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……へぇ……で?
しおりを挟む私は舌打ち交じりにベッドから立ち上がり、髪を手櫛で整えドアを開ける。
「どうしたの?すごい音がしたけど」
外にいたであろう人物、リーゼロッテが私を心配そうに見つめてくる。栗色の長い髪を後ろで束ね、青いワンピースの上に白い腰エプロンを着用しており、長い袖は腕まくりしている。
「……別に、寝ぼけただけ」
「寝ぼけた?」
「夢の中ででっかい魔物が襲ってきたから思わず物を投げちゃっただけ」
半開きの目で適当に説明した。
「夢?」
「そう、夢」
少し強引な気もするが無理やりにでも納得してもらおう。
「そんなことより終わったの?」
ここは話を変えてごまかすとするか。
「あともう少しで終わるよ。今やっているものを終わったら後は干すだけだから」
そう言ってリーゼロッテは作業に戻った。リーゼロッテは溜めたタライの水を一度捨て、手押し井戸のハンドルを上下に動かしもう一度水を溜めた。スカートを膝上までたくし上げ、溜めたタライでシーツと洗濯板を中に入れ丁寧に且つ強く洗っている。ごしごしと布を洗濯板に擦り付けるたびに泡が多くなっていくのが見えた。
これが私の昨日提案した条件だった。それは洗濯だ。
電化製品の洗濯機がないこの世界では昭和時代の如く手作業でやらなければいけない。できればやらずにすむ方法を考えていた私はこの条件を出した。
ふたりは最初唖然としていた。おそらく無理難題な条件を出される思っていたのだろう。
それでもよかったが私が現在思いつくものといえばこれだった。一人暮らしであまり洗濯物はそれほど出ないため週に2回ほど家に来ることを条件に出した。アルフォードは店主なので無理としてリーゼロッテならなんとかできるだろうと提案した。
洗濯物は外に出しておくから終わり次第帰っていいと言っておいた。リーゼロッテは最初の内は渋い顔をしていたが、それが条件でレイがこの店を盛り上げるために協力してくれるならと最終的には首を縦に振った。リーゼロッテは孤児院で家事をこなしているためなのか、かなり手馴れている。
私はこんな手が荒れそうなこと一回でもやりたくない。
「そういえば、レイが言っていたあの料理……」
リーゼロッテが腕を動かしながら話しかけてきた。
「何?」
「実は朝二人の常連さんが来たときその料理を出したんだけどすごくおいしいし、良いアイディアだって言ってくれたの」
そこまで深く考えずに出したアイディアがいきなり好評なんてさすがフィクションの世界だ。
「私も人気が出ると思うよ。あの“パンケーキ”」
「へぇ」
私がランチとして考えたメニューはパンケーキ。甘いシロップをかける一般的なパンケーキではなく甘さを抑えた食事系パンケーキだ。2つ考えた内の1つは目玉焼きとベーコンを合わせたモーニングパンケーキ。1つは野菜をふんだんに使ったベジタブルパンケーキ。
これなら予算内でできるし余りまくっていた野菜をふんだんに使うことができるし、甘いものが苦手な人や軽食を必要としている人にも利用できる。二人から面白いアイディアだと言われすぐに私の案は採用された。
「昨日はマジ疲れたわ。あのもの覚えの悪い男に一日でパンケーキのレシピを覚えさせたんだから」
「うん、途中からケンカになっちゃってたね」
リーゼロッテに言うとおり、途中から口げんかに発達していた。何回も説明することにうんざりもしたが、それでも最後まで教えたつもりだ。
分量や材料を混ぜる順番、焼き加減などを徹底的に頭に叩き込んでやった。
逆に忘れないだろう。あんなケンカしながらの料理は。
昨日、夜遅くまで教えたんだ。もし、にわとりみたいに忘れられたらパンケーキの生地を頭からかぶせてやる。
「それにしてもいい人達だったね、レイのおじさんとおばさん。夕方いきなり押しかけても嫌な顔せずに迎えてくれたから」
「まぁ」
昨日、夕方アルフォードの言った通り、私やリーゼロッテと共に材料の融通を頼みに言った。普通ならいきなり見ず知らずの人間にそんなこと言われたらすぐには返事できないしかなり迷惑だ。
しかし、二人はなんと快く引き受けてくれたのだ。
『レイがカフェのお手伝い?なんて素敵なの』的なことを叔母は言ったのだ。早速今日から卵とミルクをp店に支給してくれるらしい。二人は頭を下げる身であったが二つ返事で了承されたためかなり驚いたようだった。
私もびっくりだ。でも、これでしばらくは牧場での手伝いはしなくてもいいことだけは幸いだった。
「ねぇ」
「何?」
私は作業中のリーゼロッテに話しかけた。
「髪が白い、女みたいな顔の男って来た?」
「来てないと思うけど、レイの知り合い?」
「いや、来てないならいいや」
私はそれだけ聞いてリーゼロッテの洗濯を見続ける。
「よし、これで最後」
リーゼロッテは水を含んだシーツを強く絞った。水をほとんど搾り出した後、テラスのすぐ横に張られたロープにかけるため移動するとすでに干してある洗濯物を少しずらし、余ったロープにシーツを干す。
「……えっと」
ロープにかけたシーツを掴みながら何かを探している。
「もしかして、これ?」
私はリーゼロッテから少し離れた場所にあった木製の洗濯バサミをノアを使って空中に浮ばせた。
「ええ、ありがとう」
そのままリーゼロッテの手元に落とした。
「レイのノアってものを動かせるチカラなんだね」
「まぁ、けっこう便利」
私は手をひらひらと動かしながら言った。
「便利といえばアルフォードの左手のノアのほうが使えるよね。リーゼロッテだって今、持ってるんでしょ?あの鏡」
