冷甘メイドの怪奇図書

要 九十九

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第一章「最初の一冊」

怪奇図書「管理番号:9」

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 ――――カリカリ……。

 また始まった。

 ――――カリカリ……。

 布団の上、仰向けの体勢のまま、両手で耳を塞ぐ。ここに引っ越して5日。毎晩、決まってこの時間に、この音が聞こえて来る。
 時計を見ると、いつもの時間……深夜3時を示していた。

 ――――カリカリ……。

 何かを爪で引っ掻くような音。音は隣の部屋と、自分の部屋を隔てる壁から聞こえてくる。動かずに同じ場所を何度も、何度も……。
 最初はネズミか何かかと思ったが、ネズミならじっと動かずにその場に居続ける事はまずない。実家が田舎だったから、屋根裏を走ったり、蔵に出たネズミの対策で、色々と調べたのだ。

 ――――カリカリ……。

 そんな事を考えてる間にも、音は鳴り続ける。5日間もこの音を聞き続けていると、むしろネズミであってくれたら良かったのにと、最近は思うようになっていた。
 結局、今日も音が止むまで、耳を塞ぐ事ぐらいしか出来なかった。
 毎日、訪れる深夜3時からの10分間、音は1秒も休むことなく、ずっと続く……。最初は気にしていなかったが、初日から徐々に音が大きくなってきていて、そろそろ我慢が出来なくなっていた。
 明日はバイトだ。急いで寝ないと……。
 何があろうが、毎日の生活が大きく変わるわけではない。少しでも体を休めて、バイトに備えないと。

 ――――ジリリリリリリリリ!!!

 「…………ん……? 起きないと……」
 油断すると、直ぐにもう一度夢の中に引き込まれ兼ねない。頬を両手で左右から叩いて、何とか目を開ける。
 キッチンに向かい、軽く顔を洗う。歯ブラシに、歯みがき粉をつけ無理やり口に突っ込む。まだ完全に目覚めてない脳が、拒否反応を示して吐きそうになる。
 ゴシゴシと歯を磨きながら、田舎から上京してきて初めての、自分の城を見回す。
 トイレと風呂付きの1K。今、歯を磨いている手洗い場併用のキッチンの右側に、トイレもあるユニットバスへのドアが一つ。キッチンから見て、左側に玄関がある。
 背後には障子が2枚あり、その先に俺が寝ている1部屋と押し入れがあった。毎晩のあの音のせいで、そっちを見るだけでも憂鬱な気分になって来る。
 これは良くない! せっかく上京して来たんだ。こんな気持ちでずっといるのは勿体ない。
 水で口を濯ぎ、服をさっさと着替えて、バイトの為に急いで玄関に向かう。
 靴を履いて、扉を開けて鍵を閉める。
 僕が住んでいるのは、2階建てアパートだ。アパートを正面から見て、中央ぐらいにアパートに沿うような形で造られた階段があり、そこを上って左側の一番奥、突き当たりが僕の部屋だ。
 だから、左側には他の部屋はなく、右側に問題の音を鳴らしている部屋がある。
 階段に向かう途中、その部屋の方を見る。何の変哲もないドアだが、郵便ポストには、、7部くらいの新聞紙の朝刊が突き刺さっていた。
 直接苦情を言いに行くのも考えたが、これからもここに住むことを考えると、余り隣人と揉めたくはなかった。
 それに、何より、自慢じゃないが、僕は人に意見を言うのが苦手だ。うるさいと思いながらも、何も言わずに5日が過ぎているのがその証拠だろう。
 ドアを睨んだ所で、どうにかなる訳でもないが、それは僕なりの静かな反抗だった。


