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二年前の夏 後編
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20分後。
雫は少し離れた木陰で切り株の上に座り、涼んでいた。日が沈みかける時刻も相まって汗が引き、暑さへの苛立ちも鎮静化する。
「もういいかな」
携帯で時間を確認し、立ち上がる。そして、回っていたビデオカメラに近づき、録画を停止させた。
「普通はビデオカメラで撮影しろなんて言わないよね。やっぱり極道だからかな」
そう零した後モニターを閉じ、電源を切った。
雫は動かなくなった男たちにそっと近づく。近づけば近づくほどむせ返るような血の匂いが鼻についた。
雫はナイフで数十か所、3人の身体を刺した。急所を外しながら。当初は、耐え難い痛みで鎖や紐が引きちぎれんばかりの勢いで暴れていたが、最終的に肺の部分を深く刺すと、徐々に動きが鈍くなっていった。呼吸は見る見るうちに浅くなり、反応も薄くなっていった。肺に穴が開くと息を吸おうにも呼吸することができないので、これ以上のない苦しみを味わっただろう。一人の男をじっくりと痛めつけている最中、残った二人は恐怖で顔を歪ませていた。逃げ出そうにも両手両足はまったく動けない状態なためどうすることもできず、いずれやってくる己の順番に絶望し嗚咽を漏らし続けていた。雫は意に返す素振りをまったく見せず、残りの二人にも淡々と体をナイフで切りつけ、最後に肺の部分を抉った。男たちの服は血で真っ赤に染まり、雫の服も3人の返り血でべったりと飛び散っていた。
男たちは死ぬその時まで意識を保ったままだった。最後の最後まで痛みに苦しみ抜いたその表情は、目を見開き絶望に満ちた死に顔をしている。
「社会や大人たちに甘やかされ続けた男たちの末路、か。もうちょっとオツムが足りていればこんな死に方をせずに済んだのに」
雫は男たちの傍らに置いた拳銃を拾い上げながら呟いた。
「でも、私らはきっとこれより酷いんだろうなぁ」
銃に付着した砂を軽く払いながら、皮肉げに笑う。
自分にとって殺しはあくまで仕事。それ以上でもそれ以下でもない。雫には殺しに対して嗜虐的な快楽を一切、求めていない。今回のターゲットへの拷問もクライアントの要望だっただけでそこに自分の「意思」はない。
雫はそれを何の躊躇いもなくやってのける。淡々と、機械的に。
ターゲットが性根の腐った人間だからではない。それが「仕事」だからだ。
だからといって雫は仕事に、やりがいや誇りを感じているわけではなかった。軽蔑されるべき存在だとも自覚している。仕事をしないで済むのならそれに越したことはない。でも、やりたくない理由もやれない理由も特別あるわけではなかった。
殺しの依頼は理不尽とも思えるものもある。逆恨み、八つ当たり、当てつけなど些細なことで鬱憤を晴らそうとするクライアントも時にはいる。雫はそんな依頼も実行に移すことができた。思うところがまったくないわけではないが、特別夢にうなされるわけでも引きずられるわけでもなかった。
雫には執着がほとんどない。自分の命にも他人の命にも。一時に感じるであろう罪悪感にすらも執着しない。
信念もない。
誇りもない。
執着もない。
迷いもない。
それが殺し屋、五月雨雫。
「終わったことだし、早く虎次さんに迎えに来てもらおうかな。死体はたぶん、熊かカラスがなんとかしてくれると思うし」
雫はスカートのポケットをまさぐる。
「車の中ギンギンに冷やしといてって言っておかなとなぁ。三脚担ぎながら森を下らなきゃいけないから………めんどくさいな」
血まみれの制服のまま、ビデオカメラと三脚を運ぶことを思うとうんざりせずにいられない。
雫はポケットから携帯を出し、暗証番号を打とうと指をすべらせる。
「ついでに着替えも………!」
ボタンを押そうとした指を止める。指だけではなく体もだ。
