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招かざる者
【25】平穏の終わりへのカウントダウン_3
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夕食となり、瑠既は恭良のとなりにいた。となりといっても、広いテ─ブル故に、一メ─トルほどの距離がある。二人の正面──と、いっても、かなり離れた距離だが──には、扉がある。周囲の壁には葉をモチ─フにした装飾があり、風景画が数枚飾られている。それを、瑠既が懐かしいと眺め、浸るようなことはなく、むしろ彼の機嫌は不機嫌だ。
理由はふたつ。
この夕食の場を、『妹』との再会の場として大臣から説明されたため。
もうひとつは、現状だ。恭良は生後一年半年足らずで記憶なんてないだろうに、『お兄様』と馴れ馴れしく話しかけてくる。瑠既がほぼ無反応にも関わらず。
今、瑠既は恭良とふたりきりではない。恭良の90度右前方には沙稀がいる。そして、瑠既の90度左前方には倭穏がいる。
この奇妙な四人で食事になったのは、食事に行くと言う瑠既に、倭穏がついてきたためだ。『妹と再会の食事に、姫の護衛が同席するのなら、自分も同席してもいいじゃない』と。
瑠既は倭穏に、沙稀を双子の弟だとは話していない。ふたりきりのときに言おうと思っていたのに、言えなかった。まして、恭良を前にしては、余計に言えない。沙稀には、ふたりで話したときに、恭良を姫として扱うと釘を刺されたようなものだ。
だから、瑠既は苛立ちを隠せなかった。恭良に『お兄様』と呼ぶなとも、馴れ馴れしく話すなとも言えない。
しかも、追い打ちをかけるように、沙稀は涼しい顔で恭良に話を合わしている。左前方で話しかけてくる倭穏の声に気を回せる気分でもない。
──ああ、俺、なんのためにここにきたんだっけ。
そんなことが頭を過る。
初めて見るような豪華に並べられた料理の数々を、自棄になり、むさぼる。自分の意思など考えないように、ただ、飢えを恐れていたころを思い出しながら。
「こんな風に、お兄様と話してみたかったんです。とてもうれしいです」
恭良は、誄に会わないことを責めない。むしろ、瑠既と仲良くなって、誄との間を取り持とうとしているのかもしれない。
「よかったですね、恭姫」
無反応な瑠既に変わるように、沙稀が反応する。それを、瑠既は無言で見る。
──こいつを、王位継承者に戻したかったんだよな。
どうしたら戻せるかの対策なしに戻ってきたと痛感する。戻ってくれば、あとは大臣がうまくやってくれると、どこかで思っていた。
しかし、現状はこれだ。
沙稀には、その気持ちが皆無だと見せつけられる一方。
瑠既がじっと見ている視線に気づいても、瑠既に対しての発言はなく、恭良に笑顔を向け、談笑し、恭良の心が折れないように支えている。
あ~あと思い、ふと、倭穏と見れば、
「やばい、なにこれ……美味しい」
と、料理を堪能していた。
ひとり、この光景に浮いたような感覚がして、瑠既の中でなにかがプツンを切れる。
「は……ふっははは……あははははは!」
さすがに、この笑い声には、シンと静まり返った。瑠既以外の三人は、目を丸め、倭穏は、料理の手を止めて笑い声へと視線を送る。
尚も瑠既は豪快に笑っていたが、倭穏の驚いた顔に気づくと、にんまりと笑う。
「そうか、うまいか。……そうだよなぁ、こんな豪勢な料理を食う機会なんて、ねぇもんな。よかったな、来て。こんなもんが食えるんだから」
「うん、初め見たときは、かなり引いたけど……とっても美味しい─っ」
周囲にぱぁっと花が咲いたように笑う倭穏に対し、恭良は口を閉ざしてしまった。気づけば、料理はすっかり冷めてしまっている。
恭良はようやくナイフとフォ─クを持ち、食事に手をつける。
「ごめんね、沙稀」
