上 下
48 / 127
一章

閑話 公爵令嬢が死んだ後①

しおりを挟む
降りしきる雨の中、一人の青年は身体が濡れるのも気にせずに立ち尽くしていた。
黒い髪から水滴が落ち、頬を濡らす。
そんな彼の前にあったのは一つの墓石だ。


その墓石には、「セシリア・フルール」と刻まれている。
彼はその名前の人物をよく知っている。
当然だろう、それはついこの間まで青年の妻だった少女の名だったのだから。


「……」


彼はその墓石の前からずっと動かない。
ただただそこに刻まれた名をじっと見つめている。






そこで青年は、婚約者となる少女と初めて出会ったときのことを思い出した。
あれは十年以上も前の話だった。
少女との思い出は数えられるほど少ないが、あのときのことはいつまで経っても彼の脳裏に深く刻まれていた。





「――お初にお目にかかります、グレイフォード王太子殿下。フルール公爵家の長女、セシリアと申します」


そう言いながら微笑む彼女に、青年は目を奪われた。


ゆるくウェーブのかかった金髪は美しいと思ったし、大きくて真ん丸な翡翠色の瞳も嫌いではなかった。
婚約者としての顔合わせで初めて出会った時、頬を染めて自分に向き合う彼女が可愛らしいと思った。


もっとその少女のことを知りたくなった。
それから彼女は王太子妃教育を熱心にするようになった。
自分のために頑張る彼女に好感を抱いたのをよく覚えている。


「……」


青年が物思いに耽っていると、背後から声がした。


「殿下」


振り返ると、そこに立っていたのは傘を差した一人の少女だった。
ふわふわのピンク髪に、髪と同じ色の瞳をした愛らしい少女。


その少女は心配そうにこちらを見つめている。
自身を不安げに見つめる彼女に、青年はハッキリと告げた。


「もう殿下ではない」
「あ……」


青年がこんな風に言ったのには理由があった。


そう、彼は少し前まではれっきとした王族で、それも次期国王となる王太子の地位にいた。
だが、父である王により王族から除籍させられたのだ。


父は今回の事態に怒り狂った。
彼を平民にした上で国外追放にしようとしたが、母である王妃の温情により何とかそれは免れた。


「……ヘレイス男爵令嬢」


――マリア・ヘレイス
かつて、彼の寵愛を独占したと噂の愛妾だ。


しかし、今の二人はとてもじゃないがそんな風には見えない。


「こんな雨の中、傘も差さずにそんな風に立っていたら風邪を引いてしまいます」
「……本当はこのままここで野垂れ死ぬのが俺に一番お似合いな末路なのではないかと時々思う」
「とんでもないことを言わないでください。殿下は未来の公爵様です」


彼はもうすぐ公爵位を賜ることになっている。
新しく王太子の座に就くのは王弟殿下の長男だ。


少女は青年の視線の先にある墓石を見て呟く。


「……セシリア様」


初めて目にしたその瞬間から目を奪われた人。


完璧な所作。
美しい容姿。高い身分。
全てを持ち合わせている完璧超人。


少女にとっては雲の上の人だった。
未来の王妃になるべく育てられた人。


そんなセシリアに密かに憧れを抱き、慕っていた。
本人にその気持ちが伝わることはなかったが。


二人の間に重い沈黙が流れる。
先にそれを破ったのは少女の方だった。


「殿下、少し話しませんか?」


少女にそう言われた青年はコクリと頷く。


「ここでは風邪をひいてしまいますので雨宿りできるところに行きましょうか」


少女は木の下に行き、傘を閉じる。
青年もそれについて行き、少女と向かい合った。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】わたしが嫌いな幼馴染の執着から逃げたい。

たろ
恋愛
今まで何とかぶち壊してきた婚約話。 だけど今回は無理だった。 突然の婚約。 え?なんで?嫌だよ。 幼馴染のリヴィ・アルゼン。 ずっとずっと友達だと思ってたのに魔法が使えなくて嫌われてしまった。意地悪ばかりされて嫌われているから避けていたのに、それなのになんで婚約しなきゃいけないの? 好き過ぎてリヴィはミルヒーナに意地悪したり冷たくしたり。おかげでミルヒーナはリヴィが苦手になりとにかく逃げてしまう。 なのに気がつけば結婚させられて…… 意地悪なのか優しいのかわからないリヴィ。 戸惑いながらも少しずつリヴィと幸せな結婚生活を送ろうと頑張り始めたミルヒーナ。 なのにマルシアというリヴィの元恋人が現れて…… 「離縁したい」と思い始めリヴィから逃げようと頑張るミルヒーナ。 リヴィは、ミルヒーナを逃したくないのでなんとか関係を修復しようとするのだけど…… ◆ 短編予定でしたがやはり長編になってしまいそうです。 申し訳ありません。