視線を感じる。緩くさせていた感覚を一気に研ぎ澄まし、振り返る。生い茂っていた草むらからそびえ立っていた木から視線を感じた。
黒い学生服を着た少年がそこにいた。
雫と同い歳くらいの少年。青白く、まだ幼さの残った顔立ちの中性的な容姿。
木の幹から体を半分だし、呆気にとられた表情で雫を凝視している。
三脚の上に乗せられたビデオカメラ。木に縛り付けられた血まみれの3人の男の死体。死体の傍で、銃を手にしている少女。しかもブラウスには男たちの返り血で血まみれの状態。
誰の目から見ても異常なのは明らか。そしてその中心にいるのが、年端もいかない少女。
(見られた)
雫の中で警戒音が鳴り響く。
少年と目が合った。
「!!」
ただならぬ雰囲気を感じたのか、少年は逃げ出した。
「あ~あ、油断してた。暑さのせいだな」
雫はため息を吐きながら、少年が逃げ出した方向を眺める。
「走りたくないけど、しかたないか」
雫は最後の一発が装填された拳銃を握り締め、駆け出す。
―少年は逃げる。少女から少しでも遠く、目の届かない場所に。
喉が渇く、心臓が脈打つ、汗が大量に噴き出す。走れば走りほど樹々が造る闇が深くなり、どこを走っているのかわからなくなる。それでも走るのを止めるわけにはいかなかった。
少女は銃を手にしていた。少しでも撃たれにくくするため、ジグザグに走る。
草藪は途切れることなくずっと続いている。少年はずっと膝上まである草藪をただ闇雲に蹴り上げる。
しかし、いくら走ってもいいようのない不安は消えない。
足音は聞こえない。でも、気配は感じる。徐々にそれは迫ってきている。振り向かなくてもわかる。足を前へ前へと進めても無意味だと思わせるほど距離が近い。
「はい、つかまえた」
すぐ後ろから少女の声が聞こえた。
「――!」
振り返る暇もなく、少年の身体は草藪に倒された。
息も絶え絶えな少年に対し、雫はまったく息を乱していない。雫は馬乗りになりながら左手で汗で濡らした首筋を軽く掴み、右手で少年の胸元に銃を押し付ける。
「こうされる理由、わかってるよね。ごめんね、君は何も悪くないんだけど」
雫は少年を冷淡に見下ろす。謝罪の言葉を口にしていても、行動には迷いや躊躇いがない。
「君は彼らとは違う。だから苦しませずに逝かせるよ」
ヒクッと少年が喉を鳴らせているのを指先で感じ取った。
雫は胸元から銃を少しずらした。そこは心臓の真上。
「何か言いたいことはある?」
ゆっくりとした口調だが、冷徹さを含ませる言葉。
少年は何も悪くない。ただ、運が悪かっただけ。
だから、すべて受け止める。次に来るであろう命乞いや狼狽や罵倒を。
「………あ」
少年はカラカラに乾いた喉を鳴らせながら、言葉を必死で紡ごうとする。
そして、ゆっくりと首にかかっている雫の左手に手を添えた。
「な………っ………は?」
「ん?」
か細い声で聞き取れず、少し顔を近づける。
「あなたの、名前は?」
雫は思わず銃口を少し離した。それほど少年の言葉が意外すぎたからだ。
雫から必死に逃げていた少年の瞳からは死や雫に対しての恐怖心はまるでなかった。ただ、疲弊した体を草藪に預けながらぼんやりと雫を見つめている。
雫は一瞬考え込むように目を伏せた後、少年に目線を合わせる。そのまま銃口を心臓部に合わせ、引き金に指をかけた。
「私の名前は五月雨雫。五月の雨で五月雨、雫はあめかんむりの雫」
名前をゆっくりと告げ、引き金を引いた。
雫は少年の虚ろに見開かれた瞼を指先で閉じさせた。
「さてと、ここからがちょっと大変だ」
雫は立ち膝になりながら少年を見下ろす。五月雨家は私的なことに関しては放任されているが、殺しに関してはいくつかの決まりごとがある。その一つは「殺しの現場で指令以外の人間を殺した場合、必ず遺体を一人で処理すること」だ。遺体を処理する専門家にも、裏家業の顔見知りにも頼んではいけない。完全な自己責任ということだ。
本来ならよっぽどの理由がない限り、殺し屋は遺体の処理はしない。しかし、今回の目撃者殺しはその理由のうちに入っている。