姫が口にしない以上、沙稀が先に手をつけるわけがない。沙稀の行動を理解していないわけではなかったが、理解に欠けた行動をしていたと恭良は詫びる。
「恭姫が謝るようなことではありません」
今日のメイン料理は肉料理。決して手を伸ばさない沙稀にとっては、温度は無関係だ。
「でも……沙稀も食べて」
「俺の行動は、俺の意思であり、自己責任です。恭姫が気に病むようなことではありません。それに……」
「いいの」
沙稀の言おうとしたことを、すっぱりと恭良は切る。──ただ、待ち望んでいた兄との会話を楽しみたかっただけだと、気持ちを汲んでくれる言葉を聞くのが痛くて。
黙々と食べ始めた恭良を前に、かける言葉を失った沙稀の想いは、気持ちを汲み取ろうともしなかった相手への怒りへと変わる。
「瑠既様」
続く言葉さえないが、そのじっと見つめる瞳は、今にも秘めた想いをあふれさせそうに、しかし、奥底に沸き立つ怒りを深々と伝えてきた。
──ああ、俺がここにきたのは、無意味だったかな。
瑠既はそう思ってしまい、あることを決意した。その決意を知らずに、沙稀はようやく一言告げる。
「明日、もう一度、今度こそ再会の会食を」
「わかった。それを最後にしよう」
「え……」
即答した瑠既に反応したのは、恭良だ。
「最……後?」
「ああ、今、決めた。もう、俺は帰る。だから……そうだな。朝食にしよう。そうすれば、その日のうちに船に乗れる」
瑠既は席を立つ。マイペ─スに倭穏が食べ終わったのを見計らって。
「ほら、行くぞ」
倭穏に声をかけ、扉へと歩く。スタスタ歩く瑠既の背を追う前に、倭穏は、
「ごちそ─さまでした」
と、きちんと両手を合わせてから後を追う。倭穏が瑠既に追いついたころ、ガタっと椅子から立ち上がる音が聞こえた。
「ずい分と、勝手なんですね」
馴れ馴れしく話かけてきた恭良とは対照的に、他人行儀に話す沙稀の声。瑠既は振り返り、にやりと笑う。
「勝手なのは、俺だけか? ちょっと戻ってきただけで、まるで一生ここにいると、勝手に思い込んでいるのは、そっちじゃないのか? 俺がどういう思いで戻ってきたのかも、知ろうとも、わかろうともしない。それなのに、俺に歩み寄れと強要しているんじゃないのか」
再び、椅子から立ち上がる音がした。今度は、恭良だ。視線を下げたまま立ちあがり、
「舞い上がってしまっていました。非礼をお詫びします」
と、頭を下げようとする。沙稀は青ざめ、恭良の行動を止めようとしたが、それを止めたのは、瑠既だった。
「侘びなら、もう充分すぎるほどもらった。……いいシェフだな。うまかったよ。ごちそ─さん」
瑠既からすれば、これ以上、沙稀の怒りを買いたくなかったのかもしれない。
瑠既と倭穏が退室したあと、青ざめた沙稀に恭良は抱きついた。
「ありがとう」
沙稀の顔色は、みるみる回復していく。
離れたあと、恭良が微笑めば、その表情さえも。
「折角のお料理に……悪いことしちゃった。ね、食べよう?」
「はい」
着席してサラダから口にする沙稀を見て、恭良はそれとなく副菜と肉料理をすり替える。
「これは、私が食べるから……明日の朝は、お魚にしてもらおうね」
これでは恭良の栄養バランスに問題が出るが、敢えて言うのを止める。無理に食べて、恭良の前で粗相をするわけにはいかない。
「ありがとうございます」
恭良は、沙稀が『肉を食べられない』のは知っているが、『体が受けつけない』とは知らない。本人が言わないようなことを、深くまで聞こうとしない。『肉が食べられない』とだけ言えば、そうかと理解を示す。──それに、何度救われたことか。特に、恭良が沙稀の出生について聞こうとしないことには。
だからこそ、沙稀は思う。瑠既にも、同じだったのだろうと。詮索するように質問はせず、ただ、仲良くなりたいと、会えてうれしいというようなことだけを言い、誄のるの字も出すようなことも、倭穏との関係をどうこう言うことも、しなかった。
