クズヒロインなのになぜか人が寄ってくる

キリアイスズ

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私は初めて彼の名を零した

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「あれ?」

裏路地に入った途端黒服の姿が消えた。耳を澄ましても足音も聞こえない。追従した時間差もそれほど開いていないはずなのにだ。

私はごくりと唾を飲み込み、ゆっくりと足を進める。
(うさぎ、先に向こう側見てきて。ついでに上空も)
「わかった」

うさぎに目で指示し、先に行くよう促した。

路地を挟んでいる周囲の建造物は日光を遮るほど高くない。
高層建築物だったら黒服を着ていた犯人は暗い壁に溶け込み、すぐに目視できなかったろう。でも、この路地の幅は私たち二人が通るには十分すぎるほど広い。それにそれほど高くない建造物のおかげで光が入り、物や人を確認できる。でも、見通しはあまりよくなかった。
路地には長い角材やペンキが剥がれた看板が立掛けられていたり、でこぼこの大きな石が積み上がっていたり、車輪が一つない野菜を運ぶような荷車が捨てられていたり、空き瓶がそこかしこに転がっているなどかなり散らかって見える。

隠れようと思えば隠れられるか?

そう思いながら看板の裏など隠れられる場所を確認しながらゆっくり進む。しかし、いくら足を進めても黒服どころか人影すらなく、音も私たち二人分の足音しか聞こえない。それに水たまりや空き瓶を避けながら前に進んでいるので歩くにはかなり不便でもあった。

「レイ、気をつけて」

「そっちこそ」

駆けたせいか緊張のせいかリーゼロッテが抱えていた紙袋はぐしゃぐしゃになっており、果物の一つが潰れたのかうっすら汁が紙袋から垂れているのが見えた。しかし、リーゼロッテはそれを気にする素振りも私もそれを指摘することはしなかった。果物の汁を指摘するのはあの黒服を見つけた後でいい。

「私が先に行くから」

「うん」

荷車が捨てられている場所まで行き着いたが、荷車が道の半分を塞ぐように捨てられているため並んで歩くことができない。私は荷車を跨ぐようにゆっくり足を進めた。もちろん、荷車の影になっているところを確認しながらだ。荷車のすぐ横には小さな横道があった。この横道を通るには荷車を踏みつけ、車輪を大きく跨がないと通れない。追われていた黒服にここの道を通れる時間があったとはどうしても思えない。第一、荷車には濡れた靴の足跡がない。もし、ここを通ったなら足跡がついているはずだ。
路地の少し先の左側にも小さな通路があるのが見える。入り口には長四角の看板と長い角材が立て掛けられている。
通りやすさでいえば断然右側だろう。しかし、左側を通った可能性もなくはない。
左側を確認したすぐ後に右側も確認しよう。

私は視界が開けるように帽子を脱ぎ、ゆっくり足を進め、左の横道を覗いた。

「誰かいる?」

「いない」

薄暗いだけで誰もいない。あの黒服を見つけるためにこの裏路地に入ったが、姿がないことに少なからず安堵してしまった。私はふっと息をつき、緊張で熱くなっている身体をほぐすように帽子で少し仰いだ。

「レイ!危ない!!」

「え?」

リーゼロッテの必死な叫びを聞いたと同時に振り向いた。

長い角材が顔面に向かって勢いよく迫ってきている。

「うわ!?」

私はそれを寸前のところで避けた。避けた先は土の壁で背中から思いっきり打ち付けてしまったため、背中に鈍い痛みが走った。しかし、そんな痛みを気にしている暇はない。私は冷たい土の壁を背中に感じながら体勢を立て直そうと足に力を入れる。

私を攻撃してきたのは黒服だった。黒服は荒い息を吐きながら右の横道に立掛けてあった木材をきつく握り締めながら、じりじりと距離を縮めてくる。

こいつ、一体どこから。姿も駆ける足音も聞こえなかった。

「レイ!その人看板に変身してたみたいなの!」

リーゼロッテは声を張りながら教えてくれた。

視線をずらすと立掛けてあった看板がない。
なるほど。得心がいった。ここの路地に入ってすぐに看板に変身し、私が接近するまで息を潜ませ、私が左の通りを確認するために背中を向けたとき握り締めている固い角材で仕留めようとしたということか。

「あんた一体誰?私を殺す気?」

私は現状に負けじと思いっきり目の前の黒服を睨み付ける。

「あんたせいで、あんたのせいで」

「あんた、女なの?」

やっと発せられた黒服の声は底冷えする女の声だった。女はゆらりとした動きで私に視線を合わせてくる。
その目に私は背筋が凍った。殺意と憎悪に満ちた女の視線。強い眼光に背中からぞくりとした感覚が走り、鳥肌が立つ。

この得体の知れない感覚、間違いない。

「やっぱり、昨日からの視線の正体って―」

「あんたのせいで!」

私が言い終える途中で女は角材を思いっきり振りかざしてきた。角材をよく見ると振りかざされた先に曲がった釘が何本も打ち付けられてる。あんなもので殴られたら下手したら怪我だけでは済まされない。それに角材は女が振り回すには難しいと思えるほど大きく長い。あんな角材を何度も振り回すなんてよっぽど私に恨みがあるらしい。

「ちょ、質問に答えろよ!」

私はまた寸前のところで避けた。女は私と会話する気はないらしい。しかし、洗いざらいしゃべってもらわないと困る。

女?誰だ?男はともかく女に殺されるような恨みは買ってないはずだ。
それとも恨みがあるのは私ではなく『レイ・ミラー』?

じりじりと女が一歩ずつ迫ってくると私も一歩ずつ壁を背にしながら動く。
私は手に握られている角材から目を一切そらさなかった。
また、一撃がくる。今度は避けるだけじゃない。この帽子を女の顔面に当て、怯んだ隙に武器を取り上げ、取り押さえる。

これでいこう。ぎゅっと帽子を握り締めた手に汗が噴出し、震えてくる。
こんなところで死亡エンドなんて冗談じゃない。

「あんたがいなくなれば!」

女の悲痛な唸り声と共に再び、角材を私目掛けて振り下ろしてきた。

「くっ」

さきほどの一撃よりも振り下げるスピードが速い。避けた瞬間よろけそうになるが足に力を入れ、体勢を立て直そうとした。

「うわっ?」

一歩足を踏み出したとき、偶然転がっていた空びんの上に足を置いてしまい膝から崩れてしまった。
女はそれを見逃さなかった。倒れた私の後頭部めがけて角材を渾身の力で振り下げてくる。

「ひっ!」

「レイ!逃げて!」

リーゼロッテの切羽詰った声が遠くのほうから聞こえた。
だめだ、逃げられない。私は思わず、ぎゅっと身を固くした。

「あぶない!」

声と共に誰かに強く抱き寄せられた。誰かの胸の中にすっぽり埋まっている私はぎゅっと閉じていた目をゆっくり開けた。

繊細な糸が紡がれたような白銀の髪、紅玉のような紅い瞳、中性的な容姿。

「エヴァンス」

私は初めて彼の名を零した。
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