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私は今、これ以上ないほどぶち切れていたのだ

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私たちは広場に来ていた。暖かい日差しが差し、地面も乾きかけているが雨が上がったばかりのため広場には人がいない。賑やかな話し声も笑い声も聞こえず、あるのは静けさだけだった。人がいないため、いつもより見通しが良い。

しかし、ケバフ屋の屋台は通常通り営業していた。私たちはお腹を満たすためケバフを買い、黙々と食べているところだった。ベンチはまだ雨粒が残っていたため座ることができず、立ったまま食べている。

このケバフの味も通常通り落ちていない。やっぱり、まだまだ飽きない味。

しかし、今日はいくら食べても食べても心の中は満たすことができなかった。
むしろ、どんどん冷えていった。

「ここのケバフ屋さん、評判なんだよね。レイも知ってたんだね?」

「………」

「やっぱり、雨が上がったばかりだから広場に人いないね」

「………」

「………お、おいしいね。ケバフ」

リーゼロッテは私を気遣ってずっと話しかけてくる。しかし、私は何も答えなかった。決してリーゼロッテに怒っているわけではなく、ただ何も話したくなかっただけだった。

私は今、これ以上ないほどぶち切れていたのだ。

うさぎも今回ばかりは何も言わず、ただ私の様子をちらちら見てるだけだった。この私の不機嫌オーラに負けず、話しかけてくるリーゼロッテはなんて怖いもの知らずなんだろう。

私たちがここにいる理由はケバフを買うためじゃなかった。「奴」を待っているところだ。ライはすべての元凶である「奴」の元に聴取を取りに行っている。すべての聴取が終わった後、私たちがここで待っていることを伝えているだろう。

直接、私が行かなかった理由は一目見てしまったら場所も弁えず、殴りかかってしまうからだ。
苛立ちが最高潮に達すると逆に頭の中が急激に冷えていくことを初めて知った。それほど腸が煮えくり返っていた。

「レイ、来たみたいだよ」

「………」

広場の向こう側から息を切らした人影がこちらに駆けてくる。

「はぁ、はぁ」

息を切らし、私たちの正面に立つ人物の顔を私はあからさまに背ける。顔は見えないが荒い呼吸でかなり焦って私たちの元に向かってきたんだろう。一体、どんな顔をしているのか。顔を背けている私にはこいつの顔は見えない。

私は何も言わずにただ虚空を見つめたままケバフを口に運んでいる。私たちの前に立つ人物も何を言ったらいいのかわからないのかずっと黙ったままだ。

「………めん」

先に発したのは向こうだった。

「ごめ………っん、レイ。俺のせいでっ」

まだ、息が整っていないのか呼吸が荒い。濁りが混ざったような声に不快感を感じ、視線を上に上げる。
私が危険な目にあった元凶の攻略キャラクターの一人、シオンに。

実はあの女の正体はシオンの元カノ。実は一度、会ったことがある女だった。いや、会ったことがあるは少し語弊があるかもしれない。「会ったこと」ではなく「見たことがある」だ。
シオンが裏路地で最悪な別れ方をした女だった。確かその時の会話はかなり下品で生々しい会話をしていた。そしてシオンに縋るような発言を繰り返し、走り去っていった。
見覚えがないのも当たり前だ。何せ、私は女の顔なんて見ていなかったのだから。

問題はなぜ女が私の顔を認識し、付け狙っていたのかだ。女はその時、シオンが追いかけてくるのを期待してたらしい。しかし、まったく追いかけてこないので気になって戻ってみるとちょうど私に話しかけている現場を見てしまったんだ。そう、自分を振ったすぐ後に別の女と話していたのだ。
そしてその後、一緒に食堂に行き相席までしていた(好きで相席になったんじゃない)

女はこう思ったそうだ。
『シオンの次の彼女はあの女だ。あの女のせいで私を捨てたんだ』と。
食堂でシオンと別れた後私が何者なのか、どこに住んでいるのか突き止めるため私の後ろを付けていたそうだ。あの時、エヴァンスのおかげで事なきを得たけどあのまま一人で家路に付いていたらどうなっていたことか。

そして、昨日の出来事で私への憎悪が一層募ったらしい。昨日、男に殴りかかられそうになったとき、一応シオンに助けられた形になった(ありがた迷惑)
その現場を眺めていた野次馬の中にその女もいた。
颯爽と私を助ける姿は紳士的で見た事がなかった一面だったらしく私がシオンの特別な女に見えてしまったのだ。そう、特別な女で特別な関係に見えたのだ。つまり、あの時感じた刺さるような視線はあの女だったということだ。

シオンに異常な執着心を抱いていた女は何を思ったのか私を襲撃することを思い至ったらしい。私がいなくなったらシオンは自分の下に戻ってくるとトチ狂った思い込みをしてしまった。そして私の懐中時計を隙を見て盗み、裏路地に誘い込んで襲撃という強行に及んだ。

