上 下
23 / 349
譲れないもの

★【14】譲れないもの

しおりを挟む
 沙稀イサキと別れ、自室に戻った忒畝トクセだったが、彼は眠らずにいた。研究に没頭してしまうあまり、睡眠や食事を忘れてしまうことがある彼にとっては、特に気になることではない。
 夜がふけていっても、眠気は襲ってこず、幼いころの思い出がよみがえっていた。

「今度会った時は……私を殺して。ごめんね、忒畝トクセ

 母が行方不明になる直前、忒畝トクセが聞いた最後の母の言葉だ。誰にも言えない、胸に秘めるしかできない言葉。
 両親はとても仲がよかった。今でも理想の夫婦だと忒畝トクセは思っている。憧れそのものだ。
 母の失踪──それは、母の過去と繋がる。失踪する前、母はある存在に怯えていた。その存在は最初のころ、なぜか忒畝トクセを怯えさせていた存在だったのに。

 忒畝トクセは亡き父の写真を手に取る。
「父さん、僕はどうしたらいいのでしょうか。僕は……父さんが僕を救ってくれたように、僕も救いたいんです」
 髪も、瞳も薄荷色の父。若葉を思わせる色彩通り、春のようにとてもあたたかい人だった。写真を眺めれば、父が口癖のように言っていた言葉を思い出す。

「愛しているよ」
 ──生前、父、悠畝ヒサセが子どもたちに惜しみなく言っていた言葉。それは言葉だけではなく、深い深い愛情の表れだった。
 女悪神ジョアクシンの研究をしていた父。それは、母と出会って間もなくから始まったと、後に忒畝トクセは知った。それから、父が必死に忒畝トクセの命を救っていたと知り、母と妹のことも守ろうとしていたと知った。
 父に憧れ、その背を追うように必死に学び、君主代理の座を若干十四歳で取得した忒畝トクセ。その隣には、いつも笑顔の父がいてくれた。

 トントントン

 突如鳴ったノックに、忒畝トクセは写真を置き、扉を開ける。すると、
「お兄ちゃん、やっぱり起きてたんだ」
 と、高音で可愛らしい声が聞こえた。
悠穂ユオ
 悠穂ユオと呼ばれた少女は瞳を潰してにこりと笑う。
「こんな遅い時間に、どうしたの」
 問いかけに瞳がぱっちりと開く。丸く、まだ大人の気配を感じさせないその瞳の色は──アクアだ。そして、髪は白緑色。長い髪を何ヶ所かゴムで留め、一本にまとめている。
 えへへと笑う悠穂ユオからは、甘い香りが漂ってきた。
「実はね、アップルパイを焼いたの。なんだかお兄ちゃんが元気ないな~と思って。ねぇ、一緒に食べよう」
 後ろに隠していたお手製のアップルパイをド─ンと忒畝トクセの目の前に出す。深夜に焼き立てのアップルパイを見て、忒畝トクセはつい笑ってしまう。
「ありがとう。悠穂ユオの焼いてくれるアップルパイは、母さんの作ってくれたみたいに美味しいから楽しみだよ」
「本当? や~ん、うれしい。じゃ、アップルティ─入れるね」
 ぱあっと明るい悠穂ユオの笑顔に、忒畝トクセの重かった影は消えていく。
 テ─ブルの上にはあっという間にアップルティ─も並び、部屋はやさしく甘い香りに包まれ、兄妹の夜食会は始まる。
「美味しい」
「ありがとう」
 言葉に照れ笑いをする悠穂ユオ。アップルパイ好きの彼女は、
「本当だ。美味しい」
 と、自画自賛しつつ好物を嗜む。そんな姿を忒畝トクセは微笑ましく眺める。
「そうだ、お兄ちゃん」
 ふと思い出したように、悠穂ユオはフォ─クを止めた。
「お兄ちゃんが私を大事に思ってくれているように、私もお兄ちゃんを大事に思ってるんだからね。充忠ミナルさんと馨民カミンさんだって一緒だよ。だから……あんまりひとりで何でも抱えこもうとしちゃダメだからね」
「どうしたの、急に」
「急でもなんでもないの。ほら、いつもお父さんも言っていたでしょ? 大事な人には、いつだってどんな時だって、大事なことを伝えないといけないって。『いつでも言えるから言わないは間違いで、なんてない』って」
 また父の声が聞こえてきそうな気がした。いや、声は聞こえなくとも、父を思い出すだけで心がおだやかになる。
「ありがとう。僕も困るようなことがあったら、みんなに助けてもらうよ」
「約束だよ? 絶対の」
「うん、約束。絶対ね」
 悠穂ユオ忒畝トクセの言葉に満足気な表情を浮かべ、食べる意気込みを新たにアップルパイに視線を移した。


