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第一章「最初の一冊」
第14話「聞き込みと逃走」
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「はいはい、お邪魔しますよーっと」
「あっ、お客様すみません! まだ受付時間前でして……」
少年とメイドの2人と別れた次の日、私はとある大きなビルの一角にある、美容クリニックを訪れていた。開業して2年の比較的新しい、山白美容クリニックという名前の美容外科だ。
「知ってますよ。わたしはこういう者です」
警察手帳を女性の前に出す。
「えっ? 警察…………何で警察の方が? 失礼ですが、どういったご用件でしょうか?」
警察と分かって、怪訝そうな表情をするクリニックの受付らしき女性に対して話を続ける。
「ここで働いていた相田利奈さんについて、お話を伺いに来ました」
「利奈? 相田は一昨日から無断欠勤していますが……。もしかして、相田に何かあったんですか?」
「利奈さんはお亡くなりになりました」
「は、えっ……? 今……何て?」
わたしの発言を聞いた受付の女性は戸惑い、放心した様な表情になる。
前回の被害者と、今回の被害者――相田利奈の持ち物には共通していたものが2つあった。
1つは真道北斎の名刺、もう1つはこのクリニックの診察券だ。名刺を持っていた理由は、メイドの話で納得出来た。となると、残ったのは……。
他に殺された2人の共通点がない以上、この診察券、いや、この場所と2人の被害者が何かしらで繋がっているのは間違いなかった。
だが、おかしな事に、前回の被害者の診察券には持ち主の名前があったにも関わらず、相田利奈が持っていた診察券には名前の記載がなかった。
わたしはそこから、相田利奈はクリニックに通う外部の人間ではなく、内部にいる人間の可能性を考え、二和に殺害現場付近の監視カメラを調べて貰うと同時に、被害者とクリニックの関係性も調べて貰っていたのだ。
その結果、相田利奈はこの美容クリニックで働いていた事が分かり、わたしは聞き込みの為に直接ここまでやって来ていた。
「利奈が亡くなった……?」
未だに放心状態の受付に声を掛ける。
「そりゃ、いきなり同僚の死を聞かされれば、誰だって動揺しますよね。あなたは利奈さんとは仲良くされていたんですか?」
「……は、はい。ここが開業してからの付き合いで、たまに飲みに行ったりもしてて……」
わたしの質問に、とても悲しそうな顔で答える彼女。先ほどの反応も合わせて見る限り、嘘は付いてないように見える。
「無断欠勤なんて絶対にしないタイプだから、おかしいなとは思ってたんです。心配して何度も送ったメッセージも1つも返って来なかったですし……それが、まさか…………」
「それは……かなりお辛いですよね。大事な人を亡くす気持ちは、わたしにも分かります」
突然、仲の良かった友達が、恋人が、家族や、同僚がいなくなったら……直ぐにそれを受け入れるなんて難しいだろう。
「そんな状態のあなたに答えて貰うのは、大変心苦しいのですが、いくつかお聞きしたい事がありまして…………協力して貰えませんか?」
「……は、はい! 私に分かる事であれば何でもお話します!」
「利奈さんが、誰かに恨まれていたような話は聞いた事ありませんか?」
例え、この事件が怪奇絡みだったとしても、明らかに被害者の2人は無差別に殺された訳じゃなく、何かしらの繋がりがあったように思える。
もしかしたら、まだ被害者が更に増える可能性だってあるのだ。そうさせない為にも、今はどんな情報でも欲しい。
「恨まれて……? もしかして、利奈は誰かに殺されたんですか?」
「はい。なので利奈さんの交友関係や、ここでの人間関係などで、何かおかしな事を見たり、聞いたりはしていませんか?」
「いえ、私の知る限りではそんな話聞いたことありません。利奈は勤務態度も真面目で、優しくて人当たりも良くて、お客様からの評判も良かったので、誰かに恨まれるなんて、そんな……」
「なるほど。他に何か気付いた事はありませんか?」
「気付いた事……。あっ!」
「何かありました?」
「これが、関係あるかは分からないんですが……」
「いえ、どんな情報でも事件解決の糸口になるかも知れません。話して貰えると助かります」
「それなら……。あの子、かなりの酒豪だったんですけど、この間一緒にお酒を飲みに行った時に、何故か一滴もお酒を飲んでなかったんです」
「それは……気になりますね」
禁酒という奴か。その時の気分の可能性もあるが、同僚の印象に残るほどに沢山飲んでいた人間が、簡単な理由でお酒を止めるとは思えないな。
何か病気が見つかったとか、その後にもまだ大事な予定があったとか、それなりの理由がある筈だ。
「何で飲まないの? って聞いても教えてくれなかったので、病気か何かかと心配してたんですけど……」
何かを秘密にしていたのだろうか?