「えぇ、基本は持ち持ち歩くようにしてる」
私は部屋越しにサイドテーブルに置いた鏡に目をやった。昨日、帰り際にアルフォードに渡された。
掌サイズの白い丸型ミラー。突然鏡を渡されて少々困惑したが理由を聞かされて納得することができた。
アルフォードの左手のノアは“音声伝達”
アルフォードが左手で触ったガラスや鏡は声を一斉伝達し会話をすることができる。つまりこの世界の無線機のようなものだ。伝達手段の道具が身近にあることは私自身かなりありがたい。
「レイ、昨日も言ったと思うけど」
リーゼロッテは人差し指を唇に当てる動作をした。
「わかってる。誰にも言わない」
「お願い。アルは左のノアを人に知られるのをすごく嫌がるの」
「まぁ理由はだいたい想像つくけどね」
この国では能力至上主義な所がある。もし、国の上役にアルフォードの左のノアのことを知られたら問答無用でアカデミーに入学させられるだろう。
「アルが言うには軍関連の人間に目を付けられるって言ってた」
「だろうな、あの利便性がきくノアだったら、通信係として所々に派遣されるだろうね」
アルフォードがノアに対して否定的だったのはこれが一番の理由だろう。
「レイは……すごいね」
「は?」
突然なんだ。
「私、前々からアルの右手のノアは店を盛り上げるきっかけになるんじゃないかって思ってたの。でもアルは店を盛り上げる手段にノアを使いたがらなかった。私は幼なじみなのにどうしても遠まわしにしか言えなくて」
近いからこそ本音を言えないこともある。
「だからそんなこだわりを持ち続けたアルの気持ちを変えたレイってすごいなって思って」
「それ本気で言ってるの?あの場にいたならわかると思うけど叱咤のつもりで言ったんじゃないけど」
ただ私は相手を毒づいただけだった。相手のことを慮らなかった自分を高く持ち上げられてもただ困惑するだけで迷惑でしかない。
「でもただの説得だったらアルの気持ちを変えられなかったと思う」
リーゼロッテは振り向きテラスにいた私を見上げ、私はテラスの柵に頬杖をしながらリーゼロッテを見下ろした。
私が言ったことはやっぱり余計なことだったのではないか?攻略キャラクターの気持ちを変える役目は本来ならリーゼロッテだったはずだ。私とは違う言い回しでアルフォードの拘りを捨てさせられたかもしれない。
つまりアルフォードのリーゼロッテへの親愛度を増やせたイベントを奪ってしまったことになる。逆に私への友愛度を無駄に増やした可能性がある。
私への好感度を増やしてどうする怜。
「今度から気をつけるか」
「何が?」
「……なんでもない。独り言」
でも、よく考えれば普通にしていたらリーゼロッテより私に対しての好感度が勝るなんてないはずだ。王道ヒロインの力は絶大なんだから。
だから気をつけるもなにもないな。
「洗濯終わった?」
「ええ。今日は天気が良いから乾くのも早いと思うよ。取り込むのは」
「取り込むくらいはやっておく」
空を見上げたら太陽が高く上がっている。暖かい陽気が身体だけではなく洗濯物にも降り注いでいる。風も強くなく過ごしやすい気温だ。
なんだか眠くなってきた。瞼に軽いまどろみが降りかかってくる。
「そういえばリーゼロッテはどんなノアを持ってるの?」
私は片づけをしていたリーゼロッテにふと気になっていたことをぶつけてみようと思った。
しかし、ほんの一瞬だがリーゼロッテの表情に陰りを目にした。
何か、地雷を踏んでしまったのか?
「こういうとき役に立てるノアがあればいいのにって思ってるんだけど。やっぱりこの歳まで宿らないのはおかしいのかな」
「?」
「私には生まれたときから……右手にも左手にもノアがないの」
リーゼロッテは俯きながら呟いた。
「……へぇ……で?」
やっぱり眠い。
「え?」
リーゼロッテは目を丸くしている。
「ねえ、お昼まだ食べてない?」
「え?あ、うん」
「食べる?一応あるよ」
捲くった袖を直しているリーゼロッテに話しかけた。
私は部屋の中に戻ろうとした。
「レイ」
背を向けたとき呼び止められた。
「ノアが生まれたときから宿らない人間に対して偏見とかないの?」
「いや、へぇとしか言いようがないんだけど」
私はそれだけ言って部屋に戻った。
両手にノアがない。
そうきたか。主人公だけに能力がないとか落ちこぼれとかはある意味セオリーだ。
その設定が私ではなくリーゼロッテに行ったということか。
私はリーゼロッテを台所に案内する。
「……えっと」
「それじゃ、適当に作って良いから。食べたら帰って良いよ」
私は欠伸をしながらベッドに向かおうとした。
「ま、待って」
「何?もしかして昼食用意してあるって思った?」
「………」
どうやらそうやしい。
私は料理の材料をただ台の上に乗せているだけで何も手を付けていなかった。
「こんなに眠いのにそんなめんどくさいことするわけないって」
「で、でも私」
「え?、あ~」
そうだった。リーゼロッテは料理ができないんだった。
「じゃあ、パン一切れかじればいいじゃん。チーズと野菜もそのまま食べれるし」
いくら料理ができなくてもナイフで切ったり、野菜をちぎったりするくらいはできるだろう。
「んじゃ、おやすみ」
だめだ。眠い。私は目を擦りながら踵を返した。
「レイ」
「なんだよ、うさぎ。絶対起こすなよ」
今度こそ絶対邪魔するなよ。クソブサギ。
「……はいはい、わかりました」
うさぎは脱力気味だが意外にもすんなり聞き入れてくれた。
なんでもいいや。
私はベッドに突っ伏し、まどろんでいた瞼を落とした。
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