まず、雫は少年の持ち物を調べようと学ランに手を伸ばす。
「どうしてこんなところに一人で?念のため、かなり森の奥の奥まで来たはずだけど………まさか、キノコ狩りとか虫取りとかじゃないよね」
ズボンや上着のポケットを念入りに探るが財布も学生証も携帯も何もなかった。つまり、この少年は身一つで森の奥まで一人で来たということだ。
「それにしても、なんでこの真夏に学ランなんて着てんの?どこの学校も衣替えは終わったはず」
雫は念入りに調べるため首元まで締めているボタンを全開にして、確認するため学ランを広げた。
「………あ~、なるほど。なんとなく予想はついてたけど」
雫は納得した様子で学ランを第二ボタンまで軽く止める。
「たしか、走ってきた途中に湖が見えたな。けっこう深そうな」
雫は事切れた少年をぐいっと起こす。
「死体ってけっこう重いんだけど、しかたない」
深く息を吐きだした後、銃をスカートの腰部分に挟めながら少年を背負い足に力を入れて立ち上がる。
死体の湿った感覚が服越しでも伝わり、一段と重く感じる。暑さと重さでぐらりとよろけそうになりながらも、体勢を立てなおし歩き出した。
「父さんに言っておかないと。報酬は受験シーズンに入ったら私に仕事を回さないようにって」
何度も背中からずり落としそうになりながらも一歩ずつ前に進む。
夏の訪れに活発化する蝉が周囲の樹々からうるさく鳴り響き、雫の耳にも入り込む。死体の重さ、湿気、吹き出す汗、紫外線、制服に飛び散った鉄の臭いに苛立ちが再び募りつつあるのに、おかまいなしに鳴り響く。
「蝉うるさい。ますます夏が嫌いになりそう」
不満げに漏らす息が熱い。ゆっくりと草藪を踏みしめているため、むき出しになっている膝にチクチクとした刺さる感触がわかりやすい。
「いらない迷惑かけるね、学ランの少年」
雫は返事の返ってこない少年に声をかける。
もう、日が沈みつつあった。蝉の声がこだましているため、雫は徐々に遠くのほうから近づいてくるカラスの鳴き声や空に灰色が混ざってきていることに気づかなかった。
雫は少し離れた木陰で切り株の上に座り、涼んでいた。日が沈みかける時刻も相まって汗が引き、暑さへの苛立ちも鎮静化する。
「もういいかな」
携帯で時間を確認し、立ち上がる。そして、回っていたビデオカメラに近づき、録画を停止させた。
「普通はビデオカメラで撮影しろなんて言わないよね。やっぱり極道だからかな」
そう零した後モニターを閉じ、電源を切った。
雫は動かなくなった男たちにそっと近づく。近づけば近づくほどむせ返るような血の匂いが鼻についた。
雫はナイフで数十か所、3人の身体を刺した。急所を外しながら。当初は、耐え難い痛みで鎖や紐が引きちぎれんばかりの勢いで暴れていたが、最終的に肺の部分を深く刺すと、徐々に動きが鈍くなっていった。呼吸は見る見るうちに浅くなり、反応も薄くなっていった。肺に穴が開くと息を吸おうにも呼吸することができないので、これ以上のない苦しみを味わっただろう。一人の男をじっくりと痛めつけている最中、残った二人は恐怖で顔を歪ませていた。逃げ出そうにも両手両足はまったく動けない状態なためどうすることもできず、いずれやってくる己の順番に絶望し嗚咽を漏らし続けていた。雫は意に返す素振りをまったく見せず、残りの二人にも淡々と体をナイフで切りつけ、最後に肺の部分を抉った。男たちの服は血で真っ赤に染まり、雫の服も3人の返り血でべったりと飛び散っていた。
男たちは死ぬその時まで意識を保ったままだった。最後の最後まで痛みに苦しみ抜いたその表情は、目を見開き絶望に満ちた死に顔をしている。
「社会や大人たちに甘やかされ続けた男たちの末路、か。もうちょっとオツムが足りていればこんな死に方をせずに済んだのに」
雫は男たちの傍らに置いた拳銃を拾い上げながら呟いた。
「でも、私らはきっとこれより酷いんだろうなぁ」
銃に付着した砂を軽く払いながら、皮肉げに笑う。