「改めてその事を聞いてみたら、満面の笑顔で直ぐに分かるよって……」
「なるほど……。他には何か気になる事は言ってませんでしたか?」
「他には……。これから、沢山お金が必要になるから頑張らないとって言ってました。最近、私が気になったのはそれぐらいです」
「お金ねぇ……。情報ありがとうございました。また何か思い出したら、こちらに連絡を下さい」
受付に名刺を渡しながら考える。今の話から、被害者が何かを隠していたのは間違いないだろう。問題はその理由だが……。
「みんなおはよー」
考えていると、背後から突然声が聞こえた。振り返って確認してみると、明らかに軽薄そうな見た目の男が、こちらに近づいて来ている所だった。
「李花ちゃんおはよー。ん? その人誰?」
「林道先生おはようございます。こちらの方は……」
言い淀む彼女に代わって、警察手帳を出す。
「こういう者です」
「えっ? 警察? どゆこと?」
「ここで働かれていた相田利奈さんが、一昨日お亡くなりになりまして。お話を聞きたいので、少し時間よろしいでしょうか?」
「えっ? 利奈ちゃんが? マ、マジかよ……。おけおけー! ちょっと準備してくるので待ってて」
「はい。分かりました」
同僚が死んだとは思えない、砕けた態度が少し癪に障ったが、こういう奴は何処にでもいるものだ。一々怒っていたら身が持たない、気にするだけ無駄だと自分を納得させる。
林道と呼ばれた男は、荷物を持ったまま、私が入ってきたのと、同じ入り口から出ていった。
どう見てもお客を相手にするとは思えない服装だったので、白衣にでも着替えて来るのだろう。大人しく待つしかない。
ふと、スマホを見ると、少し前に二和からの電話の着信履歴が何件かあった。美容クリニックの入り口から外に出て、辺りを確認する。まだ受付時間前なのもあって、ビルの中には、他に人は見当たらない。念のため隅によってから、二和に電話を折り返す。
「もしもし、チキンか?」
「あっ、鷹見警部! やっと繋がった!」
「例の件か?」
「はい。調べた所、女性の遺体が見つかりました」
「そうか……」
メイドの予想を疑っていたわけではないが、人が死んでいる可能性を考えると、外れてくれる方が良かったんだがなぁ……。
「かなり雑な隠し方をされていたので、あの場所に当分の間誰も来ないと分かっていた……恐らく、工事に関係した人物の中に容疑者がいる可能性が高いかと」
「死んでからも雑に扱うなんざ、本当に酷い話だ」
「その通りだと思います。でも、何で鷹見警部はあそこに遺体があると分かったんですか?」
「まぁ、目撃情報があったんだよ」
予想したのは最近知り合ったメイドで、見たのは幽霊で、実はわたしも目撃した! とは流石に言えない……。
「そうなんですか? とりあえず、この事件は別の人間が担当に割り振られたので、進捗はその人次第ですかね。あっ、そう言えば!」
「うん? 他に何かあったのか?」
「例の連続殺人事件、捜査本部が設置される予定だったのがなくなったみたいです」
「は? そんなことあるのか?」
大きな事件――特に連続殺人ともなれば捜査本部が置かれるのが定例の筈だが、それがなくなった? そんな話、初めて聞いたぞ。
「僕も驚きました。でもそれ以上に驚いたんですが……」
「何だ?」
「この事件の担当が、鷹見警部と僕に変更されました」
「なっ? どういう事だ……?」
「僕にも分かりませんよ……。鷹見警部なら何か理由を知ってるかと」
「そんなのわたしも分かる訳が……」
何度も電話を掛けてきていたのは、それが理由か。本来置かれる筈の捜査本部はなくなり、担当刑事が突然変更される。
しかも、次の担当に選ばれたのは、この事件を裏で勝手に調べていた、わたしと二和だと? 一体誰がそんな事を…………?
いや、もしかして……。思い出すのは昨日のメイドの言葉。
「……これは、北斎から聞いた話ですが、警察の中にも、そういった事に対応する、大きな組織があるらしいです」
おいおい、マジかよ……。
「いや、思い当たる事はある……かも……知れ、ない?」
「何でそこで疑問系なんですか!」
「仕方ねぇだろ。わたしも今、面食らってる所なんだから……」
まさか、捜査本部を作らなかったのは、これが怪奇絡みの事件だからなのか? 何も知らない多くの刑事を、怪奇の被害に遭わせない為に?
