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代償と柵《シガラミ》
【30】悲劇
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城内に着き、沙稀は周囲を注意深く警戒する。状態把握をしないで、飛び込んでいくのは危険そのもの。
奇声は聞こえてこない。しかし、不気味な雰囲気は漂っている。
「急がないと!」
悠穂は叫ぶと、まるで城内の状況を熟知しているかのように駆けて行く。
唯一の手掛かりともいえる悠穂を見失う訳にはいかない。沙稀は足の速さで負ける気はしないが、素早く後を追う。
悠穂が足を止めたのは広間だった。扉は開いている。
──不在の間に何がどうなったのか。
入り口から数十人の兵士が見える。幾重にも重なっている者、床に身を投げ出されたように倒れている者。
人が人ではないような状況だ。かつて戦地で目にした光景に酷似している。──否、おびただしい血やむせ返りそうな匂いがしないという点では、まったく違う。
沙稀は恭良を探す。
扉と対なる奥には、数人の女性と、人とは思えない姿をしたモノがいる。その中のひとりに、沙稀の視線は止まる。
「恭姫!」
先ほどの女性の右側──そこに恭良は座っていた。背もたれに寄りかからず、怯えるように。
恭良は沙稀の声に顔を上げる。
──負傷している様子はない。
無傷でよかったと沙稀が安堵しそうになった、そのとき。
「お母さん!」
悠穂が叫ぶ。
だが、その声は届けたい人には届いていない。左腕を伸ばし、恭良の座る椅子の背もたれを包む。恭良に対して微笑んでいるのに、冷たい印象──人間とは思えない何か別の生物ではないかとさえ感じてしまう。
ふと、椅子のうしろから見える『何か』。不気味に四肢が変形した、人とは呼びがたい獣のようなモノ。
恭良の表情が変わる。危機迫る表情に。
恭良は背中で『何か』を感じているようだ。このままでは、恭良に危険が及ぶかもしれない。
沙稀は、『何か』を意識しつつ、周囲を見渡す。悠穂が母と呼ぶ人物の左側には一mほど離れて、別の個体の『何か』と倭穏がいた。願いは届かず、最悪な事態となっている。幸いというべきか、凪裟の姿はない。
倭穏は意識がないように見える。椅子には座っていない。力無く、『何か』に支えられている。
──残念だが、犠牲は出るかもしれないな。
状況から考えると、同時に仕掛けてくる可能性は高い。全力は尽くすが、いい結果を得られるとは限らない。
恭良と倭穏の中央には、数段の階段がある。そこから伸びる赤い絨毯は、一本道となり、沙稀の足元まで続いている。
階段の手前──そこには、大臣と十人ほどの兵が、タイミングを計っているかのように待機していた。
味方を確認し、最悪の事態が回避できるかもしれないと望みをかける。同時に仕掛けられても、こちらも同時に動けるよう、沙稀もタイミングを計ろうとする。──だが。
「時林さん、邑樹さん、止めて。これ以上、誰も傷つけないで!」
『何か』に対して悠穂が叫ぶ。
沙稀の予想外は続いた。悠穂は『何か』に向かって距離を縮めていく。
考えるよりも、沙稀は行動に出ていた。瞬時に走り出し、悠穂の前に回り込む。それは、これ以上、『何か』に近づいてはいけないという、暗黙の警告。
前方を塞がれた悠穂は、沙稀の背中を見つめる。沸きあがる焦燥。
「私が止めないといけないの!」
「君を危険な目に遭わせるわけにはいかない!」
入り混じる感情。
それでも、沙稀には悠穂を止めずにはいられなかった。
最優先は変わらない。──それが仕事としてなのか、私的なことなのかと言われれば、どちらもだ。けれど、浮かんでしまった。忒畝の想いが。
忒畝の守りたい人、それは悠穂なのだろうと。
最優先は変わらない。変わらないのに、止めずにはいられなかった。
悠穂には、その想いが通じたのだろうか。沙稀の背を見つめ、悔しそうな表情を浮かべる。口を無理に結び、握られた両手は強さで震えそうだ。