そして、今に至る。
開いた口が塞がらないとはこのことだろう。しばらくの間驚きすぎて感情が「無」になってしまった。

私がシオンと付き合うなんてありえない。シオンが私に対して好意を持つなんてありえない。私がシオンに惚れるなんて絶対にありえない。ライから話を聞けば聞くほど色々とありえなかった。

つまり、私はシオンと女の痴情のもつれに巻き込まれたということだ。
くそっ、思い出したらまたイライラしてきた。

私は冷めた視線を一瞬だけシオンに向けた。シオンは表情が見えないほど深々と頭を下げている。仕事中だったのか燕尾服は着用したままだ。きっちり着こなしている燕尾服やセットされていた髪型は走ってきたせいで乱れ、よれよれになっている。目の前にいるのは燕尾服を着ているのに執事とはまったく程遠い、汗だくになっている男。バロンの女性客がいたら幻滅されるかもしれないほど、申し訳なさそうに頭を下げている。

「ライって言う兵の人に全部聞いたよ」

常に頭上にあるキャラメル色の髪の毛が今は私の目下にある。私はそれを何も言わず、ただ見ていた。シオンをただ眺めながらケバフを口に運ぶ動作をやめなかった。

「まさか、あの子がそんなことをしでかすなんて、思ってもみなかった」

思ってもみなかったんだ。あんな最低な女の振り方しておいて思ってもみなかったんだ。

「シオンさんのこと好きだったんですね」

リーゼロッテがシオンに向けて放った。その声音は決して責めているわけでも咎めているようなものでもなく、ただ無意識に零れたような声音だった。

「彼女とは割り切った関係のつもりだった。彼女も最初はわかってたはずだったんだ。そもそも彼女、彼氏がいるからね。だからお互い都合の良い遊び仲間の一人として認識していた」

いまだに深く頭を下げているシオンから半歩下がり身体の向きを変え、黙々とケバフを食べた。

「決め事があったんだ、女性と付き合うとき常に俺が心掛けていること。彼女にも言っておいたんだ。『本気にはならない・深入りしない・一方がもう会えない事情があったらすっぱり忘れる』って。彼女も最初は俺の決め事に合わせてくれていたから楽だった。彼女も遊びのつもりだったろうし。でも、最近の彼女、あからさまにしつこかったんだ。彼氏よりも僕と会う回数をあからさまに増やしてくるし、私生活にも介入してこようとするし」

生々しい。耳を塞ぎたくなる。まぁ、変に言い訳っぽく自分を正当化するよりはマシか。

「だから俺、彼女が本気になる前に切ったんだ。最低な言葉を投げつけたら俺なんかよりも本命の彼氏の下に戻るだろうと思ってね」

「はっ」

気づくかどうかわからないほど鼻で笑ってやった。
完全にその思惑ははずれ、やり場のない女の思いは私に向かっていったんだから。

「俺を襲えばいいものを。俺、本当に最低だったんだなって」

シオンはそう言ってゆっくり顔を上げた。顔を上げたとき、シオンのほうをちらりと見た。今日初めて見たシオンの顔はとても苦しそうに歪ませていた。乙女ゲームの攻略キャラクターなだけあって醜くは崩れていなかった。私は再び、顔をそらした。
いつのまにか手元にあるケバフが小さくなっており、もう少しで食べ終わりそうだった。

「シオンさんはクズではないと思います」

重く気まずい空気をリーゼロッテはゆっくりと吹き消すように呟いた。

おい、やめろ。私の苛立ちを増長させないでほしい。

「私がここで口を挟むのはおかしいかもしれません。でも、これだけは言いたいです。たしかにシオンは女性に対して不誠実だと思います。私も正直、女性としてあなたを軽蔑に近い感情を抱いています。でも、本当にシオンさんがただの最低な人間だったら自分のしたことに対して反省なんてしないと思います。それに汗だくになってここまで走ってだってこなかった」

私は視線だけリーゼロッテに向ける。リーゼロッテはまっすぐにシオンに琥珀色の瞳を向けていた。

「勘違いはしてほしくありません。私はあなたを庇うわけではありません。あなたが本当に最低な人間になるかどうかはこれからのあなたの行動次第だと思います」

庇っていないって口では言っているが、どう見ても庇っているようにしか見えない。

「こんなことがないと俺って自分を改めることができないんだな」

シオンは小さく自嘲気味に呟いた。私は最後の一口のケバフは口に運び、ゆっくりかみ締めるようにしてごくりと飲み込んだ。

「今回は二人に本当に迷惑をかけたよ。お詫びも兼ねて週末、俺の店で二人を特別に招待したい」

「えっ?」

リーゼロッテはシオンの思いがけない申し出に声を上げた。

「わ、私はいいですよ」

「お金はもちろんいらない。俺の名前を出せば通れるようにするから」

「土下座しろ」

私は凄むような口調でシオンに初めて言葉を発した。

しんとした沈黙がゆっくり流れた。
何だ、その顔は。
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