もし、今回の事件も工事現場のような化け物が相手なら、普通の刑事が何人いた所で、無駄な犠牲が増えていくだけだろう。だから、事件に関わらせる刑事の人数を、極力減らすまではまだ理解出来るが。
次に白羽の矢を立てたのが、わたしと二和というのは……。
身震いしながら、辺りを見回す。一体、メイドが言っていた警察内部の組織は、この事件を何処まで知っている?
いや、それよりも……いつから、わたし達を見ていたんだ?
思えば、おかしな事は少し前からあった。工事現場を調査するにも、一昨日あそこで起きた事や、メイドの予想を素直に報告した所で、協力は絶対に得られない。
だから、事件の可能性があると納得させる為に、それらしい話を作るしかなかったのだが……。
結果、双腕の男のせいで荒れた工事現場は、誰かのいたずらとして報告。それとは別に、あそこで起きた可能性のある事件を調べる為に、周辺住民が不審な人物を目撃したという話をでっち上げて、署長に伝える事にした。
だが、そんな自分でも無理があると思う話を聞いても、署長は質問1つせずにその話を通してくれたのだ。その時から、おかしいとは思っていたが、それも裏から手を回されていたのなら……。
真実がどうであれ、もし今回の事がメイドが言っていた警部内部の組織が関係しているんだとしたら、その組織が持つ力が、わたしの想像以上に強大なのは間違いないだろう。
「まぁ、僕には上の考えは分からないんで、そこの判断は鷹見警部に任せますけど、他にもまだ問題が……」
「うん? まだ何かあるのか?」
「元々、この事件の担当だった方が、それはもうかんかんで!」
「それは……まぁ、怒るのも仕方ない」
二和と通話中もビル内を見ていると、別の医師だろうか? 先ほどの林道とは違って、しっかりした雰囲気の男がクリニックに入って行く所だった。
「……うん?」
その光景に、何かが引っ掛かる。
「ついさっきもその担当の……あっ、ちょ! 待って!」
「チキン……? どうし……」
「どうしたもこうしたもあるか! 鷹見お前、何度俺の邪魔をすれば!」
電話の相手の声が二和から、聞き覚えのある、やたら大きな声に突然変わった。
「あーー、その声。もしかして鳩太か?」
「ああ、鳩太だ。お前、ずっとこの事件を調べていた俺から、いきなり担当を奪うなんて、どういう魔法を使った?」
「いやー、魔法というか……」
「お前は本当にいつもいつもよぉ!」
電話の向こうで、悔しそうな声を出している男は、鳩太正義……わたしの警察学校時代の同期だった。
何故かこの男には、昔から目を付けられていて、よく勝負を持ち掛けられて来たんだよなぁ。
「お前……もしかして俺への当て付けで事件を奪ったのか?」
「いや、今の今まで担当刑事がお前だったなんて知らなかったよ」
「なっ!? お前大事な同期の名前に気付かなかったのか? よく見ろ、そして、気付け!」
「お前は、どう答えれば満足するんだよ……」
知ってたら当て付けで、知らなかったら気付けとどやされるなんて、理不尽すぎるだろ。
だが、この男が担当なら、今回の事件が、連続殺人の可能性があると疑って、早めに動いていたのも納得出来た。こいつ、めんどくさい所は多々あるが、昔からかなり優秀な奴だったからなぁ……。
「いやー、わるいわるい。まさか、お前が担当の事件が、いきなりわたしにふられるとは思わなかったよ」
まぁ、元々、裏で勝手に調べてはいたが、担当を奪うつもりなんて最初からない。
おやっさんの事件と関係がないと分かったら、自分が勝手に動いて、調べた情報を全て担当刑事に伝えて、直ぐに手を引くつもりだったのだが、こんな事になるとは思ってもみなかった。
「こっちは、署内で着替えて、飯食って、何日も泊まり込みで捜査してたんだよ! それをお前はいきなり横からやってきて、全部奪いやがってぇ……!」
「それは担当を代えた上に言ってくれ……。まぁ、今度飯でも奢るから、この事はとりあえず水に流してくれ」
「なっ、飯!? 本当か! なら、許す!」
こいつ相変わらずチョロいな……。驚きの早さで同期の機嫌もとったし、そろそろ聞き込みに戻るか…………。
いや、待て? 今何か気になる発言があったような?