悠穂は立ち止まってくれた。しかし、タイミングは失ってしまった。
もう、どちらも救える確率は皆無に近い。しかし、最善を尽くすしかない。沙稀は大臣たちよりも前に出る。狙うなら、俺を狙えと。
『何か』に向かって飛びかかれるようにしゃがみ、戦闘態勢を取る。わずかに離れた二ヶ所が憎い。運が悪ければ、どちらも助けられない。
長年感じずにいた緊張感がまとわりつく。
「フッ」
静寂を切り裂く不気味な声。恭良のうしろの『何か』が発し、笑う。
「威勢がいいな。まさか、ふたりとも無事に取り返せるとでも、思っているのか?」
言葉を発した、別の『何か』がゆらりと動く。
「時林さん! ダメ!」
悠穂が叫んだのと、倒れてくる倭穏の影になるように沙稀が避け、剣を素早く抜くのが、ほぼ同時だった。
時林は倭穏を盾にし、沙稀めがけて倭穏の左胸を突く。
倭穏から血が吹き上がる。
だが、沙稀は揺らがない。襲いかかってくる『何か』に剣を振り上げ、両手で切り裂くと、勢いのまま右手に持ち変える。
血しぶきが降り注ぐ中、倭穏は倒れていく。倭穏の左胸を突いたモノは、まだ近くにいる。
まさに、その通りだった。
今度はその真横に入り込み、腹部から剣を入れて切り上げる。鈍い音と、液体が噴き出る音がして、生温い液体が沙稀に降り注ぐ。
久しぶりに纏う、臭い。しかし、感傷に浸っている場合ではない。危険がまったくなくなったわけでなく、まだ残る人物がいる。──そう、悠穂が母と呼ぶ、あの女性だ。
女性を警戒し、恭良の方を見ると、女性の姿はそこになかった。
恭良の姿は、椅子の上にきちんとある。
──どこへ?
沙稀の警戒は続く。視線を配ると、いつの間にか更に奥にいるのを発見した。
女性はひとりではない。見知らぬ少女と一緒だ。外見も、年齢も、悠穂のような。
「お母さん!」
悠穂が沙稀の敵視から助けるように叫ぶ。すると、女性はそれに答えるように、おもむろに腕を正面にあげていく。
開けっ放しのままの扉を指でさし、微笑む。
沙稀が振り返ると、研究所に戻ったはずの忒畝が駆け足で扉の前を通過して行った。
「私の大事な友達の時林と邑樹を殺した、そこのお兄さん。行かなくていいの? 誰かが死ぬわ」
奇声は聞こえてこない。しかし、不気味な雰囲気は漂っている。
「急がないと!」
悠穂は叫ぶと、まるで城内の状況を熟知しているかのように駆けて行く。
唯一の手掛かりともいえる悠穂を見失う訳にはいかない。沙稀は足の速さで負ける気はしないが、素早く後を追う。
悠穂が足を止めたのは広間だった。扉は開いている。
──不在の間に何がどうなったのか。
入り口から数十人の兵士が見える。幾重にも重なっている者、床に身を投げ出されたように倒れている者。
人が人ではないような状況だ。かつて戦地で目にした光景に酷似している。──否、おびただしい血やむせ返りそうな匂いがしないという点では、まったく違う。
沙稀は恭良を探す。
扉と対なる奥には、数人の女性と、人とは思えない姿をしたモノがいる。その中のひとりに、沙稀の視線は止まる。
「恭姫!」
先ほどの女性の右側──そこに恭良は座っていた。背もたれに寄りかからず、怯えるように。
恭良は沙稀の声に顔を上げる。
──負傷している様子はない。
無傷でよかったと沙稀が安堵しそうになった、そのとき。
「お母さん!」
悠穂が叫ぶ。
だが、その声は届けたい人には届いていない。左腕を伸ばし、恭良の座る椅子の背もたれを包む。恭良に対して微笑んでいるのに、冷たい印象──人間とは思えない何か別の生物ではないかとさえ感じてしまう。
ふと、椅子のうしろから見える『何か』。不気味に四肢が変形した、人とは呼びがたい獣のようなモノ。
恭良の表情が変わる。危機迫る表情に。
恭良は背中で『何か』を感じているようだ。このままでは、恭良に危険が及ぶかもしれない。
沙稀は、『何か』を意識しつつ、周囲を見渡す。悠穂が母と呼ぶ人物の左側には一mほど離れて、別の個体の『何か』と倭穏がいた。願いは届かず、最悪な事態となっている。幸いというべきか、凪裟の姿はない。
