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一章
閑話 公爵令嬢が死んだ後①
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降りしきる雨の中、一人の青年は身体が濡れるのも気にせずに立ち尽くしていた。
黒い髪から水滴が落ち、頬を濡らす。
そんな彼の前にあったのは一つの墓石だ。
その墓石には、「セシリア・フルール」と刻まれている。
彼はその名前の人物をよく知っている。
当然だろう、それはついこの間まで青年の妻だった少女の名だったのだから。
「……」
彼はその墓石の前からずっと動かない。
ただただそこに刻まれた名をじっと見つめている。
そこで青年は、婚約者となる少女と初めて出会ったときのことを思い出した。
あれは十年以上も前の話だった。
少女との思い出は数えられるほど少ないが、あのときのことはいつまで経っても彼の脳裏に深く刻まれていた。
「――お初にお目にかかります、グレイフォード王太子殿下。フルール公爵家の長女、セシリアと申します」
そう言いながら微笑む彼女に、青年は目を奪われた。
ゆるくウェーブのかかった金髪は美しいと思ったし、大きくて真ん丸な翡翠色の瞳も嫌いではなかった。
婚約者としての顔合わせで初めて出会った時、頬を染めて自分に向き合う彼女が可愛らしいと思った。
もっとその少女のことを知りたくなった。
それから彼女は王太子妃教育を熱心にするようになった。
自分のために頑張る彼女に好感を抱いたのをよく覚えている。
「……」
青年が物思いに耽っていると、背後から声がした。
「殿下」
振り返ると、そこに立っていたのは傘を差した一人の少女だった。
ふわふわのピンク髪に、髪と同じ色の瞳をした愛らしい少女。
その少女は心配そうにこちらを見つめている。
自身を不安げに見つめる彼女に、青年はハッキリと告げた。
「もう殿下ではない」
「あ……」
青年がこんな風に言ったのには理由があった。
そう、彼は少し前まではれっきとした王族で、それも次期国王となる王太子の地位にいた。
だが、父である王により王族から除籍させられたのだ。
父は今回の事態に怒り狂った。
彼を平民にした上で国外追放にしようとしたが、母である王妃の温情により何とかそれは免れた。
「……ヘレイス男爵令嬢」
――マリア・ヘレイス
かつて、彼の寵愛を独占したと噂の愛妾だ。
しかし、今の二人はとてもじゃないがそんな風には見えない。
「こんな雨の中、傘も差さずにそんな風に立っていたら風邪を引いてしまいます」
「……本当はこのままここで野垂れ死ぬのが俺に一番お似合いな末路なのではないかと時々思う」
「とんでもないことを言わないでください。殿下は未来の公爵様です」
彼はもうすぐ公爵位を賜ることになっている。
新しく王太子の座に就くのは王弟殿下の長男だ。
少女は青年の視線の先にある墓石を見て呟く。
「……セシリア様」
初めて目にしたその瞬間から目を奪われた人。
完璧な所作。
美しい容姿。高い身分。
全てを持ち合わせている完璧超人。
少女にとっては雲の上の人だった。
未来の王妃になるべく育てられた人。
そんなセシリアに密かに憧れを抱き、慕っていた。
本人にその気持ちが伝わることはなかったが。
二人の間に重い沈黙が流れる。
先にそれを破ったのは少女の方だった。
「殿下、少し話しませんか?」
少女にそう言われた青年はコクリと頷く。
「ここでは風邪をひいてしまいますので雨宿りできるところに行きましょうか」
少女は木の下に行き、傘を閉じる。
青年もそれについて行き、少女と向かい合った。
黒い髪から水滴が落ち、頬を濡らす。
そんな彼の前にあったのは一つの墓石だ。
その墓石には、「セシリア・フルール」と刻まれている。
彼はその名前の人物をよく知っている。
当然だろう、それはついこの間まで青年の妻だった少女の名だったのだから。
「……」
彼はその墓石の前からずっと動かない。
ただただそこに刻まれた名をじっと見つめている。
そこで青年は、婚約者となる少女と初めて出会ったときのことを思い出した。
あれは十年以上も前の話だった。
少女との思い出は数えられるほど少ないが、あのときのことはいつまで経っても彼の脳裏に深く刻まれていた。
「――お初にお目にかかります、グレイフォード王太子殿下。フルール公爵家の長女、セシリアと申します」
そう言いながら微笑む彼女に、青年は目を奪われた。
ゆるくウェーブのかかった金髪は美しいと思ったし、大きくて真ん丸な翡翠色の瞳も嫌いではなかった。
婚約者としての顔合わせで初めて出会った時、頬を染めて自分に向き合う彼女が可愛らしいと思った。
もっとその少女のことを知りたくなった。
それから彼女は王太子妃教育を熱心にするようになった。
自分のために頑張る彼女に好感を抱いたのをよく覚えている。
「……」
青年が物思いに耽っていると、背後から声がした。
「殿下」
振り返ると、そこに立っていたのは傘を差した一人の少女だった。
ふわふわのピンク髪に、髪と同じ色の瞳をした愛らしい少女。
その少女は心配そうにこちらを見つめている。
自身を不安げに見つめる彼女に、青年はハッキリと告げた。
「もう殿下ではない」
「あ……」
青年がこんな風に言ったのには理由があった。
そう、彼は少し前まではれっきとした王族で、それも次期国王となる王太子の地位にいた。
だが、父である王により王族から除籍させられたのだ。
父は今回の事態に怒り狂った。
彼を平民にした上で国外追放にしようとしたが、母である王妃の温情により何とかそれは免れた。
「……ヘレイス男爵令嬢」
――マリア・ヘレイス
かつて、彼の寵愛を独占したと噂の愛妾だ。
しかし、今の二人はとてもじゃないがそんな風には見えない。
「こんな雨の中、傘も差さずにそんな風に立っていたら風邪を引いてしまいます」
「……本当はこのままここで野垂れ死ぬのが俺に一番お似合いな末路なのではないかと時々思う」
「とんでもないことを言わないでください。殿下は未来の公爵様です」
彼はもうすぐ公爵位を賜ることになっている。
新しく王太子の座に就くのは王弟殿下の長男だ。
少女は青年の視線の先にある墓石を見て呟く。
「……セシリア様」
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未来の王妃になるべく育てられた人。
そんなセシリアに密かに憧れを抱き、慕っていた。
本人にその気持ちが伝わることはなかったが。
二人の間に重い沈黙が流れる。
先にそれを破ったのは少女の方だった。
「殿下、少し話しませんか?」
少女にそう言われた青年はコクリと頷く。
「ここでは風邪をひいてしまいますので雨宿りできるところに行きましょうか」
少女は木の下に行き、傘を閉じる。
青年もそれについて行き、少女と向かい合った。
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