それなのに、あんなことになって。それでも、目の前で恭良は、料理に舌鼓をして笑顔を浮かべている。
沙稀は歯がゆかったが、どうにもできない。どうにかしようとすれば、自滅しかねないわけで。
明日の朝食が、最後の会食。
そう思わせない恭良の笑顔が、更に重くのしかかった。
理由はふたつ。
この夕食の場を、『妹』との再会の場として大臣から説明されたため。
もうひとつは、現状だ。恭良は生後一年半年足らずで記憶なんてないだろうに、『お兄様』と馴れ馴れしく話しかけてくる。瑠既がほぼ無反応にも関わらず。
今、瑠既は恭良とふたりきりではない。恭良の90度右前方には沙稀がいる。そして、瑠既の90度左前方には倭穏がいる。
この奇妙な四人で食事になったのは、食事に行くと言う瑠既に、倭穏がついてきたためだ。『妹と再会の食事に、姫の護衛が同席するのなら、自分も同席してもいいじゃない』と。
瑠既は倭穏に、沙稀を双子の弟だとは話していない。ふたりきりのときに言おうと思っていたのに、言えなかった。まして、恭良を前にしては、余計に言えない。沙稀には、ふたりで話したときに、恭良を姫として扱うと釘を刺されたようなものだ。
だから、瑠既は苛立ちを隠せなかった。恭良に『お兄様』と呼ぶなとも、馴れ馴れしく話すなとも言えない。
しかも、追い打ちをかけるように、沙稀は涼しい顔で恭良に話を合わしている。左前方で話しかけてくる倭穏の声に気を回せる気分でもない。
──ああ、俺、なんのためにここにきたんだっけ。
そんなことが頭を過る。
初めて見るような豪華に並べられた料理の数々を、自棄になり、むさぼる。自分の意思など考えないように、ただ、飢えを恐れていたころを思い出しながら。
「こんな風に、お兄様と話してみたかったんです。とてもうれしいです」
恭良は、誄に会わないことを責めない。むしろ、瑠既と仲良くなって、誄との間を取り持とうとしているのかもしれない。
「よかったですね、恭姫」
無反応な瑠既に変わるように、沙稀が反応する。それを、瑠既は無言で見る。
──こいつを、王位継承者に戻したかったんだよな。
どうしたら戻せるかの対策なしに戻ってきたと痛感する。戻ってくれば、あとは大臣がうまくやってくれると、どこかで思っていた。
しかし、現状はこれだ。
沙稀には、その気持ちが皆無だと見せつけられる一方。
瑠既がじっと見ている視線に気づいても、瑠既に対しての発言はなく、恭良に笑顔を向け、談笑し、恭良の心が折れないように支えている。
あ~あと思い、ふと、倭穏と見れば、
「やばい、なにこれ……美味しい」
と、料理を堪能していた。
ひとり、この光景に浮いたような感覚がして、瑠既の中でなにかがプツンを切れる。
「は……ふっははは……あははははは!」
さすがに、この笑い声には、シンと静まり返った。瑠既以外の三人は、目を丸め、倭穏は、料理の手を止めて笑い声へと視線を送る。
尚も瑠既は豪快に笑っていたが、倭穏の驚いた顔に気づくと、にんまりと笑う。
「そうか、うまいか。……そうだよなぁ、こんな豪勢な料理を食う機会なんて、ねぇもんな。よかったな、来て。こんなもんが食えるんだから」
「うん、初め見たときは、かなり引いたけど……とっても美味しい─っ」
周囲にぱぁっと花が咲いたように笑う倭穏に対し、恭良は口を閉ざしてしまった。気づけば、料理はすっかり冷めてしまっている。
恭良はようやくナイフとフォ─クを持ち、食事に手をつける。
「ごめんね、沙稀」
姫が口にしない以上、沙稀が先に手をつけるわけがない。沙稀の行動を理解していないわけではなかったが、理解に欠けた行動をしていたと恭良は詫びる。
「恭姫が謝るようなことではありません」
今日のメイン料理は肉料理。決して手を伸ばさない沙稀にとっては、温度は無関係だ。
「でも……沙稀も食べて」
「俺の行動は、俺の意思であり、自己責任です。恭姫が気に病むようなことではありません。それに……」
「いいの」