倭穏は意識がないように見える。椅子には座っていない。力無く、『何か』に支えられている。
──残念だが、犠牲は出るかもしれないな。
状況から考えると、同時に仕掛けてくる可能性は高い。全力は尽くすが、いい結果を得られるとは限らない。
恭良と倭穏の中央には、数段の階段がある。そこから伸びる赤い絨毯は、一本道となり、沙稀の足元まで続いている。
階段の手前──そこには、大臣と十人ほどの兵が、タイミングを計っているかのように待機していた。
味方を確認し、最悪の事態が回避できるかもしれないと望みをかける。同時に仕掛けられても、こちらも同時に動けるよう、沙稀もタイミングを計ろうとする。──だが。
「時林さん、邑樹さん、止めて。これ以上、誰も傷つけないで!」
『何か』に対して悠穂が叫ぶ。
沙稀の予想外は続いた。悠穂は『何か』に向かって距離を縮めていく。
考えるよりも、沙稀は行動に出ていた。瞬時に走り出し、悠穂の前に回り込む。それは、これ以上、『何か』に近づいてはいけないという、暗黙の警告。
前方を塞がれた悠穂は、沙稀の背中を見つめる。沸きあがる焦燥。
「私が止めないといけないの!」
「君を危険な目に遭わせるわけにはいかない!」
入り混じる感情。
それでも、沙稀には悠穂を止めずにはいられなかった。
最優先は変わらない。──それが仕事としてなのか、私的なことなのかと言われれば、どちらもだ。けれど、浮かんでしまった。忒畝の想いが。
忒畝の守りたい人、それは悠穂なのだろうと。
最優先は変わらない。変わらないのに、止めずにはいられなかった。
悠穂には、その想いが通じたのだろうか。沙稀の背を見つめ、悔しそうな表情を浮かべる。口を無理に結び、握られた両手は強さで震えそうだ。
悠穂は立ち止まってくれた。しかし、タイミングは失ってしまった。
もう、どちらも救える確率は皆無に近い。しかし、最善を尽くすしかない。沙稀は大臣たちよりも前に出る。狙うなら、俺を狙えと。
『何か』に向かって飛びかかれるようにしゃがみ、戦闘態勢を取る。わずかに離れた二ヶ所が憎い。運が悪ければ、どちらも助けられない。
長年感じずにいた緊張感がまとわりつく。
「フッ」
静寂を切り裂く不気味な声。恭良のうしろの『何か』が発し、笑う。
「威勢がいいな。まさか、ふたりとも無事に取り返せるとでも、思っているのか?」
言葉を発した、別の『何か』がゆらりと動く。
「時林さん! ダメ!」
悠穂が叫んだのと、倒れてくる倭穏の影になるように沙稀が避け、剣を素早く抜くのが、ほぼ同時だった。
時林は倭穏を盾にし、沙稀めがけて倭穏の左胸を突く。
倭穏から血が吹き上がる。
だが、沙稀は揺らがない。襲いかかってくる『何か』に剣を振り上げ、両手で切り裂くと、勢いのまま右手に持ち変える。
血しぶきが降り注ぐ中、倭穏は倒れていく。倭穏の左胸を突いたモノは、まだ近くにいる。
まさに、その通りだった。
今度はその真横に入り込み、腹部から剣を入れて切り上げる。鈍い音と、液体が噴き出る音がして、生温い液体が沙稀に降り注ぐ。
久しぶりに纏う、臭い。しかし、感傷に浸っている場合ではない。危険がまったくなくなったわけでなく、まだ残る人物がいる。──そう、悠穂が母と呼ぶ、あの女性だ。
女性を警戒し、恭良の方を見ると、女性の姿はそこになかった。
恭良の姿は、椅子の上にきちんとある。
──どこへ?
沙稀の警戒は続く。視線を配ると、いつの間にか更に奥にいるのを発見した。
女性はひとりではない。見知らぬ少女と一緒だ。外見も、年齢も、悠穂のような。
「お母さん!」
悠穂が沙稀の敵視から助けるように叫ぶ。すると、女性はそれに答えるように、おもむろに腕を正面にあげていく。
開けっ放しのままの扉を指でさし、微笑む。
沙稀が振り返ると、研究所に戻ったはずの忒畝が駆け足で扉の前を通過して行った。
「私の大事な友達の時林と邑樹を殺した、そこのお兄さん。行かなくていいの? 誰かが死ぬわ」
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