「ただいまー!」
 ドアを意気揚々と開けて中に入る。この元気の理由は、その日のバイト終わりに無くなった日用品を買いに行った際、ある物を見つけたからだ。
 キッチンで手を洗い、うがいをし、顔を洗って、障子を開けて部屋に入る。
 部屋は入って正面に小さなベランダ、左側に押し入れ、右側に僕が寝ている布団が置いてある。
 他人が見れば、家電や小物すらないから、生活感がない部屋に見えるだろうが、これからどんどん色々な物を増やしていくつもりだ。それを考えるだけでワクワクしてくる。
「当面の問題は……」
 呟きながら、布団の上に座る。まだ、未来に思いを馳せている場合じゃない。
 早速買ってきた物を袋から出す。スマホ用のイヤホンだ。スーパーでこれを見た際、自分がいかに馬鹿だったか思い知らされた。
 何故気づかなかったのか。音がうるさいなら、わざわざ両手で耳を塞がなくても、イヤホンを付ければいい。
 それでも気になるようなら、スマホに差して、好きな音楽やら動画を流して置けば、いくらうるさくても気にならないだろう。
 こんなことにも、今の今まで気付かないとは、自分はなんて間抜けなんだ。
 思えば、新しい環境に慣れることに精一杯で、考える余裕がなくなっていたのだろう。
 準備は万端だ。お風呂入って、ご飯を食べて、夜に備えよう。

 ――――…………リ……。

「…………ん?」

 いつの間にか、寝ていたみたいだ。お腹いっぱいになって、のんびりスマホで動画を見ていた所までは、朧気ながらに覚えている。

 ――――カリカリ……。

 あの音だ! 体の横に落としていたスマホを拾い時間を確認する。3時1分。まだ9分もある。寝落ちしたなら、朝まで寝ていられれば良かったのに。
 考えても仕方ない。バイト終わりに買ったイヤホンを取り出して、急いで耳に付ける。

 ――――カ………………。

 やった! 聞こえなくなった。これで……!

 ――――カリカリ……。

「嘘だろ…………」
 期待もむなしく音は消えてくれなかった。
 イヤホンを買った事で、心の何処かで、もう大丈夫なんだと安心してしまっていた。イヤホンの端子を慌てて掴み、スマホに差して、適当に選んだ音楽を流す。

 ――――カリカリ……。

 だが、消えてくれない。ずっと左側から音が鳴り続けている。
 スマホを操作して、音量を1つ、2つと、どんどん上げていく。スマホの画面には、イヤホンのまま、大音量で聞くと表示される、音量警告が出ている。
 普段なら躊躇するが、今は気にしている余裕はない。気付けば音量は、スマホで出せる最大に達していた。イヤホンから流れる爆音に顔をしかめるが、それ以上に…………。

 ――――ガリガリ……。

 いつの間にかそれは、今まで以上に大きな音に変わっていた。

 どうして!? 何で消えてくれない!!

 最初は、爪で軽く引っ掻くくらいだったのに、気付けば、指を全て使って、爪が剥がれるぐらいの勢いで壁を掻きむしっているような、とてつもなく不快な音が鳴り響いている。

 ――――ガリガリガリガリ……。

 大音量のイヤホンを付けたまま、両手で耳を覆う。
 スマホを確認すると、時間は3時6分を示していた。まだ4分もある……。その事実に心が折れていく。不愉快な引っ掻き音だけじゃなく、スマホから流れる爆音で、既に鼓膜がおかしくなりそうだ。
 ここまでしたのに……。なんで……?

 ――――ガリガリガリガリガリガリ……。

 あと、少しだ。目を閉じて、形が変わりそうな程に強く、強く耳を押さえる。歯を食い縛って、楽しいことを出来るだけ考える。もうすぐだ。大丈夫だ! もうすぐで……。

 ――――ガリガリガリガリガ……うるせぇんだよ!!!!

