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招かざる者
★【24】噂の姫君
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一方、大臣は誄の待つ部屋に向かった。部屋の中には思った通り、沙稀がいる。尚且つ、そのとなりには恭良もいて、なんともおだやかな空気が流れていた。
ふと、沙稀が立ちあがる。その反応で女子たちは大臣が来たと気づく。
恭良のうしろから、誄が恐る恐る顔を出す。──しかし、想像した人物はいない。大臣と沙稀は交代するようにすれ違い、沙稀は扉の前で止まる。大臣は誄の視線に気づくと、一礼をして沙稀の座っていた席へと座る。
「お連れできませんでした。すみません」
大臣の声に合わせ、沙稀も頭を下げる。
「そう……ですか」
落ち着きを含む、美しい声が部屋を支配する。毛先の軽い横髪は、誄の整った顔を隠す。それに胸を痛めたのは、恭良だ。
「お姉様……」
悲痛な声は、沙稀の心を抉る。しかし、パッと明るい声は広がった。
「大丈夫です。予想はしていました」
その笑顔はこの場をおさめるためのものに過ぎないのだろう。もしくは、誄自身を慰めるための。
払拭するように、誄は言う。
「私、十八年も待っているんです。たとえ今日お会いしてもらえなくても、明日でも、明々後日でも、その先でも……私はまだ待てますよ」
クスリと笑いながらの声は、言い聞かすようにも聞こえて。恭良は思わず、あとを押す。
「そうですよね! 明日だって、その先だって、お兄様がいる限り。……ねぇ、大臣」
「申し訳ありません」
大臣は机に頭をつけるほど下げる。突然のことに、誄と恭良はどうしたものかと動揺する。
──まさか。
大臣の行動に、沙稀は嫌な予感がして声を荒げる。
「大臣!」
「瑠既様は、おひとりでご帰城されたのではありません! 尚且つ、誄姫がお会いになれば、心を大変痛めるような髪をしております」
沙稀の声は一歩遅かった。誄の疑問は口からもれる。
「それはどういう……」
大臣は頭を上げない。
「誄姫、また日を改めて……」
沙稀が声をかけるが、誄の表情はみるみる曇っていく。ついには立ち上がり、一目散に部屋を出ていく。
「お姉様!」
追っていきそうな恭良を沙稀が止める。
「俺が送ってきます」
「でも……」
「恭姫は、これから瑠既様との夕食のご準備を」
「それなら、お姉様もお誘いすればよかったのに……お兄様と会える日がくるのをどれほどお姉様が楽しみにしていたか、沙稀も知っているでしょ」
じんわりと恭良の瞳に浮かぶ悲しみに、沙稀は動揺しそうになりながらも堪える。
「今の状況で、お会いしていただくわけには……」
「沙稀も来るわよね? 夕食」
これは沙稀に拒否権はない。この場合は、ある種の脅しとも言える。
「お誘いいただけるのであれば、謹んで同席させていただきます」
ほぼ同時刻、忒畝は夕食へと向かっていた。
鴻嫗城は、基本的に客間に食事を出さず、別に食事の場を用意する。忒畝の通された客間は、倭穏の用意された部屋とは間逆に位置していた。
忒畝のいた場所から食事の場までは、距離がある。だが、道は単純で案内人を必要とはしない。廊下をしばらくまっすぐ歩き、十字路に差しかかろうとしたそのとき──忒畝は見慣れない人物を発見する。
年齢は恐らく上。しかし、どこか幼い雰囲気を醸し、ソワソワと落ち着かない様子をしている。身長は同じくらいか──もしくは少し低いだろうか。腰に届かない長さのクロッカスの髪。そして、恐らくは瞳もクロッカス。
どこの姫だろうと記憶をいくら辿ってみても、一度も目にしたことがない。
「こんばんは」
社交場に姿を現したことのないあの人だ──そう推測しながら忒畝は声をかける。独特の人懐っこい笑顔を浮かべて。
一方の女性は、忒畝の気配を感じていなかったようで、驚いたのがあからさまだった。
「あ、驚かせてしまいました……よね。ごめんなさい」
忒畝が謝ると、慌てているように首を横に振ったが、一向に言葉を発しようとはしない。しかも、じんわりと瞳が潤んでいる。
──声をかけない方がよかっただろうか。
瞬時で生じた後悔の念。だが、後悔先に立たずだ。場の雰囲気を変えようと忒畝は努める。
「忒畝と申します。貴女は?」
その言葉に女性は初対面であると、やっと理解したようだ。ハッとして口を開く。
「私は……」
「誄姫」
彼女の名を呼んだのは、沙稀だった。誄はその声に、思わず沙稀の方を向く。
「沙稀様ぁ」
助けを求めるように声を発し、視線の先へと駆けて行く。忒畝の前をすり抜ける、ほんのりと甘い香り。
「忒畝君主、お話のところ失礼いたしました」
沙稀は人前では相手を立てることを忘れない。彼なりの公私の区別だ。忒畝もそれは理解している。
「いいえ」
誄の手前、互いに社交辞令を交わす。
──何があろうと、なぜか世間に姿を現さなかった姫君。それが、どうしてここに。
そう思ってから、恭良との先日の会話を思い出す。──『お兄様の婚約者様なので、お姉様と呼ばせていただいているんです』
忒畝は合点がいく。このタイミングで鴻嫗城にいる意味も。
「ご案内することになっておりますので、失礼いたします」
沙稀の声で忒畝は我に返る。
沙稀は一礼し、誄は沙稀をふしぎそうに見たが、同じく会釈をした。忒畝も会釈を返し、ふたりは姿を消していく。
