか。答えは簡単だ。琉菜磬の感情が衝動を起こさせている。
落ち着こうとしても、残る快楽に自己嫌悪する。過去生の感情に翻弄されて行動していいことではないと。
深呼吸をして、『忒畝だ』と再認識するように言い聞かし、自我を取り戻す。気持ちを落ち着かせて黎馨を気まずく見れば、作業を再開しようと何事もなかったかのように言うだけで。
それを繰り返す。一日、二日──三日。
いつかは歯止めがきかなくなってしまうのではないか。そんな不安を忒畝は抱えながら、時間は過ぎていく。
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