上 下
1 / 36

1 公爵家の母娘

しおりを挟む
「奥様、おはようございます」
「ええ、おはよう」


王国屈指の名門グクルス公爵家の本邸。
もう何度この朝を迎えたか分からない。
窓から差し込む朝日と公爵邸の使用人の声で目を覚ました私はベッドから起き上がった。


(もう朝になったのね……)


グクルス公爵家の本妻である私が一番最初にすることはいつも決まっている。


「リアはどうしているかしら?もう起きているの?」
「はい、最近は私たちが起こす前に既に支度を済ませていて……お嬢様には驚かされてばかりです」
「まぁ、さすがうちの娘ね」


それは世界で一番大切な愛娘について尋ねること。
リアとは夫であるグクルス公爵との間に生まれた一人娘だ。
今年で六歳になる。


(早くリアに会いたいな……)


最近は娘が可愛くて仕方が無い。
もちろん、生まれたときからずっと天使のように愛らしかったが。


「――お母様!」
「リア!」


そんなことを考えていると、ちょうど朝の準備を済ませたリアが部屋に入って来た。


「お母様、おはようございます」
「ええ、おはよう」


今日もいつものように娘を抱き締める。


「今日は朝一人で起きたんですって?偉いわね」
「えへへ」


私は愛らしく笑うリアの頭を優しく撫でた。


(父親がいない分、私がたくさん愛を注がないと……)


――この家庭には父親がいない。
いや、正確に言えばいるはいる。


夫であるグクルス公爵ディアンは当然のように愛人宅で暮らし、一切家には帰って来ないのだ。
ディアンの愛人は元々この公爵邸のメイドだった人物で、彼の寵愛を独り占めしていると言える。


聞けばあちらに子どもまでいるらしい。
それも何とリアより年上の八歳である。
私と夫が結婚したのは七年前なので、愛人とはそれより前の関係だったということになる。
ただ平民出身のメイドを公爵家の本妻にすることは不可能なので、私が彼の戸籍上の妻になったというわけだ。


義務で子作りだけはするが、そこに愛は一切無い。
そして子供が一人生まれると用済みとばかりに夫は私たち母娘を本邸に放置した。


娘であるリアは父親とはたったの一度も会ったことが無い。
赤ちゃんの頃に一度顔を見ただけで、それっきりである。
そうなった理由は夫が頑なに会おうとしないからだ。


「お母様」
「ん?どうかしたの?」
「お父様はいつ帰ってくるの?」
「……」


時折娘からこのような質問を投げかけられるときがある。
そのたびに私の胸はズキズキと痛んだ。
「良い子にして待っていればいつかは帰って来る」なんて優しい嘘は私にはつけなかった。


「そうね……お母さんだけじゃ寂しい?」
「ううん!お母さん大好きだよ!」
「私もリアが大好きよ」


私はそのままもう一度娘を抱き締めた。


(ごめんね……リア……)


父親はきっと、この先もずっと永遠に会いに来ることは無い。
それだけではなく、帰って来たところで貴方に酷い言葉を投げかけるかもしれない。


だからこそ、私は嘘をつけなかったのだ。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

目が覚めました 〜奪われた婚約者はきっぱりと捨てました〜

鬱沢色素
恋愛
侯爵令嬢のディアナは学園でのパーティーで、婚約者フリッツの浮気現場を目撃してしまう。 今まで「他の男が君に寄りつかないように」とフリッツに言われ、地味な格好をしてきた。でも、もう目が覚めた。 さようなら。かつて好きだった人。よりを戻そうと言われても今更もう遅い。 ディアナはフリッツと婚約破棄し、好き勝手に生きることにした。 するとアロイス第一王子から婚約の申し出が舞い込み……。

【完結】愛に裏切られた私と、愛を諦めなかった元夫

紫崎 藍華
恋愛
政略結婚だったにも関わらず、スティーヴンはイルマに浮気し、妻のミシェルを捨てた。 スティーヴンは政略結婚の重要性を理解できていなかった。 そのような男の愛が許されるはずないのだが、彼は愛を貫いた。 捨てられたミシェルも貴族という立場に翻弄されつつも、一つの答えを見出した。

筆頭婚約者候補は「一抜け」を叫んでさっさと逃げ出した

基本二度寝
恋愛
王太子には婚約者候補が二十名ほどいた。 その中でも筆頭にいたのは、顔よし頭良し、すべての条件を持っていた公爵家の令嬢。 王太子を立てることも忘れない彼女に、ひとつだけ不満があった。

旦那様は私に隠れて他の人と子供を育てていました

榎夜
恋愛
旦那様が怪しいんです。 私と旦那様は結婚して4年目になります。 可愛い2人の子供にも恵まれて、幸せな日々送っていました。 でも旦那様は.........

茶番には付き合っていられません

わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。 婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。 これではまるで私の方が邪魔者だ。 苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。 どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。 彼が何をしたいのかさっぱり分からない。 もうこんな茶番に付き合っていられない。 そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。

旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます

おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。 if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります) ※こちらの作品カクヨムにも掲載します

わたしのことはお気になさらず、どうぞ、元の恋人とよりを戻してください。

ふまさ
恋愛
「あたし、気付いたの。やっぱりリッキーしかいないって。リッキーだけを愛しているって」  人気のない校舎裏。熱っぽい双眸で訴えかけたのは、子爵令嬢のパティだ。正面には、伯爵令息のリッキーがいる。 「学園に通いはじめてすぐに他の令息に熱をあげて、ぼくを捨てたのは、きみじゃないか」 「捨てたなんて……だって、子爵令嬢のあたしが、侯爵令息様に逆らえるはずないじゃない……だから、あたし」  一歩近付くパティに、リッキーが一歩、後退る。明らかな動揺が見えた。 「そ、そんな顔しても無駄だよ。きみから侯爵令息に言い寄っていたことも、その侯爵令息に最近婚約者ができたことも、ぼくだってちゃんと知ってるんだからな。あてがはずれて、仕方なくぼくのところに戻って来たんだろ?!」 「……そんな、ひどい」  しくしくと、パティは泣き出した。リッキーが、うっと怯む。 「ど、どちらにせよ、もう遅いよ。ぼくには婚約者がいる。きみだって知ってるだろ?」 「あたしが好きなら、そんなもの、解消すればいいじゃない!」  パティが叫ぶ。無茶苦茶だわ、と胸中で呟いたのは、二人からは死角になるところで聞き耳を立てていた伯爵令嬢のシャノン──リッキーの婚約者だった。  昔からパティが大好きだったリッキーもさすがに呆れているのでは、と考えていたシャノンだったが──。 「……そんなにぼくのこと、好きなの?」  予想もしないリッキーの質問に、シャノンは目を丸くした。対してパティは、目を輝かせた。 「好き! 大好き!」  リッキーは「そ、そっか……」と、満更でもない様子だ。それは、パティも感じたのだろう。 「リッキー。ねえ、どうなの? 返事は?」  パティが詰め寄る。悩んだすえのリッキーの答えは、 「……少し、考える時間がほしい」  だった。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

処理中です...