 翌日、忒畝トクセ恭良ユキヅキたちと挨拶を交わし、見送っていた。忒畝トクセの背後には、半立体の彫刻が顔を出している。
「お忙しい中、ありがとうございました」
 礼を言うのは恭良ユキヅキだ。続いて沙稀イサキ凪裟ナギサは会釈をする。
「こちらこそ。遠くから来てもらったのだから、ゆっくりしていってもらえたらよかったんだけど」
「充分ゆっくりさせて頂きました。それと、いつものアップルティ─も美味しかったです」
「それはよかった」
「今度は是非、こちらでもゆっくりしていって下さいね。忒畝トクセ君主が今度いらっしゃるときは……お姉様の挙式のときなのかしら。きっとウエディングドレス姿もすてきなんですよ」
 恭良ユキヅキは、うっとりと妄想に浸る。ほんのりと染まる頬。
「楽しみなんですね、ユキ姫は」
「うん」
 弾む声は、語尾に音符でもついていそうだ。
「ああ、あの噂のルイ姫?」
「はい。お兄様の婚約者様なので、お姉様と呼ばせて頂いているんです」
鴻嫗トキウ城に最も近い、鐙鷃トウアン城の姫君。美人と名高く、公の場には一切姿を現さないので、年々、噂は広まっているようですね」
 忒畝トクセの質問に恭良ユキヅキが答え、沙稀イサキが補足する。凪裟ナギサは、忒畝トクセを前にして大人しい。
「お姉様は、本当にきれいな方なんですよ。ね? 沙稀イサキ
「そうですね」
 唐突な同意を求める言葉に対して、沙稀イサキはおだやかに答える。すると、ようやく凪裟ナギサが口を開く。
沙稀イサキは知っているの?」
「それは……ユキ姫の側近ですから」
 沙稀イサキの回答は理由としては不足している気がしたが、凪裟ナギサは敢えて言わないことにした。
「そう言われると、一度お目にかかりたくなるね」
「一度会ったら、絶対忘れられない人になりますよ」
 恭良ユキヅキのお姉様自慢は止まらない。
 船の時間を考慮した沙稀イサキは、凪裟ナギサに声をかける。そのさりげない言葉は、恭良ユキヅキの耳にきちんと入り、
「あっ」
 と、恭良ユキヅキは声を上げた。改めて、恭良ユキヅキ忒畝トクセに深く一礼する。沙稀イサキ凪裟ナギサも続き、三人は帰路へと向かう。

 遠ざかっていく三人の背中。仲がよいその賑やかな姿を見て、忒畝トクセは咄嗟に声をかける。
沙稀イサキ
 走り出した忒畝トクセに、沙稀イサキは振り返り駆け寄る。すでに出入口に近い恭良ユキヅキ凪裟ナギサとは距離が離れ、走り出したふたりはホ─ルの真ん中辺りで足を止める。
 悩むような表情の忒畝トクセが口を開く。
沙稀イサキ恭良ユキヅキを守っているように、僕にも守りたい人がいる。これは譲れない。望んで敵対しようとは思っていないけれど、僕だって守るためなら手段は選ばない。これだけは覚えておいて」
 昨夜のような雰囲気ではなく、沙稀イサキの前にいるのは、ただ、必死な忒畝トクセだ。
 誰にでも踏み込んでほしくないことがある。それに踏み込めば、誰でも必要以上に警戒をする。忒畝トクセにとっては、昨夜のことだったのだろう。
「承知しておく。ただ、俺はできれば忒畝トクセとは敵対したくない。可能であれば今のまま、よい友であろう」
 しっかりと忒畝トクセの気持ちを受け止め、沙稀イサキは微笑んで手を差し出す。その行動は忒畝トクセには意外だったのか、一瞬息を飲んだ。
 そして、忒畝トクセはうなづくと手を伸ばす。
 ふたりの握手は、友の証。例え、いつか敵対してしまっても、友であったことを忘れずにいようと。






















【キャラクター紹介】

悠穂ユオ


しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

発展休憩

BL / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:4

初陣

BL / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:2

【完結】花水木

ミステリー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:9

土方の性処理

BL / 完結 24h.ポイント:42pt お気に入り:37

妄想日記5<<DISPARITY>>

BL / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:22

宿屋の下働き

BL / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:10

ハメられたサラリーマン

BL / 完結 24h.ポイント:56pt お気に入り:36

夜が連れてきた男

BL / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:3

処理中です...