「なぁ、鳩太」
「何だ?」
「お前今、何て言った?」
「ああ、鳩太だ?」
「どこまで会話を戻すんだよ! それのもっと後だよ、後!」
「もっと後? えーっと、当て付け、気付けに……署内で着替えて、飯食って、何日も泊まり込み……」
「それだ!! 悪い鳩太、急いで二和に代わってくれ」
「うん? おぉ、事件関係か、分かった! ほらよ!」
「ちょっと、携帯投げないで下さいよ! あー、もしもし鷹見警部ですか?」
「悪いチキン、気になることが出来たから、一旦電話切る」
「あっ、待ってください! 鷹見警部にもう1つ伝えたい事が……」
「すまん! 問題なければ直ぐに掛け直すから、後にしてくれ」
通話を切って、早足でクリニックの中に入る。そこには先ほど入って行くのが見えたしっかりとした雰囲気の男が、白衣を着て受付の女性と喋っている光景が広がっていた。
「すみません。いくつか聞きたい事があるんですが……」
白衣の男に警察手帳を見せながら、先ほど聞き込みをした受付の女性に質問する。
「あっ、さっきの刑事さん? はい、何でしょう?」
「ここの更衣室は何処にあります?」
「更衣室? 向こうですが……」
彼女が指差したのはクリニックの外ではなく、中だった。
「もう1つ、ここと同じ階に、クリニックが管理してる他の施設か何かがあったりしますか?」
「いえ。この階だと、クリニック以外はお客様用のトイレがあるくらいです。それも管理はビル側ですし」
「クリニックに勤務している方のトイレはどうしてます?」
「え? あっ、向こうにスタッフ用のトイレがあります」
「分かりました。最後に聞きたいんですが、林道先生の今日の予定ってどうなってます?」
「林道先生ですか? これから直ぐに予約が入ってますね」
「分かりました。ありがとうございました」
そう言ってから、クリニックの入り口から外に出る。
「いや、まさか……。何か別の用事があっただけだよな?」
小さく呟きながら、クリニックと同じ階を調べる。もし、わたしが逃げるなら、誰もが使いそうな経路は避ける。
となると、直ぐに見つかりそうな普通の階段や、エレベーターは使わない。だとすると……。
「流石にこのタイミングで逃げるのが、どういうことを意味するのか分かってない訳ないよな?」
非常口の扉を開け、外に出て、緊急時の避難用の階段の踊り場に足を踏み入れる。
「おいおい、マジかよ……」
階段から下を覗き込むと、クリニックで林道と呼ばれていた男が、同じ場所を行ったり来たりしている所だった。
最初は着替えにでも行ったのかと思っていたが、まさかこんな所にいるとは……。
思えば、準備してくると言いつつ、荷物を持ったまま外に出ていくのを見た時から、少し違和感はあった。
受付の女性から話を聞いて、その違和感が確信に変わった。予約があるにも関わらず、荷物を持ったままで更衣室もなく、他の関連した施設もない外に出ていくのはやはり不自然だ。
「今、おかしな行動をとれば、わたしは事件の関係者です! って言ってるようなものなんだがなぁ。それに……」
階段を下りながら、スマホで時間を確認する。
「逃げるには十分過ぎる程に長い時間、電話してたと思うんだが、あいつどれだけ優柔不断なんだ」
そう小声で呟いている間にも、林道はうろうろしながら、1階の非常階段の入り口に戻ろうか悩んでる様子だった。
「まぁ、まだ逃げようとしてたとは限らないからな……手っ取り早く、鎌をかけてみるか」
走って追い付けそうな距離まで階段を下りてから、林道が今いる位置からでも分かりやすい様に柵から顔を出して、十分に息を吸い込み、叫ぶ!
