完結確約【女神回収プログラム ～三回転生したその先に～】姫の側近の剣士の、決して口外できない秘密は

『第一部 神話と伝説』 伝説と伝承

★【２】大臣

　王の間を出た沙稀イサキは、扉を背にして天井を仰ぐ。その表情は死を願い乞うようにも、何かを悲しげに想うようにも見える。
　十秒ほど経ち、おもむろに足を動かす。数歩だけ歩いたそのとき、背後から声がかかった。
「沙稀イサキ様」
　大臣、世良イヅキだ。その声には心配が含まれている。
　しかし、声をかけられた方は心配そうな声が聞こえていないかのように、そのまま足を動かし続ける。
「まさか、これほどかんたんに貴男の背後が取れるとは思いませんでしたよ」
　笑い混じりの声に、ツカツカと歩いていた沙稀イサキの足が止まる。
「そういう冗談が好きだね」
　頬骨より下の前髪と、ゆるく束ねられた腰まであるリラの髪が揺れる。無感情のように冷たい言葉だが、振り返った沙稀イサキは微笑んでいた。
　口調には悪意はなく、やや上がる顎は単に癖だ。
「わかっていたから。大臣が扉の近くにいるのは」
「でしょうね」
　大臣は年配の男性だ。凛々しさを引き立たせるように、白髪ハクハツをひとつに束ねている。毛色は年齢のせいではない。大臣が白髪になったのは、ずい分昔のことだ。
「朝食中に俺を呼びに来たのは、大臣だったじゃないか」
　沙稀イサキの指摘に、大臣は困ったように笑う。『それでは』と言うと、
「私が心配をしていたのも、おわかりで？」
　と、沙稀イサキに問う。
　沙稀イサキは大臣を見たまま口を開こうとしない。──それは、大臣の意図が伝わったからなのか、余計な何かを考えたからなのか──微かな間があき、視線を逸らす。
「ああ……あいつの身が？　だったら、入ってくればよかったのに」
　面白くなさそうに言った沙稀イサキに対し、大臣は笑顔を浮かべる。
「私に貴男を止められるとお思いですか？」
　その口調は至ってやさしい。だが、沙稀イサキにとっては、この言葉も冗談でしかなかった。
「本気で俺に負ける気なんて、ない癖に」
「そうではなく。『私も加担してしまう』ということです」
　沙稀イサキは思わず声を出して笑い始める。──今まで大臣は冗談を言っていたが、それに対し沙稀イサキは平然と言葉を返していた。つまり──大臣のこれは、冗談ではない。
　大臣は続ける。
「それに、考えてもみて下さい。十数年振りに誕生した世界で唯一のＳ級剣士に勝とう、ましてや勝てるだなんて私が思っているとお思いですか？　いいえ、そんな大それたことは思っていません。尚且つ、私はすでに七年前、沙稀イサキ様に白旗を上げています」
　冗談めいたように、大臣は左手で旗を振る仕草をする。
　仕草でやわらかい雰囲気を醸す大臣に対し、沙稀イサキは反対の反応を示す。
「順番が前後している。それに、あれはわざと大臣が負けた。そして、俺にＳ級剣士の称号を与えた。単にそれだけだ。そういう筋書きだったんだろ？　俺が剣士の頂点だと、周囲に問答無用で納得させるために」
「剣を握った私が、相手にわざと敗北を認めることがあると、そうおっしゃるのですか？」
　大臣の瞳が鋭さを帯びる。ゆっくりと大臣が距離を縮めても、それに怯む気配は微塵もない。
「俺との師弟関係に終止符を打とうとした……とすれば、あり得なくもなさそうだ」
「ご謙遜を」
　ふと生じた、空気に絡む微弱な電流。かつて絶対的な師弟関係にあった、過去のふたりの間に流れていた空気に似ている。
　それを払拭させるように大臣は言う。
「沙稀イサキ様は私と違って……できませんよ。きっと」
　妙におだやかな口調は沙稀イサキの緊張を解いたが、それは一瞬だった。
「恭良ユキヅキ様が、悲しむから」
　心を見透かすような発言に、沙稀イサキの表情は失われる。いや、いささか不快だと言いたげな表情に変化した。先ほどとは違う種類の緊張が漂う。
「『忠誠心が強い』と言って」
「そうですね」
　眉間にしわを寄せた沙稀イサキに対し、大臣の言葉は流すようなものだ。そして、
「貴男の言動が、ですよ」
　と、心配していた理由をやさしい口調で告げた。口調の変化を敏感に感じ取ったのか、沙稀イサキの眉はピクリと動く。
「最近、頻繁ですね」
　軽いため息が大臣からもれ、緊張は消されていく。