だが、忒畝の心の中には説明のしがたい何かを誄は残していった。彼女があとにしたところには、微かに甘い香りが漂っていた。
【キャラクター紹介】
誄
ふと、沙稀が立ちあがる。その反応で女子たちは大臣が来たと気づく。
恭良のうしろから、誄が恐る恐る顔を出す。──しかし、想像した人物はいない。大臣と沙稀は交代するようにすれ違い、沙稀は扉の前で止まる。大臣は誄の視線に気づくと、一礼をして沙稀の座っていた席へと座る。
「お連れできませんでした。すみません」
大臣の声に合わせ、沙稀も頭を下げる。
「そう……ですか」
落ち着きを含む、美しい声が部屋を支配する。毛先の軽い横髪は、誄の整った顔を隠す。それに胸を痛めたのは、恭良だ。
「お姉様……」
悲痛な声は、沙稀の心を抉る。しかし、パッと明るい声は広がった。
「大丈夫です。予想はしていました」
その笑顔はこの場をおさめるためのものに過ぎないのだろう。もしくは、誄自身を慰めるための。
払拭するように、誄は言う。
「私、十八年も待っているんです。たとえ今日お会いしてもらえなくても、明日でも、明々後日でも、その先でも……私はまだ待てますよ」
クスリと笑いながらの声は、言い聞かすようにも聞こえて。恭良は思わず、あとを押す。
「そうですよね! 明日だって、その先だって、お兄様がいる限り。……ねぇ、大臣」
「申し訳ありません」
大臣は机に頭をつけるほど下げる。突然のことに、誄と恭良はどうしたものかと動揺する。
──まさか。
大臣の行動に、沙稀は嫌な予感がして声を荒げる。
「大臣!」
「瑠既様は、おひとりでご帰城されたのではありません! 尚且つ、誄姫がお会いになれば、心を大変痛めるような髪をしております」
沙稀の声は一歩遅かった。誄の疑問は口からもれる。
「それはどういう……」
大臣は頭を上げない。
「誄姫、また日を改めて……」
沙稀が声をかけるが、誄の表情はみるみる曇っていく。ついには立ち上がり、一目散に部屋を出ていく。
「お姉様!」
追っていきそうな恭良を沙稀が止める。
「俺が送ってきます」
「でも……」
「恭姫は、これから瑠既様との夕食のご準備を」
「それなら、お姉様もお誘いすればよかったのに……お兄様と会える日がくるのをどれほどお姉様が楽しみにしていたか、沙稀も知っているでしょ」
じんわりと恭良の瞳に浮かぶ悲しみに、沙稀は動揺しそうになりながらも堪える。
「今の状況で、お会いしていただくわけには……」
「沙稀も来るわよね? 夕食」
これは沙稀に拒否権はない。この場合は、ある種の脅しとも言える。
「お誘いいただけるのであれば、謹んで同席させていただきます」
ほぼ同時刻、忒畝は夕食へと向かっていた。
鴻嫗城は、基本的に客間に食事を出さず、別に食事の場を用意する。忒畝の通された客間は、倭穏の用意された部屋とは間逆に位置していた。
忒畝のいた場所から食事の場までは、距離がある。だが、道は単純で案内人を必要とはしない。廊下をしばらくまっすぐ歩き、十字路に差しかかろうとしたそのとき──忒畝は見慣れない人物を発見する。
年齢は恐らく上。しかし、どこか幼い雰囲気を醸し、ソワソワと落ち着かない様子をしている。身長は同じくらいか──もしくは少し低いだろうか。腰に届かない長さのクロッカスの髪。そして、恐らくは瞳もクロッカス。
どこの姫だろうと記憶をいくら辿ってみても、一度も目にしたことがない。
「こんばんは」
社交場に姿を現したことのないあの人だ──そう推測しながら忒畝は声をかける。独特の人懐っこい笑顔を浮かべて。
一方の女性は、忒畝の気配を感じていなかったようで、驚いたのがあからさまだった。
「あ、驚かせてしまいました……よね。ごめんなさい」
忒畝が謝ると、慌てているように首を横に振ったが、一向に言葉を発しようとはしない。しかも、じんわりと瞳が潤んでいる。
──声をかけない方がよかっただろうか。
瞬時で生じた後悔の念。だが、後悔先に立たずだ。場の雰囲気を変えようと忒畝は努める。
「忒畝と申します。貴女は?」
その言葉に女性は初対面であると、やっと理解したようだ。ハッとして口を開く。
「私は……」
「誄姫」
彼女の名を呼んだのは、沙稀だった。誄はその声に、思わず沙稀の方を向く。
「沙稀様ぁ」
助けを求めるように声を発し、視線の先へと駆けて行く。忒畝の前をすり抜ける、ほんのりと甘い香り。
「忒畝君主、お話のところ失礼いたしました」
沙稀は人前では相手を立てることを忘れない。彼なりの公私の区別だ。忒畝もそれは理解している。
「いいえ」
誄の手前、互いに社交辞令を交わす。
──何があろうと、なぜか世間に姿を現さなかった姫君。それが、どうしてここに。
そう思ってから、恭良との先日の会話を思い出す。──『お兄様の婚約者様なので、お姉様と呼ばせていただいているんです』
忒畝は合点がいく。このタイミングで鴻嫗城にいる意味も。
「ご案内することになっておりますので、失礼いたします」
沙稀の声で忒畝は我に返る。
沙稀は一礼し、誄は沙稀をふしぎそうに見たが、同じく会釈をした。忒畝も会釈を返し、ふたりは姿を消していく。
だが、忒畝の心の中には説明のしがたい何かを誄は残していった。彼女があとにしたところには、微かに甘い香りが漂っていた。
【キャラクター紹介】
誄
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