「おいっ!! 何してる!」
「ひっ!?」
「あっ、おい待て!! そっちには逃げるな!」
短い悲鳴を上げた林道は、わたしの顔を見た瞬間に走り出した。逃げるその背中には、わたしはこの事件の関係者です! という張り紙が付いている錯覚すら見える。
急いで階段を下りながら、スマホである電話番号に掛ける。
「あっ、もしもし? 今、そっちに走っていった男を捕まえてくれ」
「……畏まりました」
電話をしている間に、林道はちょうど目の前にある角を右に曲がって、わたしの視界から消えていた。
逃げ道は2つあったのに、そっち側に逃げるとは運がないな……。一応忠告はしたんだ、どうなっても仕方ないだろう。
わたしも林道から少し遅れて角を曲がると、その先に金髪のメイドと青髪の少年が、林道の前に立ち塞がっている光景が見えた。
林道が何やら叫んでいるのが聞こえるが、まだ3人とは距離があってハッキリと聞こえない。
「アイツ、何言ってるんだ? ……あっ」
林道が、青髪の少年に殴り|掛かる。
「アイツ終わったな……」
目にも留まらない速さで、少年と林道の間に割り込んだメイドの掌底を顎に受けて、男はその場に膝から崩れ落ちた……。
「逃げる方向といい、殴り掛かる相手といい、つくづく運がないな、こいつ……」
色々とあったが、わたし達はこの事件の関係者らしき男を見つけ、捕まえたのだった。
「あっ、お客様すみません! まだ受付時間前でして……」
少年とメイドの2人と別れた次の日、私はとある大きなビルの一角にある、美容クリニックを訪れていた。開業して2年の比較的新しい、山白美容クリニックという名前の美容外科だ。
「知ってますよ。わたしはこういう者です」
警察手帳を女性の前に出す。
「えっ? 警察…………何で警察の方が? 失礼ですが、どういったご用件でしょうか?」
警察と分かって、怪訝そうな表情をするクリニックの受付らしき女性に対して話を続ける。
「ここで働いていた相田利奈さんについて、お話を伺いに来ました」
「利奈? 相田は一昨日から無断欠勤していますが……。もしかして、相田に何かあったんですか?」
「利奈さんはお亡くなりになりました」
「は、えっ……? 今……何て?」
わたしの発言を聞いた受付の女性は戸惑い、放心した様な表情になる。
前回の被害者と、今回の被害者――相田利奈の持ち物には共通していたものが2つあった。
1つは真道北斎の名刺、もう1つはこのクリニックの診察券だ。名刺を持っていた理由は、メイドの話で納得出来た。となると、残ったのは……。
他に殺された2人の共通点がない以上、この診察券、いや、この場所と2人の被害者が何かしらで繋がっているのは間違いなかった。
だが、おかしな事に、前回の被害者の診察券には持ち主の名前があったにも関わらず、相田利奈が持っていた診察券には名前の記載がなかった。
わたしはそこから、相田利奈はクリニックに通う外部の人間ではなく、内部にいる人間の可能性を考え、二和に殺害現場付近の監視カメラを調べて貰うと同時に、被害者とクリニックの関係性も調べて貰っていたのだ。
その結果、相田利奈はこの美容クリニックで働いていた事が分かり、わたしは聞き込みの為に直接ここまでやって来ていた。
「利奈が亡くなった……?」
未だに放心状態の受付に声を掛ける。
「そりゃ、いきなり同僚の死を聞かされれば、誰だって動揺しますよね。あなたは利奈さんとは仲良くされていたんですか?」
「……は、はい。ここが開業してからの付き合いで、たまに飲みに行ったりもしてて……」
わたしの質問に、とても悲しそうな顔で答える彼女。先ほどの反応も合わせて見る限り、嘘は付いてないように見える。
「無断欠勤なんて絶対にしないタイプだから、おかしいなとは思ってたんです。心配して何度も送ったメッセージも1つも返って来なかったですし……それが、まさか…………」
「それは……かなりお辛いですよね。大事な人を亡くす気持ちは、わたしにも分かります」
突然、仲の良かった友達が、恋人が、家族や、同僚がいなくなったら……直ぐにそれを受け入れるなんて難しいだろう。
「そんな状態のあなたに答えて貰うのは、大変心苦しいのですが、いくつかお聞きしたい事がありまして…………協力して貰えませんか?」
「……は、はい! 私に分かる事であれば何でもお話します!」
「利奈さんが、誰かに恨まれていたような話は聞いた事ありませんか?」
例え、この事件が怪奇絡みだったとしても、明らかに被害者の2人は無差別に殺された訳じゃなく、何かしらの繋がりがあったように思える。
もしかしたら、まだ被害者が更に増える可能性だってあるのだ。そうさせない為にも、今はどんな情報でも欲しい。
「恨まれて……? もしかして、利奈は誰かに殺されたんですか?」
「はい。なので利奈さんの交友関係や、ここでの人間関係などで、何かおかしな事を見たり、聞いたりはしていませんか?」
「いえ、私の知る限りではそんな話聞いたことありません。利奈は勤務態度も真面目で、優しくて人当たりも良くて、お客様からの評判も良かったので、誰かに恨まれるなんて、そんな……」
「なるほど。他に何か気付いた事はありませんか?」
「気付いた事……。あっ!」
「何かありました?」
「これが、関係あるかは分からないんですが……」
「いえ、どんな情報でも事件解決の糸口になるかも知れません。話して貰えると助かります」
「それなら……。あの子、かなりの酒豪だったんですけど、この間一緒にお酒を飲みに行った時に、何故か一滴もお酒を飲んでなかったんです」
「それは……気になりますね」
禁酒という奴か。その時の気分の可能性もあるが、同僚の印象に残るほどに沢山飲んでいた人間が、簡単な理由でお酒を止めるとは思えないな。
何か病気が見つかったとか、その後にもまだ大事な予定があったとか、それなりの理由がある筈だ。
「何で飲まないの? って聞いても教えてくれなかったので、病気か何かかと心配してたんですけど……」
何かを秘密にしていたのだろうか?