自分にとって殺しはあくまで仕事。それ以上でもそれ以下でもない。雫には殺しに対して嗜虐的な快楽を一切、求めていない。今回のターゲットへの拷問もクライアントの要望だっただけでそこに自分の「意思」はない。
雫はそれを何の躊躇いもなくやってのける。淡々と、機械的に。
ターゲットが性根の腐った人間だからではない。それが「仕事」だからだ。
だからといって雫は仕事に、やりがいや誇りを感じているわけではなかった。軽蔑されるべき存在だとも自覚している。仕事をしないで済むのならそれに越したことはない。でも、やりたくない理由もやれない理由も特別あるわけではなかった。
殺しの依頼は理不尽とも思えるものもある。逆恨み、八つ当たり、当てつけなど些細なことで鬱憤を晴らそうとするクライアントも時にはいる。雫はそんな依頼も実行に移すことができた。思うところがまったくないわけではないが、特別夢にうなされるわけでも引きずられるわけでもなかった。
雫には執着がほとんどない。自分の命にも他人の命にも。一時に感じるであろう罪悪感にすらも執着しない。
信念もない。
誇りもない。
執着もない。
迷いもない。
それが殺し屋、五月雨雫。
「終わったことだし、早く虎次さんに迎えに来てもらおうかな。死体はたぶん、熊かカラスがなんとかしてくれると思うし」
雫はスカートのポケットをまさぐる。
「車の中ギンギンに冷やしといてって言っておかなとなぁ。三脚担ぎながら森を下らなきゃいけないから………めんどくさいな」
血まみれの制服のまま、ビデオカメラと三脚を運ぶことを思うとうんざりせずにいられない。
雫はポケットから携帯を出し、暗証番号を打とうと指をすべらせる。
「ついでに着替えも………!」
ボタンを押そうとした指を止める。指だけではなく体もだ。
視線を感じる。緩くさせていた感覚を一気に研ぎ澄まし、振り返る。生い茂っていた草むらからそびえ立っていた木から視線を感じた。
黒い学生服を着た少年がそこにいた。
雫と同い歳くらいの少年。青白く、まだ幼さの残った顔立ちの中性的な容姿。
木の幹から体を半分だし、呆気にとられた表情で雫を凝視している。
三脚の上に乗せられたビデオカメラ。木に縛り付けられた血まみれの3人の男の死体。死体の傍で、銃を手にしている少女。しかもブラウスには男たちの返り血で血まみれの状態。
誰の目から見ても異常なのは明らか。そしてその中心にいるのが、年端もいかない少女。
(見られた)
雫の中で警戒音が鳴り響く。
少年と目が合った。
「!!」
ただならぬ雰囲気を感じたのか、少年は逃げ出した。
「あ~あ、油断してた。暑さのせいだな」
雫はため息を吐きながら、少年が逃げ出した方向を眺める。
「走りたくないけど、しかたないか」
雫は最後の一発が装填された拳銃を握り締め、駆け出す。
―少年は逃げる。少女から少しでも遠く、目の届かない場所に。
喉が渇く、心臓が脈打つ、汗が大量に噴き出す。走れば走りほど樹々が造る闇が深くなり、どこを走っているのかわからなくなる。それでも走るのを止めるわけにはいかなかった。
少女は銃を手にしていた。少しでも撃たれにくくするため、ジグザグに走る。
草藪は途切れることなくずっと続いている。少年はずっと膝上まである草藪をただ闇雲に蹴り上げる。
しかし、いくら走ってもいいようのない不安は消えない。
足音は聞こえない。でも、気配は感じる。徐々にそれは迫ってきている。振り向かなくてもわかる。足を前へ前へと進めても無意味だと思わせるほど距離が近い。
「はい、つかまえた」
すぐ後ろから少女の声が聞こえた。
「――!」
振り返る暇もなく、少年の身体は草藪に倒された。
息も絶え絶えな少年に対し、雫はまったく息を乱していない。雫は馬乗りになりながら左手で汗で濡らした首筋を軽く掴み、右手で少年の胸元に銃を押し付ける。
「こうされる理由、わかってるよね。ごめんね、君は何も悪くないんだけど」
雫は少年を冷淡に見下ろす。謝罪の言葉を口にしていても、行動には迷いや躊躇いがない。