「俺が忘れていることを、頻繁に『あのお方』が口にするからさ。……もう、どうでもいいことだろ」
　言葉を置き去りに、沙稀イサキは再び歩き始める。揺れる長いリラの髪を大臣は追い、問う。
「忘れている、どうでもいいこと……ですか？」
「そ」
　反応をうかがうような問いに、沙稀イサキは即答した。まるで大臣の考えを完全否定するように。──それにも関わらず、大臣はにこやかに笑う。
「沙稀イサキ様は、相変わらず嘘が苦手ですね」
　急に沙稀イサキは立ち止る。その背中にぶつかりそうになったのは大臣だ。
「申し訳ありません」
「あ、すまない」
「いいえ。……どうしたのですか？」
「いや、なんでもない」
　何事もなかったかのように沙稀イサキの足は動き、大臣も続く。
　こういう間は、時折りあることだ。沙稀イサキは大臣に対して、何かを思い出したように、言動が止まる。そして、いつもそれを何事もないかのごとく、掻き消す。
　大臣は慣れたものだ。詮索せず、かえってまったく別の話題を振る。
「そういえば、恭良ユキヅキ様のあの件ですが……」
「決まったか？」
「いいえ。私は恭良ユキヅキ様ご自身が、お決めになることだと……それに」
　沙稀イサキからため息がもれ、大臣は一度口を止めた。そして、沙稀イサキの反応を待つようにジッと見る。
　ふと、視線が合う。大臣は確認するように言葉を出す。
「沙稀イサキ様はお望みになるのですか？」
「どういう意味？」
「お考えを伺いたく」
　階段を目の前にして、沙稀イサキは立ち止る。それに続き、大臣の足もゆるやかに止まった。
　半円状のアーチが視界に入る。細かい彫刻は広がり、凹凸がクリーム色の気品を際立たせる。壁と同化していく、楕円が連結した手すりを辿れば、一階が一望できる。そこはかつて、幼い沙稀イサキがおびただしい血を流し、意識を失った場所だ。
　その場所へ吸い込まれるように、沙稀イサキの視線は手すりの奥を映す。
「以前のように争いが絶えないことは、なくなった。この大陸の長い争いの原因は……貴族しかいないと言っても過言ではないことだと言われていたが、そうではなかった。ここ数年は平穏な時間が流れている」
　争いが絶えたのは、沙稀イサキがＳ級剣士になり、恭良ユキヅキの護衛に就任してからだ。当時十四歳、それから七年が経過している。
　Ｓ級剣士になる前の五年間、沙稀イサキは臆することなく戦いに身を投じた。その姿はまるで死を恐れていないと囁かれるほどだった。
　いつでも自ら業火に飛び込んでいく姿は、やがて大陸中から恐れられた。この大陸の誰もが沙稀イサキを恐れ、戦いを挑むのは無謀な行為だと認識したからこそ、平和になった。──争いがピタリとおさまったのは、沙稀イサキのお陰と言っていい。本人に、そういう認識はないかもしれないが。
　沙稀イサキは瞳を閉じ、噛みしめるように言う。
「恭ユキ姫の婚礼、その吉報を民は望んでいる」
　鴻嫗トキウ城にとって婚礼は、男女問わず継承を意味する儀式でもある。民も、鴻嫗トキウ城に君臨するのは姫だと望んでいてもおかしくはない。鴻嫗トキウ城は、代々姫が継いできた城なのだから。
　姫がいながら、王が長い間君臨しているのは異例だ。王が自らその座を姫に譲らないのであれば、婚礼は強行策とも言える。
「貴男の望みは、何ですか？」
　沙稀イサキが、個人的な望みを口にしなくなったのは、いつのころからだったか。
「鴻嫗トキウ城の存続、それだけだ」
　長い髪は表情を隠し、歩調になびいていく。


　大臣は歩いて行く背中を見つめていた。腰まであるリラの長い髪は、ゆるくひとつに束ねていても、よくなびく。まるで、沙稀イサキが髪を短く切られるときは、剣で髪とともに首を切られ、死を迎えるときだと覚悟を決めているように思えて。
　その姿は、沙稀イサキが父として尊敬している男を思い出させた。男は唏劉キリュウと言った。Ｓ級剣士の前任者だ。
　沙稀イサキのうしろ姿は、唏劉キリュウによく似ている。

　大臣には空しい感情が沸いた。──沙稀イサキと同じように腕の立つ剣士だった。唏劉キリュウは汚名を着せられ、この城で酷い処刑をされた。
　あれは、沙稀イサキの産まれる前のことだった。






















【キャラクター紹介】

大臣