「改めてその事を聞いてみたら、満面の笑顔で直ぐに分かるよって……」
「なるほど……。他には何か気になる事は言ってませんでしたか?」
「他には……。これから、沢山お金が必要になるから頑張らないとって言ってました。最近、私が気になったのはそれぐらいです」
「お金ねぇ……。情報ありがとうございました。また何か思い出したら、こちらに連絡を下さい」
受付に名刺を渡しながら考える。今の話から、被害者が何かを隠していたのは間違いないだろう。問題はその理由だが……。
「みんなおはよー」
考えていると、背後から突然声が聞こえた。振り返って確認してみると、明らかに軽薄そうな見た目の男が、こちらに近づいて来ている所だった。
「李花ちゃんおはよー。ん? その人誰?」
「林道先生おはようございます。こちらの方は……」
言い淀む彼女に代わって、警察手帳を出す。
「こういう者です」
「えっ? 警察? どゆこと?」
「ここで働かれていた相田利奈さんが、一昨日お亡くなりになりまして。お話を聞きたいので、少し時間よろしいでしょうか?」
「えっ? 利奈ちゃんが? マ、マジかよ……。おけおけー! ちょっと準備してくるので待ってて」
「はい。分かりました」
同僚が死んだとは思えない、砕けた態度が少し癪に障ったが、こういう奴は何処にでもいるものだ。一々怒っていたら身が持たない、気にするだけ無駄だと自分を納得させる。
林道と呼ばれた男は、荷物を持ったまま、私が入ってきたのと、同じ入り口から出ていった。
どう見てもお客を相手にするとは思えない服装だったので、白衣にでも着替えて来るのだろう。大人しく待つしかない。
ふと、スマホを見ると、少し前に二和からの電話の着信履歴が何件かあった。美容クリニックの入り口から外に出て、辺りを確認する。まだ受付時間前なのもあって、ビルの中には、他に人は見当たらない。念のため隅によってから、二和に電話を折り返す。
「もしもし、チキンか?」
「あっ、鷹見警部! やっと繋がった!」
「例の件か?」
「はい。調べた所、女性の遺体が見つかりました」
「そうか……」
メイドの予想を疑っていたわけではないが、人が死んでいる可能性を考えると、外れてくれる方が良かったんだがなぁ……。
「かなり雑な隠し方をされていたので、あの場所に当分の間誰も来ないと分かっていた……恐らく、工事に関係した人物の中に容疑者がいる可能性が高いかと」
「死んでからも雑に扱うなんざ、本当に酷い話だ」
「その通りだと思います。でも、何で鷹見警部はあそこに遺体があると分かったんですか?」
「まぁ、目撃情報があったんだよ」
予想したのは最近知り合ったメイドで、見たのは幽霊で、実はわたしも目撃した! とは流石に言えない……。
「そうなんですか? とりあえず、この事件は別の人間が担当に割り振られたので、進捗はその人次第ですかね。あっ、そう言えば!」
「うん? 他に何かあったのか?」
「例の連続殺人事件、捜査本部が設置される予定だったのがなくなったみたいです」
「は? そんなことあるのか?」
大きな事件――特に連続殺人ともなれば捜査本部が置かれるのが定例の筈だが、それがなくなった? そんな話、初めて聞いたぞ。
「僕も驚きました。でもそれ以上に驚いたんですが……」
「何だ?」
「この事件の担当が、鷹見警部と僕に変更されました」
「なっ? どういう事だ……?」
「僕にも分かりませんよ……。鷹見警部なら何か理由を知ってるかと」
「そんなのわたしも分かる訳が……」
何度も電話を掛けてきていたのは、それが理由か。本来置かれる筈の捜査本部はなくなり、担当刑事が突然変更される。
しかも、次の担当に選ばれたのは、この事件を裏で勝手に調べていた、わたしと二和だと? 一体誰がそんな事を…………?
いや、もしかして……。思い出すのは昨日のメイドの言葉。
「……これは、北斎から聞いた話ですが、警察の中にも、そういった事に対応する、大きな組織があるらしいです」
おいおい、マジかよ……。
「いや、思い当たる事はある……かも……知れ、ない?」
「何でそこで疑問系なんですか!」
「仕方ねぇだろ。わたしも今、面食らってる所なんだから……」
まさか、捜査本部を作らなかったのは、これが怪奇絡みの事件だからなのか? 何も知らない多くの刑事を、怪奇の被害に遭わせない為に?