 叫びながら、スマホを壁に投げ付ける。投げた勢いでイヤホンの端子がスマホから外れ、不快なノイズ音が流れる。イヤホンが外れたスマホから、大音量で音楽が聞こえてくる。

 もう我慢の限界だった……。

「ガリガリガリガリ、毎日毎日! 何度も何度も! うるせぇんだよ!!! 静かにしろ!!」

 心の中に溜まった怒りを、叫びとして一気に爆発させる。こんなに怒ったのは、人生で初めてかも知れない。

 ………………………………。

「えっ?」
 気付けば音は止まっていた。急いで立ち上がり、投げ付けたスマホを回収して、音楽を止め、時間を見ると……。
「やった……!」
 3時8分。安堵して思わず尻餅をついてしまう。やっと解放されたんだ!
 その日は結局、興奮して寝むれず、朝まで隣の壁に耳を澄まし続けたが、引っ掻くような音が再び鳴る事はなかった。
 さぁ、これからバイトの時間だ。さっさと用意を済ませる。
 辛い毎日から解放されたのかも知れないという喜びと、睡眠不足とが重なって、高揚した気分のまま玄関の扉を開ける。
 鍵を閉め、また例の部屋を見る。ポストに入りきれなくなった8部目の新聞紙が、にされている以外は変わりなかった。
 最初から、これで良かったんだ。昨日みたいに怒りながら叫ぶのは違うが、うるさいなら直接隣人に言えばいい。
 それでも、聞いてくれないなら大家さんに相談するという手だってある。
 一度叫んで怒りを爆発させた事で、気持ちが晴れやかになった。今ならどんな事でも何とかなりそうな気すらしてくる。
 僕は、何でもかんでも細かく気にしすぎていたのだ。溜め込んだ所で良いことなんて何一つない。
 とりあえず、今日また深夜にうるさくなったら、明日の朝にでも隣の部屋をノックして、今までの分も合わせて苦情を言うぞ!
 足元がいつもより軽い。僕は意気揚々とバイト先に向かった。



「お疲れ様でーす!」
「はいっ! お疲れ様~!」
 酔った同僚に手を振って、お互い帰路につく。相手はタクシーに、僕は徒歩での帰宅だ。
 お酒が入っているせいか、足元がおぼつかない。今日は本当に楽しかった。
 悩みから解放された僕は、初めて気になっていたバイト先の同僚を飲みに誘い、オーケーを貰うことが出来た。
 最初は緊張していたが、お互い田舎から上京して来ていると知ったとたんに、話に花が咲いて、めちゃくちゃ盛り上がる事が出来た。
 お互いの地元の話やら、都会に来て戸惑ったあるあるなんかは凄く良かった!
 結局、二人で楽しく喋っている間に、気付けば飲み屋は閉店時間になり、それでも、まだまだ飲み足りないという事で、カラオケで二次会をして、今やっと解散した所だ。
 こんなに楽しい気持ちになったのは久しぶりだった。お酒の力もあるだろうが、悩みから解放されたという精神的な面での部分も、やはり大きいだろう。
「じゃあ、帰りますか!」
 ひときわ大きな独り言を話ながら、歩を進める。

 ――――…………リ……。

 あっ、そうだ! 帰りにコンビニでお酒を買って、また飲み直そう。連絡先も聞いたから、お互い家で通話しながらお酒を飲む三次会なんてどうだろ? それなら……うん?

 ――――カ……リ……。

 …………気のせいだよな? とりあえず三次会の話送ってみるか! コンビニ行くならこっちのみ……ち…………。

 ――――カリカリ……。

「………………」
 連絡をする為に、スマホを取り出したが、ある物を見て手がピタリと止まる。目に入ったのは時間だ。
 時刻は、ちょうどだった……。
 周りを確認する。特別な場所でも何でもない、ただの住宅街だ。

 ――――カリカリ……。

 気のせいでも、何でもない。紛れもない、あの音だ。左側から聞こえるその音にしゃがみ込む。

 ――――ガリガリ……。

 音が鳴る方に視線を向ける。2階建ての一軒家があるだけだ。僕の住んでるあのアパートがあるわけでも、音の発生源らしき物もそこにはない。

 ――――ガリガリガリガリ……。

 時間を見る為に、スマホを取り出すが、手が震えて上手く操作出来ない。何とか確認出来た時間は、3時1分だった。まだ9分もある。

 ――――ガリガリガリガリガリガリ……。

 うるさい……。頼むから、静かにしてくれ……。

 ――――ガリガリガリガリガリガリガリガリ……。

 お願いだから、止まってくれ……。誰か助けて……。

 ――――ガリガリガリガリガリガリガリガッ……!

 ――その時だった…………プツンっと、音が止まり、体の自由がきかなくなる。自分の体がゆっくりと倒れ込むのを見ながら、何処から音が鳴っていたか、やっと理解する。

 あのアパートでも、隣の部屋からでも、ましてや壁からでもない。カリカリと、ガリガリと……何かを爪で引っ掻くような、あのとても不快な音……。

 ………………。









タイトル:耳の中
年代番号:V
管理番号:9
管理ジャンル:ホ
危険度:黄
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