上 下
84 / 375
伝説の真実へ

【Program2】2

しおりを挟む
 空がよく晴れている。周囲に建物はない。見えるのは木ばかりだ。道らしきものはなく、まさに道なき道を慣れているようにひとりの少年が歩いている。
 無造作に伸びている琥珀色の髪。年齢に不釣り合いな大きな眼鏡。──この少年は、どうやら若いころの克主ナリスのようだ。
 足早に歩く光景が、どことなく知っている風景に忒畝トクセには見える。木ばかりなのに、場所を特定させるには充分だった。克主ナリスが向かっている場所さえも。
 ──ここは、克主ナリス研究所から緋倉ヒソウに向かう道だ。
 知っている場所であるのに、見る景色が違う。言い表せない違和感は、年代が遥かに異なるという証明。年代を合わせるなら、琉菜磬ルナセが神父から教会を譲り受けるころだろうか。

 忒畝トクセの思考を置き去りに、景色はどんどん変わっていく。森を抜け、視界は開け。港街、緋倉ヒソウ克主ナリスは辿り着いていた。古めかしい雰囲気が漂っているものの、人々で賑わっている。
 しかし、大きく異なる点がひとつ。──緋倉ヒソウは、港街ではなかった。
 交易が盛んで、華やかな街であるはずの緋倉ヒソウ。けれど、それは忒畝トクセが見知っている緋倉ヒソウだ。過去の記述も、忒畝トクセは知っている。
『その昔、大陸はすべて繋がっていた。大陸はひとつだけだった』
 記述を見て、知識として持っていたもの。誰かに話したことがあったが、実際に見たのは忒畝トクセも初めてで息を呑む。いや、本来なら忒畝トクセが体験することはなかったはずで。

 ふと、雑多な音で忒畝トクセの視線は動き始める。そう、場面が克主ナリスから始まっていたのだから、克主ナリスを見失うわけにはいかない。
 克主ナリスは、緋倉ヒソウの賑わいに圧倒されていたのか。街全体を見渡していた。そして、どこか呆然と、フラフラしながら歩き出す。一点を見つめて歩く姿は、何かに取り憑かれたように。その視線の先には──。
 白緑色の髪を持つひとりの少女がいた。少女が歩く度に揺れて、美しく髪はなびく。さほど太陽の光はないのに、その髪は光をきれいに反射させて。
 克主ナリスは、少女のうしろ姿に惹かれるままに市場に足を向かう。

 市場は人であふれていた。人で何もかもを隠してしまいそうだが、少女の美しい髪は特別な煌めきをまとって輝く。
「ありがとうございます」
 少しの食材を買い、にこやかに笑っている。礼を言う少女の横顔はやわらかい。──その横顔を見て、瞬時に忒畝トクセは少女が『誰』かと見当がついた。
 克主ナリスは彼女の横顔を見つめている。少女は気づいていない。克主ナリスは心ここにあらずだ。完全に心を奪われている。
 彼女が歩き出せば、またフラフラとその背を追っていく。結局、克主ナリスは街にきた目的を忘れたように、街外れへと歩いていく少女のうしろ姿を佇んで見つめた。



 再び、景色は森の中。
 琥珀色の無造作に伸びた髪の少年、克主ナリス緋倉ヒソウへと歩いている。そうして、あの少女を探す。フラフラとついていく。街外れへ行く姿を見送る。──それが何度か繰り返された。
 その行動は、少女と会いたい。ただ一目だけでも少女の姿を見られれば、それでいいと言うように。時には少女を見つけられずに、背を丸くして用件を済ませて帰ることもある。いや、その方が多いようだが、少女は見かける度に、四季を服装で伝えてきた。
 少女の姿を見られた日は、それだけで克主ナリスは幸せそうに微笑み、見届ける。そんな月日は続き──運命の歯車は悪戯に回り始めたのだろう。初めて少女を見たのと同じ季節に、ふたりは言葉を交わす。

 それは、緋倉ヒソウの一角にある本屋だった。克主ナリスは少女を見かけられずにいたが、折角街に来たのだからと思ったのか、本屋に立ち寄っていた。
 何かを探しているように、本を手に取る。手に取っては頁をパラパラとめくり、戻す。同じ動作は何度か繰り返され、そこへ──。
「すみません、その上の本を取っていただけますか?」
 左側から聞こえた、聞き覚えのある上品な少女の声。克主ナリスの動きは止まる。
 数秒後、やっと動き始めたものの、緊張しているのか。克主ナリスの動作はぎこちない。呼吸をするのに必死になっているのが伝わる。
 到底、声の発せられた方を向けないのか。ただ、言われたことを行動に移そうと必死に手を伸ばす。
「あ……この本、ですか?」
 克主ナリスの声に、少女は克主ナリスの方へスッと近づく。
「その右……の本です」
 少女のところからでは見えにくかったのか、言葉が返ってきたのは遅い。けれど、その間は克主ナリスにとっては幸福だったのだろう。あっという間に顔が赤くなっている。
「は、はい」
 言われるがままに克主ナリスは慌てて本を取る。タイトルさえも見ずに差し出す。
 一方の少女は、克主ナリスが緊張していると思うこともないのか。笑顔で本を受け取り、微笑む。
「ありがとうございます」
 克主ナリスに向けられた初めての笑顔。克主ナリスは直視することができずに、恥ずかしさのあまり目を逸らす。