「君は彼らとは違う。だから苦しませずに逝かせるよ」
ヒクッと少年が喉を鳴らせているのを指先で感じ取った。
雫は胸元から銃を少しずらした。そこは心臓の真上。
「何か言いたいことはある?」
ゆっくりとした口調だが、冷徹さを含ませる言葉。
少年は何も悪くない。ただ、運が悪かっただけ。
だから、すべて受け止める。次に来るであろう命乞いや狼狽や罵倒を。
「………あ」
少年はカラカラに乾いた喉を鳴らせながら、言葉を必死で紡ごうとする。
そして、ゆっくりと首にかかっている雫の左手に手を添えた。
「な………っ………は?」
「ん?」
か細い声で聞き取れず、少し顔を近づける。
「あなたの、名前は?」
雫は思わず銃口を少し離した。それほど少年の言葉が意外すぎたからだ。
雫から必死に逃げていた少年の瞳からは死や雫に対しての恐怖心はまるでなかった。ただ、疲弊した体を草藪に預けながらぼんやりと雫を見つめている。
雫は一瞬考え込むように目を伏せた後、少年に目線を合わせる。そのまま銃口を心臓部に合わせ、引き金に指をかけた。
「私の名前は五月雨雫。五月の雨で五月雨、雫はあめかんむりの雫」
名前をゆっくりと告げ、引き金を引いた。
雫は少年の虚ろに見開かれた瞼を指先で閉じさせた。
「さてと、ここからがちょっと大変だ」
雫は立ち膝になりながら少年を見下ろす。五月雨家は私的なことに関しては放任されているが、殺しに関してはいくつかの決まりごとがある。その一つは「殺しの現場で指令以外の人間を殺した場合、必ず遺体を一人で処理すること」だ。遺体を処理する専門家にも、裏家業の顔見知りにも頼んではいけない。完全な自己責任ということだ。
本来ならよっぽどの理由がない限り、殺し屋は遺体の処理はしない。しかし、今回の目撃者殺しはその理由のうちに入っている。
まず、雫は少年の持ち物を調べようと学ランに手を伸ばす。
「どうしてこんなところに一人で?念のため、かなり森の奥の奥まで来たはずだけど………まさか、キノコ狩りとか虫取りとかじゃないよね」
ズボンや上着のポケットを念入りに探るが財布も学生証も携帯も何もなかった。つまり、この少年は身一つで森の奥まで一人で来たということだ。
「それにしても、なんでこの真夏に学ランなんて着てんの?どこの学校も衣替えは終わったはず」
雫は念入りに調べるため首元まで締めているボタンを全開にして、確認するため学ランを広げた。
「………あ~、なるほど。なんとなく予想はついてたけど」
雫は納得した様子で学ランを第二ボタンまで軽く止める。
「たしか、走ってきた途中に湖が見えたな。けっこう深そうな」
雫は事切れた少年をぐいっと起こす。
「死体ってけっこう重いんだけど、しかたない」
深く息を吐きだした後、銃をスカートの腰部分に挟めながら少年を背負い足に力を入れて立ち上がる。
死体の湿った感覚が服越しでも伝わり、一段と重く感じる。暑さと重さでぐらりとよろけそうになりながらも、体勢を立てなおし歩き出した。
「父さんに言っておかないと。報酬は受験シーズンに入ったら私に仕事を回さないようにって」
何度も背中からずり落としそうになりながらも一歩ずつ前に進む。
夏の訪れに活発化する蝉が周囲の樹々からうるさく鳴り響き、雫の耳にも入り込む。死体の重さ、湿気、吹き出す汗、紫外線、制服に飛び散った鉄の臭いに苛立ちが再び募りつつあるのに、おかまいなしに鳴り響く。
「蝉うるさい。ますます夏が嫌いになりそう」
不満げに漏らす息が熱い。ゆっくりと草藪を踏みしめているため、むき出しになっている膝にチクチクとした刺さる感触がわかりやすい。
「いらない迷惑かけるね、学ランの少年」
雫は返事の返ってこない少年に声をかける。
もう、日が沈みつつあった。蝉の声がこだましているため、雫は徐々に遠くのほうから近づいてくるカラスの鳴き声や空に灰色が混ざってきていることに気づかなかった。
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