もし、今回の事件も工事現場のような化け物が相手なら、普通の刑事が何人いた所で、無駄な犠牲が増えていくだけだろう。だから、事件に関わらせる刑事の人数を、極力減らすまではまだ理解出来るが。
次に白羽の矢を立てたのが、わたしと二和というのは……。
身震いしながら、辺りを見回す。一体、メイドが言っていた警察内部の組織は、この事件を何処まで知っている?
いや、それよりも……いつから、わたし達を見ていたんだ?
思えば、おかしな事は少し前からあった。工事現場を調査するにも、一昨日あそこで起きた事や、メイドの予想を素直に報告した所で、協力は絶対に得られない。
だから、事件の可能性があると納得させる為に、それらしい話を作るしかなかったのだが……。
結果、双腕の男のせいで荒れた工事現場は、誰かのいたずらとして報告。それとは別に、あそこで起きた可能性のある事件を調べる為に、周辺住民が不審な人物を目撃したという話をでっち上げて、署長に伝える事にした。
だが、そんな自分でも無理があると思う話を聞いても、署長は質問1つせずにその話を通してくれたのだ。その時から、おかしいとは思っていたが、それも裏から手を回されていたのなら……。
真実がどうであれ、もし今回の事がメイドが言っていた警部内部の組織が関係しているんだとしたら、その組織が持つ力が、わたしの想像以上に強大なのは間違いないだろう。
「まぁ、僕には上の考えは分からないんで、そこの判断は鷹見警部に任せますけど、他にもまだ問題が……」
「うん? まだ何かあるのか?」
「元々、この事件の担当だった方が、それはもうかんかんで!」
「それは……まぁ、怒るのも仕方ない」
二和と通話中もビル内を見ていると、別の医師だろうか? 先ほどの林道とは違って、しっかりした雰囲気の男がクリニックに入って行く所だった。
「……うん?」
その光景に、何かが引っ掛かる。
「ついさっきもその担当の……あっ、ちょ! 待って!」
「チキン……? どうし……」
「どうしたもこうしたもあるか! 鷹見お前、何度俺の邪魔をすれば!」
電話の相手の声が二和から、聞き覚えのある、やたら大きな声に突然変わった。
「あーー、その声。もしかして鳩太か?」
「ああ、鳩太だ。お前、ずっとこの事件を調べていた俺から、いきなり担当を奪うなんて、どういう魔法を使った?」
「いやー、魔法というか……」
「お前は本当にいつもいつもよぉ!」
電話の向こうで、悔しそうな声を出している男は、鳩太正義……わたしの警察学校時代の同期だった。
何故かこの男には、昔から目を付けられていて、よく勝負を持ち掛けられて来たんだよなぁ。
「お前……もしかして俺への当て付けで事件を奪ったのか?」
「いや、今の今まで担当刑事がお前だったなんて知らなかったよ」
「なっ!? お前大事な同期の名前に気付かなかったのか? よく見ろ、そして、気付け!」
「お前は、どう答えれば満足するんだよ……」
知ってたら当て付けで、知らなかったら気付けとどやされるなんて、理不尽すぎるだろ。
だが、この男が担当なら、今回の事件が、連続殺人の可能性があると疑って、早めに動いていたのも納得出来た。こいつ、めんどくさい所は多々あるが、昔からかなり優秀な奴だったからなぁ……。
「いやー、わるいわるい。まさか、お前が担当の事件が、いきなりわたしにふられるとは思わなかったよ」
まぁ、元々、裏で勝手に調べてはいたが、担当を奪うつもりなんて最初からない。
おやっさんの事件と関係がないと分かったら、自分が勝手に動いて、調べた情報を全て担当刑事に伝えて、直ぐに手を引くつもりだったのだが、こんな事になるとは思ってもみなかった。
「こっちは、署内で着替えて、飯食って、何日も泊まり込みで捜査してたんだよ! それをお前はいきなり横からやってきて、全部奪いやがってぇ……!」
「それは担当を代えた上に言ってくれ……。まぁ、今度飯でも奢るから、この事はとりあえず水に流してくれ」
「なっ、飯!? 本当か! なら、許す!」
こいつ相変わらずチョロいな……。驚きの早さで同期の機嫌もとったし、そろそろ聞き込みに戻るか…………。
いや、待て? 今何か気になる発言があったような?