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

【完結】記憶を失くした貴方には、わたし達家族は要らないようです

たろ
恋愛
騎士であった夫が突然川に落ちて死んだと聞かされたラフェ。 お腹には赤ちゃんがいることが分かったばかりなのに。 これからどうやって暮らしていけばいいのか…… 子供と二人で何とか頑張って暮らし始めたのに…… そして………

【完結】さよならのかわりに

たろ
恋愛
大好きな婚約者に最後のプレゼントを用意した。それは婚約解消すること。 だからわたしは悪女になります。 彼を自由にさせてあげたかった。 彼には愛する人と幸せになって欲しかった。 わたくしのことなど忘れて欲しかった。 だってわたくしはもうすぐ死ぬのだから。 さよならのかわりに……

嫌われ者の側妃はのんびり暮らしたい

風見ゆうみ
恋愛
「オレのタイプじゃないんだよ。地味過ぎて顔も見たくない。だから、お前は側妃だ」 顔だけは良い皇帝陛下は、自らが正妃にしたいと希望した私を側妃にして別宮に送り、正妃は私の妹にすると言う。 裏表のあるの妹のお世話はもううんざり! 側妃は私以外にもいるし、面倒なことは任せて、私はのんびり自由に暮らすわ! そう思っていたのに、別宮には皇帝陛下の腹違いの弟や、他の側妃とのトラブルはあるし、それだけでなく皇帝陛下は私を妹の毒見役に指定してきて―― それって側妃がやることじゃないでしょう!? ※のんびり暮らしたかった側妃がなんだかんだあって、のんびりできなかったけれど幸せにはなるお話です。

【完結】そんなに側妃を愛しているなら邪魔者のわたしは消えることにします。

たろ
恋愛
わたしの愛する人の隣には、わたしではない人がいる。………彼の横で彼を見て微笑んでいた。 わたしはそれを遠くからそっと見て、視線を逸らした。 ううん、もう見るのも嫌だった。 結婚して1年を過ぎた。 政略結婚でも、結婚してしまえばお互い寄り添い大事にして暮らしていけるだろうと思っていた。 なのに彼は婚約してからも結婚してからもわたしを見ない。 見ようとしない。 わたしたち夫婦には子どもが出来なかった。 義両親からの期待というプレッシャーにわたしは心が折れそうになった。 わたしは彼の姿を見るのも嫌で彼との時間を拒否するようになってしまった。 そして彼は側室を迎えた。 拗れた殿下が妻のオリエを愛する話です。 ただそれがオリエに伝わることは…… とても設定はゆるいお話です。 短編から長編へ変更しました。 すみません

【完結】彼の瞳に映るのは  

たろ
恋愛
 今夜も彼はわたしをエスコートして夜会へと参加する。  優しく見つめる彼の瞳にはわたしが映っているのに、何故かわたしの心は何も感じない。  そしてファーストダンスを踊ると彼はそっとわたしのそばからいなくなる。  わたしはまた一人で佇む。彼は守るべき存在の元へと行ってしまう。 ★ 短編から長編へ変更しました。

【完結】浮気された私は貴方の子どもを内緒で育てます  時々番外編

たろ
恋愛
朝目覚めたら隣に見慣れない女が裸で寝ていた。 レオは思わずガバッと起きた。 「おはよう〜」 欠伸をしながらこちらを見ているのは結婚前に、昔付き合っていたメアリーだった。 「なんでお前が裸でここにいるんだ!」 「あら、失礼しちゃうわ。昨日無理矢理連れ込んで抱いたのは貴方でしょう?」 レオの妻のルディアは事実を知ってしまう。 子どもが出来たことでルディアと別れてメアリーと再婚するが………。 ルディアはレオと別れた後に妊娠に気づきエイミーを産んで育てることになった。 そしてレオとメアリーの子どものアランとエイミーは13歳の時に学園で同級生となってしまう。 レオとルディアの誤解が解けて結ばれるのか? エイミーが恋を知っていく 二つの恋のお話です

処理中です...