 少女はそのまま克主ナリスから離れ、会計を済ませている。店員にも『ありがとう』と笑って。
 少女と離れた克主ナリスは、どこかオドオドしている。目を逸らしたとき、少女が重たそうな荷物を持っていることに気づいたらしい。克主ナリスがまごついている間にも、少女は本屋を出ていこうとしていた。
 その刹那、克主ナリスは走る。
「待って!」
 振り返った少女は驚いていた。いや、声をかけた克主ナリス自身も驚いている。
「あ……いや、その」
 克主ナリスの声は次第にちいさくなる。しかし、少女は声が聞こえなくても、口が動いていると唇の動きを見ていた。
「いえいえ! とんでもありません」
 少女の声に克主ナリスが視線を向ける。
 少女は目をつぶって手を広げて素早く振っていた。どうやら、克主ナリスが少女を気遣い、荷物を持つと申し出ているのを唇で読み取ったらしい。
「でも、貴女が持っているには……あまりにも重そうに見えて」
 断っても尚、控えめに言う克主ナリスに対し、
「あ……じゃあ」
 と、少女は甘える。その表情は困ったように、けれど、どこかうれしそうに笑っていた。

 ふたりは特に何も話さないまま、しばらく歩いていた。ふと、街の景色がさみしくなってきたころ、買った本を両手で大事そうに持っていた少女が口を開く。
「私は街外れに住んでいるから」
 克主ナリスは少女を気遣いつつ荷物を返す。──その姿は名残惜しそうだ。それはそうだ。一年近く、遠くから見つめるだけで、やっと話せたというのに。気の利いた話どころか、名も聞けず。まして、想いを伝えることもできかった。
 荷物を渡す手を克主ナリスがなかなか離せず、一時ふたりで荷物を持つ。少女はふしぎそうな表情を浮かべる。それを克主ナリスもわかったのか。荷物から離さなくてはと、ゆっくり離す手がさみしい空間を生んだ。
 ようやく手が離れて、少女は両手で荷物を持つ。嫌そうな顔ひとつもせず、にっこりと笑って。
「甘えてしまいましたね。……ありがとうございました」
 少女は軽く一礼をする。
 克主ナリスは慌てて頭を下げた。少女はまだ立ち止まっている。克主ナリスが顔を上げ、一瞬、目を丸くした。それを本人も自覚したようで、慌てて表情を変える。
「あ、いいえ。その、大したことはしていないので……」
 やや早口だ。動揺は、初めて少女の瞳を直視したからだろう。その瞳の色は、アクア。
 白緑色の髪を持っていても、尚且つ、瞳の色がアクアであっても、買い物に出るのはやむを得ない事情があるからかもしれない。もしくは、特殊な血を継ぐ者の象徴だという知識がない者が、まだ一般人には少なかったのか。
 克主ナリスの動揺に反応せず、少女は再び一礼する。そうして少女は、人の少ない方へと歩いて行った。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ

音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。 だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。 相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。 どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。

お飾り公爵夫人の憂鬱

初瀬 叶
恋愛
空は澄み渡った雲1つない快晴。まるで今の私の心のようだわ。空を見上げた私はそう思った。 私の名前はステラ。ステラ・オーネット。夫の名前はディーン・オーネット……いえ、夫だった?と言った方が良いのかしら?だって、その夫だった人はたった今、私の足元に埋葬されようとしているのだから。 やっと!やっと私は自由よ!叫び出したい気分をグッと堪え、私は沈痛な面持ちで、黒い棺を見つめた。 そう自由……自由になるはずだったのに…… ※ 中世ヨーロッパ風ですが、私の頭の中の架空の異世界のお話です ※相変わらずのゆるふわ設定です。細かい事は気にしないよ!という読者の方向けかもしれません ※直接的な描写はありませんが、性的な表現が出てくる可能性があります

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

【完結】気付けばいつも傍に貴方がいる

kana
恋愛
ベルティアーナ・ウォール公爵令嬢はレフタルド王国のラシード第一王子の婚約者候補だった。 いつも令嬢を隣に侍らす王子から『声も聞きたくない、顔も見たくない』と拒絶されるが、これ幸いと大喜びで婚約者候補を辞退した。 実はこれは二回目人生だ。 回帰前のベルティアーナは第一王子の婚約者で、大人しく控えめ。常に貼り付けた笑みを浮かべて人の言いなりだった。 彼女は王太子になった第一王子の妃になってからも、弟のウィルダー以外の誰からも気にかけてもらえることなく公務と執務をするだけの都合のいいお飾りの妃だった。 そして白い結婚のまま約一年後に自ら命を絶った。 その理由と原因を知った人物が自分の命と引き換えにやり直しを望んだ結果、ベルティアーナの置かれていた環境が変わりることで彼女の性格までいい意味で変わることに⋯⋯ そんな彼女は家族全員で海を隔てた他国に移住する。 ※ 投稿する前に確認していますが誤字脱字の多い作者ですがよろしくお願いいたします。 ※ 設定ゆるゆるです。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

別に要りませんけど?

ユウキ
恋愛
「お前を愛することは無い!」 そう言ったのは、今日結婚して私の夫となったネイサンだ。夫婦の寝室、これから初夜をという時に投げつけられた言葉に、私は素直に返事をした。 「……別に要りませんけど?」 ※Rに触れる様な部分は有りませんが、情事を指す言葉が出ますので念のため。 ※なろうでも掲載中

処理中です...