「なぁ、鳩太」
「何だ?」
「お前今、何て言った?」
「ああ、鳩太だ?」
「どこまで会話を戻すんだよ! それのもっと後だよ、後!」
「もっと後? えーっと、当て付け、気付けに……署内で着替えて、飯食って、何日も泊まり込み……」
「それだ!! 悪い鳩太、急いで二和に代わってくれ」
「うん? おぉ、事件関係か、分かった! ほらよ!」
「ちょっと、携帯投げないで下さいよ! あー、もしもし鷹見警部ですか?」
「悪いチキン、気になることが出来たから、一旦電話切る」
「あっ、待ってください! 鷹見警部にもう1つ伝えたい事が……」
「すまん! 問題なければ直ぐに掛け直すから、後にしてくれ」
通話を切って、早足でクリニックの中に入る。そこには先ほど入って行くのが見えたしっかりとした雰囲気の男が、白衣を着て受付の女性と喋っている光景が広がっていた。
「すみません。いくつか聞きたい事があるんですが……」
白衣の男に警察手帳を見せながら、先ほど聞き込みをした受付の女性に質問する。
「あっ、さっきの刑事さん? はい、何でしょう?」
「ここの更衣室は何処にあります?」
「更衣室? 向こうですが……」
彼女が指差したのはクリニックの外ではなく、中だった。
「もう1つ、ここと同じ階に、クリニックが管理してる他の施設か何かがあったりしますか?」
「いえ。この階だと、クリニック以外はお客様用のトイレがあるくらいです。それも管理はビル側ですし」
「クリニックに勤務している方のトイレはどうしてます?」
「え? あっ、向こうにスタッフ用のトイレがあります」
「分かりました。最後に聞きたいんですが、林道先生の今日の予定ってどうなってます?」
「林道先生ですか? これから直ぐに予約が入ってますね」
「分かりました。ありがとうございました」
そう言ってから、クリニックの入り口から外に出る。
「いや、まさか……。何か別の用事があっただけだよな?」
小さく呟きながら、クリニックと同じ階を調べる。もし、わたしが逃げるなら、誰もが使いそうな経路は避ける。
となると、直ぐに見つかりそうな普通の階段や、エレベーターは使わない。だとすると……。
「流石にこのタイミングで逃げるのが、どういうことを意味するのか分かってない訳ないよな?」
非常口の扉を開け、外に出て、緊急時の避難用の階段の踊り場に足を踏み入れる。
「おいおい、マジかよ……」
階段から下を覗き込むと、クリニックで林道と呼ばれていた男が、同じ場所を行ったり来たりしている所だった。
最初は着替えにでも行ったのかと思っていたが、まさかこんな所にいるとは……。
思えば、準備してくると言いつつ、荷物を持ったまま外に出ていくのを見た時から、少し違和感はあった。
受付の女性から話を聞いて、その違和感が確信に変わった。予約があるにも関わらず、荷物を持ったままで更衣室もなく、他の関連した施設もない外に出ていくのはやはり不自然だ。
「今、おかしな行動をとれば、わたしは事件の関係者です! って言ってるようなものなんだがなぁ。それに……」
階段を下りながら、スマホで時間を確認する。
「逃げるには十分過ぎる程に長い時間、電話してたと思うんだが、あいつどれだけ優柔不断なんだ」
そう小声で呟いている間にも、林道はうろうろしながら、1階の非常階段の入り口に戻ろうか悩んでる様子だった。
「まぁ、まだ逃げようとしてたとは限らないからな……手っ取り早く、鎌をかけてみるか」
走って追い付けそうな距離まで階段を下りてから、林道が今いる位置からでも分かりやすい様に柵から顔を出して、十分に息を吸い込み、叫ぶ!
「おいっ!! 何してる!」
「ひっ!?」
「あっ、おい待て!! そっちには逃げるな!」
短い悲鳴を上げた林道は、わたしの顔を見た瞬間に走り出した。逃げるその背中には、わたしはこの事件の関係者です! という張り紙が付いている錯覚すら見える。
急いで階段を下りながら、スマホである電話番号に掛ける。
「あっ、もしもし? 今、そっちに走っていった男を捕まえてくれ」
「……畏まりました」
電話をしている間に、林道はちょうど目の前にある角を右に曲がって、わたしの視界から消えていた。
逃げ道は2つあったのに、そっち側に逃げるとは運がないな……。一応忠告はしたんだ、どうなっても仕方ないだろう。
わたしも林道から少し遅れて角を曲がると、その先に金髪のメイドと青髪の少年が、林道の前に立ち塞がっている光景が見えた。
林道が何やら叫んでいるのが聞こえるが、まだ3人とは距離があってハッキリと聞こえない。
「アイツ、何言ってるんだ? ……あっ」
林道が、青髪の少年に殴り|掛かる。
「アイツ終わったな……」
目にも留まらない速さで、少年と林道の間に割り込んだメイドの掌底を顎に受けて、男はその場に膝から崩れ落ちた……。
「逃げる方向といい、殴り掛かる相手といい、つくづく運がないな、こいつ……」
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