沙稀の言おうとしたことを、すっぱりと恭良は切る。──ただ、待ち望んでいた兄との会話を楽しみたかっただけだと、気持ちを汲んでくれる言葉を聞くのが痛くて。
黙々と食べ始めた恭良を前に、かける言葉を失った沙稀の想いは、気持ちを汲み取ろうともしなかった相手への怒りへと変わる。
「瑠既様」
続く言葉さえないが、そのじっと見つめる瞳は、今にも秘めた想いをあふれさせそうに、しかし、奥底に沸き立つ怒りを深々と伝えてきた。
──ああ、俺がここにきたのは、無意味だったかな。
瑠既はそう思ってしまい、あることを決意した。その決意を知らずに、沙稀はようやく一言告げる。
「明日、もう一度、今度こそ再会の会食を」
「わかった。それを最後にしよう」
「え……」
即答した瑠既に反応したのは、恭良だ。
「最……後?」
「ああ、今、決めた。もう、俺は帰る。だから……そうだな。朝食にしよう。そうすれば、その日のうちに船に乗れる」
瑠既は席を立つ。マイペ─スに倭穏が食べ終わったのを見計らって。
「ほら、行くぞ」
倭穏に声をかけ、扉へと歩く。スタスタ歩く瑠既の背を追う前に、倭穏は、
「ごちそ─さまでした」
と、きちんと両手を合わせてから後を追う。倭穏が瑠既に追いついたころ、ガタっと椅子から立ち上がる音が聞こえた。
「ずい分と、勝手なんですね」
馴れ馴れしく話かけてきた恭良とは対照的に、他人行儀に話す沙稀の声。瑠既は振り返り、にやりと笑う。
「勝手なのは、俺だけか? ちょっと戻ってきただけで、まるで一生ここにいると、勝手に思い込んでいるのは、そっちじゃないのか? 俺がどういう思いで戻ってきたのかも、知ろうとも、わかろうともしない。それなのに、俺に歩み寄れと強要しているんじゃないのか」
再び、椅子から立ち上がる音がした。今度は、恭良だ。視線を下げたまま立ちあがり、
「舞い上がってしまっていました。非礼をお詫びします」
と、頭を下げようとする。沙稀は青ざめ、恭良の行動を止めようとしたが、それを止めたのは、瑠既だった。
「侘びなら、もう充分すぎるほどもらった。……いいシェフだな。うまかったよ。ごちそ─さん」
瑠既からすれば、これ以上、沙稀の怒りを買いたくなかったのかもしれない。
瑠既と倭穏が退室したあと、青ざめた沙稀に恭良は抱きついた。
「ありがとう」
沙稀の顔色は、みるみる回復していく。
離れたあと、恭良が微笑めば、その表情さえも。
「折角のお料理に……悪いことしちゃった。ね、食べよう?」
「はい」
着席してサラダから口にする沙稀を見て、恭良はそれとなく副菜と肉料理をすり替える。
「これは、私が食べるから……明日の朝は、お魚にしてもらおうね」
これでは恭良の栄養バランスに問題が出るが、敢えて言うのを止める。無理に食べて、恭良の前で粗相をするわけにはいかない。
「ありがとうございます」
恭良は、沙稀が『肉を食べられない』のは知っているが、『体が受けつけない』とは知らない。本人が言わないようなことを、深くまで聞こうとしない。『肉が食べられない』とだけ言えば、そうかと理解を示す。──それに、何度救われたことか。特に、恭良が沙稀の出生について聞こうとしないことには。
だからこそ、沙稀は思う。瑠既にも、同じだったのだろうと。詮索するように質問はせず、ただ、仲良くなりたいと、会えてうれしいというようなことだけを言い、誄のるの字も出すようなことも、倭穏との関係をどうこう言うことも、しなかった。
それなのに、あんなことになって。それでも、目の前で恭良は、料理に舌鼓をして笑顔を浮かべている。
沙稀は歯がゆかったが、どうにもできない。どうにかしようとすれば、自滅しかねないわけで。
明日の朝食が、最後の会食。
そう思わせない恭良の笑顔が、更に重くのしかかった。
応援ありがとうございます!
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